半休の昼飯
*この作品は習作のために書いたものです。深い意味はないので軽い気持ちでお読みください。
会社を出ると少し肌寒さを感じる。
先週まで30度が当たり前にあった日中が今日は20度前後と急激な変化に身体に異変をもたらす。
朝から鼻水が止まらず、仕事中も時折すすりながら業務をしていた私に会社は半ば強制的に半休という形で有給消化を促してきた。
業務が捗り始めた矢先に言い渡され私の熱意は不完全燃焼という形で悶々とした状態であった。
この気分を何かで晴らしたいと思い、一つ外で食べて帰ることをひらめく。
しかし何を食べるかまでは考えておらず、一先ず車にのりこんだ。
昼時とあって交通量も少なく、朝とは違いストレス無く素直に進む。
外食は基本的にはしないが、今日ばかりは良いだろう。
この機会を活かせねければ次回は年末ぐらいになる。
しかし、今の気分を紛らわせてくれる食べ物とはなんだろう。
出勤日のときは会社が外部委託している弁当屋があるため、持参する必要はない。
私はいつも日替わりの弁当を頼み、転勤先のここでもそれは変わることはない。
普段から考える必要のなかっただけに、突き放されたような感覚で頭が真っ白になる。
飯を食うただそれだけだというのに、一向に自分が食べたいものがわからない。
戸惑いの中で自宅まで半分をきった。
何かしたい気持ちとそれが分からぬ気持ちで私は仕事以上に追い込まれる。
「なんだ、俺は何がたべたいんだ」
ついには口から焦りが出てしまい、青にかわった信号機にも気づかず後ろの車にクラクションを鳴らされ、思わず急発進してすぐに先の信号機で捕まる車にすぐ追いついた。
暫し信号待ちをして交差点先にあるコンビニに目が留まる。
入り口から出てきた作業服の男の手には弁当が握られている。
悩むくらいなら買って家で食べるべきだろう。
適当に幕の内弁当や唐揚げ弁当なんかを選び、家でテレビでも見ながらゆっくりと食べようか。
「そうするか」
私は己に半ば敗北したような気持ちで信号が変わるとゆっくりと前進してコンビニへと入ったが、駐車場は満車で停める場所がない。入った時点で気づくべきだった。
逸る気持ちと空腹で思考が鈍り、ハンドルを握ったままその場で停車してしまう。
さらにタイミング悪いことに公道へと出る車と鉢合わせてしまい、気まずい雰囲気が双方に流れる。
私の頭に先程のクラクションのことが過る。
また鳴らされて恥をかくのではないかと慌てて斜めに横断し、意図せずして通り抜けをしてしまった。
警察が見ていたらと冷や汗をかきながら先の住宅街に逃げ込む形で侵入した。
十字路から成る箇所が幾つもある造りでその度に一時停止を求められる。
閑散とした場所で人影などは一切なく、カーテンを閉め切った家がよく目立つ。
空き家が多いのだろうか、乱雑に伸びた垣根がサイドミラーに触れる音で私は少し驚いた。
路面も汚く、ひび割れや剥離した箇所を通る度に振動が太ももに伝わる。
なんだか似たような建物も多いせいで先程から同じ場所を通っている気になり、すぐに抜け出せるとタカをくくっていたが、迷子になってしまったようだ。
「ああ、出口はどこだよ!」
焦る気持ちとここを抜け出せない苛立ちで声のトーンが上がる。
かれこれ10分は迷ってしまっている。
神隠しにでもあったかのような気分に身体も疲れ始めてきた時であった。
頭を冷やすため、窓を少しあけると鼻に違和感をかんじる。
出汁の良い香りがする。
落ち着きを取り戻すと、口内に唾液が湧く。
鼻息を荒々しくさせ、さらに匂いを吸い込む。
「うどん屋でも近くにあるのか?」
ツユだと断定し、香りをたどる形で運転することにした。
そう考えることで単なる寂れた住宅街からちょっとした隠れた名店へと通ずる道という印象へと変わることを期待してのことであった。
窓を全開にして左折を2回し、突き当りを右へ。自分の鼻を頼りに進み続ければすぐに結果はでてきた。
車4台くらい停めれる駐車場とバス停所が開けた場所にあり、右手には長細い二階建ての建物がある。
昭和と平和の間にたてられたような褪せた白コンクリート色の建物で、それが駅であるとはすぐにわからなかった。
駐車場も幸い1台空いており、そこへ素直に停める。
車を出て辺りを見渡すと、100メートル先に普段の帰り道が見えた。
「あ、ここから出るのか」
自分が抜けてきた道を見直すとあまり明るみにはない事がわかる。
