第10話 真なる魔法使い(大嘘)
——東京ダンジョンでドラゴン討伐者が現れた。
その一報は瞬く間に広がり、海上迷宮都市は熱気に包まれた。
ドラゴン。
その討伐は紛れもない偉業だ。
ダンジョンという、ファンタジーな世界が日常になった現代においても竜討伐の持つ意味は大きい。
何せ、ダンジョンが現出してから数十年経ったものの、その討伐報告は僅かに二件しか存在していない。
しかも、その二回はトップ層の冒険者が何人も犠牲になりながらの血に濡れた勝利だ。
いずれもダンジョン最深層での死闘であり、教科書や歴史書に記載されるレベルの歴史的な出来事である。
「竜討伐者が10代の少年。しかも単独での討伐というのは本当なのだろうか?」
「事実だそうです。どちらにせよ、今回の調査ではっきりするかと」
「うむ」
早朝。
冒険者ギルドの応接室は張り詰めた空気に包まれていた。
東京ダンジョンでの竜討伐報告は、もはや、冒険者ギルド単独で扱える内容ではなくなっており、その真偽を確かめる為の調査探索がすぐさま実行される事となった。
国から派遣されたダンジョン調査局の役員2名、素材の鑑定能力に優れた私も含む錬金術士ギルドのメンバーが2名、冒険者ギルド本部のメンバーが2名の計6名と、その護衛である上級冒険者パーティー『ラビリンス』のメンバーが、今か今かと、腕を組んで主役の登場を待っていた。
「ふん、お偉方と大先輩である俺達を待たせるとは、いい度胸だ」
「まあ、まだ学生らしいし、調子に乗っているんじゃないの?」
「はっ、気にいらねぇな……」
ラビリンスのリーダー。
巨躯とスキンヘッド、しかも悪人面の戦士である竜崎が吠えるように言う。
10年以上のキャリアを積み重ねてここに立っている彼らからすれば、ぽっと出の初心者が、栄光に浴しているのが面白くないのであろう。
私だって、似たような経験はある。
大した経験のない初心者同然の者が、画期的な錬金物を製作し、賞賛される様を見て嫉妬に駆られた事もある。
どの分野にでも、天才というものはいるものだ。
ただ、冒険者の場合は、レベルという数値的な差がつく以上、他分野に比べて、熟練者が初心者に負ける敷居が高い。
だからこそ、覆された時の危機感や焦燥感は私たち以上かもしれないな……
カツンッ、カツンッ、カツンッ、カツンッ
廊下の方から響く足音に室内の会話が止まった。
早朝の冒険者ギルドはとても静かで、細やかな足音さえ甲高く響いて聞こえる気がした。
私は思わず喉をゴクリと鳴らした。
件の少年の話が瞬時に脳裏をよぎる。
曰く、冒険者ギルドに登録した初日に18階層へ到達した神速の冒険者。
曰く、たった一度の探索で、竜討伐と未発見のネストを発見した圧倒的な実力を持つ冒険者。
それらの圧倒的な戦果が嘘であるかのような、義務教育期間中の冴えない経歴。
ステータスの認知。
そして、ダンジョンが彼を凡人から英雄へと変えたのは明らかだった。
コンコンと扉がノックされ、入室を促されると応接室の重厚な扉がゆっくりと開かれていく。
「ッ」
私は思わず息を飲んだ。
扉の向こうから、静かに入室した少年に思わず見入ってしまう。
身長は185cmほど。
彼が15歳の少年である事を鑑みれば、かなりの長身といえる。
私は、彼が魔法使いのジョブを得ていると聞いて、少し細身なイメージを持っていたが、実際に目にした彼は筋骨隆々とは呼べないまでも、引き締まった肉体をしていて、ネコ科の肉食獣を彷彿とさせるものがあった。
髪は艶やかな黒髪で、前髪が少し長めだ。
あまりオシャレには興味がないのか、整髪料の類いで髪を弄った形跡がなく、最低限寝癖だけ処理したかのような印象だった。
顔は、恐ろしいほど整っている。
人気バンドのメインボーカルや、男性トップアイドルと言われても納得しかねない美貌だ。
落ち着いた雰囲気も相まって、何処かの国の王太子と言われれば、騙されてしまう人もいるかもしれない。
それと、普段は男性の肌の色艶など、まるで興味を惹かれない私でさえも思わず「化粧品は何を使ってるの?」と問いかけたくなるほどの、はっきりと言ってしまえば、常軌を逸したツヤツヤとした肌、柔らかな笑み——そして、何処か超然とした印象の、ダークブラウンの瞳が、室内をジッと見つめていた。
