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9 火曜日午後一時
上原と別れてから、起源は少年たちのいる病院へ行った。二人が入院しているほうだ。様子を見ただけで、話を聞くようなことはしなかった。
いじめ問題が絡んでいるとなると、教育の素人が下手なことはできない。しかも、都議会議員と教育評論家の両親と、厚生族のドンが祖父という面倒な状況だ。
いまだ病名は確定していないようだった。これについても、起源は素人だ。医者にまかせるしかない。
いったん事務所にもどってから、例の公園を訪れた。
三時に近い時刻になっていた。
ざっと園内を見回してみるが、あの少年は来ていない。学校が終わるのは、もう少しあとだろうか。上原の姿もなかった。
とりあえず原因になりそうなものがないか、水辺を中心に調査をはじめた。
* * *
放課後。仙道女子学園では、火曜はいつもよりも授業がはやく終わる。学校を出ると、小学生たちも多くいた。通学路は、朝のように賑やかだ。
「あいつ!」
風花は、一人の少年をみつけた。
派手な赤い服は、見間違いようがない。
「どうしたの?」
「あいつよ、朝ぶつかってきた!」
「まだ根にもってんの? 子供相手に」
追いかけていって、なにか言ってやろうとしたが、さちに止められた。
「やめときなよ、今日は江藤さんもいるんだから」
さちだけでなく、愛莉もいっしょだ。この三人で帰るのは初めてのことだった。
少年は二人の友達と、どこかへ行ってしまった。
「江藤さんは、音楽とかなに聞くの?」
「とくに……」
さちと愛莉の会話は、想像どおり弾んでいなかった。ぎくしゃくした帰り道だ。
「ところでさ、今日どうすんの?」
いつのまにか、あの公園にたどりついていた。
「え?」
「泊まるとこ」
さちに言われて、そのことをいままで考えていなかった事実に気がついた。
「いっとくけど、あたしはやだかんね」
「わかってるって」
「素直に、彼んとこ行っちゃいなよ」
「だれのこと?」
わかってはいたが、そうとぼけてみた。
「キゲンさんだよ」
「キゲンじゃなくて、おきもと、だよ」
「キゲンのほうが言いやすいじゃん。とにかく、佐竹さんのとこ」
「え?」
意外そうな声を発したのは、愛莉だ。
「あの人と……」
「一泊しただけ」
「もしかして、上原さんも?」
「ち、ちがうよ……そういうのじゃない」
性病を疑われたのだと思った。
「あ! あの人だ」
さちの声で、意識がそちらにいった。
近づいてくる男性がいた。あの側溝を調べていた人だ。
今朝見たときとはTシャツの文字がかわっているから、ずっとここにいたわけではないようだ。
『DO YOU KNOW ME?』と書かれている。
「また、虫を調べてるんですか?」
とりあえず、風花のほうから話しかけてみた。
「これを」
男性は、手のひらを広げた。
「うわ……」
やはり、気持ち悪いものがのっかっていた。
「これが、なにか?」
「渡しておいてください」
「は?」
風花は、絶句した。そんなものを手にすることなど不可能だ。男性の掌中にあるのは、今朝と同様のものだ。
「ムリです!」
当然のごとく、拒絶した。
「ね、行こ、やっぱりヤバいって」
さちの言うことに賛同した。風花は、謎の男性から走り去った。
「ヤバい人なんだって。近寄ったらダメなんだよ」
三人は、公園のなかほどに行き着いた。緑豊かで、小川を模した水路も流れている。子供たちが戯れている光景は、平和そのものだった。そのなかに知っている姿があった。
「あ」
佐竹起源だった。それだけではない。
「あのクソガキ」
今朝ぶつかってきた少年だ。
「ん?」
「キゲンさん、なにやってんだろ?」
あの少年をふくむ小学生のグループを、起源が尾行しているようだ。少年たちは三人組だ。
「あ、風花?」
頭で考えるまえに、起源のあとを追っていた。樹木のあいだを抜け、すぐに追いついた。さちと愛莉もついてきた。
「なにやってんの?」
背後から声をかけたから、さすがにビックリしたようだ。
「小学生にストーカー?」
「キミのほうこそ、ストーカーみたいだ」
起源が言い返した。
「そうなんです、風花はキゲンさんのストーカーなんです」
さちが、よけいなことを口にする。
「静かに」
少年たちを気にして、起源が注意した。少年たちに気づいた素振りはない。
「あの子たちは?」
「ちょっとな」
曖昧な返答しかしない。なにかしらの調査なのはわかっているが、訊かずにはいられなかった。
「あの子たちが、なにかやったの?」
起源は、なにも答えない。
「パパも追ってるやつ? だったら、わたしにも関係ある」
乱暴な論理だったが、かまわずに風花は言った。
「他言無用だ」
「わかってるわよ」
そう応えて、ちさと愛莉にも眼を向けた。
二人もうなずいた。
「この地域に住む小学生三名が、謎の症状で入院した」
慎重な様子で、起源は語りだした。
「おれは、その調査で動いている。その途中、キミのお父さんに出会ったんだ」
「で?」
風花は、続きをうながした。
「これ以上は言えない」
「いいじゃん。わたしに協力できることがあるかもしれない」
あきらかに期待していない眼光が返ってきた。
「だってあの子、知ってるよ。今朝、ぶつかってきたの」
「そうなんです。風花ったら、大人げもなく、クソガキとか言っちゃって」
さちが揶揄を入れた。いったいこの女は、わたしと起源をくっつけたいのか、イメージを落して離れさせたいのか……風花は、怒りをふくんだ瞳で睨んだ。
「デリケートな問題なんだ」
「そういうのは、江藤さんのことでわかってます」
そう言って、今度は愛莉に視線を移した。
「さすがに、性病じゃないですよね?」
小学生では、いくらなんでも……。
「それはわからない。だから調査してるんだ」
「わからない? 謎の症状って……本当に謎なの?」
「ああ。まだ病名すらわからない。原因不明だ」
現代の医学で、そんなことがあるのだろうか?
