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【完結済】2Kの君  作者: 水月A / miz
第五章:彼女の欺瞞、彼の憧憬

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5-21

 シェイルが奥宮から戻ってきたのは、日が傾き、石畳に長い影が伸びはじめた頃だった。


 執務室の扉が静かに開き、彼が姿を現す。

 その表情には、どこか沈んだ影が落ちていた。沈黙の色は深く、息遣いよりも先に部屋の空気を曇らせる。


「閣下、おかえりなさい」


 凛子が立ち上がる。

 しかし、シェイルは短く首を振った。


「……駄目だった」


「え……」


「聖王の許可を得て、大聖堂内部の調査を行った。しかし──」


 彼は椅子に身を投げるように腰を下ろし、指先で額を押さえた。

 疲労というより、虚無に近い響きだった。


「何も無かった」


 室内の空気が微かに揺れた。


「……何も、ですか?」


「密会の痕跡も、怪しい文書も。聖具庫の記録も、全て潔白だ。ディエルとも直接話したが、やけに協力的でな。名簿も行動記録も開示すると言った。短時間ですべて精査はできんが……怪しい点が、一つも無い」


 苛立ちというより、手がかりの欠片すら掴めない虚しさが滲んでいた。


 あまりの潔白さゆえに、逆に不自然。

 それでも、痕跡は一つもないという現実だけが残る。


 凛子は息を潜めるしかなかった。



 その日の夕刻。

 急遽招集された会議の席に、張りつめた空気が満ちていく。


 シェイル、ウェントワース、ローワン、ラストゥーリャ──四名が卓を囲み、凛子は壁際で記録の準備をしていた。


「状況を整理する」


 シェイルが淡々と言い、地図に指を滑らせた。


「術式陣は七芒星。現時点で六つの地点に贄が捧げられている」


 地図上にばつ印が六つ、無機質に重ねられていく。


「残るは……一つだ」


 ラストゥーリャが息を整えて続く。


「術式書き換えの進捗ですが、三か所の書き換えに成功しました。しかし本日四か所目に取りかかったところ、最初に書き換えた地点が再度、上書きされています」


「どういうことだ?」


 ウェントワースが眉をひそめる。


「敵とのいたちごっこ、ですね」


 ローワンが肩を竦め、乾いた笑みを落とした。


「書き換えても書き換えても、別の誰かが元に戻す」

「このままでは、討伐隊が出ても──」


「討伐隊は予定通り出発する」


 シェイルが静かに遮った。


「──ですが」


「敵は、我々が王都を離れるのを待っている。大規模な部隊が動けば、王都の守りは薄くなる」


 淡々と告げる声は、逆に不安を増幅させた。


「その隙に、最後の贄を……」


 ウェントワースがシェイルの意図を読み取り、ちらりと凛子へ視線を寄こす。


「王都に囮を置く。そして、さらに囮として部隊を出す。二重の囮策だな」


 淡々とした口調の裏に、皮肉の色が混じっていた。




 会議が終わり、凛子は資料室の中で立ち尽くしていた。


 机には未整理の資料が積み上がり、奥の簡易寝台には、シェイルが仮眠を取るときに使っている毛布と、飲みかけの酒瓶が転がっている。瓶の数が先日片付けた時よりも増えている。


 ここが、彼の戦場なのだと痛感させられる景色だった。


「リィン」

「……トゥーリャさん」


 振り向くと、ラストゥーリャが穏やかな顔で立っていた。


「納得のいかない顔をしていますね」

「……そう見えます?」

「シェイル殿下の判断は、正しいですよ」


 その声に温度があった。


「王都にもやるべきことは山積です。私も残ります。エイゼルも。──秘書官殿をお借りする手筈も整えました。手伝っていただけますね?」


 凛子は瞬きを一つし、わずかに頷くしかなかった。


 討伐隊には、同行しない。

 かつては、秘書官の務めとして当然のようにシェイルに随行するものだと聞かされていたのに。


 そして何より──

 王都に残される囮役は、自分だ。


 あの日、危険に晒された時は彼が傍にいてくれた。

 だが、今度は距離が開く。物理的。

 不安が形を持って胸に沈むのを、否定する余裕はなかった。


 討伐隊出発の前日。

 王宮は戦前のような緊張を帯びていた。


 百名規模の部隊。

 物資の確認。行程の再チェック。


 凛子は朝から晩まで奔走し、ようやく一息ついて窓の外を見る。


 訓練場では、騎士たちが最終調整に汗を流している。

 その中心付近で、シェイルが剣を振るっていた。


 研ぎ澄まされた動き。

 無駄のない軌跡。

 刃の光よりも、その背中の静謐さが胸に刺さる。


「かなりの規模だな、今回は」


 背後から聞き慣れた声。

 振り返ると、カトレアが立っていた。


「カトレアさんも、明日……?」

「出発する。お前こそ気をつけろ。王都も安全ではない」

「……わかっています」

「閣下は、お前がより安全な方を選んだに過ぎない」


 カトレアは真剣な目で言った。


「その気持ちを、無駄にするなよ」


 胸の奥に、小さく重い波紋が広がった。



 討伐隊の出発が明日に迫り、軍官舎は半ば空になる。

 凛子は一時的にシータ家に身を寄せることとなり、久しぶりに私室と呼べる空間で荷物を整理していた。


 ふと、帰り際にシェイルから渡された箱を思い出す。

 封を解くと、中には銀色の腕輪──以前ラストゥーリャが作成してくれた術具に似たものが収められていた。


 三回まで発動可能。

 前回のものより強化されていると、短く説明された。


 凛子は腕輪を手のひらに乗せる。

 金属は冷たいのに、触れていると胸の奥がひりつく。


 彼がこれを渡した意図が、分からない。


 囮としてうまくやれということなのか。

 それとも、離れている間の保険なのか。


 ──だが。


 もしまた転移してしまったら。

 その瞬間、犯人を取り逃すかもしれない。


 腕輪の光沢が、わずかに揺れた。

 凛子の胸の奥も、同じように揺れていた。


 守られているのか。

 突き放されているのか。

 そのどちらなのか、彼の横顔からは読み取れなかった。


 その晩凛子は、珍しく夢を見た。

 しかし、覚醒した瞬間から、その内容はさらさらと零れ落ちていった。

 

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