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28 火曜日午後五時
風花の通う仙道女子学園に到着したものの、起源はそこからの行動に困った。
校内に入ろうにも、正当な理由があるわけではない。例の小学校へは職務のためという大義名分があったが、いまはそういうわけではない。風花に危機がおよんでいるというのも、たんなる思い込みかもしれないのだ。
なんでもいいから理由をでっちあげて、入り込もうか……。HIVの調査といえば、調査といえなくもない。
風花の携帯にかけても、なぜだか応答はない。川越さちの携帯も同様だった。折り返しもないから、不安はつのるばかりだった。
「……」
そして、なによりも居心地が悪い。
校門からは生徒たちが帰っていくのだが、すでに帰宅時間のピークは過ぎているからか、出てくる生徒の数はまばらだ。そのほとんどが、起源に興味深げな視線を向けてくる。
複数人いるグループの場合は、囁き声も耳に届いてきた。あの人……ヒソヒソ──取材カメラの前で風花をかばったときに居合わせた生徒なのか、それともその翌日に掲載された写真を見ていたのか……。
風花が如月美幸の娘だということは、校内では有名な話になっているだろう。風花自らが認めなくても、高校生ともなれば事情は理解できる。彼女の美貌をふくめた存在感とあいまって、いまではかなりの注目を集めているはずだ。
その彼女と交際している(と思われている)男のことを、好奇な眼で眺めるのは致し方ないことかもしれない。
「あの、なにか御用ですか?」
刺々しい声が起源にかけられた。
男性教師のようだった。年齢は四十代ほどで、いかにも堅物な雰囲気がある。
「ここは女子校です。あやしい人物が周囲をうろついていたら、すぐに通報することになっています」
厳しい表情をしていた。共学や男子校よりも、そういう部分の対策はしっかりしているようだ。
「あやしい者ではありません」
「知っています。うちの上原風花と交際してるんですよね。職業もわかっています。ですが、あからさまに押しかけられるのは迷惑です」
キッパリと言われた。職業については、あれからネットニュースの続報でおもしろおかしく書かれてしまった。
「当校では異性との交際は禁止していませんが、ものには限度があります。本来、未成年との交際は、法律で禁止されているんじゃないですか?」
いろいろ言い返したいことはあったが、淫行条例について議論している場合ではない。
すると、その男性教師は、苦い表情で言葉を続けた。
「いえ、わかっています。結婚を前提にしている真剣な交際については問題がないということは……。上原の両親も認めているとか」
そのことは、さすがに記事には書かれていなかったはずだ。風花が自ら言うとは思えない。おおかた、川越さちが周囲の理解を得る意味で、そういう噂を流したのだろう。
「上原さんに緊急の用があります」
「どんな用ですか?」
「職務上のことですので、詳しいことは言えません」
「国立感染症研究所に勤めているんですよね?」
訝しむような視線で全身を見られた。
記事を読んだだけでは詳細な職務内容までは把握できない。起源のことを研究者だとでも思っているようだ。研究者が女子高生に急用があるのはおかしい──そう考えているのだろう。
「いろいろと個人情報がからむので、口外はできません」
こう言っておけば、教員になら通じると考えた。しかし、この学校は私立だから、教職員は当然ながら公務員ではない。小中高と公立だった起源の読みは甘かった。
「明確な理由をしめさない人間を、校内に入れるわけにはいきません。規則ですので」
この教師にとっては、学校の規則がなによりも重いようだ。
「入れてくれとは言いません。彼女を呼び出してくれませんか?」
「携帯にかけてみてはどうですか? 知っているでしょう?」
つきあっているのなら、番号ぐらい知っているはずだ──教員は、皮肉をこめたのだ。
「出ないんです」
「でしたら、出られない場所にいるんじゃないですか? もう帰宅しているんでしょう」
「たぶん、まだいると思います」
「どうしてそう思うのですか? まさか、GPSアプリですか?」
「ちがいます」
恋人を束縛するタイプだと思われたことが心外だった。いや、ストーカー気質だと疑われたことだろうか。
「とにかく彼女は、まだ校内にいます」
根拠は告げずに、起源は言い張った。
「申し訳ありませんが、協力はできません」
男性教師は、折れてくれそうになかった。そのまま仁王立ちで、起源のことを牽制している。これでは入り込むことなどできない。
仕方なしに、起源は校門から遠ざかった。
「佐竹さん!」
呼びかける声があった。
声の方向に眼を向けると、そこには江藤愛莉の姿があった。こうして帰宅時に偶然出会うというのは以前にもあったが、いまのこれはちがうような気がした。
「……」
「来るのは、わかってました」
近づいていくと、彼女はそう話しかけてきた。
「どうして?」
「わたし、聞いてましたから」
文脈をひもとけば、さきほどの風花との電話を聞いていた、ということなのだろう。
「上原さんは、来なくていい、って言ってましたけど、佐竹さんなら来るだろうなって」
「なにか知ってるんだね?」
「はい。わたし、見てました」
「なにを?」
「上原さんが、告白されてました」
「桐谷翔という男子生徒から?」
「ちがいます」
ほかの男子だろうか?
