5-13
翌朝、凛子は少し目を腫らしたまま執務室に向かった。
泣いたわけでは無いのに、むくみが取れない。完全に寝不足の顔だ。
冷水で何度も顔を洗ったが、誤魔化せなかった。
「おはようございます」
扉を開けると、シェイルはいつものように机に向かっていた。
その横に、ローワンが既に控えている。
「配置の修正は?」
「あ、はい。昨夜のうちに」
凛子は書類を差し出す。
シェイルはそれに目を通し、小さく頷く。
「よし。これでいい。ローワン、お前から三名に説明しろ」
「承知しました」
ローワンは書類を受け取ると、凛子を一瞥する。
その視線は、相変わらず冷たかった。
「リィン殿、少々お疲れのようですね」
「そうかな?」
「目の下に隈がくっきりと。秘書官の仕事は、体調管理も含まれますよ。自己管理ができないようでは、困ります」
嫌味たっぷりの言葉に、凛子は唇を噛む。
「気をつけます」
「ローワン」
シェイルの低い声が響く。
「余計な口出しは不要だ。さっさと行け」
「……失礼しました」
ローワンは一礼して、部屋を出ていった。
凛子とシェイル、二人だけが残される。
「今日は、ラストゥーリャの所に行ってこい」
凛子は顔を上げる。
「トゥーリャさんの所に?」
「ああ。封印の地に関する資料を借りてこい。それと——」
シェイルは凛子を見つめる。
「少し、休んでこい」
「え?」
「顔色が悪い。ラストゥーリャの所なら、お前も落ち着けるだろう」
その言葉に、凛子は目を見開く。
「仕事に支障が出ては困るだけだ」
そう言い放って、視線は既に書類に向かっている。
凛子は小さく頷くと、部屋を後にした。
シェイルは、自分のことを見ていてくれる。
というか、彼の掌握している部下全員をしっかり見ている。
冷たい態度の裏に、優しさがあるからこそ、大規模な部隊から信頼を得、こうして率いることが出来るのだろう。記録上に見られる、任務の遂行の確実さは群を抜いているし、負傷敗退といったネガティブな記録はほとんど見られなかった。
叡智の塔へと続く長い階段を、凛子は慣れた足取りで上がっていく。
久しぶりに訪れる場所だった。
「リィン!」
執務室の扉を開けると、エイゼルが飛びだしてきた。
「うわっ、エイゼル」
「酷い、その反応」
二人で騒いでいると、奥から呆れた声が聞こえてくる。
「廊下で騒がないでください。ここは学術庁ですよ」
「トゥーリャさーん!」
凛子はラストゥーリャの執務机に駆け寄った。
「あーここの空気とっても清浄って感じでいいですね」
「軍ってやっぱり籠ってるの? 匂い」
何気ない調子で言ったエイゼルに凛子は苦笑する。
「んー、んー……ここの方が気楽だったなーって」
凛子は隣の小部屋を覗き込んだ。
「このお部屋でおやつ食べながら、愚痴言ったりしたい」
「でもリィン、適応力高い方だと思う。俺だったら胃痛で半日も持たない気がする」
エイゼルが励ますように肩を叩いてくる。
「選択肢ないんだもん……」
凛子はやや諦観を滲ませながらも、笑顔を作り、ラストゥーリャに向き合った。
「それより、封印の地の資料を借りに来たんです。我が上司閣下からの指示で」
「――ああ、それならこちらです。連絡が来ていたので揃えてありますよ」
凛子の言葉にラストゥーリャは複雑そうな顔をしながら、書架から数冊の資料を取り出す。
「ゼリアス山脈最深部。祈りの道の終着点に位置する封印の地。千年以上前、リアス神が災厄を封じたとされる場所です」
「災厄って、具体的には何なんです?」
「古代竜」
エイゼルが横から口を出す。
「黒き翼の竜って呼ばれてた巨大な生物。この大陸全土を焼き尽くそうとしたらしいよ」
「え、ファンタジー王道……」
「ふあんたじいとは?」
首を傾げたラストゥーリャに、凛子は手近にあった端紙に口語通り単語を並べた。
「幻想、空想、寓話、御伽噺といった所ですかね」
書きつけた紙の切れはしを手渡すと、ラストゥーリャは文字列に視線を落として首肯し、丁寧に折りたたんだ。
「リアス神がその竜を封印し、聖地に祀った。それがアゼリアス聖王国の始まりとされています」
ラストゥーリャが続ける。
「そして、その封印を維持保全するために建てられたのが大聖堂です」
「じゃあ大聖堂は封印の守りの一部なんですか?」
凛子は顎に手を当てる。
「でも、その封印を解こうとしている人がいる。大規模な術式陣まで張って」
「ええ。そして、もし封印が解かれれば——」
「古代竜が復活しちゃうんですか?」
「古代竜が、実存していたと仮定して、その生命が現在まで繋がっていれば、その可能性もあります」
「それを止めるために、囮作戦……か」
ぽつりとエイゼルが呟いたところを見るに、ラストゥーリャの部下である彼もまた、これからの作戦の一端を担っているんだろう。
ラストゥーリャは、真剣な表情で凛子を見つめた。
