仕込み⑥
シルヴィスとシュレンは睨み合い、緊張感が徐々に高まっていく。周囲の天使達はその様子を固唾を飲んで見守っていた。
シュレンの実力は天界において知らないものはいない。絶対神のヴォルゼイス、シオルに次ぐ実力者である以上敗北など考えられない。考えられないが、シルヴィス達からは妙な不安を覚える。
それは常識をあっさりと逸脱してくる、そんな不安であった。それも常識を知った上で敢えて裏切る行動をとるのだから、不安を覚えるというのも当然だ。常識を知らないで逸脱するのは単なる愚か者であり、恐るようなことは決してない。しかし知った上でそれに捉われないのは明らかに天才と呼ばれる者達だ。
(隙は当然ない……。こいつは本当に強いな)
シルヴィスはシオルに感じた絶対的強者の雰囲気と似たものをシュレンから感じていた。
(分身体……ということを差し引いても強いな。隙のない構えだ)
一方でシュレンもシルヴィスの構えから技量の高さを感じ取っていた。分身体は本体の実力に遠く及ばないことを認識しているため、負けるという想定を一切していないが、一矢報いられることは十分に想定していた。
(シオル師匠の放つ雰囲気に似ているな。決して油断できない……これで分身体なのだから本体はどれほど強いかわからんな)
シュレンはシルヴィスの放つ雰囲気、威圧感がシオルと似ていることに警戒感が高まっている。シオルはシュレンの剣の師匠であり、偉大な師匠と放つ雰囲気、威圧感が似ているとなれば警戒するのも当然だ。
両者の間に高まる緊張感は凄まじく両者の間に入り込んだものは両者の視線により一瞬で焼き尽くされるような予感すら覚えるものだ。
この緊張感の高まる場において、全く無縁の心情でいる者がいることに誰も気づいていない。もちろんそんな精神力を持つ者はヴェルティア以外にはいない。この爆走娘は両者が動くのを待っていたのである。
(流石はシルヴィスですねぇ〜シュレンさんとの身体能力差は歴然ですが、何んとか踏みとどまっていますね。普通ならとっくに勝負は決してるのですけどね)
ヴェルティアは表面上はシルヴィス、シュレンの戦いを見守っているようにしているが、実はそうではなかった。
(おっ均衡が崩れましたね)
シルヴィスとシュレンの間にある均衡が崩れたのをヴェルティアは感じ取った。達人同士の戦いでは睨み合っているだけのように見えても、隙を衝くために無数の手を繰り出しているために精神的な消耗が激しいのだ。
ヴェルティアが均衡を崩れたのを察知したのはシルヴィスよりも技量が劣るというものではなく傍から見ているために情報を読み取りやすかったからだ。もし、立場が逆ならば、シルヴィスとヴェルティアの固有名詞を入れ替えただけで同じ展開になったことだろう。
(よし、行きますか!!)
シュレンが動き出そうとした瞬間にシルヴィス、シュレンにとってあまりにも予想外のことが起こった。
ヴェルティアがシルヴィスをいきなり押したのだ。しかもシュレンの方にである
「へ?」
「え?」
シルヴィスとすれば一太刀で終わらないように気を張っていたところにヴェルティアの行動は完全に盲点であった。
そして、それはシュレンにとっても同様であった。もしヴェルティアがシルヴィスを押し退けて自分に向かってきたのなら対処することは容易であったし、もしヴェルティアがシルヴィスにこの場を任せて逃走を図ったのならば驚くことは決してなかった。
むしろ想定内の行動であり、即座にシルヴィスとヴェルティアを斬り捨てていた事だろう。
シュレンの斬撃がシルヴィスに放たれるが、それは僅かに必殺の間合いからずれていた。もし、シルヴィスの意図するものであったら、シュレンの技量ならば即座に修正していたことだろうが、今回はシルヴィスの意図したものではないどころか完全にシルヴィスも虚をつかれたものなので修正が完全ではなかったのだ。
シュレンの斬撃をシルヴィスは虎の爪でシュレンの斬撃を受けたのだが、シュレンの剣はそのまま虎の爪を断ち切り、シルヴィスの右腕に食い込んだ。
もし、シュレンの斬撃が完全に修正されたものであったならば、そのままシルヴィスの体は両断されていたことだろう。修正が僅かに間に合わなかったことが、シルヴィスを両断するに至らなかったのだ。
「ち……」
シュレンの口から必殺の斬撃が不発に終わったことに対する不満の声が漏れる。
「てぇい!!」
そこにヴェルティアの全闘気を込めた一撃がシュレンに放たれる。
ガシャァァァン!!
ヴェルティアの一撃はシュレンの防御陣を突き破るが完全に威力を殺されたことでシュレンの頬の1センチという距離で止まっていた。
「あらら、思ったよりも脆い防御陣ですね」
ヴェルティアの言葉にシュレンはニヤリと笑うとシルヴィスの右腕で止まっていた剣を抜き取るとヴェルティアへの斬撃を放つ。剣術のお手本のような文句ない斬撃にヴェルティアの体は両断された。
意表を衝いた状況でなければ分身体ではシュレンの斬撃を防ぐことは不可能であり、当然の結果であった。
しかし、まだもう一人残っていたのだ。シルヴィスは剣を右腕から抜かれた時に倒れ込むような仕草を見せた。それでシュレンはヴェルティアを斬る事を優先したのだが、それは倒れ込むのではなく技を繰り出すための予備動作だったのだ。
シルヴィスはその場でクルリと前宙をするとそのままの勢いであびせ蹴りを放ったのだ。
左踵がシュレンの頭部に放たれるが、それをシュレンは左腕で受け止めた。そして次の瞬間に一拍遅れて右踵が襲ってきた。
「く……」
シュレンは剣を振るいシルヴィスの右足を斬り飛ばした。
シュレンの頬を冷たい汗が伝う。シルヴィスの今の一撃をシュレンは躱すことが出来たがそれは分身体の繰り出したものだったからだ。もし本体のものであったならば足を切り飛ばすことが出来たか不明だったのだ。
「まさか、今のを対処するとはな」
地に伏した体勢でシルヴィスがシュレンの技量を称賛する。
「本体ならば食らっていたかもしれんな」
「かも……か。確かにそうだな。逆に言えば決めることが出来ないかもとも言えるな」
「そうだな」
「今回の件は本当に有意義だったよ。お前のような強者がシオル以外にもいることがわかっただけで収穫だ」
「それはこちらもそうだ。まさか私の防御陣を破れるとは思ってもみなかったからな」
「ああ、一応言っておくがあいつを基準にしない方がいいぞ。あいつはあらゆる点で常識を踏み潰すやつだからな」
シルヴィスの言葉にシュレンは笑顔を浮かべた。もちろん、ここでいうあいつとはヴェルティアのことである。
「まぁ……そうだな。納得したよ」
シュレンの返答にシルヴィスはニヤリと笑う。
「それじゃあ、ここまでだな。お前との戦いを楽しみにしてるぞ」
「私もだ」
両者はそう言って笑うとシルヴィスの体がチリとなって消滅した。
「あんな奴等がいるとはな。世界は広いということだな」
シュレンの表情はどことなく楽しそうであった。




