5-14
軍官舎に戻ると、カトレアが入り口で仁王立ちをしていた。
この人、よくこの体勢で立ってるけれど、もしかして自分の事を待っていてくれたりするのだろうか。
官舎は各人が個室の為、他者と関わらないように生活しようと思えば、可能である。特に凛子やカトレアは女性専用階を使用しているからだ。
「何かあったんですか?」
「夕食の時間だ。行くぞ」
カトレアは凛子の顔を覗き込む。
「また、何かあったのか?」
「いえ、別に……」
「嘘をつくな。顔に出ている」
呆れたように首を振られ、背中をぐいぐい押されて凛子は歩き始めた。
「まあいい。とりあえず食え。話はそれからだ」
有無を言わさぬ態度に、凛子は頷くしかなかった。
食堂には、既に何人かの騎士が集まっていた。
凛子の姿を見つけると、数人が手を振る。
「おお、リィン殿!」
「久しぶりだな。最近全然見ないから」
「閣下に使い潰されてるんじゃないかって心配してたんだぜ」
冗談めかした声に、凛子は苦笑する。
「そんなことないですよ。ちゃんと休みもらってますし」
「本当かー? カトレア様、リィン殿をちゃんと見張っててくださいよ」
「当然だ」
カトレアが胸を張って断言すると、騎士たちが笑う。
凛子は温かいスープと、焼きたてのパンを受け取ると、カトレアの隣に座った。
「お気遣い、ありがとうございます」
「礼を言われることではない。お前は、この官舎で一番の新人であり、唯一の若い女性だ。私には、お前を守る義務がある」
「守る、って……大げさ」
「大げさではないぞ」
返ってきた表情は、場の空気に反して、真剣な物だった。
「軍という組織は、時に人を壊す。特に、お前のように真面目な者は、自分を追い込みすぎる」
凛子は聞きながら、黙ってパンをちぎって口に運ぶ。
「何があったのか、詳しくは聞かない。だが——無理をするな。お前が倒れたら、誰が悲しむか考えろ」
誰が。
この世界に、自分が倒れて、悲しんでくれる人がいるのだろうか。
エイゼルは心配してくれそう。
彼は最早、腐れ縁と言っても良い気がする。
出会いこそは最悪だったが、自分の存在を認識に認めてくれているうちの一人だと思う。
ラストゥーリャはどうだろうか。シータ家の家人達とは結構気が合っていたから、心配してくれる気がする。
シェイルは、部下が倒れれば、それなりに、心配するかもしれない。
食事を終え、部屋に戻ろうとした凛子に、再びカトレアが声をかける。
「少し、散歩に付き合え」
「え? でも、もう暗いですよ」
「構わん。軍本部の敷地内を回るだけだ」
有無を言わさず、腕を取られ、闇に包まれていた外に出された。
王宮の灯りが遠くに見え、街の喧騒も微かに聞こえてくる。
「カトレアさん、実は何か用事があるんじゃ……」
「バレたか? 見回りだ」
カトレアはあっさり認めた。
「ついでに、お前にも見せておきたいものがある」
二人は軍本部の建物を抜け、訓練場の方へと向かった。
広い訓練場は無人で、月明かりだけが地面を照らしている。
「明日から、お前もここで訓練を受けることになる」
「――――え?」
唐突過ぎる宣言に、思わず反論口調で言ってしまう。
「でもでもでもでも、私は秘書官ですよ?」
「秘書官だからこそだ」
訓練場の中央に、女性騎士が勇ましく立った。
「お前は、閣下に随行することになる。討伐にも、視察にも。危険な場所に行くこともあるだろう」
「それは……はい」
「ならば、最低限の護身術は必要だ。それに——」
カトレアは凛子を流し見て言った。
「体を動かせば、余計なことを考えずに済むぞ」
その言葉に、凛子は思わず笑ってしまった。
「うわ、カトレアさん、お見通しですね」
「当たり前だ。私も、昔は同じような顔をしていたからな。近衛にいた頃、ある人に憧れていた。だが、その人の心は別の誰かにあった」
「カトレアさん……」
「辛かったよ。でも、私は訓練に打ち込んだんだ。剣を振るい、体を鍛え、気がついたら——その人のことを、別の形で支える立場になっていた。――憧れや恋心は、時に形を変える。お前も、いずれそうなるだろう」
「……そうでしょうか」