「ふーん、だからこうやって、忍んで観察してるんだ」
どこか能天気に、さちが言った。
「なんか、イヤな感じしない?」
「どういうこと?」
能天気だったさちが、一転、なにかに気づいたようだ。
「あの子たち……なんか、イヤな感じがする」
具体性に欠ける言葉だったが、風花にもそれは伝わってきた。
三人いる少年の関係性だ。
「……いじめ、ですか?」
言ったのは、愛莉だった。彼女なら、いじめる側よりも、いじめられる立場のほうがよくわかりそうだった。風花の勝手な思い込みでしかないが、だからこそ、ああいう男たちに言い寄られるのだ。
起源は肯定も否定もしなかったが、ちがうなら、ちがうと言うだろう。
少年の一人が……今朝、ぶつかってきた赤い服の少年が、べつの一人になにかをしていた。
「なんか、食べさせようとしてない?」
さちが不快な声をあげた。地面に落ちていた、なにかだ。
差し出されたものを、その少年は口に運んだ。
「止めなきゃ!」
風花は出ていこうとした。
「まて」
起源に腕をつかまれた。
「なんで止めるの!?」
少年たちに聞こえてしまうかもしれないが、かまわずに風花は鋭く言葉を吐いた。
「はなして! 見て見ぬふりをするのは、やってるのと同じ! このクソ男、そんなこともわかんないの!?」
風花は、正拳突きを起源の肩口にくらわせた。あっさりと、彼は手を放した。
「ちょっとキミ、なにやってるの!?」
少年たちに声をかけると、例の少年が逃げ出そうとした。
「まちなさい!」
風花は走って、少年を捕まえた。
「いま、なにさせようとしたの!?」
いじめられていた子に向かって、引っぱっていった。
「この子に、ヘンなもの食べさせようとしたよね!?」
「キミも、イヤならことわりなよ!」
風花は、いじめられていた少年の手のなかにあるものを確かめた。
なにかの虫だ。カナブン?
「こんなもの食べちゃダメよ!」
風花は少年の手から虫を取って、それを放り投げた。空中で虫は羽を広げて飛んで行った。
「キミ、いじめなんてやめなさい!」
三人の関係性は、パッと見てもわかる。ぶつかってきた少年がいじめの首謀者で、虫を食べさせられそうになった少年が、いじめをうけている側の子。もう一人が、首謀者に付き従う腰巾着。
「風花、そんなガミガミ言ったって、子供たちが怖がるだけでしょ」
さちになだめられたが、風花の怒りは鎮まらなかった。
もう少し言ってやろうとしたが、何者かが風花といじめっ子のあいだに割って入った。
起源だった。
「キミの友達の三人が、謎の病にかかってる。いまのところ大事にはいたってないようだが、原因がわからなければ、このさきはわからない」
起源はそう言うと、その三人と思われる名前をあげていった。
「彼らに、なにを食べさせた?」
「知らないよ」
少年は、堂々としていた。
「こんなことして、いいの? 大声出しちゃうよ。どこかのオジサンとオバサンが、ボクを誘拐しようとしてるって」
声は子供のものなのに、口調は大人びていた。
「オバサンですって!?」
さらに風花の怒りに油をそそいだ。
「まあまあ、小学生から見たら、あたしらはオバサンよ」
なぜだかさちが、達観したセリフを吐いていた。
「ねえ、キミ、教えてくれてもいいじゃん。なに食べさせたの?」
さちの語気は穏やかで、責めるのではなく、単純に知りたいことを質問しているふうだった。
「さあね。忘れちゃったよ。いろいろなもの」
素直とは呼べなかったが、ちゃんと答えてくれた。風花は、さちにまかせることにした。起源も同じことを考えたようだ。
「虫とか?」
「この公園にいるやつ」
「たとえば?」
「川のあたりとか、岩の下とか、みぞのなかとか」
「ん?」
風花は、なにかを思い出しかけた。
「もう行っていいだろ? ボクの親はえらいんだ。どうなっても知らないよ」
少年は、残りの二人をともなって駆け出してしまった。すぐに見えなくなった。
「結局、わからなかったね」
さちはそう言うが、風花には引っかかるものがあった。
「どうした?」
起源に問いかけられた。
「水辺、岩の下、溝……側溝」
風花は考え込む。その様子を起源、さち、愛莉が見守っていた。
