12. 買い物 と 遭遇
雲ひとつない昼下がりの日差しはポカポカと気持ちが良く、初冬の訪れを肌へと感じさせる様な少し冷たくなっている空気の中、プライベートダンジョンから転移した俺は、目の前の自販機を眺めながらボーッと突っ立っていた。
先程までの生き死にが軽く揺れ動く荒んだ天秤の上とは違い、穏やかな昼下がりの光景に安堵を感じる俺。
さっき迄の出来事が夢であって欲しいと思いながら、目にしている自販機から己の右腕へと視線を動かすが、転移前に着ていた筈のスーツはなく、黒く汚れている白いシャツ、噛まれた脚の部分はスラックスがスネから下でちぎれており、ちぎれている周りには血が固まって、紺色のスラックスが黒へと変色していた。
現在の自身の姿は、どこからどう見ても不審者極まりない格好であるが、平日の昼時ということで、公園にはあまり人がいないのが幸いだ。
自身の酷い格好を見て、周りの目を気にしていた俺は、ハッと昨夜のドッペルゲンガーと会った事を思い出し、プライベートダンジョンで手にしていなかった此処に取り残されていたであろう鞄を探し始めたのだが、俺のカバンは自販機の横にある網目状になっている空き缶入れにゴミ扱いで入っていた。
カバンを取り出して中を調べるも、財布に入っていた5千円札と小銭が抜かれている以外は、カードも免許証も無事であり、こぼれ出たジュースで湿った鞄を抱えていそいそとアパートへと早歩きで帰って行った。
運良く道中では誰とも会う事がなく、カバンから取り出したアパートの鍵で開錠し部屋の中へと入る。
部屋に入った俺は、玄関へと鞄を無造作に投げ捨て、急いで冷蔵庫へと向い、2Lのペットボトルへと口をつけ、キンキンに冷えた水でカラっカラの喉を潤す。
今まで聞いた事がない様な、ゴキュゴキュと盛大な音を立てながら水を飲み込んでいく喉の音が聞こえてくるが、俺の身体が水を求め続け、パンパンだったペットボトルの水は残り3分の1になっていた。
自分の部屋へと帰り、水を飲んで安心したのか、不意に眠気が訪れるが、視界に映った右手首の痣を見て、反射的にガバッと起き上がった。
こんな事している場合じゃねぇだろ……
キル日のヤツがこの辺にいるかも知れないんだぞ……
俺は着ているボロボロの服を無造作に脱ぎ捨て、食料を買い漁りにいく為に急いで風呂に入った。
風呂から出て急いで着替えた俺は、自身の部屋を見回しながらパラレルを発現させる。
取り敢えず、全部倉庫にぶち込んどくか。
と言うことで、俺は部屋にある物を片っ端から倉庫へと収納し始める。
10分も経たずに部屋にあったもの全てを倉庫へと仕舞った俺は、玄関に投げ捨てていた鞄から財布を取り出して、プライベートダンジョンで下ろしたお金をボロボロのスラックスのポケットから財布へと移し替えた。
一瞬、カバンとスラックスを此処にこのまま置いて行こうかとも考えたが、それを元に追跡とかされるのも怖いので、取り敢えず倉庫へと仕舞う。
目深くパーカーのフードを被り、一応ドアの鍵を締め、愛車の軽の下へと移動する。
目的地は近くにある業務用の大型スーパー。
途中にあったファーストフードのドライブスルーで車を降りずに腹ごしらえをした。
空腹が収まり、段々と思考と感情が安定してきてはいるが、ハンドルを握る手にある痣が視界へと入り、急いで大型スーパーへと向かってアクセルを踏む。
大型スーパーへと向かいながらも、未だに“キル日”と言う言葉が頭の中でループしており、落ち着いていた筈の感情がだんだんと騒つき始める。
ってか、60日周期ってなんだよ……
キル日ってなんなんだよ……
マジでタチが悪すぎだろ……
ホント、巫山戯んなよ……
今までの平穏だった何気ない日常は、イクリプスによる疑心暗鬼のせいで全てが逆転して見えており、歩道を歩く人、すれ違う車の中にいる人、老若男女、全ての俺の目につく人達がキル日のプレイヤーの様に思えた。
クソが。
マジで カース じゃねぇか……
そんな疑心暗鬼に埋れながらも、大型スーパーへと到着した俺は、焦る様に軽自動車に積めるだけの食料を買い漁り、買ったものを車へと入れては倉庫へと送ると言う事を3度ほど繰り返し、再度スーパーへと新たな買い足しの為に戻って行った。
流石と言ってよいのか、この大型スーパーにはレジが10箇所もあり、飛ばし飛ばしで並べば、大量の食料を持って何度もレジに並んでいても、俺の奇行に気づく者はいなさそうだ。
後、3回は食糧の調達ができそうだな。
等と思いながらレジで会計を済ませ、車へと荷物を置きに行く途中、不意に背後から声をかけられた。
「お客様ぁ。 お荷物をお車までお運び致しましょうか?」
後ろを振り返ると、従業員用の青いエプロンを着用した、笑顔が爽やかな女性がこちらへと向かって歩いてくる。
いきなり背後から声をかけられた俺は、盛大に吃驚してビクんと少し変な挙動をしてしまった。
「い、いえ。大丈夫です…」
「その大荷物では前が見えづらいのでは?」
「ありがとうございます……でも、大丈夫ですので」
俺は店員の手伝いを断り、焦る様に店員へと背を向けて駐車場へと向かって行く。
カチャリ
不意に、俺の背後で不意に何か金属が鳴る音が聞こえた。
その金属音に対して俺は盛大に嫌な予感がし、押していたカートを手放し、反射的に身体を投げ捨てる様に右側へと思いっきり飛び退いた。
別に間違っていても問題はない。
鍵が落ちたとか言えばいい。
それに、今の俺はクソゲーに踊らされて、気が気ではない。
たかがスーパーの店員1人に変人と思われたとしても、コレで死を回避できるのであれば全然痛くも痒くもない。
だが、俺が飛び退いた後の先ほどまで俺がいた位置で、まるで、俺のとった行動が正解と言うかの様にカートの中身が盛大に弾け飛んでいた。
マジで居やがった!?
