米粒株式会社。
自分で言うのもなんですが、私は国内でも有数の電子機器メーカーの役員秘書室に勤務するベテラン社員です。秘書室では秘書室長の「米粒さん」という珍しい名の女性先輩がしきっており、私はナンバー2として、室長のサポートをしています。現在秘書室で面倒をみている役員さんは、社長(若杉)をはじめ、専務、常務、平取締役さんを含め全部で17名いらっしゃいます。現在会長はいません。
社長は創始者である現相談役(役員ではない)の娘婿で、自身の家柄も由緒正しいお坊ちゃまですが、他の誰の役員の方の意見も聞かないとてもワンマンな方です。ただ、米粒室長には頭が上がらず、「米さん、米さん。」といつも頭を低くしています。
先日、都内日本橋にある東京支店長の郷田さんから秘書室長宛てに電話がありました。内容は、オランダの家電メーカーP社に対して売り込みをかけた電子部品が採用になりそうで、P社社長が当社の若杉社長にお会いしたいという話だそうです。商談の額は今回日本円で50億円程度の話で、上手くいけば毎年この5~6倍以上の売り上げが見込めるとのことでした。
突然個人的な話になりますが、実は、私は東京支店の郷田支店長に密かに想いを寄せていて、その話があった時、大きく期待に胸が拡がる想いを感じました。
郷田支店長は、40歳そこそこのやり手で、3年前に奥さんと離婚し、現在婚活中です。
前日までの若杉社長との段取りも済み、いよいよ面会当日の朝になりました。ところが、私が出社してみると、頼りの米粒さんが突然の腹痛で欠務連絡がきている、とのことでした。さあ、困った、私には荷が重過ぎる。詳しい段取りを聞いていませんでしたので、私はただおろおろしていましたが、取り急ぎ郷田支店長の携帯に電話を入れて、何時ごろ見えるのか聞きました。返事はあと30分くらいとのことでした。私は急ぎ社長室に向かい、このことを社長に伝えることにしました。
社長室では、若杉社長がソファーで大の字になって寝ていました。「社長!」「まもなくP社社長がこちらへ見えます!」私は社長の姿にびっくりして思わず大声を出していました。社長は薄目を開けるとすぐに座り直しましたが、その頭を見て私は愕然としました。
鉄腕アトムだ。。。しかも、アトムよりかなり自己主張の強そうな髪型。「社長!化粧室で鏡を!」私は冷静を装おうとしましたが、足が震えていました。直ぐに秘書室へ戻り、後輩の秘書に、郷田支店長に連絡して、訪問の時間を延ばすように指示しました。社長はたしか夕べ常務と一緒にお客様接待だったはずだ。常務のインジケータ(役員の出勤を表すランプ)を確認すると、今日はまだ出勤していない。これはまずい。本格的にまずい。社長は完全に二日酔いだ。
あの真面目な常務がダウンしている。夕べはおそらく朝まで飲んでいたに違いない。そういえば社長室全体がアルコールの匂いプンプンでした。
今日は延期だ!それしかない!私は再び社長室へ行きました。社長は今度は席に座っていましたが、なんだか体が微妙に斜めです。頭は相変わらずのアトム。社長は声を発しました。
「こめはん。いふくゆの?」(米粒室長。相手の社長は、いつ見えるのかね?)
「はあ?」
「こめはん。いふくゆの?!!」(米粒室長。相手の社長は、いつ見えるのかね?
!!)
「すいません。私は室長ではありません。今日は体調不良ということで、ご帰宅なさってはいかがでしょうか。」
「こめはん。。。」
「社長!!私は、室長ではありません。しっかりして下さい!」
そうこうしている内に後輩の秘書が社長室に来ました。「先輩。郷田支店長と、P社社長がお見えです。」
「なに?どこに?ちょっと待って。どこによ。」「秘書室のカウンタです。支店長と連絡取れませんでした。」
「なにい??」私は、後輩の秘書を振り切って秘書室へ走りました。そこにはにこにこ笑顔の郷田支店長、P社社長、外国人通訳らしい若い人の3人がいました。
郷田支店長は、私に社長室まで案内するよう目で合図をしました。私は、ジェスチャーで「ノー・ノー」をしました。郷田支店長はいったん怪訝な顔をしましたが、再び目で合図しました。ちょっといらっとした顔をして。私はもうどうにでもなれ、煮るなり焼くなりしてくれ!そんな気持ちで泣きそうでした。社長室に案内すると、郷田支店長の顔色がみるみる青ざめていくのが分かりました。郷田支店長はこそこそと逃げようとする私を見て、「君い!しばらくご一緒いただけるかな!」と言いました。私は、わざときょろきょろしながら「私ですか?」と言いましたが、言葉も終わらぬうちに、「君だよ。君!」と言われてしまいました。
社長は、「いらっひゃい。どもど~も。どうぞそひらへ。」(いらっしゃい。どうぞそちらへお掛け下さい。)と言いました。通訳の外人は、首を傾げていました。私は皆さんを応接の椅子へ導き、後輩の秘書に飲み物を持ってくるように指示し、最後に観念して座りました。郷田支店長は、「握手、握手」と言って皆を再び立ち上がらせ、もう一度社長同士握手をさせました。
社長は、「ほいほこ。おふかれおふかれ。」(遠路はるばるお疲れ様でした。)と言いました。通訳は私の方を見て、また首をかしげ、何かを尋ねようとしているのがわかりました。私は、何でしょうか?何か疑問でも?いうような毅然とした態度で若い彼を見返してやりました。
P社の社長は、通訳の方を見て、うちの社長が何を言っているのか聞きたそうでした。しかし彼は、何も言えません。
通訳の彼は何だかすっかり自信を失っているようです。
