36.アリスブルーの瞳の中で
【アリスブルーの瞳】。
ファンタジー小説、といえば伝わるだろうか。
ヒロイン、アリスとそれを取り巻く環境、華々しい青年たち、迫りくる危機、手に汗握る展開が続きながらも、最後は恋人の皇太子と結ばれるハッピーエンドの小説。
「貴女がヒロインだという事は理解しているのね?」
先ほどの質問のせいで既にマルグリットへの緊張が解けたアリスは、「はい。」と肯定を示す。
「この世界が、【アリスブルーの瞳】だという事はわかっています。」
「あなたも転生者なのではないかとは察していたわ。知っている道具が生まれていくんだもの。あまつさえ、電気だなんて。」
中世後期の欧米が舞台となっているこの国で、電気が生まれるのはあまりにも早すぎる。
せいぜいあと200年は後のことだろう。
「お恥ずかしい……。前世では大学で理工学を専攻していたもので。」
アリスが肩を竦める。
マルグリットは納得したように膝を打った。
「理工学生だったのね、道理で回路に詳しいわけだわ。何のご職業に?」
「あ、いえ。入学して1年も経たずに死んでしまって……。就職などは全然。」
「在学中に亡くなったの?」
マルグリットが同情したように顔をしかめた。
「私は30歳過ぎだったけれど、学生でお亡くなりになるのは勿体なかったわね。どこの大学に?」
「首都の国立大です。」
「まさかA大?あの超一流最難関の?」
「ええ、まあ。はい。」
マルグリットが矢継ぎ早に質問をし、アリスがそれに答える会話がしばらく続く。
マルグリットが質問を終えれば、次はアリスが質問をしたりして、どこか和んだ空気になる。
いつからか、前世の言葉で会話するようになってもいた。
「それじゃあ、マルグリットさんは13歳の時に思い出したんですか?」
「そうなの、気づいた頃にはもう皇后になることが決まっていて。ここが小説の世界だと知ったのは、ラシェルが生まれて直ぐだったわね。アリスみたいに生まれつき記憶があれば良かったのに。」
いつの間にか名前を呼ぶようにもなった頃、マルグリットが深刻な顔つきをする。
どうやら、本題に入ろうとしているのか。
しかしながら、そういうわけでもなく、次はこの世界での今までについてを話し出す。
「びっくりしたでしょう?ラシェルが生きていて。」
「はい。それで何かがおかしいと思いました。だって第二皇女は、7歳の時に反皇室派に殺されてしまうと書かれていたので。」
「ええ。だから私はラシェルを半強制的に幽閉させてしまったのだけど。シナリオとはいえ、娘を殺せないわ。」
小説のプロローグで、アルバートが4歳を迎えて皇位争いに参加する意向を見せると、ラシェルがアルバートの皇位継承権破棄と引き換えに何者かに誘拐される。
シナリオでは、マルグリットは反皇室派が犯人だと決めつけ数人を捉えて処刑するものの、ラシェルを拐った犯人とは別であり、ラシェルは無惨に殺されてしまう。
享年僅か7歳だった。
「私も驚いたのだけれど、『アリス』の社交界デビューは確か、15歳の頃じゃなかったかしら?遅いなとは思っていたのだけれど。」
「ああ……それは……」
アリスが黒歴史を掘り返すような苦々しい表情を浮かべる。
「アルバート様に会いたくないばかりに社交界を避けていまして……」
「アルバートを?」
マルグリットが驚くのも無理はない。
各地に諜報員を置くマルグリットだが、そんなものがなくても帝都中……最早国中が『アルバート第一皇子とマルタン公爵令嬢』の噂で持ち切りなのだ。
「小説のアルバート様は、完璧だったじゃないですか。」
「ええ。何たって、ハイスペック皇太子っていう名前が売りだったんだから。」
いつぞやにアルバートに話した内容をマルグリットに話す。
「私、前世から完璧な人が苦手なんです。出来ない人の気持ちが分からないから。」
アリスの前世の姉がその通りで、努力もしないのに期待に応え続け、上がるハードルも難なく飛び越えていくタイプ。
姉に比べられ続けたアリスは、親から失望される邪魔な存在でもあった。
アリスだって努力をして超一流大学に入学したのに、両親は喜んでくれることもなかった。
それもこれも全て、姉も両親も『完璧』だから。
出来ないアリスの気持ちが分からないから。
「だけど、実際のアルバート様はポンコツで苦手なことも多くて、それを後回しにして結局終わらなくて、人間味があって素敵だなあって。」
アリスの前世からの思いを交えて話せば、マルグリットが物憂げに呟いた。
「アルバートには、強制的な学習をさせてこなかったわ。勿論、皇帝になるためにはスケジュール通りに動いてもらわないといけないけれど、彼の意思を尊重したわ。ただそれだけで、人間味が生まれるのよ。……まあ、そのせいでこの歳になるまで立太子出来ていないのだけれど。」
「素敵な教育方針ですね。」
アリスが心からそう言った。
結局、この世界だって義務教育は存在する。
この教育システムはそれこそマルグリットが形作ったものだが、ラベンダー・キャンパスにしろローズ・キャンパスにしろ、教育を受けることからは逃げられない。
それならば、最大限の選択を。というマルグリットの考えだった。
マルグリットはアリスのジャケットに掛けられた勲章に目を移す。
これは博士学会より電気についての発明を認められ贈られた金獅子名誉勲章。
帝国史でわずか3人目、そして最年少となる勲章授与の証だ。
この金獅子名誉勲章は、古代語の解読に初めて成功した者、帝国の先住民の文化遺跡を発掘した者と並んで、電気を開発したアリスがたった12歳で授かった最高位の勲章。
この勲章がどれだけすごいかといえば、この勲章を得た者は、この勲章と国家予算の約半分となる祝辞金、他にも『国家を独立させる権利』『一度きりの免罪の権利』そして、伯爵位が与えられる。
「電気、電子機器、蒸気に回路、新しい数式に数多の定理。色々な事業を行ってきたアリス・マルタン嬢だけれど、私と新しい事業を起こしてみる気はない?」
マルグリットが獲物を狙う猛禽類のように、赤い瞳をアリスに向けた。
商魂たくましいというか、政界の血というか、そんな風にマルグリットがアリスに提案をする。
「新しい事業、ですか。」
アリスの目が輝く。発明家の目だ。
「そう。新しい分野でね。」
アリスの心をつかむのにはうってつけの一言だった。




