第8話 帰還
「……帰りたくないな」
思わずポツリと呟く。
「住めば都」という言葉があるように、このダンジョンで七十年以上の時を過ごしすっかり環境に適応してしまった俺は帰る意欲を失いつつあった。
帰る方法には目処が立っている。
この天空大迷宮「マルスゲニウス」の最下層にある「悪霊の神殿」最奥部に敷かれた大魔法陣がゴールだ。実際にそこを守っていたボスを倒して確認したし、機能が拡張したDDNによってソコが終着点であるとこれ見よがしに示されている。
でも、帰りたくない。
このダンジョンに来た当初はここが不便でどうしようもない世界に思えたが魔法使いとして有用な魔法の数々を修めていくにつれてここは「不便で理不尽な奈落」から「様々なシガラミから解き放たれ好き勝手に生きられる楽園」へと変じていた。
魔法を研究したいなら第七階層の「魔法呪術学園」で教授リッチーたちと研究に励めばいいし、服が欲しいなら第四階層の「アラクネ洞穴」で頼めばいい。値段は高いが上質な衣服をオーダーメイドで作ってくれる。それに10年経ったあたりから気付いたのだが、このダンジョンに居ると何故か歳を取らない。いまだにヒゲも生えてこないし顔にはシワひとつない。日本に帰ったら世界でいちばん若々しい老人としてテレビデビュー間違いなしなレベルだ。
食糧事情に関しては最初から問題ない。
溢れんばかりのENが溜まっているので〔ショップ〕機能で好きなだけ美味しいモノが食べられる。
今日も昼食に最高級のいくら丼を食べたが美味しかった。いくら丼にグレードがある意味を最初は理解出来なかったが実際に食べ比べると全然違う。もっとも、ウニの格差に比べればマシだけど。一度美味しいウニを食べるとまずいウニを食べようとは思えなくなった。余談だが実家に居た時はその「まずいウニ」とほぼ同格のものを「高くて良いモノ」と認識させられて食べていた。両親と再会した際には吊るす、あの時俺はそう強く決意したものだ。
「でも、帰るかあ……」
めんどくさい。
ここの居心地はとてもいい。
だけど、俺はついに重い腰を上げた。
なぜか?
何故なら——この世界にはネトゲが無いからだ。
ネトゲどころかゲーム自体がない。
漫画も無ければネットもない。
無い無い尽くしだ。
みんな、生きるのに必死なのだ。
リッチーだけは例外だがあいつらはそもそも死んでるからなあ……
こんな世界で娯楽的な分野が発展するはずもなく、この世界の数少ない知的な種族は環境に抗う事に一生懸命で暇という言葉とは無縁だ。
だがそんな世界で守るものもなくご都合主義的なアイテムと魔法で苦労知らずな俺はいい加減飽きてきた。
15年間一般的な学生として生きていた頃は夏休みや冬休みなどの休暇を指折り数えて楽しみに待っていたが「毎日が日曜日」状態の実質ニート状態の今の俺には苦痛でしかない。
日常が窮屈だからこそ自由気ままな時間に喜びを見出せるのだ。要は稀少価値。2081年の日本において「金」は高価な代物で価値の安定した金融資産ですらあったがこのダンジョンにおいては《錬金術》で好きなだけ生み出せるから「ただの便利な金属」程度の価値しかないのと一緒だ。ありふれたものをありがたいと思う人間なんていない。この「クリア済みのゲームを延々とやらされてるような状況」から抜け出すにはダンジョンから出る以外方法は無い。
——テレポート
心の中で呟くと同時に身体から極僅かな魔力が抜き出る感覚。全身の毛が逆立ち背筋にぞくぞくとした感覚が押し寄せる。空間転移系魔法を使用すると健常者はこのような感覚に苛まれる。本能レベルで「危険な力が自身に働いている」と知覚し警鐘を鳴らすのだ。高所から遥か先の地上を見渡した時と同一の一種の反射的な行為でありコケそうになった際に自然と手を前に突き出し顔面が床にぶつかり致命的な傷を受けないようにしてしまうのと一緒だ。
一瞬にして周囲の風景が赤茶色の岩をくり抜き作られた洞穴から暗くほこり臭い神殿最深部へと変じた。
周囲は不気味なほどの静寂に包まれ生き物の気配がまるでない。虫1匹逃さぬとばかりに死霊どもがまじめに神殿を守り続けてきた結果だ。もっとも、転移魔法での直接的な侵入はマニュアルに書いていなかったようだから死霊くんはクビにならずに済むと思われる。
「なんだかんだで良いダンジョンだったよ、さらばだ」
俺はスキルを発動させると同時に魔法陣を踏みしめた。それと同時に魔法陣もまた赤黒い輝きで部屋を照らし、効果を発動させる。
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世界最新の天空大迷宮「マルスゲニウス」は作成者の意図通り侵入者の能力を求められていた水準にまで引き上げることに成功した。
異世界の理不尽な《予言》は打ち破られ運命は再編される。星霊は今回の件を教訓に異世界からの干渉を防ぐ障壁を今まで以上に強固なものとし異世界転生・転移という世界を隔てた凶悪な誘拐を防ぐ手立てを模索し始めた。
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不快な転移感と共に再び景色は切り替わる。
片側二車線の道路程度の広さにびっしりと生えた青々しい蔦が絡まりかたまり床と壁の役割を果たしている。「緑の階層」、その異名に相応しい景観であり俺は帰ってこれた安堵と長く過ごした古巣との別れにやや複雑な気持ちになる。