「ああ。だから今は、目の前の仕事に集中しろ。お前の価値は、お前自身が証明するんだ」
確信を持った言葉が、凛子の胸に響いた。
「明日から、私が訓練をつける。覚悟しておけ」
「は、はい!」
凛子は反射的に、敬礼をした。
カトレアの言う通りだ。
今は、目の前のことに集中すればいい。
仕事を覚え、訓練を受け、この世界で生きていく力をつける。
一人でも立っていけるように。
◇◇◇
蒼月亭の最上階にある賓客向けの部屋は他の階とは一線を画す空間だった。
天井は高く、梁には精緻な彫刻が施されている。壁は深い茜色の壁紙で覆われ、金糸で刺繍された布が所々に垂れ下がっていた。
続き間の中央には、象牙色の絹が張られた豪奢な寝台が鎮座している。
その四隅には細工の施された柱が立ち、薄い天蓋が優雅に垂れていた。
窓際には黒檀の机と、深紅のビロードを張った椅子が二脚。そこにシェイルは腰を下ろし、机の上に地図を広げている。机の端には銀の燭台が置かれ、その炎が地図の上で揺らめいていた。 ただの娼館の一室ではなく、まるで貴族の私室のような佇まいだった。
天井には天窓が設けられており、夜空が見える。
今は月光が斜めに差し込み、室内をぼんやりと照らしていた。
「それで、早速報告があると聞いたのだが?」
「そうねえ……」
リゼットはぴたりとシェイルの肩に頬を当てながら、考え込む。彼女は深い青紫色のガウンを纏っており、その裾が床に広がっていた。
「今のところ、特に変わった様子の者は見当たらないわ。でも——」
「でも?」
「一人、妙な質問をしてきた男がいたわね」
細く長い指先が、机の端に置かれた煙管を手に取った。煙管は象牙細工で、その柄には蔦の模様が彫り込まれている。煙とともに香のような甘やかな匂いが立ち上る。
「黒い髪の女について、聞いてきたわ。この辺りに、私以外にもそういう女はいないかって」
「その男の特徴は?」
「背は高くなかった。痩せていて、神経質そうな顔つき。髪は茶色で、瞳は……確か、灰色だったかしら」
「それだけか?」
「ええ。あまり特徴のない男だったわ」
彼女の濃紺の瞳が、燭台の光を反射して妖しく輝いた。
「強いて言えば、その男、妙に歪な空気感を纏っていたの。清浄であり倒錯的で」
「ふむ……」
羊皮紙の擦れる音が、静かな室内に響いた。
「もしまた来たら、すぐに知らせろ」
「喜んで。私としては、毎晩でもお顔見たいのだけれど」
リゼットが豪奢な寝台に近づき、絹の枕を抱え込むようにして、首を傾げた。その仕草は計算され尽くしていて、まるで一枚の絵画のようだった。
「ねえ、シェイル様」
何かを強請るような顔つきに、シェイルは片眉をあげる。
「何だ」
「この前来た娘――あの秘書官の子、可愛らしいわね」
どことなく挑発するような物言いだが、シェイルは何も答えない。彼は立ち上がり、窓の方へと歩を進めた。窓からは、街の灯りが見下ろせる。
「あの娘こそ、とっても綺麗な黒目黒髪じゃない」
「あれは、魔力値の底が見えるぐらい低い」
「そういう話をしているんじゃないのよ」
リゼットは、香油で丁寧に手入れされている、自分の艶やかな髪をひと房指に巻き付けて、ぱらぱらと零した。月光を受けて、その黒髪は青く光るように見えた。
「あの子、貴方のことが、怖いのか――んー……やっぱり、好意を抱いているように感じたわ」
「……余計なことを言うな」
シェイルは、うんざりした様子で立ち上がり、椅子にかけてあった上衣を羽織った。
「護衛は明日から配置。気をつけろよ」
リゼットは、面白そうな獲物をみつけた、といった具合で口の端を釣り上げる
「ええ。貴方もね」
客室に一人取り残されたリゼットは、小さなテーブルの上に置かれた銀の鈴を鳴らして人を呼ぼうと一瞬だけ考え、やめた。
部屋は再び静寂が支配していた。
燭台の炎が小さく揺れ、壁に映る影が揺らめいた。
天窓から冴え冴えとした月光が落ちてくる。
リゼットは寝台の縁に腰を下ろし、煙管に火を点けた。紫煙が立ち上り、月光の中で渦を巻く。
「……似ているけれど似ていない。やっぱりどちらも欲しいわね」
小さく呟いて、煙を吐き出した。
その煙は、ゆっくりと天窓へと昇っていった。




