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【完結済】2Kの君  作者: 水月A / miz
第五章:彼女の欺瞞、彼の憧憬

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5-23

 意識が浮上した時、凛子は、石の冷えを孕んだ薄暗がりの中にいた。身体には鉛のような倦怠がまとわりつき、後頭部に鈍い痛みが残っている。


 ――ここは、どこだろう。

 ――リゼットさんは。


 ぼんやりと呟き、周囲を見渡す。手足は拘束されていない。それでも、部屋は逃げ道を拒むように簡素だった。分厚い扉がひとつ。高窓がひとつ。そこから差す光は弱く、世界の色を奪っている。


「……起きました?」


 聞き覚えのある声に、凛子は痛む頭を押さえながら振り返った。壁に背を預けた男が、疲労の影を宿した目でこちらを見ていた。 図書院の、あの温和な青年。だが、緋色の瞳は――氷のように冷たい。


「ヒューゴ、さん?」

「体調、悪くないですか?」


 微笑みの形だけを口元に浮かべ、彼は言った。

 優しさの温度が欠片もない声で。


「よかった。しばらく目を覚まさないから、少し焦りました」

「……どうして」

「どうして、僕がここにいるのか?」


 ヒューゴは肩をすくめ、愉快そうに目を細める。


「決まってるじゃないですか。僕が、貴女を攫ったんです」

「嘘……」

「嘘じゃありませんよ」


 ヒューゴはゆっくりと部屋の中央へ足を進めた。

 一歩、二歩。

 その足取りの迷いのなさが、凛子の心にじわりと恐怖を染み込ませた。


「貴女をはじめて外宮で見かけた時から、決めていたんです」

「決めていたって、何を」

「簡単な事ですよ」


 指先で、ヒューゴは凛子を指差した。


「星霜通りで一緒に食事をした夜――覚えていますか?」

「あの夜……?」

「僕が急に倒れたでしょう。あれ、演技です」


 あまりにも軽い調子で言う。


「あなたを一人にするための、ね」

「じゃあ……」

「外宮で突き落としたのも僕です。でも、魔術具が作動してしまって邪魔された……本当に、惜しかったな」


 その声に滲んだ悔恨が、理性の歪みを物語っていた。


「なぜ……こんなことを」

「簡単ですよ」


 指先で、ヒューゴは凛子を指差した。


「貴女が――許せなかった」

「許せない?」


「僕は平民の身でそれこそ血の滲む思いをして必死に努力した。やっと中央に来られた。ところが貴女ときたら」

 抑えていたものが、激情として一気に噴き出す。

「突然現れて、賢者様の庇護を受けて。黒髪、黒い瞳――ただそれだけで特別扱いされて」

「待ってください」

「黙れ!!」


 怒号が石壁を震わせる。

 肩を震わせながらも、凛子は言葉を失った。


「僕が数年かけて積み上げたものを、あなたは数ヶ月で全部越えていった。……羨ましかった。妬ましかった」

「私は……仕事を――」

「仕事? あれが仕事? 子供の飯事じゃあるまいし」


 嘲るような声。


「だから決めたんです。貴女を使ってこの腐った国を壊す」

「壊す……? 王都の陣、ですか?」

「陣? 何の話です」


 ヒューゴは懐から黒い像を取り出した。

 不気味に歪む輪郭。


「とあるお方が、僕に道を指し示してくれました。終末の神がお救いくださる」


 像を優しく撫でながら囁く。


「そして、世界は、真に価値ある者が報われる。信じられない? でも、本当ですよ。すべてあの方が与えてくれた。この僕に」


 凛子の反問はヒューゴの耳には入らない。まるで自身に言い聞かせるように、ぶつぶつと呟きながら、くるりと背を向けた。扉を出る直前に、振り返りつまらなそうに吐き捨てる。


「言い忘れてました。ここはゼイレンです。アゼリアスからは遠いですね。残念ながら誰も貴女を助けに来ない」


 そういって、楽しげに笑う。


「暫く、大人しくしていてください。終末信仰の拠点であるこの場所では、貴女の髪と瞳には利用価値がある」


 そして、扉が閉ざされ、足音が遠ざかっていった。

 残された静寂。

 凛子は力が抜け、膝をついた。


 攫われた、という事なのだろうか。

 浴室内にいたため、あの時何も身に付けていなかった。シェイルから託された銀環も、通信用の魔術具も何一つここに無い。身に付けているのは、大きさのあっていないローブのみ。


