5-18
執務室に駆け込むと、シェイルはまだ仕事をしていた。
「カミーヤ、どうした」
「報告があります!」
凛子は息を切らしながら、リゼットから聞いた情報を伝える。
シェイルの表情が険しくなる。
「今夜、か」
「はい」
「ウェントワースとローワンを呼べ。ルーファとエルネストはまだ蒼月亭か?」
「ルーファさんは蒼月亭に残っていて、エルネストさんは一緒に戻りました」
半刻経たずして執務室には主要メンバーが集まっていた。
「状況は把握した」
シェイルが地図を広げる。
「明日再び不審な男が、蒼月亭に現れる可能性が高い」
「罠を張りますか?」
ウェントワースが問う。
「ああ。だが、相手も警戒しているはずだ。店内に三名、周辺に五名配置する。それと――」
シェイルは凛子を見る。
「カミーヤはリゼットと共に。お前が店にいれば、犯人は近づいてくるだろう」
「でも、危険では――」
ウェントワースが表情を険しくさせる。
「無論、俺も行く」
シェイルの言葉に、室内がざわつく。
「閣下が直接ですか?」
ローワンが驚く。
「ああ、出発は八の刻だ。準備しろ」
凛子は自室で軍服を着替えていた。
手が震える。
もしかしたら、犯人と対峙するかもしれない。
扉がノックされ誰何の声と共にカトレアが顔を覗かせた。
「リィン、これを持っていけ」
と、掌に収まるサイズの短剣を差し出された。
「え、でも私……」
「護身用だ。使い方は教えたとおりだ」
凛子の腰に短剣を差しながら、言い聞かせるように言葉を続ける
「いいか、もし危険な状況になったら――」
「顎、ですよね」
凛子が先に答えると、カトレアは笑った。
「よく覚えていたな」
「顎、狙えるかな……」
「お前より背の高い相手なら、持っている荷物を顔に当てるだけでもいい。出来れば顎か鼻。背を向けたら相手の思う壺だぞ。まさか向かってくるとは、という意外性だけでも」
「怖すぎる……」
◇◇◇
蒼月亭に向かった一行は裏手から店内に入った。
厨房を通り、裏階段を通り、それぞれの配置に別れていく。
シェイルは黒い外套を纏い、顔を隠している。凛子も同様だ。これはまるで護衛というか、一見すると強盗団のような装いだなと、思ってしまう。
「カミーヤ。貴賓室に入るのはお前だ。三階奥をウェントワース。外からローワン。隣室に俺とエルネスト。他は正面入り口、裏門、通りと別れる」
シェイルの背中が、いつもより大きく見えた。
三階貴賓室では、先程別れたばかりのリゼットが出迎えてくれた。
「いらっしゃい」
「状況は?」
シェイルが問う。
「まだ、その男は来ていないわ。でも――」
リゼットは窓の外を見る。
「妙な気配がするの。誰かに見られているような」
シェイルは窓に近づいてあらかた見分したのち命令を下した。
「カミーヤ、リゼットと一緒に寝室へ」
窓の外は既に暗い。
街の灯りが、遠くに見える。
「緊張してる?」
リゼットが声をかける。
「はい……正直、怖いです」
「そうよね」
「でも、シェイル様がいるから大丈夫よ」
「リゼットさんは、閣下のこと……信頼してるんですね」
「昔、私が危ない目に遭った時も、あの方が助けてくれたの」
「そうなんですか」
「ええ。だから――」
リゼットの言葉が途切れた。
「伏せて!」
鋭い叫びと同時に、雷が落ちたような轟音が室内に響いた。
窓硝子が粉々に砕け散り、夜風と共に黒い影が躍り込んでくる。
「――っ!」
凛子は反射的に腰の短剣に手を伸ばした。
速い。
侵入者は窓枠を蹴ると、一瞥もくれずにリゼットを跳び越え、一直線に凛子へと肉薄した。
暗闇の中で、異様にぎらついた双眸と目が合う。
殺気という言葉では生温い。肌を刺すような冷たい意思が、凛子の心臓を鷲掴みにする。
隣室との扉が蹴破られる音がした。
「カミーヤ!」というシェイルの怒号が聞こえる。
だが、それよりも侵入者の刃の方が速かった。
カトレアの言葉が脳裏を過る。
――顎。鼻。顔に当てるだけでもいい。
凛子は恐怖で竦みそうになる足を叱咤し、鞘から引き抜いた短剣を、闇雲に突き出した。
狙うは相手の顔面。
一瞬、侵入者の動きが止まったかに見えた。短剣の切っ先は、確かに男の頬を掠めた。
だが、浅かった。
「……甘い」
低く嗄れた声が耳元で囁かれる。
直後、銀色の閃光が視界を灼いた。
「あ……」
熱い。
痛みの前に、灼熱のような感覚が左肩に走る。
噴き出した鮮血が、凛子の視界と床を赤く染めた。
衝撃で短剣を取り落とし、凛子はたたらを踏んで背後の壁に激突した。
遅れてやってきた激痛に、喉の奥から悲鳴がせり上がる。
だが、それを吐き出す暇さえ与えられず、追撃の刃が凛子の首元へと迫った。
「そこまでだ!」
金属と金属が噛み合う高い音が火花を散らす。
止めを刺そうと振り下ろされた凶刃を、割り込んだシェイルの長剣が受け止めていた。
「貴様……!」
シェイルの声は、地獄の底から響くように低く、怒りに震えている。
拮抗する剣圧。
侵入者は舌打ちを一つ落とすと、人間離れした身軽さで後方へと跳躍した。
「カミーヤ、無事か!」
ウェントワースとエルネストも雪崩れ込んでくる。
凛子は左肩を押さえたまま、崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。指の隙間から溢れる赤色が、床板を無残に汚していく。
「閣下、逃げられます!」
窓枠に足をかけた侵入者を追い、エルネストが駆け出す。
だがシェイルは深追いを命じず、剣を捨てて凛子へと駆け寄った。
「傷を見せろ。……くそっ、深いか」
シェイルが自身の外套を裂き、手際よく凛子の肩を縛り上げた。
止血の圧力に、凛子は「うぅっ」と苦悶の声を漏らした。
視界が霞む。
目の前にあるシェイルの顔が、見たこともないほど焦燥に歪んでいるのが見えた。
「しっかりしろ。すぐに治癒を」
凛子の体は、ふわりとシェイルの腕の中に抱き上げられた。
「すいません……顎、狙ったんですけど……」
薄れゆく意識の中で、凛子は掠れた声で呟いた。
「馬鹿者が。喋るな」
シェイルの叱責は、どこか震えていた。