立体駐車場のツルツルとした地面の上を転がる俺は、急いでキョロキョロと周りを確認する。
青いエプロンの爽やかな笑顔の店員の手には、刃がギザギザで歪な形をした鉛色の槍が握られており、その槍先は、荷物をブチ撒いたカートへと深々と突き刺さっていた。
爽やかな笑顔を顔へと貼り付けながらも、開いている目の奥はまるで笑ってない。
笑顔と行動がチグハグすぎて、余計に俺へと恐怖を齎す。
マジでサイコパス過ぎだろ…
「勘がいいですね」
青エプロンの店員は、槍を突き出して伸ばしている腕を引き、槍先を俺へと向けながら右の腰の位置で片手で槍を持って構え直した。
この女性の正体は分かっている。
分かってはいるが、俺は聞きたくなった。
その槍はなんなんだと。
何処から取り出したのかと。
そして─
─何故、俺に槍を向けているのかと。
「いや、勘とか言う前に、今、俺の事、完全に殺そうとしましたよね……その手にしている槍?で……」
俺の発している言葉に対し、女性は未だに笑顔を崩さない。
「警察呼に通報しますよ。なんなんですか一体。そんなの一体何処にあったんですか?」
「そんなの、 知っているでしょぉ? そう言う事なんですよ」
女性が何かを多分に含んだ短い返答をする中、俺がジーンズのポケットからスマホを取り出そうと身体を動かした瞬間、女性はさらに俺へと突きを放って来た。
と言うのは分かったが、突き出された槍先が全く見えない!?
俺は女性の僅かな動作を見て、再度右へと全力で身体を投げ出して突き出された槍先を躱す。
「アレぇ〜? なんか動きがおかしくないですかぁ? え〜っと… もしかしてぇ〜 私の突きが見えてないのかなぁ? アレアレアレぇ〜?」
女性は一旦槍を引いて眼前で槍先を上にして肩へと立てかけ、ちょこんと左の人差し指で顎を触りながら俺を見て首を傾げる。
女性は数十秒考える様なそぶりをした後に、ニィ〜っと口角を三日月形に吊り上げた。
「アレアレアレぇ〜。 あぁ〜。 成る程ぉ〜。 そう言う事ですかぁ〜。 もしかしてぇ〜、 私の方が──」
立てかけていた槍を横に薙ぎながら槍先を右下にして構える。
「──階位が上、 って事ぉ〜?」
俺は狂気に満ちている女性の笑顔を見て、まるで蛇に睨まれたカエルの様に身体が硬直した。
動こうにも身体が言う事をきかない。
逃げ出そうにも足が動かない。
俺は完全に目の前にいる女性に恐怖し硬直している。
そんな中でも、俺の思考は凄い勢いで生き残る為の方法を考えるかの様に回転し続ける。
そして、早急にこの場から一歩でも動く様にと俺の全思考が脳内を駆け巡る。
女性は、気味が悪い狂った笑顔のまま、一歩一歩、ゆっくりと、震える俺へと近づいて来る。
完全に俺を舐めた態度だ。
女性は俺を既に仕留めた気でいる様だ。
なんなんだ、そのマウントを取った様な笑顔は。
何、余裕こいてんだ。
なんで俺がこんな思いをしなければならないんだ。
巫山戯るなよ。
殺されてたまるか。
瞬間、俺の女性へと対する恐怖は、怒りによって塗り替えられた。
舐めプかよ!