「貴女も標的の一人である可能性があります。十分に気をつけてください」
「まあ、私は大丈夫ですよ」
凛子は演技がかって神妙な顔つきで敬礼をする。
「多分、この国で一番安全な場所にいる筈なので」
「リィン……」
ラストゥーリャが何か言いかけて、止めた。
「どうしたんですか?」
「いえ……貴女が元気そうで、安心しました」
「もちろんですよ! 私、そこそこタフ――精神的に頑丈なんで」
螺旋に回る階段を来た時とは真反対の気持ちで降りながら、凛子は考えるまでもなく、頭に浮かんだ光景に溜息を吐いた。昨日の二人の光景。実際、夢にも出てきてうなされた為、睡眠不足である。
でも——。
凛子は空を見上げる。初冬の空は高くきりりと澄んでいた。
「過去は過去」
自分に言い聞かせるように、呟いた。
「転属しちゃった訳だし、秘書官として、ちゃんと仕事をして、認めてもらう。それから出世して、一人でもこの世界で生きていけるぐらい、稼ぐ」
それしか、方法はない。
「恋愛とか、そういうのは……」
ぶっちゃけこういった気持ちを抱くのは社会人になって以来、初めての事だった。
最後の恋はたぶん学生時代。恋愛の仕方なんて、既に忘れている。
気合をいれるように拳を握り突き上げる。
「まずは、この事件を解決すること。それが先決」
執務室に戻ると、シェイルは不在だった。
机の上には、メモが置かれている。
――午後から会議。資料を読んでおけ。
凛子は資料を机に置くと、早速読み始める。
ゼリアス山脈の地形図。封印の地への経路。過去の討伐記録。膨大な情報が、頭に流れ込んでくる。
出来ればスプレッドシートあたりでまとめて、可視化したいところだが、この世界に表の概念はあるのだろうか。地図は存在しているし、数の概念も存在しているのだから、存在していてもおかしくはない気がする。
仕事に没入していると、現実におけるなにもかもが希薄になった。
集中力と作業力の継続は、自分の強みだった。
どれくらい時間が経ったか。
扉が開く音で、凛子は顔を上げる。
「カミーヤ」
シェイルが戻ってきたようだ。
凛子はすっと立ち上がり、敬礼する。
「お帰りなさいませ。資料、一通り読みました」
「――そうか。気になった点は?」
「はい。封印の地への経路なんですけど、この場所——」
凛子は地図を広げた。
すぐ隣にシェイルが立ち、覗き込む。
「この迂回路、使えないんですか? こっちの方が安全そうですけど」
「――そこは冬季通行止めだ。既に積雪が観測されている」
「なるほど……じゃあ、補給地点をここに設けるのはどうでしょう?」
「検討する」
シェイルは地図を見つめたまま続けた。
「他には?」
「えっと……あ、これ」
凛子は別の資料を取り出す。
「過去の討伐で、魔物の種類が変化してるみたいなんですけど、これって封印が弱まってる影響ですかね?」
「その可能性が高い……よく気づいたな」
「いえ、昨日の資料と見比べてたら、なんとなく」
経年のデータを横並びにして比較したからこそ気が付けたと言ってもいい。
その位微妙な数値だった。
「カミーヤ」
「はい?」
「お前は――思っていたより使えるな」
シェイルの言葉に、凛子は目を丸くする。
「だからラストゥーリャも、手放したがらなかったわけか」
半分独り言のような台詞だが、だからこそシェイルが本心で言っているのが伝わってくる。
「え……お、お褒めの言葉、ですか?」
「事実を述べただけだ」
資料を横に置いて、シェイルは執務机に向かうように座り腕を組んだ。
組んだ両手の上に顎を乗せ、凛子に視線を流す。
「――ラストゥーリャの所で、何か言われたか?」
「トゥーリャさんですか? 特には……あ、元気そうで安心したって」
「そうか。アレからの小言は面倒だからな……無理な配置換えとはいえ、戯れではない。お前が業務をきちんとこなすならば、俺は忖度なしに評価するつもりだ」
「ありがとうございます」
「さて、この後の予定だが、蒼月亭に向かう」
シェイルのスケジュール管理も任されている凛子は、記録紙を捲り、一瞬だけ固まった。
「……護衛の配置確認ですか?」
「いや」
「同行者はどうされますか?」
シェイルは首を横に振った。
「今日は一人だ。お前は早めに戻って休め。明日は昼からで良い」
「……はい」
凛子は複雑な表情を隠し、笑顔を作った。
終業の鐘が鳴る。
「分かりました。では、ウェントワース様達と予定のすり合わせをしてから帰宅いたします」
シェイルは小さく頷いて、積み上げられた裁可の書類にサインをし始めた。
顔があげられる事は無い。
凛子は、静かに執務室を出る。
「……頑張ろう」
昼から出勤でいいと言われたのは嬉しい。
でも、その理由は——。
「考えない、考えない」
シェイルが誰とどこで何をしようと、自分には関係ない。
今のところ、上司と部下。それ以上でも、それ以下でもない。
「そう、それ以上でも以下でもない……」




