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4 月曜日午後一時
閑静な住宅街に広がる緑豊かな公園だった。
一見すると雑木林のようだが、ちゃんと整備された樹木が並び、小川まで流れている。この時間、若いママたちが小さな子供を遊ばせている姿が多い。この地域のオアシスのような場所なのだろう。
「ここで少年たちは、よく遊んでいるようだ」
小学生が、公園で遊ぶ。それは至極真っ当で、ありきたりな光景だ。起源は、思い浮かべることもしなかった。
「なにかあると思うか?」
その上原の問いかけは、少し奇妙だった。
わからないから訊いたというよりも、作為的に答えまで導くための質問のように感じた。
起源は、公園を見回した。
一番に疑うべきは、やはり水辺だろう。病原体に感染するリスクが最も高い。だが園内を流れる水は自然のものではなく、人工的な水流のはず。澄んでいるし、石畳でつくられた小川のため、底が汚れているわけでもない。
そのほかに考えられるのは、土。
虫も有力だ。蚊やダニ・ノミからの感染も疑われる。
あげればきりがない。
ウイルス・細菌は、どこにでもあり、だれもが感染する危険がある。極論を言えば、外でなくとも、家のなかで感染することもあるのだ。
病名がなんなのか……それが不明のままでは、原因をつきとめることは困難だ。
もっと人員がいて、検査する装備、設備があるのなら、この公園を根こそぎ調べればすむだろう。しかし、一人──中川を入れても二人でそれをすることは不可能だ。
「君の見解は?」
わかるわけがない──そういう瞳を向けた。
「だろうね。いくら君でもムリだね」
「あなたには、わかるんですか?」
「まさか」
「でも、なにか勘づいている」
「……」
この饒舌な男が、無言になった。あえてつくった沈黙だということは、起源にもわかる。
「……ただ遊んでいたのではないだろうな」
「? どういうことですか?」
小学生が公園に来たのなら、それは遊ぶためだろう。
「ここで、遊び以外のなにかをしていたということですか?」
「遊びは、遊びだ」
意味がわからなかった。
このまま質問をあびせても禅問答のように答えまで行き着かないと思ったので、起源は口を閉じた。
「もうしばらく待てば、下校の時間になる。子供たちがやって来るだろう。それを観察すればいい」
あくまでも答えを言わないつもりのようだ。
上原が歩き出した。近くのベンチまで行くと、ゆったりと腰をおろした。
不満だったが、起源もそれに続いた。
一時間以上が経過した。
若い母親と小さな子供たちの姿が少なくなり、それよりも大きな子供が園内に目立つようになった。
「あれだよ、あれ」
適当な世間話しにも飽き飽きしたころ、ようやくおもしろい話題になった。
「あの子たち?」
「ああ。赤い服のガキが、グループのリーダーだ」
たしかに赤い服の男子児童をふくめた三人グループが、園内に足を踏み入れていた。
「グループって、少し大袈裟じゃないですか?」
「グループは、グループさ」
「まるで、不良の集まり──」
言っている途中で、思い当たった。
「まさか……」
「それほど、めずらしくはないさ。いや、それどころか、数人が集まれば、それを疑うほうが自然だ」
だとすれば、原因として考えられることがさらに増えることになる。
「ま、それが現代ってやつだ。ある意味、この世にはびこる最大の病気だな。新型インフルエンザやエボラよりも厄介だ」
「それはどうか知りませんが、現代だけでなく、むかしからそうでしたよ、きっと」
起源は、上原の言う少年たちの動向をうかがった。少年たちは、樹木の生い茂るエリアへ移動していた。
あとを追った。
「これ食べろよ」
赤い服の少年が無造作に木の葉っぱを千切り、一人の少年に差し出していた。
葉っぱを受け取った少年は、恐る恐るもそれを口に入れた。
「うまいか?」
赤い少年は、声をあげて笑った。もう一人も、つられたように笑い出した。
「見事なまでの、いじめの構図だ」
耳元で、上原が囁いた。
不謹慎に聞こえた。
「ああやって、なにかを口にさせたのが原因かもしれない」
上原の予想を聞くまでもなく、起源は考えをめぐらせていた。
毒草のたぐいか……ウイルスや細菌を保有しているなにかを食べたのか……。
「どうするよ?」
「あの少年が、あなた流に呼べば、リーダーになるんですか?」
「それは、まちがいない。オジサンの取材力をナメてもらっちゃ困る」
「じゃあ、あの子に訊くまでだ」
起源は、少年たちの前に出て行こうとした。
「まてまて。素直に白状すると思うか?」
思っているから行こうとしているのだ。言葉には出さなかったが、瞳でそう訴えかけた。
「最近のガキは、悪知恵がはたらく。自分がいじめてるなんて認めねえよ」
だが話を聞かなければ、原因はいつまでたっても闇のなかだ。
「まさか、脅してでも、なんて考えてねえよね? それこそ、あのガキの思惑どおりだ。親か先生にでも言いつけて、逆におまえさんが犯罪者だ」
「じゃあ、どうすればいいと?」
「こうやって、忍んでるのがベストな選択だよ。いずれ、原因となった行為に行き着くだろ」
