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19 金曜日午後四時
とにかく、その場を走って立ち去った。
起源は、風花の手を握っていた。意識してやったことではない。自然にそうしていたのだ。
「まって!」
あの公園の人けのないところへ足を踏み入れたところで、さちが追いついてきた。
「面倒なことになっちゃたね……」
さちに言われたが、そのときにもまだ起源は風花の手を握ったままだった。
「なんなのよ……あの記者、わたしのことを芸能人だと思ってた」
「ねえ、キゲンさん、これ見て」
さちが携帯の画面をみせてきた。
そこには風花が写っていた。だが、さちが撮影したプライベートの写真ではないようだ。記事のように見える。
「これ、素顔が出ちゃってる」
ネットニュースのたぐいのようだ。
「これは行きすぎでしょ? 風花パパに、どうにかしてもらわなきゃ」
同じマスコミの人間だから、そう考えたのだろう。
「どういうことだか、わかる?」
「さっきまで……キミのお母さんに会ってた」
「え?」
風花だけでなく、さちも驚いていた。
「こんなときに、よく会えたね」
完全なタメ口で、さちが言った。そして眼を細めて、ナメるように観察された。どこかイヤらしい顔つきだ。
「ちょっとぉ、いつまで握ってるの?」
そこで、まだ手を握ったままだったことに気がついた。起源だけでなく、風花もドギマギと手を放した。
「ああ、そうか! お嬢さんを幸せにしますって、言いに行ったんだ」
「なに言ってんの!? こんなときに」
風花は怒りをあらわにするが、さちに動じた様子はない。
「ねぇ、どうだったの? 許可はもらえた?」
「なんのだ」
起源は、相手にしてはいけないと思いつつも言い返してしまった。
「もちろん、いっしょになることよ」
まったくもって、場にそぐわない会話だった。
さちを無視して、真剣な顔をつくった。
「……これは、おれの考えというだけだが、何者かが悪意を広めている」
「さっきも言ってましたね」
「その悪意は、キミに向いている。二年前は、キミのお母さんだったが……」
「もしかして……ママは、たまたま感染してしまったんじゃなくて……ママが狙われたってこと?」
「おれは、そう思ってる」
風花の表情が、凍った。
「いったい……だれが?」
「それは、わからない。どういう人物なのか……どれほどの悪意をもっているのか」
「……」
それがだれなのか、母親──如月美幸は知っている。起源はそう考えている。そして、その人物をかばっている。
その推測を風花に告げることはしなかった。絶対的な確証があるわけではないし、いくら娘とはいえ、そんなことを軽々しく口にするべきでないことぐらいはわきまえている。
「ねえ、あの子たち」
さちが、なにかをみつけていた。
その視線の方向に、三人の少年たちがいた。野島謙吾・咲子夫妻の息子がいる。よほど好きなのか、今日も赤系の服装だ。まだ懲りずに、バカなことをやっているようだ。四人目の入院患者が出たばかりなのに、もうべつのターゲットをみつけたらしい。
「あいつ!」
風花が少年たちに近寄っていった。いまは自分のことが大変なはずなのに、条件反射的に身体が動いたのだろう。
「まだ、くだらないことやってるの!?」
風花に気づくと、野島の息子は、そそくさと早足で逃げていく。
「待ちなさいよ!」
「うっせえ」
少年たちは、そのまま行ってしまった。二人はいじめる側だが、残りのいじめられている一人も、二人に従っていた。
「どうしょうもないね」
さちの声に、風花がうなずいた。
「あの子たち、どうするの?」
「そっちはそっちで動いてる」
起源は言った。本当のことだが、行き詰まっていることにはふれなかった。
「学校には言ってあるんでしょ?」
「ああ。一応な」
「一応ってなに? ちゃんとしなさいよ!」
「大人の世界には、いろいろあるんだよ」
「なに、それ!」
ドンッと、また肩口に肘打ちを入れられた。
「おまえ、暴力ふるいすぎだぞ!」
思わず、おまえ、と呼んでしまった。
「なんで、あの子のいじめが止められないの!?」
「だから、それは……」
「ちゃんと事情を説明して!」
起源はためらったが、感染源究明における守秘義務にはあたらないと解釈して、言うことにした。彼女に対して意地になってしまったのかもしれない。
「小学校側は、動くつもりはない」
「どうして!?」
「あの子の親は、野島謙吾」
風花もさちも、その名前にピンときていないようだった。
「都議会議員だ。その父親──つまり、少年の祖父が与党の大物、野島謙一郎」
そこまでいっても、ピンときていない。女子高生に政治家の名前を聞かせても、そんなものかもしれない。
「母親は野島咲子だ」
「あ、それなら知ってる。教育評論家でしょ」
ようやく、さちに反応があった。風花は、あいかわらずだ。
「よくわかんないけど、親とおじいちゃんが権力者だから、手が出せないってこと?」
「平たく言うと、そうだ」
「なんなの!? そんなんじゃ病気にされた子は浮かばれないよ!」
「風花……それ、死んじゃった人に使う表現だよ……」
刺々しい空気に周囲は包まれた。
風花の言うとおりだった。起源としても、このままにしておくつもりはない。
「……」
すると、風花がなにかを考えるように沈黙した。
「どうした?」
