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5.傾国の悪女


「……〈傾国の悪女〉」


「ヴッ……ゲホッゲホッ……」


ジュスティーヌと別れてしばらく歩いたところで、ラシェルはぼそりと呟く。

それを聞いた途端、アルバートは驚きのせいか咳き込み始めた。


「知ってたんでしょう、アルバート。貴方が知ってくあるくらいなら、お母様も知ってるのね。何がそこまでまずいの?」


ただの不名誉なあだ名なら、アルバートがそこまで怒る必要もなかっただろう。

彼が過敏に反応してしまう理由が他にあるはずだ。

最も、あまり度が過ぎた呼称なら皇后や皇子の権限で箝口令を敷くこともできるだろうが、今回の場合はされていないようだ。

ラシェルは不思議なケースに疑問を抱いた。


「……僕は知らない」


「アルバート」


「今回はかなり困ってるんだってば!国内だけなら良いけど大陸中に広まってるんだ!姉さんの耳に入らないようにはしてたけど、こんなにすぐとは思わなかった!」


姉の威圧と秘密を抱える重圧に耐えられなかったのか、アルバートはすぐに話した。


「…大陸中ですって?」


ラシェルはアルバートの方へ身を乗り出す。

大陸中というのは、要するに知らない人はいないということだ。ここまでの事態にラシェルは頭が痛くなった。


「私が責められることじゃないけど、どうしてここまで放って置いたの?」


早く噂の回収をしていれば、大陸中に広まることはなかったはずだ。

過保護な母親と弟がここまで事態を放置していたことが不思議だった。


「今回は普通とは違うんだ。……多分だけど、モンフォール令嬢が色んな口の商人にある事ない事広めたらしい……。その商人から始まってるから、帝都より国外での噂の方が早く広まっちゃって、この噂が皇宮に届く頃にはもう収集がつけられなかったんだ……」


アルバートはため息を吐いてその場にうずくまった。


「かなり誇張されて広まってるらしく、その……姉さんは人殺しだとか、贅沢をしてるとか言われてて……皇室への寄付金もどんどん減ってて……母さんも処理に追われてる。」


ジュスティーヌが行ったという証拠もないため、下手に罰せられないのだろう。

もし無理矢理罰したとなれば、この噂に拍車がかかる事も明らかだ。


「酷いところでは反乱みたいなのも起こってて、そういう場合はラ=フォンテーヌ家の騎士団に制圧をしてもらったりしてる。」


「だから私がこんなになるまで知らなかったのね。」


アルバートは『姉さんにバレるなって母さんに言われてたのに……』と独り言を唱えている。


「……とりあえず、酷くならないうちに領地に移るわ。上手くいけば、悪女を帝都から追放したとか都合のいいように書かれて落ち着くかもしれない。」


「僕もそう考えたけど、それだと姉さんの噂が事実だって認めるみたいになるだろ…。」


「そういうのは置いておいて、皆は悪女の行いの真偽よりもその末路が気になってるもの……この際どう動いたって悪いように転がるわ」 


2人は皇女宮までの薄暗い通路をしばらく黙って歩いていたが、ラシェルは急にふと足を止める。

少し気まずそうにうつむきがちで歩いていたアルバートも、ラシェルに合わせて歩みを止めた。


「これは私の予想なんだけど、アリス・マルタン嬢が関わっているんじゃないかしら。」


「マルタン嬢が?どうして?」


「お母様が異様に動揺したでしょう?それって、マルタン嬢の名前を聞いたのがきっかけだと思うの。彼女と何かあるのかもしれないと思っていたけど、この噂を先導したのは、もしかしたらマルタン嬢なのかもしれない。」


ラシェルが考え込んだ表情でアルバートを見上げる。

アルバートが15歳になる頃にラシェルの背を抜き始めてから、彼の顔とラシェルの頭の位置は会うたびに離れてく。

アルバートも、ラシェルと話すときは自然とラシェルに体を少し屈めるようにしている。

平均的には高身長なラシェルだが、やはり年頃の男子の成長期に勝つ術はなかった。


「……どんな仮定をするにしても、マルタン嬢と一度会ってみないと始まらないね。……夜会は10日後だから、少なくともそれまでは事態は進展しないかもしれない。」


ふむ。と深刻そうな表情で口元に手を添えるアルバート。

その姿だけ見れば、物憂げな美しい皇子が物事を考え込んでいる素晴らしい絵なのだろう。


「残念だけど、私は社交界では動けないから……あなたが立太子するまでは領地に滞在することになっているし、噂のせいで下手に動けない。色々大変かもしれないけれど、お願いね。」


首を縦に一度振る。


実際のところ、アルバートが皇太子になった後は、ラシェルは帝都のル=シャトリエ邸で新しい名前と邸内爵位を貰って静かに暮らす予定だった。


皇太子の姉として遅かれながらも社交界にデビューし、帝国での権威を示すこともできるのだが、ラシェル自身がそれを望まなかった。


孫を溺愛するル=シャトリエ公爵は、ラシェルがル=シャトリエ家に籍を移すという提案を、喜んで受け入れた。

その夫人である祖母も、一族に年頃の女性がラシェルしかいないため、公爵に負けず劣らずその提案を嬉しそうに呑んでくれた。


宰相として皇宮に登城するたびに、皇女宮のラシェルに会いに来ては何かしらのプレゼントを持ってくる。

自分や娘と同じ髪と瞳の色ということもあり、どうしても可愛がってしまうのだろう…………ラシェルとしてはありがたい限りなのだが。


「いつ頃領地に行くの?」


「お母様は夏になってからでいいって仰っていたけど、予定を早めるよう言ったから、マルタン嬢の夜会までは居られないかもしれない。」


ここから領地までは早馬を飛ばしても3日はかかる。

暖かくなってきたとはいえ、永冬の地・北部のル=シャトリエだ。

夏も半ばに差しかからない限りは雪が溶けないだろうし、刺客からすれば狙いにくい土地である。


「早いに越したことはないよ。ちゃんと厚着してね?」


分かったと言うかわりに小さく肩をすくめる。

昔から変わらない弟の姿に思わず微笑みが漏れれば、アルバートは「なんだよ」と不機嫌そうに目を逸らす。


「ここまでで良いわ、送ってくれてありがとう。多分、しばらくは会えないと思うけど、誕生日プレゼントは用意しておくから」


「うん。姉さんも元気で」


ラシェルと別れた後も、チラチラと後ろを振り返りながら皇子宮に戻るアルバートが見えなくなった頃に、自らの部屋へと戻る。


『皇女宮』と言うものの、ラシェルを除く皇女たちは殺されたり、城下で身を隠したりと皇宮からは去ってしまっている。

必要最低限に抑えた使用人も、名前を覚えるより早く入れ替わってしまう。


小さい頃は、自分が皇女だということに誇りを持っていたのだが、ここまで死と隣り合わせの危険を被れば、身分を恨むのも無理はない。



日が落ちてきて、皇女宮の一部屋に明かりがついた。

春も半ばの頃だった。








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