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【完結済】2Kの君  作者: 水月A / miz
第五章:彼女の欺瞞、彼の憧憬

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5-20

「ディエルに会ったことがあるな」

「え……はい。春に、大聖堂で、あとは学術庁で……あの方、かなり神出鬼没ですよね」


「どんな印象だった?」

「優しくて、穏やかな方だと思いました。けど……」

「けど?」


「うーん、底が見えない感じ。本心は言ってない。なんていえばいいんだろう、目は笑っていても心は笑ってない、みたいな」


 凛子は記憶を辿りながら、言葉を紡ぐ。


「閣下は、どう思われているんですか?」


 その問いに、シェイルは少し間を置いた。


「優秀な聖職者だ。そして――」

 言葉を切って、視線を落とす。

「俺の弟だ」


 その声には、複雑な感情が滲んでいるように聞こえた。


◇◇◇


 討伐隊の出発まで、残り一週間。

 準備は順調に進んでいるが、まだやるべきことは山積みだった。


 書架の上段にある資料を取ろうと、梯子に登った瞬間、お約束のように足を滑らせた。


「っ!」


 凛子の体が宙に浮く。

 床に激突する――そう思った時には、抱きとめられていた。


「……油断するな」


 低い声。

 見上げると、シェイルの顔がすぐ近くにあった。


「ご、ごめ……すいません」


 凛子は慌てて身を捩ったが、筋肉質の腕はしっかり身体に巻き付けられたままだ。


「傷は? 開いてないか」

「だ、大丈夫。です」

 

 なんなんだ、この状況は。まるで少女漫画的な展開にありそうな。

 こんなに近くで、シェイルの顔を見るのは――。


「……閣下?」

「ああ」


 シェイルは溜息を大きく吐いて、凛子を床に降ろす。


「気をつけろ。高い所の物は俺がとる」

 有無を言わさぬ調子で、梯子を登り始めた。

「お前は下で指示を出せ」


 言われるままに、淡々と資料を取り出していくその背中を見上げながら、凛子は懐かしさを覚えていた。だが、彼は過去に重なられる事を忌避している。不器用だけど、優しい所は変わっていない。そんな感想を隠して、作業を進めていった。


 資料室の窓からは、既に夕焼けが見えていた。


「お前、この国に来てどのくらいになる?」

「えっと……半年くらいです」


「慣れたか?」

「まあ、なんとか」

 凛子は笑う。

「最初は大変でしたけど、今は……楽しいです」


「楽しい?」

「はい。色々ありますけど、毎日が充実してますよ。優しい人たちに囲まれてますから」


 こちらに背中を向けたままのシェイルは何も答えない。

 少しの沈黙の後に問われた。


「――この国で、何をしたい?」

「何を……ですか」


「ああ。目標とか、夢とか」

「……正直、まだ分かりません」


「そうか」

「今は、この事件を解決したいです。あとは――」


 言葉を切って、凛子は小さな決意表明を声にした。


「誰かの役に立ちたいです」


 凛子がどのような顔をしているのか、シェイルは知らない。

 彼女と、会話をする度に、頭の奥が痛む。

 それなのに、もう少し声を聞いていたいと思う。


「何故だ」

「え?」

「何故、この国の人間ではないお前が?」


 率直な言葉に、言葉が詰まる。

 何故なのだろう。

 この世界に来て、沢山の善意に助けられてきたから。


「それは……」


 当然、そのままを伝えることは難しい。


「恩返し、したいのかなって思います。ちょっと漠然としちゃうけど。私、()()に来てから、本当に沢山の人たち、ラストゥーリャさん……閣下、にも、助けてもらいました。だから、その分を働いて返したい、かな」


 梯子の上で、シェイルの手が止まる。  

 背中越しでも、彼が何かを考え込んでいる気配が伝わってきた。  


 西日が差し込む資料室の中、舞い踊る埃さえも金色の粒子のように輝いて見える。


「……お人好しだな」


 ぽつりと、呆れたような声が降ってきた。  

 シェイルがゆっくりと梯子を降りてくる。手には目的の古い羊皮紙の束が握られていた。


「自分自身が襲撃を受けたばかりだというのに、他人の心配か」

「自分の心配もしてますよ。だから真面目に、訓練もしてますよ!」


 床に降り立ったシェイルは、凛子に向き直ると、持っていた資料を無造作に彼女の腕の中へと押し付けた。だが、その手は直ぐには離れない。


 資料の上に乗せた凛子の手に、シェイルの大きな手が、覆いかぶさるように触れた。熱い。

 彼の体温が、手袋越しに伝わってくる。

 