そこで起源は、ここが女子校だと思い直した。
「でも上原さんはいま、桐谷っていう人といます」
「まだ校内に?」
「はい」
愛莉の口調からも表情からも、なにか含むものを感じた。
「どうした? 上原さんになにがあった?」
「なかに入りたいですか?」
入れるものならそうしたいところだ。
「こっちです」
起源は、愛莉の案内に従った。だがそれは、とてもではないが気の利いた手段ではなかった。
人けのない校舎裏からフェンスを越えて忍び込むというものだった。不法侵入もいいところだ。
「ね、ここからなら簡単に入れたでしょ」
得意げに言われたが、感心するわけにはいかない。
とはいえ、彼女に従った段階で、感心できない仲間入りをしたことになる。しかも彼女の場合は違法にならないが、起源にとってはそうではない。
「で、上原さんはどこに?」
「こっちです」
外階段を上がって、二階から校舎に入った。
「ここなのか?」
入ってすぐの部屋の戸を愛莉は開けていた。
なかは机や椅子が積み上げられていて、人の姿はないようだった。教室ではなく、物置として使用している部屋のようだ。
「上原さんは?」
「さっきまで、ここにいました」
「いまはどこに?」
「教えてほしいですか?」
返事はしなかったが、眼で訴えかけた。
「だったら、わたしを抱いてください」
少し予想した展開だったが、それでも驚きがあった。
「なに言ってるんだ……」
「上原さんのことが心配じゃないですか?」
「……」
「じゃあ、キスしてください。それぐらいならいいでしょ?」
愛莉が、華奢な身体を寄せてきた。
* * *
頭の奥が、ズキズキと疼いていた。
ここはどこだろう?
なにをしていたのだろう?
「気がついた?」
男の声がした。
いまがどんな状況なのかわからない。
男の声は知っている。視界がぼやけているから、その人物の顔はハッキリしない。でも、知っている。
(だれだっけ……)
だんだんと思い出してきた。視界は回復しないが、頭のなかで人物像が映し出された。
(だれだっけ……)
そうだ。ようやく、顔と名前が一致した。
「桐谷……」
同時に視界がもどった。
「ここ……どこ?」
風花は椅子に座っていた。身体が動かない。
後頭部に鈍痛が居座っている。
「まだ動かないほうがいいよ」
桐谷が言った。
そして、動きたくても動けないことを風花は知った。
椅子に縛られている。
「な、なんなの……?」
強い語調で問いただしたはずなのに、口から出た声には力がなかった。
だれかに頭部を殴られ、意識をなくしたのだ。
「だれ?」
この空間に、もう一人いることに気がついた。背後だ。縛られているこの状態では確認できない。その人物こそが、襲撃者なのだ。
「ふふ」
その人物が、風花の正面に回り込んだ。
「先生……?」
よく知っている顔だった。
担任の細井が、笑みをみせながら立っていた。
「どういうことですか?」
頭がうまく働いてくれなかった。
これは、どういうことだ……?
「もちろん、あなたが美幸の娘なのは知ってたわ」
その言葉で、一連の真相が見えてきた。
「……じゃあ、先生が? 先生がすべてを仕組んだの!?」
すべて?
