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5 月曜日午後四時
少年たちを見失ったあとも、起源は上原と行動をともにしていた。起源自らの意思ではない。上原に引き止められたのだ。
「なあ、もうちょっとだからさぁ」
どうやら夕方五時まで、いっしょにいてもらいたいのだという。
男二人、ファミレスで時間を潰し、どうにか四時までは我慢できた。だが、あと一時間となると、こんなことをやっている場合ではない──そう焦りがつのってくる。
少年たちの病名もわからないし、原因も不明だ。もっとも、病気の解明は医者の仕事であり、起源の仕事は、その原因となったウイルス・細菌、もしくは《なんらかの現象》の源をつきとめることにある。可能であれば、それを排除し、根絶する。
「なにがあるんですか?」
そう問いかけると、上原は話をはぐらかしていた。怒って起源が席を立とうとすると、例の少年たちの話をして、場をつなごうとする。
「赤い服の子の親はな……」
「?」
「興味出たろ?」
「親はだれなんですか?」
続きを知りたいなら、もうちょっといっしょにいろ、という言外の圧力をかけてくる。このように情報を小出しにしてくるところが、この男の作戦のようだ。
「いいかげんにしてください」
「……親は、大変なんだよ」
「は?」
また話をそらしたようだ。
「親になってみたら、わかる」
その口ぶりからは、彼も人の親らしい。とてもではないが、家庭をもっているようには見えない。
「何歳なんですか?」
まったく興味はなかったが、聞いてあげた。
「十六だったか、十七だったか……十八かもしれん」
よくわかっていないらしい。とにかく高校生ではあるのだろう。
「いつのまにか生意気になってな……親を親とも思ってない」
「子供の年齢も知らない親だから、尊敬されてないんじゃないですか?」
遠慮なく、起源は意見をぶつけた。
「言ってくれるねえ……」
上原は、遠い眼になった。これまでの親子問題に思いをめぐらせているのかもしれない。
その雰囲気が鬱陶しくなったので、べつの質問で彼を現実に引き戻した。
「奥さんは?」
「別れた」
予想どおりの答えだった。
「逃げられたんですか?」
これにも、起源は遠慮をこめなかった。
「ああ。見事なほどに逃げられた」
「お子さんは、よくあなたについてきましたね」
「最初は、女房……元妻についてったんだが、その彼女がいろいろあってな。まあ、それで仕方なく、おれのところに来たんだ」
その『仕方なく』は、上原にとってなのか、子供にとってなのか……。
「で、あなたの身の上はわかったんで、話をもどしてください」
「これからさ……会うことになってんだよ」
「は?」
どうやらこの男、まだ身の上相談を続けるつもりらしい。
「なあ、もうすぐ約束の時間だからさ、いっしょに来てくんねえか?」
起源は、あきれた。そのために身柄を拘束されていたのだ。
「おれ、帰ります!」
「待てって!」
ガシッと、ジャケットの裾をつかまれた。
「君、独身だよね?」
「え……?」
またまた、話が脈絡なく飛んでいた。
「それが、どうかしましたか?」
「勉強になるぞ。子供をもったときの苦労について」
「そんな勉強したくありません」
「いいから、いいから。それにな……」
「それに?」
「あとのお楽しみだ」
「?」
意味がまったくわからなかった。
「独身なんだろ?」
「だから、そうですって」
なぜだか、独身、というところを強調してくる。
「カノジョもいないな?」
いない、ということを決めつけていたようだ。
独身なのは、結婚指輪をつけていないことや雰囲気でわかるものだ。が、恋人がいないことは、ただの勘のはず。それとも、いないように見えているのだろうか?
「さっきから帰りたがってはいるが、あまり時間を気にしているようでもない。君ぐらいの若さで恋人がいれば、もっと時間を気にしている」
疑問が顔に出ていたのか、上原は語った。
「今日は、デートの約束がないだけかもしれない」
「それでも普段からそうなら、時間を確認するクセがついているはずだよ」
本当にそうだろうか?
納得できるような、できないような……。
起源が答えを明確にしなかったので、恋人がいない、という空気で固まった。
実際、いないのだが。
「もしそうなら、いいかもしれん」
「なにがですか?」
「ついてくればわかる」
なかば強引に、ファミレスから連れ出された。
行き着いたさきは、繁華街にあるハンバーガーショップだった。よくCMは眼にするが、実際に入ったのは学生の時以来だ。
「で、約束です」
「約束?」
この期におよんで、上原はとぼけていた。
「親の話ですよ」
「だれのだっけ?」
「少年の!」
起源は、さすがに怒りをこめた。
「約束なんてしたっけ?」
たしかに約束というかたちではないかもしれないが、話の流れでは、ついていったら教えてくれると考えるのが普通だ。
起源は、とにかく睨みをきかせた。
「わかった、わかった。教えてあげるよ」
あくまでも恩きせがましかった。
「あの子の親はな……」
途中まで言って、上原の動きが止まっていた。
ある一方を眺めている。
自分たちの座る席に向かって、だれかが歩いてくる。
二人だった。
「あの子の親は?」
起源は、続きをうながした。
「……おれだよ」
「え!?」
あの赤い服の少年の親が、この上原だというのか!?
