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6 月曜日午後六時
不本意ながら、上原の娘・風花と夜道を歩いていた。もう一人、川越さちという友達もいっしょだ。
上原風花──名前までは知らなかったが、渋谷のライブハウスで会っている。着ていた制服から最初、梅毒に罹患している女子高生は彼女だと勘違いしてしまった。見た目もそれらしかったし、ああいう集まりに参加していた。さらに、粗野な男たち相手に大立ち回りをしようとしていた無謀な少女だ。
髪の長さは標準的なセミロングで、染めてはいないようだが、少し茶色がかっている。化粧は薄く、だがくっきりとした美貌の持ち主だ。あらためて見ると、ド派手なギャルタイプではないが、いま風の女子高生という印象が強い。
勝気な目許。小さめの整った唇。
日々、男からの注目を集めているのだろう。
「いーい、仕方なく泊まってあげるんだからね?」
上原にお願いされて、仕方なく泊めることになった。
「なんかしたら、すぐ帰るかんね!」
気に入らないのなら、すぐ帰ってもらう。
「イケてる女子が泊まってあげるんだから、感謝してよね?」
泊めてあげるんだから、少しは感謝してもらいたいものだ。
「ねー、なんか言いなさいよ」
「まーまー、風花。今夜はあたしも泊まるから、大丈夫だって」
いつのまにか、二人で泊まることになっている。
あのハンバーガーショップを出てから、電車で数駅。徒歩で数分。起源の住む賃貸マンションにたどりついた。
「けっこういいとこじゃん」
友達のほうが、そう感想をもらした。当の上原風花は、ジッと建物を睨んでいる。
「どうせ、女をいっぱい連れ込んでるんでしょ?」
トゲのある言葉は無視して、自分の部屋へ向かった。
「思ったより、きれい」
その感想も、川越さちのものだった。
「どうぞ、楽にしてて」
二人をリビングに残して、キッチンへ向かった。部屋はほかに、寝室とトイレ一体型の浴室。独身者用としては、上等の部類に入るだろうか。
冷蔵庫から烏龍茶を出して、コップにそそいだ。リビングにもどって二人にふるまった。
「酒はないからな」
二人が未成年だからではない。起源自身がアルコールを飲まないから、当然この部屋にはない。
二人から不満の声は出なかった。最近の高校生は、あたりまえのように酒やタバコをやっているものだ。それとも、それはただの偏見だろうか。
「わたしたち、まだ飲めないから」
どこか挑戦的に、風花が言った。
「もしかして、遊び歩いてると思ってる?」
「思ってる」
起源は素直に答えた。
「いっとくけど、酒とかタバコとか、やんないから」
起源の考えを見透かしたように、そう彼女は主張した。
「イケてる女は、みんなやってると思ってるでしょ?」
「そういうもんじゃないの?」
自身で『イケてる』と口にしていることに少しイラッときていたが、あえてそれにはふれず、話をすすめた。
「ちがうから」
「でも、ああいうところにいた」
「だから、あれは誘われただけだって!」
風花は立ち上がっていた。
「ねー、ライブハウスのこと?」
川越さちが興味深げにしている。どうやらこの友達のほうは、あのときのことを知らないようだ。
「なにがあったの? 江藤さん、だから休んでるんじゃないの?」
「それは……」
言うのをためらっているようだ。
それもそうか──起源は思った。友達が梅毒だったと……しかも乱れた性行為の結果、感染したということを教えるのは抵抗があるのだ。
女子高生なんて、たとえ親友の秘密でも、べつの友達には、おもしろおかしく話してしまうものなのだろうと勝手にきめつけていた。
しばしためらったのち、彼女は事情を話しはじめた。起源は、黙ってそれを聞いていた。
「ば、梅毒……すごい名前ね」
引っかかるところは、そこだったようだ。
「それ、どんな病気なの? ヤバイんじゃないの、毒のあたりが」
「知らないなら、いいよ」
彼女は、深く語ることをやめた。
「腐った梅を食べちゃったとか?」
が、あまりもトンチンカンなことをさちが口にしたので、すぐに方向を転換したようだ。
「むかしの性感染症だよ」
その言葉で、どうにか概要を把握できたようだ。
「あ……、むかしのじゃないんだよね?」
あのときのことを覚えていたのか、彼女はそう言って、瞳を起源に向けた。
「ああ。いまも流行してる」
「……なんか、意外。江藤さんって、そんな感じじゃないのに」
その感想には一理あった。起源の眼にも、そう映ったからだ。江藤愛莉よりも、風花のほうが経験豊富そうだった。だから勘違いしてしまったのだ。
「ねえ、このことは言っちゃダメだかんね」
きつく風花が釘をさす。
「わかってるよー」
親友の同意を聞くと、彼女が睨みつけてきた。
「さちも立って」
「え?」
「いいから!」
わけもわからず、といった様子で、さちも立ち上がった。
「見て。これ」
風花は、スカートの裾をつまんで言った。
起源には、なんのことだかわからない。
「さちのを見て」
さちの裾もつまんだ。少し持ち上げているだけなのだが、見えそうになった。
「ちょ、ちょっと!」
「わかったでしょ?」
もしかして……丈のことを言っているのだろうか?