ふと、奇妙な感覚を覚え頭上を見上げる。
天井は高い。
視認するのが難しいほどの高さだ。
——ナニかが上に在るのだと直感がささやいた
「今日見てまわる経路に魔物は出ないはずだが念の為近くに寄れ、いざという時に守れなくなる」
細身の……頼りない若造が偉そうに忠告した。クラスメイトだと思われる学生がその男の周囲に寄る。
そういえばこんな感じの男が担任教師だったな……担任だよな?流石に昔の出来事過ぎて正直自信がない。
元々顔と名前を覚えるのは苦手だった。顔の上に名前がきちんと表示されるネトゲはやはり神。
それにしても妙だな。
俺はこの状況があまりにも危険に思えた。
武器も持たずスキルの使用法すら認識していない生徒達をダンジョンに招き入れているのだから。これはダンジョンの危険性をまだあまり深く認識出来ていなかった昔の自分だからこそ当時疑問に思えなかったがダンジョンで何度も死に掛けた経験を持つ今の自分からすれば迂闊過ぎるように思えるし俺のような経験を持たずとも常識的な想像力を持っていれば如何に危機管理の認識が甘く素人である生徒達への配慮に欠けているかわかるというものだ。
それに魔物が出現した際にこの男が1人で対処するというのもまた問題だ。どのような魔物が襲い掛かってくることを想定しているのか知らないが1人で50名近くの学生を守り切るというのは普通に考えて無茶だ。
まあ担任自身が「魔物は出ないはず」「出ても自分が対処する」と宣言しているので大丈夫だろう。これがホラーゲームなら確実に死亡フラグなので勘弁して欲しいところだが現実は退屈で理不尽なのでそういう「お約束」は守られないことがほとんどだ。
万が一の場合はお前が対処すれば良いじゃんと思うかもしれないが今の自分は真っ黒なローブに魔女帽、長く俺を支え続けてくれてる相棒であり愛棒である長大なロッドを手にした古き良き魔法使いスタイルなのでクラスメイトと教師の前で目立ちたくない。実力的な意味で目立たないのは「絶対に不可能」なので諦めてるし良い意味でならいくらでも目立ってみたいが今は状況が悪過ぎる。「制服を着ずに何故そのような格好をしている?」と問われたら答えられないからだ。
だからこそ帰還する為の魔法陣に足を運ぶ間際にスキルを発動させ気配を消している。幸いなことに新東京は海上迷宮都市であり、ここ積木学園は高位冒険者になる為の登竜門である。ローブ姿は今日の授業さえやり過ごせば特に問題にならないだろう。逆に言えばこの授業だけは絶対に目立ってはいけない。あまりにも不審過ぎるからだ。
「魔物、出てくるかなー?」
「先生の戦うとこ見てみたいよね!」
「なぁに?みなみんはあーいうのが好みなの?」
「うーん、先生はちょっと歳上過ぎかなー?知ってると思うけど私って歳下好きじゃん?」
「いや、知らないし。私たち昨日顔合わせたばっかじゃん」
「きゃはは、まあそーだよねー!だ・か・ら!かわいい男子を見つけたらまず私に報告よろしくーぅ!」
クラスメイトたちは初めて目にするダンジョン内の様子に興奮しているようだ。目を輝かせワクワクとした表情で見回す男子、魔物との遭遇とそれに対する担任の華麗な対処を期待する女子などが騒いで姦しい。
もっとも、このままではその歓声は悲鳴に変わり「緑の階層」に血の花が咲き乱れ「赤の階層」に改名する必要がありそうだが。
やれやれと内心溜息を吐きながらふたつのスキルを発動、そして速やかに魔法を放った。
まずひとつ目が《隠滅魔法》スキル。
魔法発動の兆候を周囲に悟られぬようにするスキル。
ふたつ目が《遠隔魔法》スキル。
基本的には魔法というのは杖先から放たれるものだ。
しかし、一部の魔法とこのスキルを使える者は例外だ。杖先以外の始点から魔法を発動することが可能となるスキル。
担任もクラスメイトも飛来してきたことに気付けていなかった3メートルほどの巨体を誇るクワガタが頭上で音もなく消失した。
バニッシュ。
その名の通り対象を消滅する魔法だ。
目論見通り魔物は消えて……ん?
そう、俺はまだまだこの「東京ダンジョン」については無知だったのだ。なんせテレビやネットで情報を集めていたのは体感で70年以上前の出来事だ。詳細まできちんと覚えているはずがなかった。
「マルスゲニウス」では魔物を殺害した場合に死骸が殺された状態のままその場に残る。
それに対して「東京ダンジョン」では魔物の死体は死と同時に塵と化し……
「あー、彼氏欲しいなー!歳下でお金持ちで毎回デート代出してくれるようなそんな……ギャーー!」
特定のアイテムや素材がその場に残る。
ケラケラと大声で話していた女子生徒の頭部に直撃したのは紫紺の魔石だった。ゴルフボール程度の大きさとはいえダンジョン処女の軟弱ステータスだと痛いのか生まれたての子鹿のようにプルプルと痛みに震えている。
彼女自身は思わぬ不運を嘆いているかもしれないがクワガタの立派なハサミや宝箱、武具の類いがドロップしてたら死んでいたかもしれない。それを考えると思わず内心冷や汗をかいた。俺の服装がコスプレじみた格好になったことなどどうでもよくなるほどの致命的なミスだ。今回被害に遭った女子生徒にはなんらかの形で被害を補填しよう。突然魔石が降ってきたことに蜂の巣をつついたような大パニックになってるクラスメイトたちを尻目に心の中で彼女に土下座しつつもそう誓ったのだった。