気の長い話だった。事態は、急を要するかもしれない。発症した少年たちの病名も、まだ特定されていないのだ。人から人への感染はなさそうだが、元凶をつきとめることで、病名がわかるかもしれない。
その後も赤い服の少年は、もう一人の少年といっしょになって、いじめ行為を続けた。おもに葉っぱや草を食べさせることが好きなようだ。
ゆがんでいた。子供ならではなのか、それともあの子が特別なモンスターなのか。
「これ食え、これ」
植物だけではなく、虫も食べさせようとしていた。無邪気な声が、むしろ背筋を寒くさせた。
「止めないんですか?」
「おれは、教師でも警察官でも教育評論家でもない」
上原の答えもまた、ゆがんでいた。
起源は今度こそ、少年たちの前に出て行こうとした。さすがに、これ以上は見ていられない。
そのときだった。
「あなたたち、こんなところでなにしてるんですか!?」
鋭い声をかけられた。
制服警官だった。
「不審人物が公園にいると通報がありました。あなたたち、ここでなにをしてるんですか!?」
警察官は、尋問を繰り返した。まだ若く、上原はおろか、起源よりもだいぶ年下だ。
「われわれは、園内の植物や昆虫を調べているんです」
嘘がすらすらと上原の口から飛び出した。あきれるよりも、起源はむしろ感心した。
「身分証はありますか?」
起源は取り出した。写真付きの身分証と名刺を渡した。
「国立感染症研究所……」
若い警察官は、少し驚いたようだった。
「名刺はどうぞ」
身分証だけを返したもらい、言った。
上原は名刺だけを渡した。
「取材させてもらってるんですよ」
それで通用したようだ。ちゃんとした機関の調査員とジャーナリストらしき男がいっしょにいれば、本当になにかの調査をしていると考えたのだろう。警察官は謝罪して園内から立ち去っていった。
だがそれと合わせたように、少年たちの姿も、いつのまにかなくなっていた。
* * *
「なんで、あたしまで親子ゲンカにつきあわされるわけ?」
川越さちのボヤきが、さきほどから止まらない。
学校帰り。一人で会いにいくのはイヤだったので、さちにも来てもらうつもりだ。
「ごめん。今度うめあわせするから」
「風花のうめあわせなんて、ろくなもんじゃないじゃん」
言い当てられた。部屋に泊まらせてもらうほどに困っているのだから、そのとおりだった。
「これからお金くれるっていうから、それでなんかおごる」
もらえる金額にもよるが、風花はそう言いつくろって、さちをつなぎとめていた。
「あたしじゃなくて、江藤さんに頼めばいいじゃん」
「今日、休みだったでしょ。それに、そこまで親しくないし」
「どっか行ったくせに……あたしをさしおいて」
そこで気がついた。どうやら彼女も、いっしょに行きたかったようだ。
「ね、どんな集まりだったの? 渋谷のライブハウスだったんだよね?」
「たいしたもんじゃなかった」
そういう表現にとどめた。正直に告白してしまうと、江藤愛莉のイメージをそこねるし、性病のこともバレてしまう。
「なに、あれ?」
突然、さちが声をあげた。
いま向かっているのは、繁華街にあるハンバーガーショップだった。そこで父親と待ち合わせをしている。学校からそこへ行くには、公園を横切ると近道になる。大きな公園だが、名前は知らない。
その園内を通る遊歩道の側溝で、なにかをしている人物がいる。蓋をはずして、なかを覗き込んでいるようだ。
手をのばして、なにかをすくうように採っていた。
「なにやってんのかな?」
その男性は、黒いTシャツにジーンズ姿。Tシャツの背中には『HELP ME!』とプリントされている。
思わず、二人も覗き込んでみた。
男性の手のひらには、ヘンなものがのっていた。それがなんなのか、すぐにはわからない。
「イヤ!」
悲鳴が、さちの口からもれた。
男性の手のひらでは、何匹かの虫が蠢いていた。
ハサミムシ。ダンゴムシ。丸っこいクモ。
男性が、風花たちに気づいた。
「……」
しかし男性はなにも言わず、ただ二人を見ている。
「あ、あの……」
さちが、恐る恐る言葉をかけた。
「なにやって……」
「……生き物を調査しています」
ボソッと、男性が答えた。
「あ……」
風花は、男性の手にいる虫のうち、クモの形に見覚えがあった。たしかニュースで眼にしたことがある。
「それ、毒グモですよね?」
「……そうです。セアカゴケグモ」
やはり、男性はボソッと答える。
「毒グモ? 東京にいんの!?」
さちが素っ頓狂な声を放った。
男性はそのことについては、なにもコメントしなかった。
すると、手のなかの虫たちを側溝にもどした。
「え?」
毒グモを採集しているわけではなかったようだ。
では、なにをしているのだろう?
「クモ、いいんですか?」
心配になって、風花はたずねた。
「そういう仕事は、東京都では、環境局自然環境部計画課が担当しています」
その答えで、すくなくとも男性が役所や保健所の職員でないことがわかった。
「じゃあ、なにをさがしてるんですか……?」
だが男性は、肝心なことには答えてくれない。
「ねえ、もういこ」
「う、うん……」
さちにうながされて、風花はその場をあとにした。