「どういう……」
上原の様子で、そういうことではないと悟った。
「なんのこと言ってるんですか?」
「紹介するよ。あれが、おれの子供だ」
「は!?」
いったい、いまなんの話をしているのか……わけがわからない。
「カノジョいないんだろ? どうだ、おれの娘は?」
上原とともに座るテーブルに、二人の女子高生がやって来た。
そのうちの一人を、起源は知っていた。
「あ!」
むこうも気づいたようだ。
「どういうこと、これ?」
* * *
ハンバーガーショップの二階に上がると、親子ゲンカ中の父がいた。もう一人、だれかいるようだ。
「あたし、すぐ帰るかんね」
イヤイヤ来ているさちは、さっきからそんなことしか口にしていない。
席へ近づくにつれ、不思議な感覚におそわれた。
「あ!」
思わず、風花は声をあげてしまった。
父親といっしょにいる男に、見覚えがあったのだ。むこうも、そういう顔をしていた。
「どういうこと、これ?」
「なんだ、知り合いだったのか」
愉快そうに、父が言った。
父親──上原孝臣という名前だ。職業は、フリーの雑誌記者。低俗な写真誌から、お固い経済誌にも執筆することがある。
「一応、紹介しようか。これがうちの娘だ」
さちが肘でつっついて、だれなの?、と訊いてきた。
「彼は、国立感染症研究所の……なんていったっけ?」
紹介しようというのに、父は男性の名前を知らないようだった。
「佐竹です。佐竹──」
男が下の名前を言おうとするのを、風花はさえぎった。
「知ってます。《キゲン》さんでしょ?」
正直、一度名刺を見ただけなので、名字のほうは、うろ覚えだった。下のほうが印象に残っていた。
起源。ただし、読み方はちがったはずだ。が、そこまでは覚えていないので、『キゲン』と素直に読んでみた。
「おきもと、だ」
「で、なんで父といっしょにいるんですか? まさか……そうなんだ」
疑惑の視線を父に向けた。
「なんだよ、おい?」
「なにに感染してるの? いい歳してみっともない!」
「おいおい、ヘンな誤解するな」
「どういうこと? なんの話、風花?」
佐竹起源という男の正体を知らないさちが、場の空気に困惑している。
「とにかく、座りなさい」
父親ぶっているのが腹立たしかった。父は、仕事だけで娘をほったらかしにしていたのではない。女だ。どこかに女をつくっていたのだ。そして、なにかしらの性感染症にかかった。
憤りを隠さずに、風花は乱暴な仕草でイスに座った。佐竹のとなり。佐竹の正面に父がいて、そのとなりにさちが腰をおろした。
「言っとくが、おれはちがうぞ。おれは浮気なんてしてない」
父が弁明した。
正確には、もう母とは離婚して何年も経っているので、浮気ではない。が、父はそう表現した。
「うそ」
風花は、冷たく言った。
本来なら恋人がいたとしても不思議ではないし、責められることではないのだが、どうしても許せない気持ちが強い。
「彼とは、取材で知り合ってね」
「ふーん」
まったく信じていなかった。
「で、提案なんだが。今日、泊まるところはあるのか?」
「心配してくれなくても大丈夫」
「もう友達も泊めてくれないだろう?」
「そんなことない」
言い合いをはじめたら、さちが割って入った。
「そうじゃん。いいかげん、仲直りしなって。もうあたしは、やだかんね」
「ほら」
父が勝ち誇った顔になった。
「……」
「そこでだ」
なにかを企んでいる表情だった。
「彼の家に泊まるというのは、どうだ?」
突拍子もないことを言い出した。
「は!?」
彼──佐竹起源と、ほぼ同時に声をあげてしまった。
「息もピッタリじゃないか」
「なに言ってんの!?」
「この佐竹君は、カノジョがいないそうだ」
「それがなんだっていうのよ?」
「ちょうどいいだろ?」
「はあ!?」
父は、彼と自分をくっつけようというのだ。
「あー、そういうことか! わかった……新しい女と再婚するために、わたしが邪魔になったんだ! それで、この人とくっつけようとしてんでしょ!」
「えー、なになに!? どういうこと!? 親公認の交際ってこと!?」
さちが騒動に油をそそいだ。
「な、佐竹君、娘を何泊かさせてもらえないだろうか?」
父は、あくまでも話をすすめようとしている。
「おれの家に?」
「いいだろう? 独り暮らしなんだろ?」
「まあ、そうですが……」
彼も困り顔だ。
「未成年の女性を部屋に泊めるなんて──」
「ほう。若いのに、そんな道徳的なことを気にするなんて、見上げたものだ」
とってつけたようなお世辞だ。それにのせられる男なら語るまでもないが、この佐竹起源という男は、そうではなかった。
「父親なら、心配にならないんですか?」
「ほう。その思いやり……ますます、娘のことをまかせたい」
「なに勝手なことを!」
風花は我慢できず、声を荒らげた。
「おまえは黙っていなさい」
父にしてはめずらしく、語気が強かった。
「佐竹君、このままでは娘は、路上で寝泊まりしなければならないかもしれない。もしくは、どこぞのバカ男の部屋に泊まって、もてあそばれてしまうだろう。そんなうちの娘を不憫に思わんか?」
「……」
佐竹起源は、押し黙ってしまった。
「風花、おまえにしても、信用のおける人物の部屋に泊まれるのなら、そのほうがいいだろう?」
どこぞのバカ男のくだりは、かなり飛躍しているとは思ったが、風花にしても泊まれる場所は確保したかった。
問題は、この男が信用できるのかどうかだ。
「なあ、頼むよ」
佐竹起源が、風花を見た。
風花も、佐竹を見た。
「あー、いい感じにみつめあってる」
さちの揶揄は無視をした。
「……」
「……」