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【完結済】2Kの君  作者: 水月A / miz
第五章:彼女の欺瞞、彼の憧憬

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5-19

 軍本部の医務室で、凛子は首の傷の手当てを受けていた。


「傷は残りませんよ。閣下が近くに居たのは幸運でしたね」


 医務官が、擦りむいた手足に薬を塗りこみながら言った。


「はい……良かったです」


 手当てされている自分の膝小僧を胡乱に見つめながら、凛子は疲れたように答えた。


 魔術による治癒。


 以前、ラストゥーリャから教示して貰った内容によると、ぱっくりと裂けた筋肉などを短時間で繋ぎなおす治癒は、高度な技術と高い魔力値が必要とのことだった。無論、刀傷などでも、そこまで深くない場合は物理的に縫い直す事が可能で、時間はかかるがいずれは治癒する。


 しかし失われた血を戻すという技は魔術でも存在せず、貧血にも似た感覚に、頭がくらくらしていた。


 医務室の外では、シェイルが壁に背を預けて立っていた。

 腕を組み、難しい顔をしている。


「閣下」

 ウェントワースが近づいてくる。

「行方は?」

「申し訳ありません、星霜通りの路地に入ったところで、姿が消えてしまった」


「転移魔術か」

「おそらく。移動しながら行使していたとのこと。かなりの使い手です」


「だが、顔は見たな? 術師の協力が欲しい」

「叡智の塔主は、陣の書き換えに専念されておりますし、適任者が……少し当たってみましょう」


 ウェントワースは一礼して去っていく。


 医務室の扉が開き、凛子が出てきた。


「お待たせしました」

「歩けるか?」


「はい、大丈夫です」

 凛子は首に巻かれた包帯に触れる。

「ご心配をおかけしました」


「……まあ、想像より動いていたな」

 シェイルはゆっくりとした足取りで歩き出す。

「訓練の成果が出ている。カトレアに礼を言っておけ」


「はい」


 深夜の外宮は静かで、足音だけが響く。


「カミーヤ。今夜のことを、報告書にまとめろ」

「分かりました」


「それから――」

 シェイルは立ち止まる。

「しばらく、蒼月亭への訪問は中止だ」


「え?」


「犯人に顔を覚えられた。危険すぎる」

 シェイルは凛子を見る。

「お前の身の安全が最優先だ」


「でも、それでは囮の意味が……」


「別の方法を考える。今回の事ではっきりと判った。狙いはやはり、お前だろう」

 シェイルの声は、有無を言わさぬ強さがあった。

「今は、お前を守ることが先決だ」


「……ありがとうございます」

「礼を言うな。当然のことだ」


◇◇◇


 翌朝、凛子は既に彼女のルーティーンと化している訓練場に現れた。


「おい――何をしている」


 凛子の姿を認めたカトレアは、一瞬だけ絶句し、呆れた顔をむけた。


「え、基本動作だけやろかなって」

「見れば分かる。怪我人が何故ここにいる」


「昨夜の襲撃で、なんか私本当に中途半端で……」

 凛子は凛子で、真剣な表情だ。

「鍛えておかないと、次は、避けられないかもしれない」


