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33 火曜日午後十時
なにを告白しようとしている?
起源は息をのんだ。
なにかがおかしい……。
えもいわれぬ違和感。
「もちろん、あなたの仕事内容もよく知っているわ。感染症のもとをたどること」
思わず身構えそうになった。直接的に危害を加えられそうになっているわけではない。だが、本能のどこかで危険を察知していた。
「だからね、わたしはいろいろとあなたを試したのよ」
「まさか……不特定多数に感染させたのは、おれを挑発するためか?」
「それもあるけど」
彼女の言い方は、ほかにもなにかを仕掛けたのだと、とらえることができる。
「……!」
起源は、ハッとした。
この女教師が放送に乱入したのは、どのタイミングだった?
あのとき、如月美幸は広東住血線虫症の続報を読んでいた。そして乱入した細井が、わたしたち三人に関係があると言い出した。
起源は調査をし、如月美幸は上原を介して、細井はそのまま血縁関係がある。はたして、それだけの意味だったのか?
ちがう。細井は広東住血線虫症のことで、まだ伝えていないことがあるのだ。
「仕掛けたのか……」
つぶやくような声なのを、起源は自覚した。
「ふふふ」
起源と細井の会話に、如月美幸が不思議そうな顔をしていた。
「そうか……だから、あの病気がこの東京のド真ん中で発生したのか」
「あなたを試したって、言ったでしょう。いつ気づくのか楽しみにしていたわ」
「おまえは、子供の命をなんだと思ってるんだ!」
「どういうことなの、佐竹さん?」
如月美幸だけに問われたのではない。ほぼ同時に、風花にも声をかけられた。
「広東住血線虫症……本来は、沖縄地方で発症例のある病気だ」
「でも、それ以外でも発症した人はいるんじゃなかったっけ?」
「ああ。だが数は少ないし、発症したときはべつの地域でも、しかし感染したのは南国だった」
「そうなんだ……」
風花は、声を拾われていることにも気づいていないかのように発言していた。
「線虫を持ってきたのか?」
「ふふふ、ははははは!」
勝ち誇ったように、細井は哄笑を響かせた。
触るのも危険なアフリカマイマイをこの東京まで運び、あの公園に逃がした。ネズミの糞が媒介して寄生することになるので、カタツムリから公園に生息するナメクジに線虫がうつる可能性は恐ろしく低いはずだが、結果としてそうなった。
彼女の思惑どおりに……。
「なぜ、そんなことをした!? おまえの甥だろう!?」
野島の息子に感染するところまで計算していたわけではないだろうが、起源はそう声を荒げた。
「やめてよ。わたしたち兄妹に、家族の情なんてないわ。父さんは観てるかしら?」
スタジオの空気が凍りついたのがわかった。細井の父ということは、野島謙吾の父でもある。それをみなが気づいたのだ。
生放送中であってもかまわずに、すぐに消せ! とだれかが大声をあげた。
だが、スタッフの大半は動けない。人質をとられているという現実を、そのときになってはじめて実感しているのかもしれない。
「警察だ! 警察を呼べ!」
* * *
警察を呼べ、と画面には見えないところで叫びがあがった。
「たいへん……」
さちは、思わず声をもらした。
とても深刻な事態がおころうとしている。
「ん!?」
映像が突然、切り替わった。
『しばらくお待ちください』というテロップが、夜景をバックに表示された。
放送事故がおこったときなどに出るやつだ。
「風花パパ!」
「こりゃ、ただごとじゃないな」
「なに、他人事みたいに! 娘と元奥さんが危険なめにあってるかもしれないってのに……」
「その点では心配いらない」
「どうして?」
そのとき、画面がもとにもどった。
スタジオの様子は、なにも変わっていないようだった。
いや、カメラアングルがちがっていた。それまでは細井先生の横顔が中心にきていたが、起源へと中心がズレていた。
「ナイトがいるだろ」
* * *
短い時間のうちに、いろいろと動きがあった。
一度は放送が中断されたのだが、桐谷がそれに気づき、大声をあげた。放送をもとにもどさないと、こいつを殺す──と。
そんな混乱のなか、スタジオのなかに物々しい一団がなだれ込んできた。
警察官? 通常の制服ではなく、戦闘服のようなユニホームを着ている。全員が透明の盾で防御をかためていた。特殊部隊のようなものなのだろう。風花の知識では、そのようなことしか推測できない。
スタッフの大半が、警察官の誘導でスタジオの外へ出ていった。しかし、それでも桐谷は動じなかった。要求を繰り返した。
警察の判断ではなく、テレビ局の判断で、放送が再開されたようだ。
いまでも残っているのは、出演者である母と、乱入の張本人である細井先生、そして起源と風花自身、カメラマンと照明、音声を担当する数名。さらに責任者らしき男性がいた。それに人質をとっている桐谷と、人質となっている人物も当然ながらふくまれる。
さきほどからしきりに起源が、おまえも出ろ、と視線を向けてくる。風花は、軽く首を横に振って、拒否の意をしめした。わたしも当事者だ──という思いがある。細井と桐谷に監禁され、襲われそうになったのだから。
「それでは続きといきましょうか」
細井の声で、三人のやりとりが再開した。いや、ここまでくれば風花も加わるつもりだった。だから四人だ。
「どこまでだったかしら。そうそう、佐竹さん、あなたの言うとおり、あの病気はわたしが仕込んだんですよ。でもやっぱり、逮捕はされないでしょう? だって、そんなこと証明できっこないし」
HIVのことといい、細井の狡猾さが痛いほどわかる。
「先生は、なにがしたいの!? まさか、テレビに出たかった、なんて言わないわよね!?」
風花が挑戦的に声をあげると、細井の冷めた視線が返ってきた。
「ふふ、上原風花さん、あなたのお披露目にもちょうどいいわね」
「……どういう意味?」
「さあ、この放送をご覧のみなさん、これからがクライマックスです!」
混乱する風花をよそに、細井は高らかに宣言した。
「このお嬢さんは、如月美幸さんと、わたしの兄・上原孝臣の娘です。つまり、わたしにとっては姪ということになります。さらに、ここにいる佐竹起源さんの恋人です」
風花は、カメラのレンズにとらえられていることを自覚した。
「ここに集まったわたしたち三人にとって、重要な人物なのです」
* * *
とんでもないことになってる!