依然としてツユの香りが漂い続けており、それがこの場所ではより一層強くなっている。
その方を向くことで発生源を見つけることができた。
「駅そばか」
それは駅構内の右手に併設されていた。
うどん屋とばかり考えていたが、そっちであったかと一杯食わされた気分になる。
宛もなくさまよった先に見つけた楽園のような気分にさせてくれ、私にはそんなことはどうでもよかった。
もはやここ意外考えられない気持ちでそば屋へと入った。
「いらっしゃいませ」
おばちゃん二人がカウンターの奥で私に声をかけてくれた。
L字のカウンターのみでテレビはなく、右上の神棚のすぐ横に置かれた黒のカセットラジオからは地元のラジオ番組が流れている。
目の前のカウンターの上部にメニューが書かれており、かけそばが1杯300円と良心的で嬉しい。
すぐ隣には具入りのものが軒並み主張しており、このあたりで一般的な牛肉そば一番の目玉メニューらしい。
「あの」
牛肉うどんにしようと声をかけたが、おばちゃんが入り口左をゆびさした。
何事かと視線をそちらへ向ければ食券機がおいてある。
「ごめんね、あそこから」
「あっ、わかりました」
私は財布から1000円札を出し、520円の肉そばを押した。
やけに甲高い音の電子音が鳴った後に、切符のような寸法の紙切れが取り出し口から滑るように落ちてきた。
お釣りボタンを押し、財布に入れ込むと右端のカウンターの上の台に肉そばとプリントされた食券を置いた。
「はーい肉うどん一つ」
別の客に稲荷2つのった小皿を出していたおばちゃんがネギの補充をしているもう一人に声をかけると、すぐさま手を止め、近所のスーパーで40円ぐらいで買える蕎麦の袋を破いて振りザルにはみ出ないよう入れ、湯につける。
蕎麦が十分に茹であがるまえに丼にツユを入れ、地味に器を温めてくれる。
ラジオは全国放送の番組へと変わり、ベテラン歌手が司会を勤めるものになる。
早速曲紹介と称して、自身のヒット曲が流れはじめ私は思わず頭の中で歌っていると、カウンター台に優しく肉そばが置かれた。
「はいお待たせ」
「いただきます」
器の端を摘むように持ちカウンター台から下ろす。
途端に出汁の効いたツユを孕んだ湯気が目の前まで踊り舞い上がる姿を目にする。
私は思わず口内に一気にあふれた唾液を飲み込み、蕎麦に釘付けになる。
割り箸はどこだと探していると、おばちゃんが気を利かせてコップと箸を渡してくれた。
「水のおかわりはあそこね」
L字の縦と横がぶつかる場所に冷水機が置かれていることを今更気づいた。
「すみません、はじめてなもんで」
「いいよいいよ。次は自分でお願いね」
おばちゃんは気前そうに言うと、客が下げた器を洗い始めた。
感謝しつつ、伸びる前にいただくべく手始めに淵に口をつけて出汁を一口すする。
車内で嗅いだあの匂いの濃くなったものが口内へとなだれ込んできた。
醤油と鰹だしの調和のとれたツユに身体が喜ぶのが分かる。
口を離し、麺を具合をみる。
少し茹ですぎているのか、それとも元々が安物のせいか太くコシの無い伸びたような仕様であるが、この際贅沢はいえないのと少し冷ましてすする。
それでも蕎麦の風味は微かにあり、うどんとは明確に分けられている。
取り掛かるべく本命は肉にあり、勿体ぶる気持ちでありながらも、箸は自ずと肉を掴んだ。
甘辛仕上げられた牛肉を愛おしそうに口へと運ぶ。ツユと相まった事で単なる時雨煮のようなものから別物へと変化している。
「おいしい」
小さく呟いて再びツユを数度楽しみ、蕎麦をすする。
たった520円の駅そばなのに会社の飲みで行ったことのある老舗そば屋よりも美味しい。
店内も天地の差があり、客層だってはっきりと違う。
働く従業員も大変失礼だが、作法などとは無縁の者たちだろう。
なのに、この蕎麦はあまりにもおいしい。
私は無我夢中となり、時間や場所など考えずツユの一滴まで飲み干した。
「ごちそうさま!」
「あいよー、またきてね」
ごちそうさま、なんていつぶりに言っただろうか。
店を出ると、風が少し強くなっており秋の爽やかなものが少し汗ばんだ私の身体を冷ましてくれる。
車へ乗る際に振り返り、立ち食い蕎麦のはためく幟を見つめる。
「また必ず来よう」
私はそう誓い、車に乗り込むとスーツに移ったツユの香りを楽しみながら帰路へと着いた。
お読みいただき、ありがとうございました。