さちの丈の長さは、現代の女子高生らしく、かなり短くなっている。だが風花のスカートの丈は、最近の子にしては長い。膝下まで丈があった。
「これが、遊んでる女に見える!?」
起源は、なにも言えなくなった。
というよりも、自分はいま、なにを見せられて、どういうリアクションをとればいいのだろう?
「……」
「いーい! イケてる女子が、みんなこういうのだと思わないでほしい!」
親友を指さして、風花は言い放った。
「こんなのって……なによ!」
言われたほうは、当然のごとく怒りだした。
「ちょっと黙ってて!」
が、より怒りに燃えた風花は、興奮を抑えられない。
「わたし、そういう女じゃないから!」
すごい剣幕で迫られたから、起源はなにも言い返せなかった。
「……悪かった」
「わかればいいのよ、わかれば!」
二人のいざこざはすんだが、納得できない人物が一人……。
「あたしだって、遊んでないからね!?」
「わかった、わかった」
適当に、風花にあしらわれていた。
* * *
深夜十二時には、ベッドに入った。
よく知らない男のベッドで眠るのは抵抗がある。が、野宿するよりはマシだ。お金は父親からもらっているから、ネットカフェに行く軍資金は確保できた。とはいえ、ネットカフェで熟睡するのは難しい。
すぐとなりには、さちがいる。シングルベッドなので、肩を寄せ合って眠っている。
ベッドに入るまでは、リビングでずっと、さちは佐竹起源と話していた。どうやら男性的な興味もあるようだ。たしかに線は細く、しかしそれでいて男らしさもある身体つきだ。顔だって、良い部類に入るだろう。それにミステリアスな職業も、さちの心を刺激したようだ。
感染症──おもに性感染症の原因を究明するのが仕事だという。ライブハウスで大まかなことは聞いていたが、今夜さちがいろいろと話し込んでくれたおかげで、細かなことまで知ることができた。
さちは、すでに深い眠りについている。
風花は寝つけなかった。このところ、さちの家か、ネットカフェでしか眠っていないので、他人の部屋で睡眠をとることに抵抗があるわけではない。
なぜだか神経が昂ぶっていた。
風花は、ベッドから出た。佐竹起源はリビングのソファで寝ている。
リビングへの扉を開けて、
「起きてる?」
そう声をかけた。
「なに?」
「どうして、うちの父と知り合ったの?」
それが気になっていた。ハンバーガーショップでの話し合いでは結局、聞けずじまいだった。
「あの人が言ったとおりだ。おれは仕事で、キミのお父さんは取材だ」
たしかにそう言っていたが、風花は信じていなかった。
「本当は、パパがなにかしたんじゃないの?」
浮気をして、その相手に性病をうつされた。もしくはその逆で、相手に性病をうつした。そう疑っていた。
「そうじゃない。おれもあまり、あの人のことは知らないんだ」
「でも、こうしてわたしを泊めてる。むかしからの知り合いだったとか?」
「ちがう。今日会ったばかりだ」
「よく知らない男の娘を、家にあげたの?」
「そういうことになる」
彼の声は苦かった。
「まさか、わたしがカワイイから?」
「は!?」
「だって、そういうことじゃないと泊めないでしょ?」
「そう思いたければ思え」
そこで、会話が途切れた。
「……本当に、パパのこと知らなかったの?」
「ああ。おれは知らない」
その言い方に、引っかかるものがあった。
「じゃあ、パパは?」
「よくはわからないが、おれに会ったことがあるって言ってた。気のせいだと思うがな」
いくらあの父親でも、見ず知らずの男の家に泊まれとは言わないはずだ。いったい彼と父とのあいだに、なにがあるのだろう……。
風花は、それがとても重要なことのように感じた。