 シェイルは凛子の目をじっと覗き込んでいた。

 その瞳は夕焼けの色を映して、燃えるような、それでいてどこか寂しげな茜色に見える。


「恩返しなど、考えなくていい」


 それは、上官としての命令なのか、それとも別の感情からの言葉なのか。  

 凛子の心臓が大きく跳ねた。  


 シェイル自身も、自分の口から出た言葉に戸惑っているように見えた。

 彼は微かに眉を寄せ、こめかみの辺りを片手で押さえる。


 遠い記憶の中の誰かと、目の前にいる女が重なって見えた。

 けれどその正体を確かめるには、何もかもが曖昧にぼやけていて輪郭さえ掴めない。


「……すまない。妙なことを言った」

「い、いえ……ありがとうございます」


 手を離し、顔を背けたシェイルの表情は夕日の影に隠れて見えなかった。  

 耳の先が、夕日のせいだけではなく赤くなっているように見えるのは、凛子の願望が見せる幻だろうか。


「資料はそれで全部だ。……戻るぞ。日が暮れる」


 足早に歩き出したシェイルの背中を、凛子は資料を胸に抱きしめながら追いかける。  


 先ほど触れられた手の甲が、まだじんわりと熱を持っていた。


◇◇◇


 その夜、凛子は軍官舎の自室で寝台に横になっていた。

 傍らには、カトレアお手製のぬいぐるみ――猫と亀のような生物――が並んでいる。


 今日一日のことを思い返すと、なんだか色々ありすぎて、直ぐにアルコールが恋しくなってしまう自分が情けない。


 軍官舎に居を移してからというものの、毎晩の飲酒から遠ざかっていた。健康面ではよい傾向だが。事件にも巻き込まれ、怪我も追ってしまった。

 

 この世界に来てから、否、シェイルに初めて出会った時も刃物を向けられたのだ。

 しかも「服を着ろ」と吐き捨てられた。

 初対面の女性に向ける言葉としては、不適切過ぎる。

 あの邂逅を思い出し、一人でくすくすと笑ってしまう。


 随分、あの日から、遠い所まで来てしまった。

 シェイルに抱きとめられた時、まさか自分の心臓があのように高鳴るとは。

 あの日の凛子では想像もできないだろう。


 暑苦しい邪魔、と悪態をついていたくらいなのだから。


「はあ……」


 足をばたばたさせながら、枕に顔を埋める。

 このままでいいのだろうか。

 この気持ちを、ずっと隠し続けられるのだろうか。


「リィン、起きてるか?」


 カトレアの声だ。

 扉を開けると、カトレアが深刻な顔をしていた。


「どうしたんですか?」


「少し、話がある」

 カトレアは凛子の部屋に入ると、扉を閉めた。

「実は、今日――妙な噂を聞いた」


「噂?」


「ああ。ミアリエル様からなのだが……聖王庁で、大司祭殿が、()()()()()()()()()()()()()()()。正直、私はミアリエル様のお言葉の意図が判らない。こうどこか、ふわふわとしていて」


「ミアリエル様……」


 カトレアは真剣な表情だ。


「これは、シェイル閣下にも報告すべきだろうか。それとも単なる噂話と解釈した方が良いのだろうか」

「うーん……一応した方がいいと思います。前に、青き鳥を飼いならしてるって噂、王宮の若い姫君たちの間で噂になったって――まあそれの正体はエイゼルだったんですけど」


「エイゼル・アンレイか?」

「はい。単に、密偵――じゃないな、ラストゥーリャさんと大司祭様の伝言係していただけだったらしいけど、聖官じゃないからそこそこ目立ってたみたいで。女の子たちって、そういう話好き……男同士でのあれこれとか」


「なるほど……分かった。明日、報告する」


 窓向こうに見える、大聖堂へと続く山道は暗く、沈黙していた。



 翌朝、カトレアからの報告を受けたシェイルは、いつも以上に険しい顔をしていた。


「黒い鳥、か」

「はい。確実な情報ではありませんが」


 カトレアが答える。


「念のため、調査が必要だが……聖王庁は俺の管轄外だ。勝手に動けば問題になる」

「では……」


「父上に相談してみよう。聖王の名の下でなら、調査できるだろう」

「了解しました」


 シェイルは今、何を思い悩んでいるのか。

 朧げな不安が、むくりを這い起きてきたような気がして、凛子は声を掛けられないまま、手元の資料を書き写すという単純作業に精を出していた。


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