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7 火曜日午前七時
朝起きたときには、まだ彼女たちは眠っていた。なかば叩き起こすように、二人をベッドから出した。
「学校だろ」
「いいじゃん、もう少し眠らせてくれても」
川越さちからは抗議されたが、上原風花のほうはおとなしくしていた。どうやら朝は弱いらしい。
「着替える必要もないんだし」
突然、泊まることになったので、彼女たちは着替えはもっていない。二人とも制服のまま寝たのだ。
「化粧とかあるだろ。髪を整えるとか」
軽い朝食を用意してあげると、さちのほうは、ペロリとたいらげた。一方、風花は食欲がないようだ。
「食べないのか?」
「朝、食べない派だから」
ボソッと、そう声を出した。普段の威勢のよさは、この時間にはないようだ。
三人いっしょに部屋を出たのは、七時半ごろだった。起源の出勤時間には早かったが、彼女たちに合わせるとそうなってしまった。
駅で別れて、起源は仕事場に向かった。といっても、実際に仕事をするのは外になるので、その表現はおかしいのだが。
国立感染症研究所分室、感染源究明室のオフィスには、だれの姿もなかった。ほかの調査員と補佐は、ここしばらく出社していないので、海外にでも行っているのだろう。他人の仕事には興味がないから、確かめることもしていない。
室長は、どうせ今日も顔を出さないだろう。補佐の中川陽介は、神出鬼没のニンジャだ。いつ会えるのか、起源でもわからない。事務員の大木静香だけは、もうしばらくすれば出勤してくるはずだ。
「あら、今日は早いですね」
一分も経たないうちに、やって来た。
「ちょっとありまして……」
「昨日は帰ってこなかったし、連絡もなかったので心配してたんですよ」
「中川からは?」
「とくにないですね。でも、中川さんはいつものことですから」
それもそうだ。
「あれ?」
そこで大木静香は近づいてきて、クンクンと匂いを嗅ぎはじめた。
ドキリとした。彼女の鼻は、猟犬なみなのだ。
「匂います……二匹のメスですね」
露骨な表現だった。
「しかも、若い」
調香師としても働けるほどのスキルをもっている。大学時代はフェロモンの研究をしていたそうで、人間の発するフェロモンを嗅ぎ分けることができるらしい。最初はまったく信じていなかったが、こうして言い当てられるから、いまでは信じざるをえなくなっている。
「年齢は……十七か、十八ぐらい」
「そ、そのへんでいいです」
起源は、静香の言葉をさえぎった。このままでは、あの二人の素性まで当てかねない。
「まさか、夜もいっしょだったわけじゃないですよね?」
厳しい視線で、静香は問いかけていた。
「かなり長時間いないと、ここまで匂いは移りませんよ」
「……」
「淫行で捕まるまえに白状してください」
「やってないって」
「夜をともにしたでしょう!?」
「泊めただけです」
静香の顔つきが取調官のように鋭くなったので、起源も必死に無実を訴える。
「どうして、そういうことになったの? 佐竹さん一人の問題じゃありません。この究明室全体の問題です! 警察沙汰にでもなれば、ここが取り潰しになるんですよ!?」
仕方なく、起源はすべてを白状した。といっても、なにもやましいことはないのだが……。
「なんで、知り合ったばかりの記者の娘を泊めることになったんですか?」
「だから、それは……」
当然の疑問だ。自分でもそう思う。
風花の立場から考えても、知り合ったばかりの男の家に泊まるのは危険極まりない。おたがいが、あの父親にのせられて、おかしなことをしてしまった。
「……わかりました。一応はね」
しかし静香の眼光は、なおも鋭い。
「どうするんですか? 今夜も泊めるんですか?」
「いや、それは……」
どうするのか、起源自身もわからない。上原からは泊めてくれとお願いされたが、はたしてそれは昨夜だけなのか、それともしばらくという意味だったのか……。
「いいですか? もし、これからも泊めるようなことがあるのなら、わたしにすぐ連絡してください」
「……」
「佐竹さんだけの問題ではないということを自覚してください」
キツく言われてしまった。
とはいえ、上原の考えがどうであっても、風花自身がもう泊まるつもりはないだろう。二人の相性の問題だ。
まだなにかを言いたそうな静香をなだめて、起源は外出した。調査開始には早い時刻だが、仕事に入ることにした。
ついさきほどまで澄んでいた青空だったのに、どんよりとした雲が天を覆っていた。
* * *
「イケてたじゃん、あの人」
「そーお?」
「なに余裕ぶっこいてんのよ。意識してるくせに」
風花とさちは、高校へ向かっていた。
「はあ!? ちがうから!」
「そうやってムキになってるとこが、図星なんだって」
風花は、憮然と押し黙った。
瞳を、さちから周囲に移した。視界のすみに、だれかがいた。
「また……」
場所は、あの大きな公園のなかだった。
昨日は側溝を調べていたようだが、いまは水路でなにかをやっている。この公園には小さな池や小川も流れていて、水は豊かだ。
水路のわきで繁っている植物の根元で、昨日も見かけた男性は作業をしていた。声をかけようか迷った。さちが、やめときなよ、という眼をしていた。
「あの……」
風花は好奇心に負けて、声をかけてしまった。
「今日は、なにを……」
男性の着ているTシャツは昨日と同じなのかと思ったが、文字がちがっていた。今日は『HOW MUCH』になっている。
謎の男性は、手のひらを広げてみせた。
そこには、やはり気持ち悪いものがのっかっていた。
「うわっ」
毛虫、ナメクジ、ダンゴムシ、それらがうねうねと蠢いている。
「またですか?」
「……」
男性は無言だ。
「ねえ、行こうよ!」
さちにうながされて、風花は男性から急いで離れた。
「絶対ヤバイ人だって」
「でも……なにやってるんだろう?」
「虫マニアなんじゃないの?」
「毒グモには興味なかったよね」
「どうでもいいじゃん、そんなこと」
たしかに、さちの言うとおりだ。だが、気にかかる。
「あんなのより、佐竹さんのこと考えなよ」
「どうして、あの人のことを考えなきゃいけないのよ」
「運命感じてんじゃないの?」
「バカ言わないで!」
「なら、あたしが運命感じちゃう」
「勝手にすれば」
「勝手にしちゃーう」
気楽な会話をしていたら、公園を抜け、もうすぐで高校が見えてくる地点にさしかかっていた。この周辺は、小学校、中学校、男子校もあり、登校時は生徒であふれかえっている。
ドンッ、と後ろから衝撃があった。
「いたっ!」
風花は振り返ったが、ランドセル姿の小学生がぶつかってきたようだ。
「ちゃんとまえ見なよ!」
風花は注意するが、少年はスマホの操作に夢中で、あやまることもしない。
「ちょっと、キミ!」
「うっせえ、ババア」
あろうことか、そう暴言を吐いて走り去っていった。
「なんなの、あのクソガキ!」
「言葉が汚いよ、風花」
いつもは、もっと下品なことも口にするさちに、そうたしなめられてしまった。
「子供のしたことなんだから」
「あー、はらたつ!」
昨日からの釈然としない感情が爆発してしまった。
いまの少年にも、父親にも、佐竹起源にも腹が立つ。今日も、憂鬱な一日になりそうだった。