七夕聖女の星に願いを
「今年もとうとうやって来たわね、この日が」
スイ・レイシアは、ミルキィ王国の侯爵令嬢であり、星の女神ステラの加護を受けたこの国の聖女様。スイは、侍女達に天の川を投影したかのような美しく長い銀髪を梳いてもらいつつ、長い長い星祭りの一日に思いを馳せていた。
支度部屋に置いてある投影鏡には、聖地巡礼目的で世界中から訪れる民の列が映っている。老若男女、多岐にわたる人々の列は城下町まで続いており、後を絶たない。
星祭りは一年に一度、七月七日に行われるお祭り。ミルキィ城にある礼拝堂奥、星の女神ステラの像を祀る祈念堂は、お祭りが始まる前から当日迄の一週間のみ民へ向け開放される。星祭りの伝承では、この日、女神さまへ願い事をすると願いが叶うと言われており、女神信仰の民達は、唯一女神様を拝む事の出来るこの日へ向け、聖地巡礼をするという訳だ。
女神像だけでなく、お祭りの式典がこの後予定されており、正午より始まる式典中の間だけ、聖女スイが国王と共にバルコニーへ顔を出すため、城内の広場には普段なかなかお目にかかれない聖女様をひと目見るべく、礼拝を終えた者達はこちらへ集まって来ていた。式典の衣装を着せてもらい、天の川を象った金色の刺繍が入った聖冠を被ったスイは一言、心中を漏らす。
「わたしを見たところで、何も変わらないというのに、みんな物好きね」
「そうおっしゃらずにスイ様。スイ様は聖女様として、既に多くの民を救っていらっしゃるではないですか?」
そう、スイは〝星の加護〟と呼ばれる聖女の力で本当に多くの民を救い、国を平穏へと導いて来た。だが、人々の争いは絶えず、多くの民が様々な悩みを抱えて生きていた。こうした〝民の声〟は聖女の耳にもしっかり届いていた。星祭りの笹飾りにも民の切実な願いの書かれた短冊が飾られている。スイは自身が聖女として、ちゃんと役目を果たせているのか、自身の至らなさを嘆いていた。
「ミゥ。世界を見ると、病気や貧困で苦しむ者、雨の降らない砂漠の民、紛争の絶えない地域も多数あります。星祭りを迎える度、〝星の加護〟をどう使うか、わたし自身が悩んでしまいます」
「スイ様の思うままに、加護をお使いください」
「わかったわ」
聖女の心中を察する侍女ミゥへ微笑みかけ、スイは式典の場へと向かう。
★
スイにはかつて愛する人が居た。それはミルキィ王国ではなく、隣国サルタヒコ帝国の皇子様だった。
ある年、各国の代表たちが集まる会談があり、スイは当時聖女の候補生として参加していた。皇子の名はアルタイル・ノヴァ・サルタヒコ。長い黒髪と切れ長の瞳はとても美しく、齢十八にして佇まいは将来一国を背負うであろう皇子のそれであった。
会談を終え、晩餐会が開かれていたサルタヒコ帝国の会場。スイはたまたま傷ついていた白猫を見つける。きっと野生の獣に襲われたんだろう。脚を怪我していた猫の吐息は弱々しく、スイは思わず白猫の傍へと駆け寄っていた。
「猫ちゃん、待っててね。今〝治す〟から」
この世界の聖女は〝星の加護〟が使える。この時のスイはまだ候補生であったが、聖女信仰のある神族の家系はこの〝加護の力〟を受け継いでおり、祈る事で生物の傷や病気を治す事が出来た。そして、聖女候補生ではなく、女神より加護を受け、聖女となった者は人の願いを叶えるとも言われていた。彼女が祈りのポーズを取り、願うと猫の脚へと淡い光が灯る。そして、猫の傷はみるみる塞がり、やがて、起き上がった猫はスイの脚へ頬をスリスリし始めた。
「それが加護の力なのか」
「あ! いえ……」
『見られてしまった』とスイは咄嗟に猫を隠したが、もう遅かった。〝加護の力〟はむやみに使ってはいけないと言われていた。それは、神の奇跡とも呼べる力であり、下手すると、貴族の私利私欲に利用されたり、悪用されてもおかしくない力だった。しかし、スイへ声をかけた黒髪の青年は、スイが治療した猫を抱きかかえ、『おうおう、よかったなぁ~』と頭を撫でたのだ。予想していなかった彼の行動にキョトンとしていたスイ。その様子を見た青年は悟ったのか、スイへ笑いかけた。
