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3 月曜日午後零時
都心郊外にある総合病院についたのは、正午過ぎだった。
ナースステーションで名刺を渡したが、しばらく患者には会わせてもらえなかった。国立感染症研究所から連絡はいっているはずだが、その分室である『感染源究明室』の名前は、まだ浸透してないようだ。あたりまえか。創設されてから、二年ほどしか経っていない。メディアにとりあげられることもないので、世間的にはいまだ日の目をみていないセクションなのだ。
十五分ほど待たされて、ようやく許可がおりた。
この病院には三人のうち、二名が入院している。それぞれ個室に入っているが、隔離措置をされているわけではない。危険な感染症の可能性もあるが、急激に広がっているわけではないようなので、その判断にまちがいはないだろう。
二人とも意識はあり、薬による対処療法で症状は軽くなっているようだった。まず話を聞いたのは、堀田海斗。小学五年生だった。
「最近、なにか特別なものを口にしなかった? 学校帰り寄り道して、食べたものとか」
家族は発病していないから、子供たちだけでなにかを口にしている可能性がある。
三人は同じ学校に通っている。一番に疑われたのが、給食による食中毒だ。だが、それはすぐに否定されている。発病している患者数が少なすぎるからだ。
少年は、力なく首を横に振った。
聴取には、看護師が立ち会っている。家族の姿はない。隔離はされていないが、面会は禁止されている。起源自身も、感染防止のための防護服を着用していた。顔には大きなマスクをしているから、質問する声もあまり通らない。
少年の様子からは症状で力が入らないというよりも、べつの理由があるように感じられた。
ここに入院するもう一人、青島陸にも話を聞いた。やはり小学五年生。二人は同じ学校ではあるが、クラスはちがう。ただし、この青島陸は、べつの病院にいる少年とは同じクラスらしかった。
同様の質問をしたが、態度は似たようなものだった。なにかを隠しているのはまちがいないようだ。でもだからといって、無理やり聞き出すということもできない。
少年たちのあとは、主治医にも話を聞いた。
どうやらその医師も、危険な感染症でないことは確信しているようだった。検査結果もまもなく出るらしく、そうなれば面会謝絶も解かれるだろう。両親と会うことができれば、かたくなな心もやわらかくなるかもしれない。
最後にナースステーションで、中川という男がたずねてこなかったかを質問した。
来ていないという答えだった。
ニンジャは、ここに来ていないらしい。
起源は、なんの成果もないまま病院をあとにした。
それから四十分ほどが経ち、佐竹起源は、とある小学校にたどりついた。
もう一人が入院する病院へ行こうかとも考えたが、結果が同じになりそうだったので、ここへ来たのだ。
三人が通う小学校だった。
校門からなかへ入ろうとしたが、カメラのシャッター音がしたので足を止めた。
振り向いたそこには、一人の男が立っていた。一眼レフの本格的なカメラをかまえている。
あきらかに、起源を狙っていた。
戸惑いもあったが、怒りもあった。なにも告げられずにレンズを向けられれば、だれでもそうなる。
「なにか?」
「君とは、会ったことがある」
カメラを持つ男が言った。年齢は、四十代ぐらい。いや、とりようによってはそれより若く見えるし、五十代であったとしても納得がいく。年齢不詳の渋さがある。
髪形や服装はラフな印象があるのに、なぜだか清潔感が漂っている。若いころもモテただろうが、いまもモテるだろう。そんな印象を抱かせる男だった。
「おれと?」
起源は思いをめぐらせてみたが、男に覚えはなかった。
「なにかのまちがえじゃないですか?」
それに男は応えず、カメラをおろした。
「調査をしてるんだろ?」
一方的に話題を変えた。
「国立感染症研究所の人間だろう? 知ってるよ。感染源をつきとめるセクションができたって」
「あなたは?」
「おれは記者の上原ってもんだ」
