24
24 日曜日午後二時
病院からの帰り道、二人は言葉少なく歩いていた。
「どうなっちゃうの?」
「わからない」
なにについての心配なのかわからなかったが、起源は風花にそう答えた。懸念すべき要素がありすぎるのだ。
「治療法はないんだよね?」
少年の容態についての話だったようだ。
「ああ。症状を軽くする対処療法しかできない」
風花は、携帯を操作しながら歩いていた。
「おかしいな……」
「どうした?」
「でないんだよね、LINEも既読されないし……」
「だれ?」
「さち」
そういえば病院についたとき、連絡があったようだ。
「なんかさ、わたしに伝えたいことがあったみたいなんだよね」
「まあ、連絡してきたなら、そうなんだろ」
「そういうことじゃなくて……なんか重要なこと」
「なんで聞いとかなかったんだ?」
「だって、急いでたじゃん。それに、どうせどうでもいいことだと思ったから……」
「だったら、べつにたいしたことじゃないんじゃないか?」
「……」
どうも歯切れが悪かった。
どうやら風花は、なにか予感するものがあるらしい。
「カレといっしょなんじゃないか? なんて言ったっけ?」
「なんだっけ」
風花も思い出せないようだ。
「あ、そうだ。カレの番号なら登録されてるんだ」
「なら、名前かニックネームで登録してるだろ?」
「ううん。空気の読めない男、になってる」
なるほど、と思った。
「とにかく、その『空気が読めない男』にかけてみれば?」
「でもデートとかだったら、邪魔になっちゃう」
「じゃあ、どうしたいんだよ!」
「なに、その高圧的な態度。ああ、そういうことか……あれだ、彼氏づらだ」
「はあ!?」
「べつにつきあってるわけじゃないんだから、やめてください!」
言い返すのバカバカしかったので、起源は黙り込んだ。
結局、風花はそのカレにかけたようだ。
「あ、もしもし? さちといっしょじゃないの? え……? だれと?」
風花が、困ったような視線を向けてきた。
「どうした?」
それには答えず、彼女は通話を続ける。
「で、場所は? わからない? いまどこにいるの!?」
だんだんと彼女の声が大きくなっていく。
「あんたは、どこ!? わかった……」
なにが話されているのか……相手の声が聞こえない起源には、まるで見当がつかなった。
通話を終えた彼女は、不可解なことを考えているように、眉間に皺を寄せていた。
「なんだ? なにがあった?」
「さちが、あの人に会ってるって……」
「あの人?」
まったく思い当たらなかった。
「だれ? だれのこと?」
「桐谷って男の子」
「なんでキミの友達が、彼に会いに行く?」
「わかんないよ……わたしにも」
桐谷翔に興味をもっていたのは、風花のほうだったはずだ。
「キミが、なにか頼んだんじゃないのか?」
「知らないわよ、わたしは!」
いますれちがったカップルが、好奇心のこもった眼で見ていた。もしかしたら、痴話げんかをしていると思われたかもしれない。
「じゃあ、彼女の……」
川越さちの独断ということか?
なにかとゴシップに首を突っ込みそうではあるが、一人で桐谷翔に会いに行くだろうか?
もし会うにしても、風花といっしょに会うだろう。病院での電話はその誘いだったのかもしれないが、だとしても風花抜きでは会わないのではないか……。
では、どういうことになる?
