1.舞い降りた吉報
「お母様、今なんと仰いました?」
プロヴァンヌ帝国の第二皇女、ラシェル・アヴォット・レ=プロヴァンヌが目を丸くしてそう尋ねた。
また、彼女の前に座っているのは、母であり皇后であるマルグリットだ。
「ラシェル。来月、アルバートが成人するでしょう?」
マルグリットからの質問に、ラシェルはコクリと頷いた。
アルバート・ローレンス・レ=プロヴァンヌ。
ラシェルの唯一の実弟であり、皇室の第一皇子。
来月に誕生日を迎える弟について何かあったのだろうかと首を傾げる。
思い当たる節があるのか、ラシェルは母譲りの紅色の瞳を見開いた。
「まさか……」
「ええ。アルバートの成人と同時に、彼の立太子が内定したわ」
プロヴァンヌ帝国の皇子は計7人。皇女も含めれば12人にのぼる後継者たちと、マルグリットを始めとする3人の正妃、6人の側室がいる。
本来の皇室はここまで多くはないのだが、今代の皇帝の度が過ぎた女遊びが招いた結果がこれだ。
公務もまともに行わず、皇后であるマルグリットが代わって政務に追われている。
最も、マルグリットが政界に大きく噛んでいる名家、ル=シャトリエ家の出自であり、政治的センスに優れていることが不幸中の幸いだった。
ここまで衰退した皇家を傍目に、ル=シャトリエ家も属する『四大家門』や、反皇室派は年々台頭してきている。
早急に皇室を立て直すために必要なのは新しい首長、すなわち次代の皇帝である。
多くの後継者から皇太子、皇太女を選び出すのは骨の折れる作業のようだが、実際のところは後継者として資質があるとされていたのは、第一皇子と第四皇子の2人であった。
そしてようやく、長くの会議や死闘を経て、アルバートの立太子が決定されたというわけだ。
「あなたにも、長い間我慢を強いてしまったわね。」
マルグリットが政務机から離れ、娘の頬に手を添えた。
『引きこもり姫』『皇室の恥』『幻の毒華』
第二皇女であるラシェルがそう呼ばれる所以、それは彼女が一度も公式な場に姿を表していないことが影響している。
ラシェルが21年間もの間、パーティは勿論、成人の儀も祖父の葬式にも参列していない理由は、目の前の母にあった。
「アルバートが立太子するまで、息を殺して生きなさい。彼の弱点にならないように。そしてあなたの身に危険が及ばないように。なんて最もらしいことを言ってきたけれど、結局のところあなたの幸せを奪ってしまったのは私のせいね。」
マルグリットは瞳に影を落とす。
ラシェルは少し驚いたように、母親の手をそっと握った。
「気にしないで、お母様。お母様が私を守ろうとしてることくらい、私分かってるもの。」
母親の言うことに疑問を抱いたことはなかった。
第一皇子の姉であり皇后の血を引く娘。加えて、第一皇子は姉をそれはそれは大切にしているという噂は、ラシェルの命を常に狙っていた。
もし、ラシェルが社交的な皇女であったなら、彼女が5つになるまでには既に命を落としていただろう。
「ありがとう、ラシェル。
……アルバートが正式に皇太子として任命されたら、あなたは自由の身よ。いくらでも外に…外の世界を味わって頂戴。…勿論、皇太子の姉という危険も伴うけれど。」
母の言いつけに忠実に従っていたとはいえ、21年間、外の世界への憧れは捨てきれなかった。
華やかなパーティにも、お洒落なブティックにも、流行りのスイーツにも、興味は尽きることはなかった。
自分が不名誉な呼ばれ方をしているとは知っていたけれど、それは気にならなかった。
世間知らずと呼ばれても仕方がないけれど、やってみたいことが彼女の中には溢れていた。
「アルバートの立太子が終わるまでは、ル=シャトリエ領に身を寄せるといいわ。」
「はい、分かりました。」
ル=シャトリエ領は帝国の北部のあにある永遠の冬の領地。
加えて、ル=シャトリエ家の本邸がある地域であり、ラシェルの知る数少ない外の世界だった。
弟の立太子が決まったとはいえ、今までのように皇宮にいれば何があってもおかしくはない。
それも見越した母の提案に、ラシェルは頷いた。