「心配ない。俺はアルタイル・ノヴァ・サルタヒコ。確かにこの国の皇子ではあるが、君を利用するつもりはない。むしろニャミィを助けてくれた事に感謝しているくらいだ。ありがとう」
「あ、いえ。猫ちゃんはたまたま見かけただけなので。って、皇子様だったんですね!? 失礼致しました。えっと、スイです。スイ・レイシア。ミルキィ王国、レイシア家の侯爵令嬢です」
「スイか。綺麗な銀色の瞳だ」
「えっと……」
猫を地面へそっと置き、アルタイルと名乗った彼はスイと握手をしたまま、彼女の瞳を見つめる。その真っ直ぐな瞳が眩しくて、スイは頬を赤く染めた。
「にゃあ~」
「あ、猫ちゃん! ニャミィーって言うんですね」
「嗚呼。元々ノラ猫でな。城の中へ連れていくと父親が煩いんで、うちの侍女にこっそり餌やりさせているんだ」
「アルタイルさんは優しいんですね」
「その言葉は君にそっくりそのまま返すよ。しかし、聖女候補生も大変だろう? 父上や特にうちの大臣の前ではその力を使わない方がいい。あれは私利私欲の塊だからな」
「ご忠告いただきありがとうございます」
これが、スイとアルタイルの最初の出逢いであった。これ以降、スイとアルタイルは交遊を開始し、少しずつ距離を縮めていく。国のイベントがある時しか、出逢う事は出来なかったが、ちょうど年に一度、ミルキィ王国では星祭りが行われるため、お祭りの日に毎年、スイとアルタイルは出逢う事が出来た。
スイが齢十六、アルタイルが齢二十となった星祭りの夜。スイとアルタイルはお城の屋上にて、天の川より流れる流れ星を眺めていた。ゆっくりと時が流れる。このままずっと二人一緒に居られるよう、スイは星に願いをかける。
「スイ。俺の妻になってくれないか?」
「ええ、アルタイル。喜んで」
流れる星々が二人の門出を祝福する中、二人は誓いの口づけを交わす。
まるで時が止まったかのよう。幸せを身体で心でいっぱいに噛みしめる。
スイはこの日のアルタイルの身体の温もりを今でも憶えている。
★
「サルタヒコ帝国の皇子の妻だと⁉ 駄目だ駄目だ! 駄目に決まっている。あの国は自国の利権しか考えておらん。お前が聖女として覚醒した瞬間、世界征服の願いを叶えさせるに決まっておる!」
「そんな!? お父様!? そんな事、わたしがさせません」
「どうせアルタイルとかいう皇子に耳元で唆されたのだろう? 奴等は平然とした顔で虚言を真実として嘯く。お前は騙されているんだ。聖女候補を狙う甘い言葉には要注意。昔から教えて来ただろう?」
レイシア家当主。スイの父であるグラハム・レイシア侯爵。王家直属の侯爵家は代々、聖女の血筋を受け継いでおり、その力は国家繁栄と世界の安寧へと使われて来た。スイは、何事も無ければミルキィ王国の聖女として生涯を全うする運命。この時のスイはまだ、聖女として自身が背負っていた運命がどれほどのものであるか知らずに居たのだ。
スイの父、グラハムの言い分は間違いではなかった。世界に〝星の加護〟を受け継ぐ者は数百年に一人と言われており、聖女の加護を受けた者はその膨大な力によって数百年生きるとも言われていた。そして、この時、十年もの間、世界の聖女は不在であり、世界に散らばる十名ほどの聖女候補生が聖女になるべく〝加護の力〟を本物にすべく、日々祈りを捧げていたのだ。
女神に代わる世界の象徴は、誰の者でもない、皆の願いの受け皿。聖女は絶対であり、人類の希望なのだ。
「聖女は……自分の願いを叶えてはいけないの?」
「お前は将来、民の希望となる存在だ。スイ、民の願いがお前の願いだろう? 勿論、戦争の受け皿など、お前自身も望んでいない筈だ」
「そんなこと、わかっています!」
結局、アルタイルの婚約は強制的に破棄され、彼女の望みが叶う事はなかった。
星祭りは民の望みを叶えると言われているけれども、結局、本当の願いなんて叶う事はない。スイは絶望する。なんのための〝加護の力〟か。聖女候補だから、愛する人と結ばれる事も出来ない。スイは運命を嘆いた。
