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【完結済】2Kの君  作者: 水月A / miz
第六章:彼女と彼の結末

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6-2

 聖王庁付属の静謐な書院。

 淡い蝋燭の灯りが、壁に揺らぐ。

 黒衣の魔術師である女は、瞼を閉じていた。

 彼女の眼差しは、以前の見せた柔らかい笑みの面影を残しながら、その奥に鋭い光を秘めていた。


 あの時――一人だけ記憶を操作出来なかった存在が居る。

 リゼットの魔術に予期せぬ抵抗を示した唯一の存在。


 王都を騒がせた通り魔事件後、蒼月亭にリゼットという女将が居たという記憶は、彼女と関わったすべての人間からは消え去っている筈だ。


 凛子を攫わせ、リゼットは表舞台から退場する。

 巧妙に記憶と証言を改竄しながら立ち回ってきたが、多少の齟齬が残るのは仕方ない。小娘一人の記憶など、さして問題にはならないであろう。


 豪奢な椅子に腰掛ける男は、彼女にとって既に馴染み深い相手だ。

 男が纏う陰鬱な香りも、些事と言ってしまえるような可愛らしい嫉妬心も。


 十四年前の絶望を機に、研究に勤しんだ隔離結界の紋様術式は不完全で、暴発した結果、ディエルは彼女の封印されていた地点へとたどり着いた。


 空間の共有者となった二人は、共犯者でもある。

 彼女の享楽は、彼の希望。

 

 ディエルがリゼットの手を取りその甲に口付けた。


「あとは……貴方が正しき行いをすれば良いのよ」

「問題はシェイルだな」


 抑えきれぬ焦燥が、声に滲む。

 リゼットは宥めるように微笑む。

 囁きは甘く、しかし冷たい。


「英雄は一度、疑われれば脆いもの――大衆が、裏切り者と叫べば、たちまち処刑台に送れるわ、それはどこの世界でも一緒でしょ」


 リゼットは指先で机を撫でる。


「民意など、記憶と同じく捻じ曲げられるもの、簡単に」

「正直な所、国という巨大な檻は欲しくはないんだ。そうだな、ただ、自由が欲しい」


 ディエルは疲れたような声で、背をリゼットに預ける。


「そして自由を奪いたい」


 昏い声が闇に落ちていく。


 彼の犯した罪が、彼女にとって何よりもの享楽となる。

 願いを希う感情そのもが、彼女にとっては極上の蜜だった。



◇◇◇


 赤い髪の少女が、いつかのようにこちらを睨みつけていた。

 新年を迎え、正式任官されたエイミーレイ・カインズ。

 大将軍カインズ老公の孫であり、凛子と同じく秘書官の立場である。

 

「わたくしが、こんな穴倉みたいな部屋で生活するなんて」

「一応……最初の一年はそういう規則みたいですよ?」


 困ったように眉をさげる凛子に向かって、エイミーレイはフンっと鼻で笑う。

 

 通りがかったカトレアに窘められるまで、半ばストライキのように、軍官舎の一室の前の壁面から一歩も動かなかったエイミーレイは、カトレアによって物理的に室内に放り込まれた。


 これで軍官舎の女性専用階は、カトレア、凛子、エイミーレイが入室する。

 凛子自身も、任官して一年経過するのはまだ先の話なので、暫くはこの隣人とも、仲良くやっていかなければいけない。


 既に運び込まれてある調度品は、凛子の部屋とは対照的に煌びやかなものだった。

 それでも、収納が少ない、狭い、窓が小さいなどぐちぐち言っている。


「こんな、男だらけのむさい場所に、わたくしが!」

「自身で軍を希望したのだろう?」


 カトレアが無言で、巨大なうさぎのぬいぐるみを押し付けると、少女はぎゅっとそれを抱きしめ、顔を埋めた。


「一人で寝られません……こんな所」

「隣室には私もリィンも居るのだが」

「誰も居ない部屋で寝た事ないんですもの!」


 ぬいぐるみの耳をくしゃりと握りしめたまま、エイミーレイは拗ねたように呟いた。


「……ほんとうに、一人では眠れないのですわ」


「じゃ、じゃあ今日は……三人で寝ますかっ。女子会ですね」


 そう言ってしまってから、凛子は自分の言葉に少しだけ赤面したのだが、一瞬だけきょとんとした表情を浮かべたエイミーレイは、こくんと頷いた。

 カトレアが口元を押さえて小さく笑う。


「部屋の狭さを嘆いていた割には、急に都合が良いことを言うな」

「だ、だって! 明かりを消したら絶対に何か出ますもの!」


 エイミーレイは声を潜め、ちらと周囲の空気を探るように目を細めた。


 急遽、予備のマットレスをエイミーレイの部屋に並べ、カトレアは空間が和むように数々のぬいぐるみを運んできた。凛子の知らないぬいぐるみもあり、どうやらまた新作が出来たらしい。