 しばし押し黙っていたカトレアだが、小さく笑った。


「戦う者の目をしている」

「え?」

「だから、戦う者の目だ」


 同じことを二度言われ、少しだけ考えるが、これはあれか。

 所謂、大事な事なので二度言いましたというやつであろう。


「治癒術を受けて傷が塞がったとはいえ、無理はするなよ。お前の身体は血を失ったばかりなのだから、座ってこれでも持ってろ。握力だけでも維持しておけ」


 カトレアが押し付けてきたのは、ダンベルのような鉄棒である。

 切られたのは左側の首。右手なら利き手でもあるし、少し力を加えても大丈夫だろうか。

 首に負担がかからないように、慎重に手首だけを曲げるにとどめておく。


 毎日のように鍛えていたら、二の腕からは完全に柔らかさを失いそうだ。既に服にうっすらと浮かぶ体の筋に、凛子は苦笑してしまう。


 向かいでは、カトレアも木の椅子に座り、足首に錘を付けて、足を浮かせると膝を虚空へと伸ばしはじめた。


「お前が無事で、私も安心したよ。閣下は相当心配していたぞ」

「直属ですしね、それに秘書官が怪我したって、外聞悪くしちゃいそうで、反対に申し訳ない気持ちに」


「そういう風に考えられるリィンは、やはり恵まれた環境で健やかに育った淑女、なのだなと思う」

「淑女……普通、まあ、普通ではないかこっちだと」


 文化がそもそも違う。価値観も、論理感も何もかも。

 凛子にとっての疑問は、こちらの世界の誰かにとっての当たり前で、だからこそ、春ごろに比べて言動には気を付けるようになったのだが。


 難しい顔をして黙り込んだ凛子にカトレアは「私は、お前の事を好ましく思っているよ。私の価値観に文句を付けず興味を持ってくれた、唯一の人間だからな」と、言った。


「私は、決められている未来が嫌いだった。だから家から出るためには、両親が納得するだけの力を得る必要があった。貴族女性に出来る仕事というのは、なかなか少なくてな。結果、騎士となることになった。力を得た今は、好きな事をして好きな物だけに囲まれて、そうだな……自分の手の届く範囲が平和ならそれでもいいかとさえ考える事も時々ある」


「ちょっと、判るかも……」

「無論、仕事は仕事。騎士の務めは王国の守り。民の盾。それで給金を貰って余暇で縫物が出来ている今が、幸せだと感じている。お前とこうして他愛もない話をする時間も」


「私、カトレアさんお手製のぬいぐるみちゃん、ちょっと欲しいです」

「興味があるなら、今度、作り方を教える」


「んじゃ、今の事件が解決したら! お休みの日にぬい活しましょう!」

「ぬい活……」


「推し活ともいいます! ぬいぐるみちゃん達もつれて、美味しいお酒を素敵なお店に呑みに行くなんていかがですか? 楽しい予定が先にあったら、もっと頑張れるし」

「楽しそうだな……そうだな、あの子たちにも、何か外出用の服を作ってやるのもありか……」


「私、実は女性向け洋服の意匠画は持ってるんですよ。ただ結構斬新な意匠だから、ぬいぐるみちゃん達の服なら、許される範囲かも」 


 広い訓練場で若い女性二人が、早朝にトレーニングしている姿は、今や外宮名物でもある。軍本部のある回廊からは、声援も飛んでくる。だがしかし、彼女たちの会話は、訓練に関する話題でも、件の事件に纏わる物でもない。