「ついに、風花も登場しちゃった……」
さきほど声だけは聞こえたが、こんな派手に画面を占有するなんて。
風花の顔がアップになっていた。
「風花パパ!」
「ああ、観てる」
すぐとなりにいるのだから、観ているのはあたりまえだ。
「これでもまだ、ナイトにまかせるの?」
その表現はオジサンぽくてイヤだったが、さちは言った。
「……」
少し考え込んでから、風花パパは答えた。
「おれが行っても、できることはない。あそこにいるのは、妻と娘と妹だ。肉親じゃダメなんだ……そういう情じゃない」
「なに言ってるか、わかんない」
「情けないことに、おれじゃなにもできないってことさ」
自虐的なセリフだった。
その瞳は、画面にくぎづけとなっていた。
* * *
起源は、恐ろしい胸騒ぎを感じていた。
これは、なんだ?
どうしてだろう? 起源の眼は細井ではなく、如月美幸に向いていた。
「この上原風花さんが、今夜の主役なのです!」
高らかな細井の発言は続いていた。
心に引っかかていることがわからないから、もどかしい。
如月美幸が、その鍵を握っているはずだ。それはなんだ?
起源に見られていることを彼女のほうでも察知したようだ。視線が交錯した。
(なんだ……?)
ますます警戒感がつのった。
「上原さん、いえ……風花」
それまで他人行儀だった態度が、一変していた。まるで肉親に呼びかけるようだった。いや、肉親といえば肉親だ。叔母と姪だ。血のつながりがあるのだ。
「あなたは、わたしと美幸の子供なのよ」
突拍子もないことを言い出した。あきらかな妄想を口にしている……危険な状態だ。
「わたしたちの愛の結晶なのよ」
「な、なに言って……」
風花も恐怖をおぼえて、後ずさりしている。
それを追うように、細井が一歩踏み出した。
肉親。
叔母と姪。
血のつながり。
起源の脳裏でかけめぐったその言葉が、細井の思惑を教えてくれた。
如月美幸がHIVを細井から感染させられたというのなら、それは性行為であると単純にきめつけていた。だがそれは、男女間、男性同士とはちがって容易なことではない。
そのハードルをさげる方法がある。
血だ。
それも、性行為中の出血程度のものではない。
もっと確率を高める方法は一つしか……。
背筋から、ドッと汗が噴き出した。
「危ない!」
* * *
突然、テレビのなかの起源が叫びをあげた。
「なに!?」
それからのことは、まるでコマ送りのように展開していった。
細井先生が手にしていたものは、鋭利な刃物だった。
* * *
「危ない!」
起源の声が、風花の鼓膜を揺らした。
なにが危ないというのだ?
そのとき、ひゅん、と風が鳴った。
咄嗟に右腕を出した。
細井の手にあったものは、果物ナイフだった。さすがにそこまでのことはしないだろうという油断があった。
だが、右手の甲を軽く切られただけですんだ。こんなものは、自分にとって危険でもないでもない。この程度の刃渡りであれば、充分対抗できる。
たとえ細井が日本刀のようなものを持っていたとしても、それほどの脅威ではない。相手が素人であれば、正面ならいくらでもさばくことができる。
「これで、あなたも仲間よ!」
細井がそう口にした直後、自分の考えの浅はかさを知った。起源の警告は、ナイフのことではなかった。
細井の持つ刃の切っ先は、風花ではなく、自らの首筋に突き立っていた。
「傷口を隠せ!」
起源の叫びは、絶叫に近かった。
「眼と口をとじろ!」
視界が赤く染まるまえに、風花は瞼をかたく閉じた。
いま切られたばかりの傷をとにかく守った。
性交渉だけが感染経路ではない。
細井は、最初からこれを狙っていたのだ。