 恐怖に飲まれてしまえば、沈むだけだ。

 まだ、凛子の思考は生きている。


◇◇◇


 ゼリアス山脈。

 幕舎の外、吹雪が布を容赦なく叩きつけていた。

 シェイルは伝令から報告を受けていた。


「カミーヤが……攫われた?」


 シェイルの声が、低く響く。


「はい。昨夜」

「犯人は?」

「不明です。ただ、魔術の痕跡が無いことから――」

「計画的な犯行、か。娼館の女将も一緒だと?」

「不明です。そして――」


 ウェントワースが伝令が続きを引き受けて耳打ちする。


「……ミアリエル様が……どうやら同じ時刻に、王都へお忍びに出られており」


 シェイルの目が鋭くなる。


「あのお転婆娘は、何をやっているんだこんな時に……」


 思わず脱力してしまいそうな身体を叱咤するが、ついつい額に手をあててしまう。


「叡智の塔主のところの補佐官殿が、発見? 捕捉しております」


 シェイルは溜息をつきつつ宙を胡乱に見やった。


 ――封印の地まで、あと三日。

 今撤退すれば、この任務は失敗に終わる。

 それに、犯人の真の目的が封印を解くことなら。

 

 シェイルは天を仰ぐ。

 雪が、降り始めている。


「我々は……進軍を続けるしかない。今撤退すれば、敵の思う壺。封印の地を確認する。それが優先だ。そろそろ出立するウェントワース」

「了解しました」


 ウェントワースは敬礼する。

 だが、その目には心配の色が浮かんでいた。

 カトレアも、複雑な表情をしている。

 シェイルは雪の中を見つめる。

 カミーヤ。ミアリエル。

 なんの因果か、どうも自分の周りには厄介ごとばかり回って来る。


◇◇◇


「これはゼイレンですね」


 ラストゥーリャは地図の一点を指先で叩いた。シェイルが凛子に渡した魔道具の銀環は、ラストゥーリャが主に制作したものである。己の魔力の行方を探り、辿り着いた地点は治外法権の闇も渦巻く、自由都市。


「向かいますか?」


 エイゼルが問う。

 傍らには、ミアリエルが腕を組み、眉をつり上げている。


「もちろんよ! 放っておけるわけないじゃない!」

「……ミアリエル様」


 ラストゥーリャはわずかに息を吐いた。


 街で捕獲したミアリエルを伴って戻ったエイゼルは、このお転婆姫君をどのように秘密裏に奥宮に戻そうかと思い悩んみながら、叡智の塔まで連れてきてしまったのだが、運悪く、ローワンのもたらした凛子誘拐の報告を、耳にされてしまった。


 そしてミアリエルは、かつて多少の縁を持った同士たる凛子は、完全に自国にへと帰国したと思っていたのにも関わらず、アゼリアスに未だ存在している謎、および、自分に対してはなんの知らせもされなかった事に拗ね、叡智の塔に居座っている。そして成人王族である自分にも、責務として関わる必要性を滔々と語り、ラストゥーリャの頭を二重に悩ませていた。


「正式な軍は動かせない。外交問題になる。だから――」

「そういう場合は、お忍び作戦ね!!」


 得意そうに胸を張る、若き姫君の言葉に、ラストゥーリャは頭痛を押さえるように眉間をつまんだ。


「……端的に言えば、そうです。ただし」

「ただし?」

「姫君が加わる予定は、一切ありません」

「今はあるでしょう? ほら、いま私、ここに居るもの!」


 きらり、と勝ち誇った笑み。

 エイゼルが天を仰ぎ、ラストゥーリャは肩を落とす。


「……本当に、どうしてこうなるのでしょう」


「状況は一刻を争います、どうしましょう」


 エイゼルが表情を引き締めた。


「ミアリエル様を奥宮にこっそりお戻しした方が」

「待って! 今戻ったら、蜂の巣を突いた大騒ぎになって、特にエイゼルなんてこってり絞られて、経典何カ月も書き写すお仕置きされるわよ!」

「なんで、俺が!」

「形代置いてきてるから絶対にバレない自信あるの。エマウお休みだし! それに……リィンは私のお友達よ。ほっとけない」


 ミアリエルは翻る金の髪を指先でかき上げ、翡翠の瞳を猫のように細めた。


「それに、私の魔力使った方が早いと思うわ――奥宮の隔離結界を破った人なんて、後にも先にもいないでしょう? 長距離転移は不得意だけど、魔力量は多いから便利よ」


 その言葉に、ラストゥーリャは僅かに目を見開き、短く息を吐いて諦めた。


「……承知しました。ただし、警護の増員は最優先します。御身に何かあれば、我々の立場も危うい」

「わかってるわ。私は足手まといにならない自信があるもの」


 すでに充分、頭痛の種なのですが……と、喉まで出かかった本音を飲み込み、ラストゥーリャは声を張り上げた。


「追跡地点は、ゼイレン旧市街区。治安としては最悪の、地下商会の巣窟です。準備を整え次第、出発します――可能な限り、秘密裏に、迅速に」



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