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匿名の告白⑤
わたしは、ずっと活動を続けていたのだけれど、あの方は二年間も休眠していたようです。
だけど、このたび復活を決めたという。
だから居酒屋に足を運んだのです。獲物を物色するために。
そこで再会したのも、運命だったのでしょう。
歓喜が、わたしを駆け抜ける。
大きな祭りがはじまる予感……。
31 火曜日午後八時
以前、野島咲子を出待ちしたことのあるテレビ局──。
民放四局に数えられ、とくに報道で高い評価をうけている。
「これから、どうするの?」
すぐ横にいる風花に問われたが、起源自身もこれからの行動を決めかねていた。夜とはいえ、周囲の街並みに人の流れは途切れていない。観光スポットとしても有名な場所だから、深夜にでもならないかぎり混雑は解消されない。
二人は、雑踏にまぎれて局の入り口を眺めていた。
「先生たちはどこ?」
それにも起源は即答できなかった。
「ホントに、ここなんでしょうね?」
「……」
「ちょっと、ナントカ言いなさいよ!」
「それはまちがいない」
彼女のイライラが爆発しそうなので、起源は答えた。
「どうする? 入ってみる?」
メインエントランスなら、一般の人間でも自由に入場することができる。たしか、夜八時半までは大丈夫なはずだ。
むしろ彼女に先導されるように、ガラス張りの建物に近づいていく。
「ちがうな」
「どうしたの?」
起源は足を止めた。
「こんな、まともな方法はとらない」
細井という女教師は、完全に一線を越えてしまった。風花を襲って、起源に正体までバラした。もう教師として……これまでの生活にもどるつもりはない。
それどころか、破滅願望までが透けて見える。
そもそも、人にHIVを感染させることは、それほど簡単なことではない。抗ウイルス剤を服用していれば、当然のこと他人への感染力も抑えられてしまう。
やめている……。
そういう結論に達せざるをえない。
あの女教師は、治療をやめている。それはつまり、エイズの発症を覚悟しているということだ。
医学の進歩で、かつてエイズ発症後は絶望的だった死亡率だが、いまではそれすら格段に下がっている。それでも治療を放棄して発症するのは、自殺行為以外のなにものでもない。
「自殺……」
桐谷翔のほうはどうかわからないが、すくなくとも細井紗江のほうは死ぬことを考えている。
一瞬にして、起源のなかで焦りがわいた。
「どうにかして入ろう」
「え? そこから入れるでしょ……」
「ちがう。ちゃんとした局のなかだ」
一般客が立ち入れる場所ではなく、局の人間や出演者が入れる区域のことだ。
「……キミは身内だよな? 如月美幸の娘なんだから」
「ま、まあ……そういうことになるけど」
風花の表情は頼りなげだ。
「お母さんに電話してみて」
「え!? イヤよ、そんなことしたことないし……」
そのとき、遠くのほうからサイレンの音が響いてきた。しだいに大きくなっていき、プツリと途切れた。すぐ近くで停車したということだ。
「なんだろ……」
テレビ局の裏側のほうだ。
「行ってみよう」
二人が到着したときには、救急車のほかにパトカーも二台停まっていた。あたりは野次馬で混雑している。規制線が張られ、あきらかになにかがおこったことをあらわしていた。
となりにいたカップルの話声が聞こえた。
「襲われたってさー」
「マジ? やべーじゃん」
緊迫感のない会話だったが、それだけである程度の状況が伝わってきた。どうやら何者かに襲われて怪我をした人がいるようだ。警察官の様子から、犯人はまだ捕まっていない。
「関係あると思う?」
「あるだろうな……」
現場は、テレビ局の裏口付近だった。スタッフや委託された清掃業者が出入りするような場所だ。
ストレッチャーにのせられた男性が、救急車に搬入されようとしていた。作業着姿のようだ。
「あの人を襲って、業者に化けたんだろう」
おそらく、桐谷翔の仕業だ。
「さすがにそこまでやるかな?」
「やったから、ああなったんだ」
「……吸血鬼に操られた人みたい」
血を吸われた犠牲者が、次々と《しもべ》に変えられていく。
まさしく、そのとおりだと思った。細井と桐谷の関係性そのままだ。
「先生たちは……?」
「すでに、なかだろう」
起源は、瞳で催促した。
「わかったわよ。かければいんでしょ!」
しぶしぶ、といった感じで、風花は携帯を取り出した。
* * *
「あ、ママ?」
『どうしたの? あなたから電話なんて、めずらしいわね』
