42.立太子式③
「ごめんミオ、会場に入ってくれる?」
ニヤニヤした従弟を見た途端、ラシェルはミオの背をグイグイ押して会場に押し込もうとする。
当然、ミオは困惑したような顔を浮かべたものの、後ろのドミニクを見つけるなり険しい表情を浮かべた。
「何?アトリス、貴女何か隠してることでもあるわけ?」
外国人の同僚が、この国の大貴族の青年と何か関係がありそうに立っているのだ。
怪しんで当然だろう。
「お願いミオ、ちゃんと後で話すから。それよりミオには重大な仕事があるじゃない。」
「アトリス。ドミニク様とは何が……」
「ミオ、お願い。」
諭すようにお願いをすると、ミオは納得できないように唇を噛みながらも、ここで自分が何かできるわけではないと察したのか、渋々その場を後にしようとする。
「……後で、話は聞くからね。」
「……うん。」
ミオの姿が見えなくなってすぐ、ドミニクがラシェルの肩に腕を回した。
「楽しそうじゃん!でも、何もあの子を行かせなくても良かったんじゃねえの?俺はお前がそんなことしてる理由分かってんだから。」
ル=シャトリエで唯一、ラシェルがマルタンで働いていることを知っているのはドミニクだ。
シルヴェストの要求を呑むか否かの相談をした訳だし、何だったら後押しをしてくれた程だ。
一見軽そうな見た目だが、家族重いな辺り憎めない奴なのだ。こいつは。
「だって、ドミニク。あんた、ミオ狙いそうじゃない。」
年上の綺麗な高位貴族令嬢がタイプなドミニクにとって、ミオはそれこそ渡りに船と言うのか適任と言うのか。
そんなことを言っているが、ミオを急ぎ会場に入れたのは、会社内でミオにやるべきことがあったからだ。
それをドミニクに言ったところで、また面白そうだと調子に乗り出すだけだ。
「……それよりドミニク。お祖父様たちは?」
人気がないことを確認するなり、ラシェルはドミニクの首にかかったスカーフをぐいっと引き寄せた。
ラシェルの目の前にドミニクの顔が一瞬にして動かされた。
左右で異なる色の瞳としっかり目を合わせながら、ラシェルは更に問い詰める。
「ね、どこなの?」
ラシェルの圧に、とうとうドミニクが折れた。
どうしてアルバートといいこいつといい、身内には圧に弱い男ばかりが揃っているのか。
「……南部まで」
「南部?」
「ラシェルの様子を見に南部に行くって十数日前屋敷を出たきり……」
しばらくラシェルは何のことだか分からずポカンと立ち尽くし、その間にドミニクはラシェルに握られたスカーフを引き抜いた。
ドミニクがスカーフを綺麗に整えたところで、ようやくラシェルは表向きの設定を思い出す。
《護衛のため、ラシェル第二皇女に100日の間、ラ=フォンテーヌに身を寄せてもらう》
「待って!どうしてお祖父様を止めなかったのよ!」
「ちょ……せっかく今綺麗にしたのに……」
ラシェルは瞳孔を思い切り開いて、ドミニクが整えたばかりのスカーフを再び引き抜いて顔を引き寄せた。
対して、ドミニクは残念そうに捕まれたスカーフを見つめている。
「もし私がラ=フォンテーヌにいないって気付かれたら、私はこっぴどくお叱りを受けるはずよ…………ドミニク!あんたも他人事じゃないのよ!」
「シ、シェリー……声が大きいって。仮にも会場の前なんだから……」
暴れ馬をなだめるように、ラシェルの肩に手を置くドミニクは、まるで自分とは関係がないとばかりに目元を綻ばせていた。
「まあ、かのラ=フォンテーヌ公爵様なら何とかしてくれてるはずだから安心しろよ。何なら、シルヴェストだっている。」
そう……確かシルヴェストとドミニクは数回顔を会わせたことがあるとかなんとか……。
年に4度開かれる四大家門での会議で、ここまでボンクラとはいえ、仮にもル=シャトリエ公爵補佐官であるドミニクと、ラ=フォンテーヌの正統な後継者であるシルヴェスト。
どこまで親しいのかはさておいて、2人が見知った仲だというのは事実だ。
シルヴェストがどのような人物か知らないラシェルにとって、ラ=フォンテーヌ公爵はまだ信頼できる。
しかし、どんな人物かも知らないシルヴェストが居るからというのは安心材料ではないのだ。
…………まあ、実は既に邂逅してしまっているというのは置いておこう。