「錬金術士ギルドのサブマスターを務めている飯田です、本日はよろしくお願いします」
「はい、よろしくお願いします」
ダンジョン調査局の役員から、身分順に軽く自己紹介をし、私も若干緊張しつつも、定型的な挨拶をすると、彼は柔和な笑みで応えてくれた。
実際に会って話をするまでは、一体どんなバケモノかと警戒していたが、今まで関わってきた非常識で、傲慢で、低レベルの人間を見下す傾向にある冒険者達と違い、まともに話が出来そうな人物で、私は内心安堵の溜息をついた。
ひと通り挨拶も終わり、今回の調査探索の意図と具体的な内容について再確認したのち、全員でダンジョンの進入口へ移動する。
当初、当事者である間木が、たった1日でネストを攻略したので、今回発見されたネストは、非常に小規模であり、単日での調査だけで済むのでは?という話だったのだが……
彼曰く、短期間での攻略は特殊な移動法を前提としたものであって、歩いて探索する場合には相応の時間がかかるそうだ。
幸いにも彼はスキルか魔道具か、その手法は明かさなかったが、地図を作成していたようで、ダンジョン調査局と冒険者ギルドの有力者がその内容を吟味し、一週間程度の探索で最奥部に到達できると試算し、余裕をもって十日間で調査を行う運びとなった。
通常、一週間でネストの最奥部に到達するというのはかなり異常な速度なのだが、今回は階段までのルートが既に把握済みである為「一週間で踏破可能」という結論に至ったと思われる。
本来、これだけの日数をダンジョン探索に割く場合、相応の物資を運ぶ荷物持ち、ポーターが必要なわけだが、今回は間木から提供された『魔法袋』というマジックアイテムが、それを解決しているため、全員武器や防具、それと最低限のアイテムだけを手に持った状態での探索行となった。
魔法袋。
実のところ、魔法袋は未知でもなんでもなく、所有者がまったく居ないわけでもない。
ただ、本当にトップ層。
それこそ、国を代表する冒険者である上澄みの極一部が所持しているのみであるし、その容量もせいぜいちょっとした倉庫程度で……
今回渡されたもののように、底無しであるかのような、ふざけた性能では無かった筈だ。
一応、貸与という形で渡されたものであったが。
わたしは、探索前日に、冒険者ギルドのギルドマスターづてで渡されて、すぐさまその異常な性能に気付き、自宅のリビングで初めて回し車の面白さに気付いてはしゃぐジャンガリアンハムスターのように、あれこれとモノを入れては大はしゃぎして、9歳の娘に呆れた目で見られつつも、どうにか、この性能を自分の手で再現出来ないかと、あれこれ思案したりしていた。
あまりに夢中になっていて「いい加減にしろ」と妻にドロップキックを打ち込まれて、正気に戻る頃には夜の10時を回っており、夫として、父親としての尊厳を著しく擦り減らしてしまったものの、手の中にある至高の一品のせいでまったく気にならなかった。
閑話休題。
ダンジョンの進入口に到達した私達は件のネストに向かう為、泉に立ち寄っていた。
最初に護衛である、ラビリンスのメンバーが、実際にネスト最寄りの泉へ転移し、安全を確認したのち、全員で一気に転移した。
薄青色に淡く光る苔で覆われた石畳が、視界に広がる。
東京ダンジョン、中層域、第18階層の見慣れた光景だ。
表層域に比べ、何処か重く、侵入者へ重圧を感じさせる、独特の空気感を懐かしみながらも、陣形を組んで目的地へ進んでいく。
陣形は間木を先頭にし、前後左右を護衛であるラビリンスのメンバーが囲い、中央部に私達調査隊という形だ。今回はずっとこの陣形を維持する予定である。
とはいえ、実際問題、このメンバーの中で第18階層に出てくる魔物と戦えない者など存在しない為、かなり無駄な配慮ではあるのだが。
今回のメンバーは、全員竜との戦いを見据えて選出された人々だ。流石に竜との戦闘で役立てるとは思えないが、逃げに徹すれば、他の職員よりも少しは生存する可能性が高いだろうという理由で選ばれている。
18階層の通常の魔物相手にやられるようでは話にならないのだ。
薄暗い迷宮内を淡々と進んでいく。
散発的に魔物の襲撃はあるものの、間木が足を止める事すらせずに瞬殺する為、私達は滞りなく先へ進めている。