そして、悲劇は訪れる――
★
婚約破棄から一ヶ月後、アルタイルの飼っている鷹が、スイの部屋の窓を叩く。スイとアルタイルは、出逢って以降、こうしてお互い飼っている鷹を通じて文通をしていたが、婚約破棄以降、スイから手紙を送る事はしていなかった。アルタイルから貰った沢山の愛情。それに応える事が出来ず、申し訳なさでいっぱいだったからだ。
鷹の持ってきた文を開ける。いつもより急いで書いたのか、殴り書きで文章が書かれていた。
「愛しのスイ
君の気持ちは知っているから、心配するな。
それより今すぐそこから逃げろ。
サルタヒコ帝国の軍がもうじき攻めて来る。
君の父親の婚約破棄。聖女の力が渡る事を恐れたミルキィ王国の判断と下された。恐らくうちの性悪大臣のせいだ。
君の力が覚醒する前、つまり聖女の力がミルキィ王国へ渡る前に君の国を手に入れようという奴等の魂胆だ。
スイ、君はどこかへ逃げて、隠れるんだ。きっと父と大臣は、君の力を殺さず軍事利用するつもりだ。
すまない、もう少し俺に力があれば。馬では間に合わないから文を託した。
今すぐそこから逃げてくれ。
無事に君が生き延びて、どこかで出逢える事を願う
アルタイル」
程なくして、ミルキィ王国とサルタヒコ帝国の戦争が始まった。
スイは侍女と女神を祀る神殿に仕える者達と共に、女神を祀る西のプレ=コタール山、奥地へと隔離される。そして、剣の心得のあったグラハム・レイシア侯爵は、ミルキィ王国軍へ駆り出され、命を落とした。避難した民達は無事であったが、兵士と逃げ遅れた民と、この戦争で多数の犠牲が出てしまう。
サルタヒコの軍は聖女候補生であるスイを捕えようと王国内を探していた。プレ=コタール山より燃え広がる街並みをただただ見つめるスイ。銀色の双眸より雫を零し、彼女は懺悔する。
ごめんなさい、ごめんなさい。
アルタイルを愛してしまったばっかりに、国が滅びてしまうかもしれないのだと。
彼女は祈る。
「どうか、どうか。ミルキィ王国の民を。そして、アルタイルを救って」と。
そして、スイの両手が仄かに光り始める。
プレ=コタール山より斜め上空へと放たれた一条の光は天上の雲を貫き、やがて、世界へ祝福の雨が降る。雨は燃え広がる街と赤く染まる世界の強欲を鎮火させ、人々は突如降り注いだ恵みの雨に天上を見上げ、女神ステラを讃えた。
後の世、スイの手より一条に伸びたこの光は|救世の祈光《サルバトール=ルメーン》とされ、女神の祝福として語り継がれる事となる。
『あなたの祈りはちゃんと届いたよ☆彡 これからはあなたが聖女として、世界を導いてね☆彡』
恵みの雨が降る中、スイの脳裏に声が届いた。天井より、世界に降り注ぐ雨。スイの祈りは女神ステラへ届き、そして、この日、スイ・レイシアの聖女としての力が覚醒したのだ――
これはミルキィ王国で語り継がれる物語。
しかし、この話の裏には語られていない物語があった。
恵みの雨と共に、上空より幾重にも降り注いだ光があった。その光はサルタヒコ帝国の軍隊と皇族の心臓を貫いた。鎧に孔が開いた兵士はそのまま何が起きたのか、真実を知る事もなく命を落とす。
国家の主要機関を失ったサルタヒコ帝国は滅亡し、その土地と生き残った民はミルキィ王国へと吸収される。
『スイが嘆く必要はないんだよ。全てを救うなんて思わなくていい。あなたの思う通りにやればいいんだよ』
「でも……サルタヒコの皆が……」
『己の強欲の代償。それは女神がどうすることじゃない。それに……』
スイの視界に星空が浮かぶ。そこはいつも見上げている天の川。女神の声に導かれるまま、スイは星の世界を歩く。
そして、星の世界、天の川を渡った先に、見覚えにある人物が立っていた。
「アルタイル!?」
「スイ!」
星上の上で互いの温もりを確かめ合う二人。アルタイルはそこに居た。サルタヒコの皇族は皆、あの日死んでしまった筈だった。しかし、アルタイルの遺体はどこにも見つからなかった。それはなぜか?