 そう、いつだって、凛子は長く悩み続けることが出来ない性分なのだ。


 執務室に入ると、シェイルは険しい顔で地図を見つめていた。


「おはようございます」

「――傷は?」

「大丈夫です。痛みもほとんどありません」


「そうか」

 シェイルは再び地図に目を落とす。

「カミーヤ、昨夜の犯人だが――」


「はい」


「学術庁か聖王庁の関係者を今洗っている」


 凛子は息を呑む。


「学術庁って……どうして……?」

「魔術の使い方が洗練されていた。さすがに独学では身につかない技術だあれは。魔力行使とはわけが違う。転移術を個人で扱うには、相当な魔力量と知識も必要だ」


 シェイルは地図上のある地点を指す。


「そして、この魔法陣の構築もな。高度な知識が必要だ」

「つまり……」


「犯人は、我々の内側に潜んでいる可能性も否めない」

「では、どうすれば……」


「まずは、犯人の目的を探る」

 シェイルは別の資料を取り出す。

「封印を解いて、古代竜を復活させる。それが目的だとして――何故そんなことをすると思う?」


「うーん、復讐……でしょうか」

「誰に対する?」


「この国……?」


「ならば、動機は何だ」

 シェイルは漸く凛子を見た。

「考えろ。お前の視点で」


 古代竜を復活させる理由。

 この国への復讐。


「もしかして……誰かを失ったり?」

「続けろ」


「大切な人を、大切な物を、この国に奪われた。だから、復讐したい」

 凛子は言葉を紡ぐ。

「でも、それだけじゃ、安直すぎますかね」


「何故だ」


「だって、こんな大規模な術式を張るなんて……ただの復讐にしては、やりすぎだから、もっと、別の理由がある気がしますけど」


「……成る程」

 シェイルは考え込むようにして腕を組みなおした。


「後は――この国を滅ぼすことが、何かの救いになる、とか」


 凛子の言葉に、シェイルは目を細める。


「なかなか、面白い視点だ」

「え?」


「お前の考え方は、時々予想外だな」


 シェイルは小さく笑った。


 その日の午後、ラストゥーリャが執務室を訪れた。


「リィンが襲われたと聞きました」

 開口一番、ラストゥーリャは凛子を見て眉を下げた。

「大丈夫ですか?」


「はい、トゥーリャさん。ご心配おかけしました」


 凛子は頭を下げる。


「貴女は何というか……無事で何よりです。渡していた術具は身に付けていなかったんですか?」

「あ! 出かける前に着替えて忘れてました……」


 ちらりと凛子の首元を検分したラストゥーリャはシェイルに視線を流した。

 シェイルはその視線をただ受け止め、何も言わない。


「それで、犯人の情報ですが――学術庁内を調査しました。魔法陣に関する専門書を借りていた者のリストです」

「何名居る?」


「十二名。うち、現在も王都にいるのは八名」

 ラストゥーリャは顔を曇らせる。

「ただ、聖王庁の記録は閲覧できませんでした」


「何故だ」

「大司祭殿が、許可を出さないのです」


「理由は?」

「聖職者の記録は、神聖なものだから、と」


 シェイルは舌打ちをする。


「面倒な男だな」

「ディエル様に直接交渉してみますか?」


 ラストゥーリャの提案に、シェイルは首を振る。


「いや……時間はかかるが、確実な方法を」

「では……」


 二人のやり取りを聞きながら、考える。

 ディエル――大聖堂の大司祭。

 シェイルとよく似ている容姿をしている彼の弟ディル。


 彼との会話はいつもどこかねじが飛んでいって、思考を有耶無耶にさせていく。彼の持つ答えは常にこちら側には渡されず、言葉遊びばかりが続く。


 聖王庁は気軽に訪問できる場所でも無いし、凛子は学術庁を後にしてしまっている為、ディエルの電撃訪問にも遭遇していなかった。


 もし、聖王庁に犯人がいるとしたら。

 そして、ディエルがそれを隠しているとしたら――。

 なんとなく考えて、凛子は説明しようのない感情に、背筋を指先でなぞられたような悪寒を覚えた。


 聖域であるはずの場所が、悪意を匿っているとしたら。

 あの掴みどころのない笑顔の裏で、ディエルが全てを知った上で盤面を眺めているとしたら。 それは、正体の見えない襲撃者よりも、もっと質の悪い暗闇のように思えたのだ。


「カミ―ヤ」


 ふと、名前を呼ばれて我に返る。  

 視線を上げると、シェイルが怪訝そうにこちらを覗き込んでいた。


「顔色が悪い。傷が痛むのか」

「あ、いえ! 大丈夫です。ただちょっと、大司祭様が相手だと一筋縄ではいかないなって、想像しただけで疲れちゃって」


 凛子が努めて明るく振舞うと、シェイルは短く鼻を鳴らした。


「違いない。あの男の相手をするのは、骨が折れるなんてものではないからな」

「本当に……。あ、でも、それならまずはリストにある八名の方から調べることになりますか?」


「ああ。ラストゥーリャ、悪いがその八名の行動確認を頼めるか。特に夜間の出入りに関してだ」

「承知いたしました。学術庁の警備記録と照らし合わせてみます。またエイゼルの兄のマリセルが聖王庁に在職しているので、少しそちら側からも話を聞いてみます」


 一礼して、ラストゥーリャは退室していく。  

 扉が閉まる音と共に、シェイルの執務室には再び静寂が戻った。


 シェイルは手元の書類に視線を落としかけ、ふと動きを止める。  

 そして、先ほどラストゥーリャが指摘した凛子の首元――今は包帯で隠されている傷跡へ、痛ましげな視線を向けた。


「……着替えた時に忘れたと言ったな」

「えっ、あ、術具のことですよね。すみません、気が緩んでて」

「責めているわけではない」


 シェイルの手が伸び、凛子の頬に触れるか触れないかの距離で止まった。  

 その瞳の奥にあるのは深い焦燥の色だった。


「発動したら……閣下の上飛んじゃうんじゃ……あ、でもそしたら襲撃してきた人巻き込めたのかな」


 真面目に考え込み始めた凛子に、シェイルは笑いを一つ落とし、頭をぽんとたたいた。


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