(それにしても、何という強さだ。やはり、ステータスを偽っているのは、間違いなさそうだな)
私のジョブ『錬金術師』も一応攻撃魔法が使える。
当然純粋なマジックユーザー系のジョブに比べれば、児戯にも等しい腕前ではあるが。
それに加味して、腐っても錬金術師ギルドのサブマスターである。
それなりに多くの魔法が使える冒険者と関わってきた経験があり、間木の魔法の異常さの一端程度は理解出来ているつもりでいた。
間木は18階層に到達してから、ファイアボールという魔法のみを使っている。
これは非常に基本的な魔法で、人によってはステータスを把握した初期に習得している場合もある、初歩的な攻撃魔法だ。
特定の詠唱と、杖を幾度か振った後、杖先に半径50cmほどの大きな火の玉を出現させ、高速で打ち出し、対象に火を浴びせる魔法だ。
東京ダンジョンの表層域は、特に火に弱い魔物が多く生息している為、初期スキルにこれがあれば大当たりと言えるわけだが……
間木の場合、詠唱はもちろん、杖を振ることさえしない。
気付けば魔法が射出されていて、魔物を問答無用で撃ち抜いている。
詠唱を省略するスキルと言えば、『無詠唱』というスキルが存在する為、一応納得出来なくもない。
無詠唱スキルはかなり高度な技術で、長年の研鑽の後に至る、魔法使い垂涎の神スキルなわけだが……その、無詠唱スキルでさえも、杖を振るという過程は、省略出来なかった筈だ。
(彼の公式のレベルは1。完全に初心者であると、騙っているわけだが……それにしては、実力を隠す気が無いのは何故だ?)
ステータスの偽装と派手な戦果。
間木の行動はあまりにも一貫性がなく、ちぐはぐな印象を受ける。
普通、実力を隠したいなら、もっと周囲に埋没するように、しばらくは、大人しく第一階層でもうろつくべきだろう。
実力を誇示したいのなら、ステータスの偽装などせずに堂々と立ち回ればいい。
誰が見ても違和感を感じるような、稚拙な隠蔽工作をするぐらいなら、磨き上げたステータスを見せるか、若しくは、隠したい箇所だけ、上手い具合に誤魔化すべきだ。
彼のやり方は、あまりにも中途半端で、客観的に見れば、意味不明と言わざるを得ない。
(やはり、一般的な人間の常識に疎いのか?本当に『真なる魔法使い』なら、それもあり得るのかもしれないが……)
真なる魔法使い。
それは、一度は滅ぶと思われた、人類を救済した、伝説的な魔法使い達を指す言葉である。
まだ、ダンジョンが現出するより以前に、怪物達を圧倒するような実力を示し、我々とは異次元の強さを見せつけていた。
戦争終結後、彼らは何の説明もする事なく、再び姿を消したが……今でも何処かに隠れ潜み、人類を見守っていると推測されている。
新東京の各組織の上位層は、彼がその真なる魔法使いの一族、その末裔ではないかと推測していた。
見た事も無い、見事な装備を身につけ、不自然なほどの戦果を瞬く間に見せつけた。
積木学園に入学して一週間もしないうちに、これほどまでの実力を得るのは絶対不可能である。
であるならば、入学前。
生まれや育まれた環境に、その原因があると推測するのが自然だった。
一応、彼の身辺調査は既に行われていた。
青森県の片隅で生まれ育った、何の変哲もない一般人のように思えるが……その経歴はもちろん、育ての親すらも、偽装されたものであるというのが、上層部の推測であった。
何せ、彼の両親と言えば、控えめに言って凡人である。いや、むしろ、若干駄目人間寄りだ。
父親は、零細企業のサラリーマンで、母親は、近所のスーパーで、パートをしているようだ。
それは良いのだが、二人とも、ギャンブルが大好きなようで、事あるごとに周囲に金を無心して、二人揃ってパチンコ屋で金を溶かす。
まあ、なんというか、無軌道な駄目人間であった。
一応、本当に危険なラインを、弁えてはいるようで、借金濡れで首が回らない、というほどでは無いようだが……今、彼が身に纏っている装備を、息子に贈ってやれるような、甲斐性があるとは、到底思えないし、失礼ながら、青森県に、彼に莫大な投資を出来るだけの、有力な元冒険者が、隠居した様子もない。
まさしく、忽然と現れた謎の人物。
それが彼、間木悟であった。




