神魔大戦 ~シュレンの誤算~
「やはり……キラトは受けてたったか」
シュレンは戦場を見渡しながらつぶやいた。シュレンの目にはキラトの本陣を守る三個軍団が隙間を抜けてきたディガーム、イブルースの両将軍の軍団を迎撃し本陣を丸裸にしているのが見えた。
「え?」
シュレンの言葉を耳にした副官であるギーオスが困惑の表情を見せる。シュレンの作戦通りにことが進んでいると称賛しようとした矢先のシュレンの呟きだったのだ。
「ん? ああ、私がシオル殿を切り札として本陣をつかせるつもりだと言うことを読んでいたと思ったのさ」
「そ、それは……罠ということでございますか?」
ギーオスの緊張感の含んだ声にシュレンは静かに首を振る。
「いいや、罠とばかりはいえないな。シオル殿と魔王キラトの一騎討ちの舞台を整えたというべきだ」
「一騎討ち……を?」
「シオル殿はキラトにとって親の仇……自分の手で討つことを選択してもおかしくないだろう」
「し、しかし……王たる立場でありながら個人の意志を優先することなど許されないのではありませんか?」
「なぜだ?」
「え?」
「なぜ王たるものが自分の意志を優先してはならんのだ?」
シュレンの問いかけにギーオスは重々しく口を開く。
「それが王たる者の責任であり、義務でございます。王が自分の意志を優先すれば民が苦しみまする」
「なるほどな。ではキラトは自分がシオル殿に勝つ自信があるのだろうな」
「は?」
シュレンの返答にギーオスはつい呆けた返答をしてしまう。シュレンの話の論理の飛躍が大きすぎてついて行けていないのである。
「シオル殿と戦って勝つことのできる可能性がある者は魔軍の中にはキラト以外にはおらぬという判断なのだろうな。だからルキナの仇であるシオル殿を自らの手で討つことにしたのだ」
「し、しかし敗れれば魔軍の敗北が決定づけられます。そのような危険を冒す理由はございません」
「理由ならさっき私が言ったではないか。魔軍の中にシオル殿に勝てるものがキラト以外にいないというな。シオル殿は間違いなくこの戦いにおける我らの切り札。その切り札を切ったということは我らの勝利の可能性は一気に下がることになる。何しろ両軍の実力は拮抗しているからな」
「……」
シュレンの言葉にギーオスは沈黙する。その様子を見てシュレンはさらに続ける。
「決め手を欠いた我が軍は魔軍に勝つことはもはや難しい。そしてキラトが陣頭に立ち我々を殲滅に動く」
「……」
「どうだ?」
「え?」
ギーオスの呆けた返答が再び発せられた。シュレンはそれを見て皮肉気な笑みを浮かべる。
「理由づけなど簡単だろう?」
「……」
「王は自分の意志を優先することなど許されないという論理など理由を用意すればなんとでもなるのだ。意志とは論理、義務などのようなもので止めることは不可能だ。意志を持つとはそういうことだ」
「それでは……世の秩序が乱れます」
「かもしれん……だが、私は時々思うのだ。神が定めた秩序というものはそれほどに価値があるのだろうかとな」
「な……何を言われます」
「我々はそれほど大層な存在か?」
「と、当然でございます」
「我々は誤りを起こさないか? 常に絶対的な強者か? 私はずっと違和感を持っていたよ。神たる身の私も悩みは尽きない。知識も有限であり、判断を誤ることもある。人間と一緒だ。魔族と一緒だとな。我々は完璧とは程遠い存在だ。しかし……我々の定めた秩序は絶対的に正しいと思える根拠は結局のところ思い上がりでしかないとな」
「シ、シュレン様……」
ギーオスの顔はシュレンを得体の知れない者をみる恐怖が浮かんでいた。ギーオスにとって神の秩序は絶対的なものであり、そこに否定の感情を持つことなど理解の範囲外であったのだ。
しかも、シュレンは絶対神ヴォルゼイスの息子である。いわば限りなく至高の座に近い存在だ。そのような立場の神から神の権威が出たことは驚きでしかないのだ。
「ふ……ただの戯言よ」
「は……」
シュレンの言葉にギーオスの声は硬いものであった。
シュレンは自分の意見が天界において異質であることを理解している。それはヴォルゼイスやシオルの苦悩を間近に見てきた事で自然に芽生えた疑問であったのだ。
その疑問こそがシュレンの中で神族至上主義を否定するに至り、他種族を根拠もなく見下すようなことはしないという神格を作り上げたといえる。
(やはり……キラトはお師匠様との一騎討ちを望んでいたか)