「知ってる……」
「なにが?」
「そういう人」
あのTシャツの男だ。
「さっき、渡されそうになった……」
「なにを?」
「気持ち悪いもの……虫とか」
そこで、「ああ」と、さちも声をあげた。
「あの得体の知れない人だ」
「それは、だれのことなんだ?」
「知らない。ヘンなTシャツ着てる人」
「Tシャツ? 文字が書いてあったか?」
「そうそう。英語で」
さちの答えを耳にした起源には、思い当たることがあるようだ。
「そいつから、なにを渡されそうになった?」
「だから、気持ち悪いもの」
詰問された風花は気押されながらも、なんとか答えた。
「具体的には?」
「虫とか。だいたい渡してくれって、だれに渡せっていうのよ」
そこで風花は思い至った。
「まさか……」
まじまじと起源の顔を見てしまった。
そういえば、あのとき……三人で会話をしていて、起源の名前を出していなかったか?
そうだ。さちが佐竹キゲンと名前を口にした。
「なんだった? そいつは、なにを渡そうとしていた?」
風花は、懸命に思い出そうとした。
あのときは気持ち悪かったから、視線をすぐにそらしてしまったのだ。これまでも、ダンゴ虫やハサミ虫をあの男は採取していた。だが、さっきはそれらではなかった。毒グモでもない。
「ナメクジ……」
そうだ。さっきは手のひらに数匹のナメクジがのっていた。
「そんな……ありえるか?」
それを聞いた起源は、なにかを自問していた。
「ここは、どこだ?」
ふいに問われた。
「え? 公園でしょ」
「ちがう。そういうことじゃない」
なにを言っているのだろう?
「ここは沖縄か……奄美大島か? 南国だったか?」
起源は頭が混乱してしまったのだろうか。
「なに言ってるの!? ここは、東京よ。南の島じゃない」
風花は、彼を現実に引き戻した。
「東京だよな……」
起源は、なにかを考え込んだ。
風花も残りの二人も、それを黙って見守った。
「少年たちの病名がわかった」
数十秒後、ふいにそう口にした。
「え?」
「広東住血線虫症」
起源の声が、無機質に響いた。
「なに、それ?」
「ナメクジやカタツムリについている寄生虫が原因の感染症だ」
そんな病気のことは、初めて耳にした。しかし、愛莉は知っていたようだ。
「本で読んだことがあります。野菜についているナメクジが危険だって」
起源は、うなずいていた。
「だが、ナメクジすべてが危険というわけじゃない。それに、この寄生虫の終宿主はネズミなんだ。その糞から中間宿主であるナメクジに移る。だから本当に危険なのは、ネズミのほうだ」
「その病気は、そんなにめずらしいの?」
いまだに病名がわかっていなかったということは、そういうことしか考えられない。
「ああ。ポピュラーな感染症でないことは確かだな」
その言い回しは不謹慎に聞こえた。
「そもそも、ナメクジやカタツムリ……その場合のカタツムリは、アフリカマイマイのことだ」
また聞き慣れない名称が出た。
「アフリカマイマイは、外国から入ってきた食用のカタツムリだ。まあ、日本じゃ食用にならなかったが、エスカルゴの代用品として使われることもある」
「そのマイマイに、寄生虫がつくの?」
「そういうことだ。だが、ここらへんにはいない。沖縄や奄美大島にいる」
だから、南国なのか。
「これまで住血線虫症にかかるのは、沖縄や奄美が多かった。本州でも症例はあるが、多くはない」
「ふーん、いままでわからなかった理由は、それなんだ」
起源は、携帯で連絡をとりはじめた。病院にしているようだ。
通話を終えてから、風花は話しかけた。
「なんですって?」
「病院でも、その可能性を考えてたって」
「治るの?」
「残念だが、特効薬はない。でも、いま時点でも軽い症状だから、自然治癒するだろう」
「なんだ、大した病気じゃないんだ」
「そんなことはない。髄膜炎にかかって死亡することもある」
「それじゃあ……あの子、ほっとくわけにはいかないね」
今後も、同じことを繰り返すかもしれない。
「ここからさきは、おれの役目じゃない」
しかし起源は、どこか突き放したようにそうつぶやいていた。