5-24
封印の地は、想像以上に荒涼としていた。
吹き荒れる雪嵐の中、シェイルは部隊を率いて険しい山道を進んでいた。
視界は白に塗り潰され、足元は凍てついた崖道。
一歩の誤りが即、死に直結する。
「閣下、前方に――」
斥候の指し示す先、雪の帳を割って姿を現すのは、巨大な石造りの楼門。
古代の神殿。建国以前の遺構にして、王国最大の禁忌。ここが封印の地。
「全軍、警戒態勢を維持」
短い命令が、緊張に満ちた部隊へ波紋のように広がる。
魔術師隊が索敵術式を展開――しかし。
「……反応、無し?」
ウェントワースの声には、戸惑いが滲んでいた。
「魔物どころか……生き物の気配すら希薄です」
静かすぎる。
本来なら、この周辺には封印の影響で魔が溢れているはずだ。
まるで――何者かが掃除した後のように。
「罠、でしょうか」
カトレアが剣に手を掛ける。
「可能性は高い」
シェイルは前を見据えたまま応じた。
「だが確かめねば前へ進めん」
神殿の入口は厚い氷に塞がれていた。
魔術が解かれ、鈍い音を響かせ扉が開く。
「灯りを」
光の術式が空間を満たし、苔むした壁面の古代文字が浮かび上がる。
床一面に刻まれた魔法陣は、未だ刃を研ぐように光を潜め、そして最奥に、巨石で組まれた威圧的な石棺が坐していた。
封印の核は、恐らくそこだ。
「封印の状態を確認」
魔術師たちが術式を展開し、祈るように解析を進める。
数分の沈黙の後、解析役の魔術師の困惑気味の声が落ちた。
「封印は……恐らく、補強されています。しかも最近かと」
「補強……?」
ウェントワースが呻くように呟いた。
「魔物の活性化は、確かに薄まっている」
「だが、王都周辺では異常が起きている」
シェイルは眉根を寄せる。
嫌な予感が、雪より冷たく背を撫でた。
「敵の狙いは封印そのものではない……?」
石棺を映す双眸が、剣呑そうに細まる。
「ならば――何を起こすために、王都を混乱させたのだ」
外の雪嵐が彼らの中に這い上がる言い知れぬ不安に呼応するように、強まっていた。
◇◇◇
大理石の回廊を、急ぎ足の三人と、増援として選抜された影の護衛数名が進む。
ミアリエルはその中心で、ひどく楽しそうに息を弾ませていた。
「旧市街区なら……地下水路を通った方が早いわね! たぶん、もちろん行ったこと無いから想像だけど」
「地下水路……」
エイゼルが露骨に顔をしかめる。
「治安が悪いと聞いています。魔獣の棲みついた区画も存在するはず」
「だからこそ、お忍びにはぴったりじゃない。障害なんて全部まとめて沈めてあげるから安心して」
ぱちんと指を鳴らす。
床下の石が低く唸り、微かな振動が走った。
ラストゥーリャは無言で額に手を当てる。
「くれぐれも、制御をお願いします。目立てば――秘密裏の意味がありません」
「わかってるわ。目立たず、暴れるのが一番でしょ?」
「相反しているんですが」
しかし、三人の足は止まらない。
ラストゥーリャの拵えた長距離転移陣の魔方陣が展開され、強い光が視界を奪うと、湿った土の臭いと、ひんやりした闇の気配に捕らわれる。
ゼイレン旧市街の外れ、封鎖された地下水路の一角へと転移は完了した。
「ここからは――慎重に行きましょう」
ラストゥーリャが低く告げる。
「もちろん、慎重にね!」
ミアリエルは満面の笑みで答えた。
石壁の奥から、くぐもったうなり声。
泥濘の中、甲殻を纏った魔物の影がうごめく。
「来たわ! 任せて!」
彼女が片手を掲げた瞬間に、水路の石畳が隆起し、地を割り、土塊が牙を剥く獣の如く伸び、魔獣を丸ごと呑み込んだ。
「…………」
エイゼルはわずかに後退りする。
「目立たず……?」
ラストゥーリャは頭痛を堪えるように呟いた。
「まだ静かにやった方よ? ほら、急ぎましょ!」
誰よりも先に、ミアリエルは地下の闇へと駆け出す。
二人と護衛たちは、慌ててそれを追った。
しかし、間髪置かず、地鳴りが響いた。
「次、あっちでしょ! 道が無いなら、作ればいいと思うの」
ミアリエルが土塊ごと壁を粉砕し、新たな経路を強制的に切り拓く。
「静かに、と申し上げたはずですが!!」
ラストゥーリャの悲鳴が虚しく響く。
「音は地下水路が勝手に反響させてるんだもの。私は悪くないわ!」
「充分に悪いです!」
エイゼルは既に諦めの境地に至り、黙って短剣を抜いた。
彼らは、銀環の発する魔力の残滓を追い、一直線に迫っていた。
◇◇◇
粗末な机の上に、固いパンがひとつ置かれている。
レンガみたいな手触り。
柔らかくするためのスープ類が無いのは、嫌がらせだろうか。
歯が折れるかもしれないじゃない。
……まぁ、食べれるなら食べとこう、と凛子は心の内で思う。
こんな状況でも、食べられる時には食べる。
脳に糖分を行き渡らせるには、固いパンたった一つでも充分だ。
そしてためらいなく、噛みついた瞬間、少し先の床が、轟音とともに崩れ落ちた。
「えっ、待って、よ」
悲鳴と石の破片が飛び散り、凛子は反射的に身を丸める。
舞い上がる砂煙。パンが手元から転がり落ち闇に消えてゆく。
崩落した床下から――黄金の髪が、猛々しく躍り上がった。
「リィン!!」
「え……!?」
続いて、黒衣の護衛たちが影のように跳び出し、最後にラストゥーリャとエイゼルがよじ登る。
「助けに来ましたよ」
ラストゥーリャが静かに告げた。
建物を突如襲った不可解な衝撃に、凛子が捕えていた部屋へ駆けつけたヒューゴは、室内の惨状と新たな侵入者を目にして、即座に身を翻そうとした。逃亡に全てを賭ける速さ。けれど。
「……遅い」
ラストゥーリャの低い声が、鋭く刺さる。
魔力の鎖が、空間から伸び、瞬きより早く、ヒューゴの四肢を絡め取る。
「がっ――!」
「貴殿に選択肢はありません。あとは法に委ねましょう」
冷徹な言葉。抗う隙すら与えない捕縛術。
ヒューゴは床へ叩き伏せられ、動けなくなった。
「リィン、怪我は!? 傷は!? パンは!?」
「パンは別に……」
あまりにも目まぐるしすぎる展開に、凛子は苦笑した。
「あの、ミアリエル、様。お久しぶりです」
「ミリィでしょ! わたしたちミリィとリィンの中の筈よ」
「み、ミリィ、ありがとう」
その一言に、ミアリエルは胸を張った。
「当然でしょ。友達なんだから!」
想像の斜め以上をいく少女の様子に、凛子は僅かに口元を緩めた。
まるでいつかの再現のようだ。
この少女は唐突に自分の前に現れ、全てを物理的に崩壊させて、解放してくれたのだ。今回も。