それは、どこまでのことだろう……。
風花は、自身の発言に疑問をもった。それほどまでに意外な展開であり、複雑な状況だ。
「そうねえ。これまでは、わたしの思惑どおりに進んでるわね」
「ママのこと……母を知ってるんですか?」
「ええ。有名なアナウンサーなんだから」
「そういうことじゃありません」
一拍あけて、細井は続きを答えた。
「知ってるわ。よくね」
意味深な発言にとどめられて、風花は苛立った。
「母への復讐ですか?」
「復讐? そうとも言うかなぁ」
「恨みがあるんですか!?」
「恨みとも言えるし、恨みじゃないともいえる……」
ふざけないで! そう爆発しそうだった。それをなんとか理性のかけらで押しとどめた。ここで感情的になれば、それこそ相手にペースをにぎられてしまう。
「母への復讐のために、わたしをどうにかするつもりですか?」
「どうにかって?」
悪戯っぽい表情を浮かべていた。とても教師とは思えない態度だった。
「HIVを感染させてるんですよね?」
細井は答えなかった。
「母に感染させたのも、あなたなんですか?」
細井の笑みが一層深くなった。
「どうやって?」
「え……?」
「どうやって、感染させたの?」
「だから桐谷を使って、わたしをどうにかしようとしたように……」
べつの男性に感染させて、そしてその男性から母を感染させた。
「まわりくどいわね」
細井は、あざ笑うように言った。
「HIVに感染していることは認めるわ。でも、どうしてそんな面倒なことしなくちゃならないの?」
「うそ……わたし知ってる。だれかがHIVを故意に広めてるって……」
「あの男から聞いたのね?」
「先生は、佐竹さんのことを知ってるの?」
「ええ、知ってるわ」
混乱してきた。
風花は必死に頭を回転させた。
細井は母に恨み(?)があって、起源のことも知っている。おそらく、母と起源が出会った二年前から、細井も起源のことを知っていたのだろう。そのことからも、母にHIVをうつしたのは、やはり細井でまちがいない。
だが、なにかがおかしい。
「わたしが佐竹さんと暮らしてることも……」
「もちろん、知ってる。だから特別授業で忠告したじゃない」
本当に知られていたというわけだ。
「わたしたちのことを監視してたんですね?」
「それほど大それたことじゃないわ。あの男の住まいは、二年前から調べてたからね」
「先生は、佐竹さんにも恨みがあるの?」
「恨みなんてないわ。邪魔をされたくないだけよ」
「やっぱり、感染させてますよね?」
「ふふ。そうよ」
今度は認めた。
「先生のやってることは犯罪です!」
「そんなのは、道徳の時間にでもやって」
冷めた細井の口調が、正気とは思えなかった。さきほどからそうだが、ことごとく教師の発言ではない。
「……だからそうやって、母も感染させたんですよね?」
「ふふ。何度言ったらわかるのかしらね。そんなまわりくどいことはしない」
「感染させてないっていうんですか!?」
「感染はさせた」
あっさりと細井は肯定している。
しかしそれなのに、かたくなに認めない部分がある。どういうことなのか?
「知りたい?」
あたりまえのことを訊かれた。
「教えてあげる。わたしたちのことを。そのために、あなたにはここに来てもらったんだし」
強引に拉致しておいて、悪びれもせずに細井は言った。
「上原さん、あなたに対して恨む気持ちは半分ある」
「半分?」
「そう。でも、あなたの母親に復讐心はないの。ちがうわね……それに似た感情はあっても、あなたが思ってる負の感情とはべつものよ」
さきほどから、その表現が曖昧なのだ。
母に対して、どんな心情があるというのだろう。
「恨みがあるのは、あなたの父親に対してよ」
「パパ?」
「あ、そうそう、この話のまえに、たぶん知らないでしょうから、基本情報を教えてあげる」
「……なに?」
おびえをふくんで、風花は声をあげた。
「あなたの父親、上原孝臣とわたしは異母兄弟よ」
「え?」
予想すらできないことを告白された。
「だから、あなたはわたしの姪になるの」