 室内の四隅に備え付けられている灯りは消したが、枕元に小ぶりなランタンをいくつか並べると、エイミーレイは納得したように布団にもぐりこんだ。

 凛子は、若き新人を落ち着かせるために、愛用している香油を持参し、枕元に一滴たらした。


「それは?」

「えっと任務で行っていた蒼月亭で貰った香油です。結構お気に入りだし安眠出来るので」

「随分と、変わった匂いですわね」


 エイミーレイがくん、と鼻を寄せる。


「リィン」


 カトレアがふと、鋭い眼差しで囁いた。


「お前……最近、何か妙な夢は見ていないか?」

「えっ……」


 むしろ何も見ない。ずっと夢を見ていない。見ても忘れてしまっていて――。


「任務で行っていた蒼月亭とは、何の話だろうか」

「何のって、閣下の囮作戦で、協力してもらった蒼月亭の女将」

「まてまて。囮作戦というのは、通り魔事件の際の話か?」

「はい、蒼月亭のリゼットさん。閣下が懇意にされてたから」


 エイミーレイが「初耳ですわ!」と跳ね起きる。


「シェイル殿下がお若いころに通われていた娼姫は月影亭リザレイさん……では?」

「――私もそう記憶している」


「……ちょっと待ってください」


 凛子は息を呑む。

 シェイルが懇意にしていた女性の名前が、二人の記憶と違う――?


「ええと……その、蒼月亭の……」


 言いかけたその時。


 ふわり、と。

 枕元の香油から――何かが立ちのぼった。


「っ――!」


 カトレアが即座に凛子の腕を引き寄せる。

 エイミーレイも目を見開き、布団を蹴って飛び退いた。


 ランタンが、揺れる。

 影が、伸びる。


「なにいまの」


 エイミーレイが震える声で叫んだ。


「わからん!」


 カトレアが懐から短剣を抜き、手近にあったぬいぐるみの腹を裂き、匂いのする瓶を押し込め、簡易結界を張る。


 凛子の頭の奥で何かが崩れ落ちた。

 香油は、安眠のためのものではなかったというのか。


◇◇◇


 その日の晩も、シェイルは自室に戻らず、軍本部の執務室に備え付けられている資料庫の奥の長椅子に横になっていた。

 浅い眠りを見ていた気がする。ふと覚醒した彼は、世界がまだ朝を迎えていない事を知る。


 どこか下劣で、怠惰な夢を見ていた。

 そのまま眠り続けていたい。そう思わせる様な。


 腕を伸ばし酒瓶を手に取るも、雫の一滴さえ残っていない。

 このところ頻繁に彼を苛んでいる奥深い頭痛に、眉根を寄せ、額に手をあてる。


 その痛みは、確かな理由を持っているわけでもない。

 ただ、誰かに頭の内側から掻き回されているような、そんな不快感。


 喉が渇く。水を求め、手探りで書類棚にぶつかる。

 反射的に積み上げられた書類が道具類が床に崩れ落ちた。


 拾おうとした指先が、ふと止まる。

 透明の細長い、筒状の筆記具。

 凛子が使っていた物と酷似している。


 ――どこかで、見た。

 ――誰かの声で、聞いた。

 ――大切な何かだった気がする。


 脳裏に、一瞬。

 黒髪を揺らす女の、笑った顔が過ぎる。


 カミ―ヤ。

 いや、違う。

 その後ろに、もうひとり――光を反射する濃紺の瞳。

 白い指。酒瓶を渡して笑った、女の影。


「あれは誰だ……」


 声が震えた。

 拳を握る。

 その名を口に出そうとすると――頭蓋の内側に、焼け付くような激痛が走る。


「っ……!!」


 膝が崩れ落ちた。

 喉の奥で短い呻きが漏れる。

 床に手を突くと、冷たさが伝わる。

 思い出してはならない。

 そんな、外側から叩きつけられるような拒絶感。


 じり、と視界の隅で月影が揺れる。


「……リ……」


 言おうとした名前は、霧散した。

 代わりに、耳元で囁きがした。


『あなたは全部忘れていいのよ』


 女の声がする。背筋が凍るほど、甘い。

 シェイルは勢いよく跳ね起き窓を全開にした。

 夜の冷気が、一気に流れ込む。


「……成程、忘れていたのは俺か」


 低く呟いた声が、闇に沈む。

 激痛はまだ頭蓋を締め付けている。

 それでも、彼は目を逸らさなかった。


 あの稀有な空間で、自分を呼んだ声。

 確かに、自分はその手を取った。

 いや、護ったのは――彼女の方だった。

 なのに。

 その存在を、己の意志で消し去ったように記憶が欠落していた。


 ……俺の中から消したのは、誰だ。


 答えは、もうわかっている。

 柔らかく笑うように見えて、決して手を離さない毒。


 拳を握る。

 掌には血が滲んでいた。


「残念ながら、俺は……これ以上お前たちの掌で踊らされない」


 そう言い聞かせるように立ち上がる。

 嘗て自分が使用していた、凛子の部屋にあったボールペン。

 この世界においては未だ開発されていない、細長い筒型の筆記具を懐にしまった。


 これは確かな証だ。

 自分はそれを――知っている。


 彼女が標的にされた理由が想像つく。

 恐らく、他の誰でもなく、自分が原因で。


 窓の外に視線を向ける。まだ夜は明けない。

 それでも、遠く――戦火の匂いが風に混じっている。


「戦が始まるな」


 この国の、そして彼自身の運命を揺るがす戦が。

 軍衣を羽織り、剣を手に取る。

 迷いの一片すら置き去りにするように。


「――リィンは譲れない」


 その決意だけを胸に。

 彼は夜の闇へと踏み出した。

 今度こそ彼女を、手放さない。


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