上原……やはり、これまでの知り合いにはいない。
「ここの学校の生徒が、たて続けに原因不明の病気に発症してるそうじゃないか」
「それを取材してるんですか?」
「そういうことだね」
記者の上原と名乗った男は、軽い口調でそう答えた。
「では、おれは行かせてもらいますよ」
「つれない態度だねぇ」
からかうように、上原は言った。
「ここは、協力しようじゃないか」
「協力?」
「おれの情報をやる。そのかわり、そっちでわかったことがあったら教えてくれ」
「調査の内容を軽々しく教えることはできません」
差し障りのない断り方をしたつもりだった。
「まあそう言うなって」
だが、この男には通じなかったようだ。
「発病した少年たちは、同じグループに属していた」
小学生がグループに属している、という表現に、起源はおかしさがこみあげた。
上原がオーバーなのか、それとも起源が現実を知らないのか。
「ほかにも数人いるみたいだが、このままでは、また発症者が出るかもしれん」
原因どころか病名もわからないのに、それを言うのは、少し乱暴だ。
「あなたは、今回のこと……なんだと思ってるんですか?」
起源は訊いた。上原が、なにかつきとめているのではないかと予感したのだ。
「おれは医者じゃないし、君のような調査員でもない」
うまく逃げられた。
「学校関係者に話を聞いたって、なにも出ないよ」
「あなたは、どうやって取材を?」
その口ぶりからは、教員に取材するつもりはないようだ。
「そりゃ、子供のことは、子供に……だよ」
「なら、おれもそうします」
起源は、今度こそ校内に入ろうとした。
「君はバカか? 公式に訪問したって、なにも話してくんねえよ」
上原は、したり顔だった。
「遊んでるところを直撃するんだよ」
起源は、校舎のほうを向いた。下校時間までは、まだしばらくかかる。
「問題の子供たちが、よく遊んでる場所を知ってる。行ってみるか?」
即答できなかった。というよりも、返事をしたくなかったのだ。
「まあ、そんな顔するな。ここはおれを立てろ」
なんだかよくわからないうちに、話をまとめられてしまった。
* * *
お昼休みに、父親から電話があった。
無視してやろうとも考えたが、風花は考えをあらためて出てあげた。
「なんか用?」
『親にそう言うかねえ』
「親らしいこと、なんかしてくれたっけ?」
『わかった、認めるよ。おれは父親として失格だ。だが、だからといって家出は感心できない』
「帰るつもりないから」
『だったら、金を渡す』
「お金で解決するんだ」
『そんなこと言ったって、もうおまえの貯金もないだろ? 友達の家にだって、そう何泊もさせてもらえるものじゃない』
たしかに、そのとおりだった。
『娘に野宿させるのもしのびない。金を渡すから、会ってくれ』
それで、夕方に会う約束をした。
「仲直りしなよ。いい機会じゃん」
川越さちにそのことを話したら、やっぱりそう言われた。午後の最初の授業が終わり、次の授業までの短い休み時間だった。
「ヤダ。絶対、ヤダ」
「なにが、そんなに気に食わないわけ?」
「仕事、仕事、あの人の頭のなかには、それしかないの」
「いいじゃん、それ。仕事しないよりいいでしょ?」
「あの人は異常よ」
「カッコいいじゃん。敏腕記者なんて」
「デリカシーのない取材しかしてないよ、きっと。あの人に、人の心なんてわからない。ママが出ていったのだって、そのせいよ。わたしやママのことだって、あの人はなんにもわからない」
「でも風花を引き取って、育ててくれてるでしょ」
「しょうがいないじゃん! ママが再婚しちゃったんだから」
吐き捨てるように、風花は言った。
仕事のことしか考えていない父親にも憤っているが、母親に対しても怒りがある。離婚後、母親と生活していたが、ある日、母の再婚が理由となり、また父との暮らしにもどったのだ。
「あたしに怒んないでよ」
さちにあたっているのは、風花も自覚していた。
「とにかく、お金だけもらって、さっさと別れるわ」
「なんか、そこだけ聞くと……手切れ金もらいにいく愛人みたいだよ」