23.追憶
「ラシェルはあかい花がにあうね。」
7.8歳の少年が、泣いている少女の銀髪に赤い花冠を乗せた。
「ほんとう?おひめ様みたい?」
「ラシェルはほんもののおひめ様じゃん。」
少年は顔を上げるものの、逆光で相手の顔が捉えられない。
「だって、わたしはパーティにも、お茶かいにも出られないもん。おかあさまは、私のこと、愛してないんだわ。」
少女はそう言って、また泣き始める。
「じゃあこうしよう!」
少年は少女の手を引いて、立ち上がらせる。
よろめいた少女が転ばないように、しっかりと手を握って。
「大きくなったら、ラシェルと僕はけっこんするんだ!
僕はこうしゃく家のこうけいしゃだから、ラシェルはこうしゃく夫人になれるよ!」
少女はようやく泣き止んで
「ほんとう?わたしをお嫁さんにしてくれるの?」
「うん!約束!」
ラシェルと少年は小指を絡ませ会う。
ラシェルは少年の顔を見ようと顔を上げれば……
* * *
「……ん……」
ラシェル・アヴォット・レ=プロヴァンヌ。
もとい、今はアトリス・ブランツェッタなのだが、やけに心地の良い光で目が覚めた。
極寒のル=シャトリエでは、雪が日光を吸収して部屋に光が入ってくることなどほとんどない。
新鮮な感覚に意識をゆらゆらと任せながら、夢の少年に想いを馳せる。
「……誰だっけ…………あの子。」
疲れたときに必ず見るあの夢。
あれはラシェルが7歳の頃の出来事だが、相手の少年が誰だか思い出せずじまいだ。
ただ、珍しい髪色だったことだけは覚えていて、いつの間にかその子に会う機会もなくなっていた。
「アルバートの友達だったっけ……。それとも宮内貴族の子息……?」
今更考えても分かるわけではない。
加えて、ラシェルは、幼い頃の記憶があまり残っていない。
というのも、今ではマルグリットやアルバートといった家族に恵まれているが、幼い頃といえば、家族はもちろん外部の人間との接触が禁止されていた。
家族と初めて会ったのだって、ラシェルが12歳の頃だ。
寂しさ故なのか、ラシェルの幼少の記憶のほとんどはおぼろげなまま。
「約束……ねぇ。」
公爵夫人?侯爵夫人?どちらだって良いのだが、幼心の結婚の約束なんて可愛らしいものだ。
一丁前に恋愛ごっこをしていた過去に比べれば、現在は何のために生活しているのか不安が駆け巡る。
「……起きないと。」
少なくとも、ここの侍女である以上は、雇用者のために働くだけだ。
「おはよう御座います、アトリスさん。」
まだ日が昇って少ししか経っていないのだが、アリスは既に着替えも済ませており、顔を輝かせながらラシェルに挨拶をした。
「おはよう御座います、お嬢様。……何をなさっているんですか?」
アリスは金髪を邪魔にならないように高く結い上げ、机に座ってペンを走らせていた。
「ああ。今は新しい開発案を書いてて。博士学会から最近は発明はないのか〜って、急かされてるんです。教授もせっかちてすよね。」
博士学会は、帝国の方針を決定する六機関のうちの一つ。
医療、化学、数式といった様々な研究を行なっている膨大な機関であり、また博士学会の運営する『ベルガモット・アカデミー』は、歴史的な科学者を輩出する国内最大の研究校。
本来は17歳と在学年齢に含まれるアリスだが、アリスは15歳でベルガモット・アカデミーを飛び級で卒業しており、今では博士学会に所属する正式な研究者である。
「教授というのは、学会会頭のアゼマ名誉教授のことですか?」
「ええ。最近は風を使った発明品はないのかって、あんまりにも悩んでるものだから。」
「どんなものを作るか、もう決まってるんですか?」
ラシェルが尋ねると、書きかけの説明書を片手にラシェルの元へ駆け寄ってくる。
説明書には、直角になった不思議な形のイラストに、矢印や細かい説明が書かれている。
説明、といっても『空気の交換口を作る』『モーターは小さく。ただし、冷却機能も搭載』など、意味は分かるものの、仕組みとしては理解の難しいものだった。
「これはどんな物ですか?」
想像のつかない発明品が何か尋ねると
「これは、ドライヤーです。」
と返される。
「アトリスさんも、湯浴みの後に髪の毛が乾くまでの時間って長すぎると思いません?」
貴族令嬢となると、髪を伸ばすのが基本的だ。
それは髪にまで手入れがいっていることを示すためだとか、四大家門は髪色が重要だから他貴族も髪は大切にしているだとか、真偽はあやふやだが色々な理由がある。
その場合、いつも湯浴みの後は髪が乾くのを長い時間待つ必要がある。
夜会などで、女性が5.6時間前から準備をするのはそのせいだ。
「そんな時のために、髪を乾かす機械です。」
「髪を乾かす……ですか?」
先ほど『風を使った』と言っていたのだから、風で乾かすのだろう。
けれど、濡れた髪に風を当てるのは寒すぎると思うが……
「安心してくださいな。ここに微細なモータを搭載して、電極を調整すれば、温風が出る仕組みなんですよ。」
「へえ。それはすごいですね……」
このくの字形の機械がそんなことをしてくれるとは、にわかには信じられないが、アリスがそう言うのだからそうなのだろう。
ラシェルにとってはどこか本の話のように思えた。
「完成したら、アトリスさんに使っていただきたいです。」
真心込めてそう言ってくれたのだろうが、夜会やパーティに出席したことのないラシェルにとって、あまり感動する機械ではなかった。
けれど、アリスの善意を無下にはできず
「ありがとうございます。お嬢様」
と、不器用に微笑んだ。