「スイ、君が祈ってくれたお陰だ」
「そんな。でも……サルタヒコ帝国が……!」
「いいんだ。それはステラ様の言う通り、帝国が己の欲のまま突き進んだ代償。それにスイ、此処に居れば、これから何百年、君を見守る事が出来るんだ。ずっと、永遠に」
「え? それって」
スイは聖女になった。つまり、彼女は〝星の加護〟の力によって人間の寿命を超えた存在となったという事。星の女神ステラはアルタイルに、彼女を導く存在としての役目を与えたのだ。アルタイルの命は此処、星の女神の加護が行き届いた〝星の世界〟へ送られた。
「俺はずっと此処で君を見ているよ」
「でも、それじゃあ……」
「だいじょうぶ、寂しくはないさ。ほら、ニャミィーも一緒だ」
「にゃ~ん!」
スイの足下に擦り寄る白猫。あの日、彼女が救った白猫ニャミィー。スイが白猫の頭をそっと撫でてあげると、ニャミィーは目を細めて喜んだ。
「あの日、君が〝加護の力〟を使っていなければ、俺と君が出逢う事もなかったんだ。俺は君に救われた。君が謝る必要もないし、〝加護の力〟を憂う必要はないんだよ、スイ」
「アルタイル……ありがとう」
様々な感情が溢れ出し、彼女は星の世界で雫を零す。彼女の零した雫は再び地上の雨となる。雨の後には虹がかかり、人々は希望ある未来へと祈りを捧げるのだ。
★
そして、現在――
星祭りの式典は無事に終わりを迎える。
聖女としてこの日、ちょうど三百回目となる挨拶を終えたスイは、夕刻、祈念堂へと移動し、人々の願いを脳裏に浮かべながら、女神ステラ様へと祈りを捧げる。
平穏を願う平和の祈り。叶う願いは何かに苦しむ人々の願いか、子供の夢か?
明日、干ばつの地に恵みの雨が降るかもしれないし、降らないかもしれない。願いが届くはスイにも分からない。それでも毎年、こうして人々が願いを飾り、祈りを捧げるのは、明日が少しでも希望に満ちた未来になるよう、人々の想いが形となった結果なのであろう。スイは少しでも聖女の力が日々何かに苦しんでいる民の役に立つよう、平穏を望む。
黄昏色に染まる空はやがて、星空へと変化していく。
誰も居なくなったミルキィ城の屋上。彼女は誰も見る事の出来ない星空へと続く階段を昇っていく。そして、天の川へと続く階段は聖女を〝約束の地〟へと導いていく。
年に一度、星祭りの日。聖女スイは、星の女神ステラによって星空の世界、天の川を渡った先にある〝約束の地〟へと導かれる。
そこでは夜の静寂を纏う艶やかな黒髪を靡かせ、白猫を抱いた一人の青年が、三百年前と変わらぬ姿で彼女を待っているのだ。
「アルタイル、逢いたかった」
「スイ、今年も君をずっと見守っていたよ」
「愛しているわ、アルタイル」
「俺もだ、スイ」
星祭りの日にだけ起こる奇跡は〝星の加護〟によって平和を願うこの世界の人々を導いていく。
星の女神ステラの加護があらんことを。
ご無沙汰しておりました。明日が七夕という事で、一本短編作品を投稿しております。個人的にも七夕が誕生日でして。思い入れがある日でしたので、なろうコンに出せる短編作品を投稿しようかなと思い、書いてみました。作品いいなって思ってくれましたら、巻末の☆応援でよかったら☆に願いをかけてください。感想なんかも今後の励みになりますので、よろしくお願いします。