ついにP社社長が、重々しく口を開きました。心に滲みる。とてもいい声。でも当然英語ではありません。私にはちんぷんかんぷんです。通訳の若者は社長へというより私のほうに向かって通訳をしだしました。
若い通訳。「あのね。きょうは、とても、するなければならない。ね。わかる?きょうは。すごいよ。君の会社。どう。ぼくの会社。なんでもできる。君も。ぼくも。いますぐ。するなければならない。ね?」
ええええええええええええ???何これ。郷田支店長の目はほとんど「点」になっています。
私は、落ち着いて一言。「ああそうですか。それは大変すばらしいことです。ね。社長。」と言いました。
社長は「は~ん?なのほこ。」(君、何のことかよくわからないが。)と言いました。すかさず私は、通訳の人に「社長は大変気に入られています。」と言いました。
通訳の人は一旦ほっとしたような顔をしながらも、少し怪訝な顔をしています。
私には通訳の人の気持ちが何だかよく分かりました。(この社長はいったい「何語」を話されているんだろう。でも、まっいーか。日本語の通訳がいるから。)そんな感じです。
またP社社長が、話を始めました。またまた心に滲みる。とてもいい声。
うっとりする。通訳の若者はまた私のほうに向かって通訳をしだしました。
若い通訳。「あのね。きょうは、プラズマディスプレイのこと。なんかいいとこない?君の。いいとこ。君の。ぼくは聞くなければならない。とても。ね。わかる?きょうは。すごいよ。君の会社。どう。ぼくの会社。なんでもできる。ね?」
何い?文法めっちゃくちゃ。しかもまた、「ぼくの会社。なんでもできる。」かよ。どんだけ自信持ってるんだ。この通訳大丈夫か?私はすごく心配になりましたが、その代わり何故だか分からないけど、とんでもない大きな心配事が次第に薄まっていくような気がしてきました。郷田支店長はというと、何だか真っ赤な顔をしています。
私は社長に、「当社の電子部品の採用メリットについてお尋ねです。」と言いました。郷田支店長は、「えー?そうなの?」というようなぽかんとした顔をしています。
社長は、「うーん。」としばらく唸ってから頭に手を掛けました。「うん?」社長は自分の髪に異常事態が発生していることに気付いたのです。
社長。「なんはへん。へんなよ。まずーーー。まずーーよ。」(何だか変だよ君。これはまずいのではないか?)
そっちへ行ったか。よーし。
私は通訳に「技術的には、日本で一番です。しかも、品質的にも不良品の発生率は一億分の一以下です。実験データが必要であればいつでも提供します。」と言いました。いざとなれば、通訳のせいにしたれ。どうだ参ったか。
郷田支店長は、「本当かよ。」というような疑いの目をしています。私はその雰囲気を何となく感じて、郷田支店長に「本当ですよ。」と言いました。郷田支店長は、心を見透かされて慌てて、「いえ疑ったわけじゃあないんだが。」と心の内を白状しました。
そして再び、P社の社長。まただよ。心に滲みる。とてもいい声。うっとり。。その声は、5分以上続きました。いい響き。言葉が分からないからよけいに美しく聞こえる。。。ちょっと、もう声はどうでもいいよ!!
若い通訳。「あのねえ。もう大丈夫なの。もう大丈夫。うん。安全。とても安全。ぼくの会社。なんでもできる。君も。」
おい。それだけかよ!P社社長は5分話したぞ。通訳のおまえは5秒か!!
私は社長に「契約成立だそうです。よかったですね。」と言いました。驚いたのは郷田支店長です。「おい。今のは本当か?本当にP社社長はそう言われたのか?」と再び顔を真っ赤にして言いました。
私は言い切りました。「郷田支店長。あなたは今の通訳の方の言葉をお聞きになっておられなかったのですか?」
郷田支店長は、「いいや、聞いていた。聞いて
いたけど。よく分からなかった。聞き逃したと思う。」と言いました。私は、郷田支店長に大事なことだからもう一度言ってもらいますか?と尋ねました。郷田支店長は、最初は「いや。」と遠慮していましたが、突然、「もう一度お願いできないか。」と言って来ました。まったくしょうがない奴。。
私は、通訳に最後のところをもう一度お願いしますと言いました。
若い通訳は頷いて、「あのね。ぼくの会社すごいよ。なんでもできる。君も。ぼくも。いますぐ。するなければならない。ね?」
なんか違うじゃん。さっきと。郷田支店長、「・・・・・・・・・・・・・・。」「あの、お分かりですか?」
私は郷田支店長の整った顔を下から覗き込んで言いました。郷田支店長は、はっと我に返ったように、「あの。何というか。その。いや、よく分かった。契約オーケーということだね?」
P社の社長は喜色満面でした。若杉社長も、そして私も大喜びです。郷田支店長も少し引きつった顔で、笑っていました。しかし、豪腕営業の彼は何だかある意味で自信を失っているようでした。
会社万歳!日本万歳!!私はとてもすがすがしい気持ちでした。「これからまたお互いの会社のために頑張ろうね。」私は、若い通訳の人に感謝しながらそう言いました。若い彼も嬉しそうに微笑みを返してきました。私の言葉は何とか伝わったみたいです。彼の手には、一冊の本が有りました。その本はちょうど観光ガイドのような感じでした。この人、きっと日本語基礎会話の勉強の真っ最中なんだ。頑張れよ、若者!頼むぞ国際人!!世界は君の肩にかかっているぞ。。。ねっ。(私、郷田さん大好き、これだけは言いたい。!)