「もし、もし仮に万が一、私のことがバレたなら、覚悟しなさいドミ……」
「ラシェル?」
名前を呼ばれ、反射的に振り返る。
もしル=シャトリエ公爵やらマルグリットの前で、このような反応をすれば即座に見つかってしまうだろう。
……幸い、と言っていいのか、声の主はル=シャトリエの誰かではなく……
「ジェレミー?」
ジェレミー・モンフォールだった。
「ラシェルだよな?その髪色どうしたんだ?ドレスも……似合っているけど地味すぎる気が……」
急いでベールで顔を覆うが、既にジェレミーはラシェルを認知したようだった。
会場の扉の前なんかで話したりするから、こんなことになるのだ……
「ドミニク殿までご一緒だったとは。これは失敬。公爵にもご挨拶をしないとですね。」
ジェレミーが丁寧にドミニクに礼をするが、対してドミニクは軽くお辞儀をする程度だった。
「気にしないでください。祖父さん……じゃない、お祖父様はまだ会場に到着されていませんし、どうぞ気軽に……」
ドミニクが言いかけたところで、会場の扉が内側から開かれた。
先ほどベールを被って正解だったようで、ラシェルはパッと2人から距離を取って頭を下げた。
ちらりと上目使いで扉の方を見ると、ジェレミーの妹であるジュスティーヌと、実弟であるアルバート。そして仰々しいほどの数の騎士たちが会場から出ていくところだった。
「アル……バート殿下。主役がもうお帰りですか?」
突然の従弟に対し、ドミニクはいつもの様に呼び掛けつつも、ここが公式の場だと自覚したのか丁寧な言い方に急ぎ言い換えた。
それが本当に丁寧なのかはさておいて。
「ジュス……?」
ジェレミーも困惑したように妹を見つめているが、ジュスティーヌは満足げな顔を扇子で隠してご機嫌そうだ。
「気にしないでくれ、ジェレミー卿、ドミニク卿。モンフォール令嬢には少し込み入った話があってね。こうして騎士たちも同行している。……もし差し支えないなら、お二人もご一緒にいかがかい?」
皇子スマイルを浮かべるアルバートはしきりに騎士たちに視線を送り、二人きりではないと否定をしている。
勿論、四大家門の直系たる純粋な高位貴族の2人には、それがやましい用事ではないということは理解できたらしい。
2人して「結構」と断りを入れるが、ドミニクは面白そうだと無礼でない程度の笑みを浮かべていて、ジェレミーは兄として心配なのか眉を潜めている。
そして廊下の角に息を殺して立つラシェルは、顔を見られないように俯きながら、騎士たちとジュスティーヌに正体がバレないかと気が気ではなかった。
「……そこの、貴女。…………貴女よ、ベールの貴女。」
ジュスティーヌから声がかかり、ラシェルは方を揺らした。
ジェレミーはラシェルを思ってなのか、ジュスティーヌの視界を遮るように間に入ったが、ジュスティーヌはジェレミーを避けてラシェルの元に歩んだ。
ぴたりとラシェルの前で足を止め、顔を覆うのに使っていた扇子をパチンと閉じる。
その扇子をそのまま片手に持ち替え、そのまま腕を後ろに引いた。
たったそれだけの動作だったが、ラシェルからすれば、知らぬうちに何か粗相をして、気分を悪くしたジュスティーヌが扇子で自身を叩こうとしているように感じた。
また、それはアルバートたち3人も同意見だったらしく、焦ったようにその光景を眺めていて、ジェレミーは手を伸ばして妹を止めにかかろうとした。
……が、そんな危惧していた事件は起きず、ジュスティーヌはそのまま扇子をラシェルに放り投げると
「捨てておいて頂戴。持ち疲れたわ。」
とそれきり言い放って、アルバートの方へとUターンをした。
アルバートは安心したように優しく息をついて、騎士を引き連れて庭園の方に足を動かした。
2人の姿が見えなくなって、ラシェルは緊張のあまりガクンと膝から崩れ落ちる。
ジェレミーは急いでラシェルの元にしゃがみこんで「大丈夫?」と優しく尋ねた。
「ええ……大丈夫よ。……ただ、場所を変えましょう、ジェレミー。聞きたいことがあるでしょうし。」
ラシェルは覚悟を決めてジェレミーを見つめた。
立太子式編は7.8話ほど続く予定です。
そろそろストーリーを動かしたいですね……!