「……いいこと思いついた」
「?」
「これを利用させてもらうのよ」
そう言って、自身の携帯をかかげていた。
* * *
公園から、起源の部屋に直行した。さちもいっしょだった。起源はまだ調査があるらしく、帰るのはしばらくあとだという。
鍵も渡されているから、まるで自分の部屋のように入室した。というより、自分の家よりもその感覚は強い。
「で、なにするつもりなの?」
「これよ」
「それ、さっき受け取ってたやつ」
正確に表現すれば、強引に奪い取ったものだ。
「そ」
記者の名刺だ。
「どうするの?」
「あの記者を使って、報道してもらうの」
「してくれるかな?」
「させるのよ。だって、わたしの素顔を勝手に公開しちゃったんだよ。それぐらいはあたりまえよ」
「あ、モザイクかかってる」
さちが例の記事を確認したようだが、素顔ではなくなっていた。
「なんかさ、このほうが後ろめたくない? なんとなく」
それには無視をして、風花は名刺に記された携帯番号にかけた。
『だれ?』
乱暴な感じの声が出た。下校時に会った記者でまちがいなさそうだった。
「上原風花です」
『あ、ああ……』
あきらかに困ったような反応だった。
『な、なにかな?』
「さっきの続きです。わたしのこと、だれから聞いたんですか?」
『わ、悪いけど……忙しいんだ。そういうことには答えられない』
切ろうとしたが、そうはさせなかった。
「まって。そのことはいいです。でも、わたしは素顔をネットにさらされたんですよ。その責任をとってください」
『い、いや……それは……写真なら、もう加工してあるはずだ。確認してくれ』
「そんなことですませるはずないでしょう? オトナの話をしましょうよ」
『お、脅すつもりか!? 記事自体を消せというのか? 金か!?』
「ちがいます。取材に協力してあげるんです」
『取材?』
「そうです。ある都議会議員の子供がいじめをしてるんです」
『それが?』
「おもしろくないですか?」
『それだけじゃあ……それに、子供って未成年だろう? そんなの記事にできない』
わたしのことは記事にしておいて──風花は思ったが、そのことは追及しなかった。
「そのいじめが原因で、病気になった子供たちがいるんです」
『病気? どんな? 精神的なものか?』
「ちがいますよ。カントンなんかっていう病気です?」
『は?』
なんだっけ、と風花はさちに眼を向けた。
「住血症とかじゃなかったっけ?」
それを聞いて思い出した。
「広東住血線虫症」
『え? それって……』
「そうです。ニュースになってるやつ」
『本当か、それ?』
「興味出ました?」
『いじめが原因なのか!?』
「そう」
『親が都議会議員って……』
「母親は、教育評論家ですって」
風花自身は、よく知らない。教育評論家が出ている番組を観ることがないからだ。
『まさか……野島謙吾と野島咲子の子供か!?』
都議会議員と教育評論家の組み合わせでわかったのだろう。ということは、本当に有名な両親らしい。
「ね、どう? 記事にできる?」
『なにが目的だ?』
「そんなこと、どうでもいいでしょ。できるの? できないの?」
『この話は、真実なのか?』
「真実よ。嘘じゃない」
『詳しい話を聞かせてくれ』
風花は、簡潔に知っていることを伝えた。いじめによって、ナメクジを食べさせたことが一連の病気の発端となったことを。
『それが本当のことだったら、大きなスキャンダルになる。もちろん小学生だから、実名での報道はできないし、親のこともハッキリとは書けない。だが、それでも充分なゴシップだ』
記者は、すさまじく乗ってきた。
『それよりも、大丈夫なのか?』
「なにが?」
『野島謙吾の父親は、与党の大物だぞ』
そういえば、そんなことを起源も言っていた。
「知らない。わたしに判断できるわけないじゃん。JKだよ」
わざとバカっぽく言ってみた。
『きみの目的は、なんなんだ?』
「報道することで、いじめを止められるかもしれないでしょ」
ネットニュースは報道というほど立派なものではないかもしれないが、風花はそう伝えた。
『わかった。こっちでも取材してみて、いけると思ったら記事にする。それでいいか?』
「ええ」
『素顔をのせたことをチャラにしてくれるのか?』
「それは、今後のあなたの行動で考える」
そう告げて、風花は携帯を切った。
「すごい。なんだか、女スパイみたいにカッコイイ」
「そお?」
それからしばらくして、起源が帰ってきた。
これまでのことを告げたら、めちゃくちゃキレられた。
「なにバカなことをしてるんだ!?」
「だって、こうでもしなきゃ、事態は進展しないでしょ!?」
風花も食ってかかった。
「むこうも、いろいろと圧力をかけてるんだから、これぐらいしてもいいじゃん!」
「小学生の将来がかかってるんだぞ!」
「そんなの、いじめてるほうが悪いにきまってるし! このままほっといて、いじめられてる子がどんどん病気になってしまってもいいっていうの!?」
「……」
「……」
ついには、二人とも無言になった。
「まあ、まあ、二人とも……」
さちの仲裁で、どうにか部屋の空気が冷めた。
「……わたしは、あなたの力になりたかったの!」
風花は、つい本音をもらしてしまった。
「……」
「なんか言ってよ!」
「どのみち、記事にされるんなら、それを利用するしかないな」
起源も腹をくくったようだった。