「彼のほうから……」
「え? なに?」
「むこうから誘われた……」
「どういうこと?」
彼も、計画の一部──。
起源は、血の気が失せるのを自覚した。
「彼女が危ない!」
* * *
さちのことをさがそうと、起源が言い出した。とても緊迫感をもって、危険が迫っていると主張していた。どうやらあの桐谷に、なにかされると警戒しているようだ。
考えすぎだと風花は思っている。いくらなんでも、いち高校生にそんなことをする悪意はないだろう。
HIVに感染したことで自暴自棄になり、ほかの人間も巻き込んでやろうとたくらむ輩がいるとしても、彼がそれに当てはまるとは思えない。少し会っただけだが、理性的で邪悪なものは感じなかった。
だいたい、さがすといっても、どこをめざせばいいのか……。
そんなとき、さちから電話がかかってきた。
「もしもし!? さち!?」
『風花?』
声は、意外に呑気なものだった。
「ねえ、なにかあった!?」
『う、うん……』
「なにがあったの!?」
『それがね……』
どこか言いづらそうにしていた。
「桐谷に会った?」
『う、うん』
「もしかして、むこうから誘ってきたの?」
『どうして知ってるの?』
起源の予想どおりだった。
「なにかされたの!?」
『え!? そ、そういうわけじゃないけど……』
歯切れが悪い。なにかはあったようだ。
「なんの用で会ったの?」
『電話じゃ……』
そういうことなので、すぐに合流することになった。以前、父と待ち合わせたハンバーガーショップだ。そういえば、起源ともそこで再会したのだった。
さきに到着したのは、風花と起源のほうだった。さちは五分ほどあとに入店した。
「いったい、なにがあったの?」
開口一番、風花はたずねた。
「あいつから連絡があったの」
「あいつって、桐谷?」
「そうそう」
「どうやって、さちの番号知ったの?」
「それは、わかんないけど」
「で、会ったの?」
「うん」
「それで?」
「それでね……」
電話でもそうだったが、そこからさきが言いづらいようだ。
「なにかされたの? 襲われた?」
起源の推理どおりだとしたら、そういうことになる。そして、さちにHIVを感染させる。男性から女性への感染は、その逆よりも簡単だという。
「なにそれ?」
だが、さちの反応がそれを否定していた。
「じゃあ、なに? なにがあったの?」
「されたのよ……」
「だから、なにを?」
風花の声には、苛立ちが加味されていた。
「あのね……」
さすがにここまで引っ張られると、怒りすら感じる。
風花の視線にこもったそれを、さちも悟ったのか、ようやく本題を口にした。
「コクられた……」
「え?」
「だから、コクられたの」
「告白されたってこと?」
「そう!」
「あんたが?」
「そうだって」
思わず風花は、起源と顔を見合ってしまった。
それは、どういうことだ?
「で、さちはなんて答えたの?」
「カレがいるって、断った……」
語尾が消えるように弱かった。
風花には、さちの思考が手に取るようにわかった。この女、完全には断っていない。いつでもいまのカレから乗り換えられるように、曖昧な返事をしているはずだ。
「な、なによ……その眼」
「なんでもない」
風花は、そのことの追及はしなかった。
HIVに感染しているといっても、起源が言っていたように、ちゃんと対策をしていれば、普通の恋愛もできる。桐谷の容姿はさちのストライクゾーンのようだから、病気も障害にはならないのだろう。
「どういうことだと思う?」
風花は起源に問いかけた。
「まあ、強引な手には出なかったってことだ」
あくまでも、起源は桐谷を疑っているようだ。
「でも、わたしに恨みがあるのなら、さちを狙うかな?」
「べつに、キミに恨みがあるわけじゃない。お母さんへの恨みが、キミに移ったってだけだ」
「それでも、恨みにはちがいないでしょ」
その会話を聞いていたさちが、驚いたように発言した。
「ねえ、彼はそのために、コクったっていうの!?」
起源は返事をしなかったが、そう考えていることはさちにもわかっただろう。
「本当に、好きなのかもしれない……」
風花はそう言ってみたが、起源の表情は変わらなかった。風花自身も、それには納得できない部分もある。
一度会っただけだが、桐谷という男子は、とても冷めた印象がある。すくなくとも、同世代の女子に興味があるとは思えなかった。
では、やはり起源の推理どおりだとして、桐谷の目的はなんなのだろう……?
自分のまわりの人間を感染させようとしている?
風花は、起源の瞳を見た。
声に出さなくても、いまの思考を彼なら理解しているはずだ。
「……」
起源からの言葉はなかった。ただ、難しい顔をしてみつめかえしているだけだった。