シュレンは左側面からキラトの本陣に向かうシオルの軍を見て目を閉じる。
シオルの突撃にキラトの本陣は即座に対応していることから、シュレンは自分の予測が正しかったことが確信へと変わる。
一糸乱れぬ陣形の変化は、まったく慌ただしくない。これはシオルが本陣を強襲することを読んでいたことに他ならないとシュレンは考えたのだ。
(お師匠様……良かったですね。でも……死ないでください)
シュレンは目を閉じたままシオルの望みが叶ったことを喜ばしく思う。だが、同時にシオルに死んでほしくないという気持ちも強く持っている。
「て、敵襲!!」
その時、伝令が慌ててシュレンの元へと駆け込んできた。
「敵襲? この本陣にか?」
「はっ!!」
「それで数は!?」
「ひゃ、百人程です」
「ひゃ、百? そのような小勢で?」
ギーオンの声に呆れと安堵の感情が含まれた。この本陣を守る兵数は一万を超えるのである。どう考えても百程度ではこの本陣を落とすことなど不可能だ。
「はっ!! しかし……その先頭に立つ者が……」
「は? いかにどのような豪傑といえども一万を超える本陣を抜けられるはずはなかろう!!」
「す、既に二個大隊が壊滅しております!!」
「はぁ? たった百名に二個大隊が壊滅だと?」
「事実です!! とにかく先頭の女の強さが異常なのです!! すぐに本陣を退避させてくださるようにご注進に参りました!!」
伝令の危機迫る様子にギーオンだけでなく他の幕僚達も戸惑いの表情を見せる。
「ニーゼン卿戦死!!」
「第九大隊壊滅!!」
「ギムレング旅団長戦死!! 敵の勢いを止めれませぬ!!」
立て続けにもたらされる凶報に幕僚達は顔を青くした。幕僚達はこの時、自分たちが戦場におり、命の危機に面しているという現実を直視したのかも知れない。
「ふふふ……ははは……はぁ〜はっはっはっ!!」
そこにシュレンが突然大声で笑い始めた。可笑しさが堪えきれなくなったような笑い声に幕僚達は呆気に取られた。
「おい。その先頭の女は素手か? それとも鎖を使う女のどっちだ?」
「く、鎖を使ってます」
「そうか。やつらも……切り札を切ってきたというわけか」
「え?」
「我らがシオル殿にキラトを討つことを託したように……魔軍も私を討つための切り札を持っていたのだ」
「シュ、シュレン様!! すぐに退避を!!」
シュレンの言葉を受けて、ギーオンが退避を進める。
「いや……ここで下がれば間違いなく負けだ」
しかし、シュレンの返答は明確な否定であった。
「し、しかし!!」
「本陣が下がるということは拮抗している前線が動揺し崩壊する。それを避けるにはここで踏みとどまるしかない。それに私はその少女から逃げきれん」
シュレンの断言に全員が息を呑む。シュレンの断言は覚悟の表明であった。そしてその覚悟は冷徹な分析によって導き出されたものであることを感じ取ったのだ。
「諸君……我らもこれより死線を越えねばならぬ。だが越えれぬというのなら下がるがいい。死を恐れるのは命ある者ならば当然のこと……恥じるべき事ではない」
シュレンの言葉に幕僚達は顔を見合わせた。
「私を侮らないでもらおう!!」
そこにギーオンが叫ぶ。
「若造一柱に全てを押し付けて逃げるなど我が誇りにかけてするものか!! シュレン様こそ我らを指揮する責任から逃げるのはやめてもらおう!!」
ギーオンの啖呵に幕僚達の顔が凍った。上位者たるシュレンを若造呼ばわりしたのだ。それは神族の序列意識、秩序からすればあり得ない感情の爆発であったからだ。
だが、ギーオンはこの時シュレンの言葉は『お前達に期待などしていない』と言われたような気がしたのだ。ギーオンにしてみれば逆鱗を撫で回されたような感覚であり、どうしても抑えることができなかったのだ。
「そうだ。それが意志というものだ。いい顔になったじゃないか。よかろう……供を許そう」
「ははぁ!!」
ギーオンは自然と頭を下げていた。同時に歓喜の感情が自らの中に生まれているのを感じていた。ギーオンは自分の意志でシュレンに仕えることを意識した瞬間であった。
「お前達はどうする? 自分の意志で決めろ!!」
「私は行く!!」
「当然だ!! これほどの大舞台を降りるほど間抜けではない!!」
「おう!!」
シュレンの言葉に幕僚達は自分の意志で戦うことを決めたのだ。
(……自分の意志で動くことのできるもの達がこんなにいたか……嬉しい誤算だな)
シュレンは心の中で小さく呟いた。