それはあたりまえだ。ついこのあいだまで、母の番号など登録されていなかったのだから。あの家族会議のときに、母の番号をしばらくぶりに知った。
「ねえ、いま忙しい?」
『そりゃそうよ。生放送をひかえてるのよ』
「あのね、お願いがあるの」
『なーに?』
「わたしたちをスタジオのなかに入れてほしいの」
『え? 見学したいの?』
「そ、そうなの」
『……本当にそれだけ?』
これまで親子らしい会話すらしてこなかったのに、突然職場に押しかけようとしているのは、やはり不自然なことなのだ。
母は、裏があることに気づいている。
どうしようか……正直に話そうか……。そう思ったところで、携帯を起源に奪われた。
「もしもし、佐竹です。お願いです、入れてくれませんか?」
それから二分ほど通話が続いた。
「ほら」
携帯を返された。
「ママ?」
『わかったわ。二人が入れるように手配してあげる』
それから母の声に誘導されるままに移動した。事件があったのとはべつの関係者出入口に着くと、そこで母が待っていた。こちらはおもに出演者が出入りするところのようだ。地下駐車場につながっていて、入り口の自動扉をくぐると、すぐに警備員の常駐したチェックゲートがあった。
スタッフのだれかをよこすだろうと考えていたのだが、まさか母自身が出迎えにきてくれるとは思ってもみなかった。
「ねえ、なにかあったの? 外が騒がしいみたいなんだけど」
風花は、起源の表情をうかがった。とくに無表情だったので、風花は正直に話すことにした。
「あのね……ママ、細井先生のこと知ってる?」
「……」
それまでどこか戸惑いながらも嬉しそうだった顔色が、途端に険しくなった。
「知ってるの?」
「先生……そう、彼女、あなたのすぐ近くにいたのね」
細井の告白は、真実だった──それを母の表情が物語っていた。
「ここじゃなんだから、ついてきて」
通行許可証のようなものを受け取り、局内に入った。
むかし観た情報番組で、テレビ局のなかはテロ対策のために複雑な構造になっている、と伝えていた。だが実際に廊下を歩ていると普通のビルとかわりがないように思える。すくなくとも、迷路のようではない。
「ここに入って」
空いている部屋に通された。
ホワイトボードが置かれた小さな会議室のようなところだった。
「ママに感染させたのって……細井先生なんでしょ?」
母が扉を閉めると同時に、風花は訊いた。
「いくら娘でも、その話はできない」
親子の情を拒絶するように、母は言った。
「どうして!?」
「答えたくないわ」
「まさか、先生をかばってるの!? ママも、先生のことを愛してるなんて口にしないわよね!?」
「……」
風花は、母と睨み合った。
「わかりました。あなたと細井先生のことには干渉しません」
割って入るように、起源が発言した。
「ですが、事態は深刻です」
「……彼女は、なにをしたの? 外の騒ぎは、本当に彼女の仕業なの?」
「そうです」
自信をもって起源は答えていた。
「警察が動いてるって本当なの?」
「外へ出ればわかります。出入りの業者を襲って、入館証を奪ったんだと思います」
「それでなかに入ったっていうの? 目的は?」
「それは、あなたのほうがわかるんじゃありませんか?」
「わたしにわかるはずないじゃない……」
母は、逃げるように視線をそらした。
「で、あなたたちは、なにをしようというの?」
「きまってるでしょ。細井先生を止めるのよ」
「あの女性は、必ずあなたに会いに来ます」
風花を引き継ぐかたちで、起源が言った。
「わたしに会って、どうするというの?」
「それは、おれにもわかりません。ですが、これからなにかをやろうとするはずです」
どこかあざけるように、母が笑った。
「なにかをするはずって、あまりにも抽象的ね」
「たぶん、あなたはそれを覚悟している」
起源の瞳と、母の瞳が再びみつめあった。
「……もうすぐ本番だから、わたしは行くわね。あなたたちは、好きにすればいいわ。迷惑にならないようにするのなら、見学も自由にしていい──」
母は、そう言い残すと部屋を出ていった。
どうするの? という視線を起源におくった。
「お言葉に甘えて、自由にやらせてもらうさ」
「……ママにしろ、さちにしろ……同性を好きになるって、わからない」
「さち?」
風花は、さちから告白されたことを伝えた。
「そうか……キミに告白したのは、彼女だったのか」
「桐谷がそそのかしたんだよ」
「どう応えたんだ?」
「ことわったにきまってるじゃん! そっちの趣味ないし」
これからの関係を思うと、とても気が重くなる。
「さちは大事な親友なのに……ああ、もうこの話はやめ!」
風花は現実逃避するように、この話題を打ち切った。




