15
匿名の告白②
わたしは、たくさんの相手と性交を結びました。多くの仲間を得たのです。もちろん、一度寝たぐらいでは感染しないこともあるでしょう。ですけど、あれだけの人数をかせげば、何人かは確実にうつっている。
それで充分です。
その仲間が、さらに感染を広げていく。
HIVは検査で陽性が出るのに、二ヵ月ほどかかるといわれています。その間に、仲間たちが性交を繰り返せば、それだけ感染が拡大する。
いえ、二ヵ月経ったとしても、その人が検査をうけるとはかぎりません。自覚症状がでなければ、もっと長期間、病気を広めてくれるでしょう。
わたしのことを狂っていると思いますか?
……でも、そのわたしよりも狂気をやどしている人に、わたしは出会ったのです──。
15 水曜日午後九時
「さきにお風呂入っちゃいましたよ」
あんな気まずい雰囲気になったというのに、部屋についてみれば、ごく自然に接していた。
結局、今夜も風花は泊まっていくようだ。
起源は、あえてそのことを話題にするつもりはなかったし、彼女のほうも気にした様子はない。まるで自分の部屋のようにくつろいでいる。
今夜は、川越さちと江藤愛莉の二人はいなかった。愛莉とは、風花以上に険悪となってしまったし、さちのほうは、いっしょにいた男子生徒とデートに行ってしまった。
「ねえ、桐谷って男子が、HIVに感染してるんでしょ?」
風花が、髪をふきながらたずねてきた。
「……」
起源は答えなかった。
「だから、あのTシャツ男が偵察してたんでしょ?」
「……」
「なんか言ってよ」
「究極の個人情報だ。答えられるわけがないだろう」
「でもさ、こっちにも守る権利があるよね?」
「守る権利?」
「そうだよ。だって、それを知らないで桐谷って子とエッチしちゃったら、感染するかもしれないんでしょ?」
感染症──伝染する病気の難しいところが、それだ。
感染症にかかったからといって、その人を非難することはできない。むしろ、差別や偏見から守ってあげなくてはならない。
だが一方で、感染のリスクを周囲に知らせることも必要だ。
性感染であるならば、感染者自身の自覚と、安全な性交の知識を周知させる。しかしこれが、たとえば空気感染するようなものだったとしたら、感染者の強制隔離が必要になる。偏見や差別はいけないことだが、ある意味、そこで矛盾が出てくる。
感染を防ぐためには、感染者の人権を侵害することになるのだ。
風花の主張は、感染を防衛するということにおいては正統なものだ。
「キミに話したとして、それが原因で、感染者が迫害されたとしたら、どうするつもりだ?」
その質問は、彼女を試すつもりもあった。
「それとこれとは、べつの問題でしょ」
身も蓋もない返答だった。
「それに……興味本位だけで訊いてるわけじゃない」
「?」
「わたしも、あなたに協力したい」
「高校生が首を突っこむことじゃない」
ピシッと起源は宣告した。
「ケチ!」
あろうことか、子供じみた悪口が襲いかかってきた。
さすがの起源もあきれた。
そうなのだ。なんだかんだいっても、まだ高校生なのだ。
彼女は会話を打ち切って、携帯をいじり出した。起源のほうもそれ以上、言葉を続けようとは思わなかった。
「……」
さきほど考えたこと……。
感染者本人の自覚。
もし、それがない人間がいた場合……もっといえば、故意に他人を感染させようとする人間が現れたとしたら……。
二年前は、その疑いをもって調査をした。
はたして、いまのこれも人の悪意が絡んでいるのかどうか……。
結局、朝別れるまで、彼女とは口をきかなかった。
感染源究明室へ向かう途中に、彼女の父親から連絡があった。
『ちょっといいかな』
どこか、いつもとはちがった。いつもなら、昨夜の娘とのことを茶化してくるはずだ。もちろん、なにもなかったが。
「どうしたんですか?」
『予想よりも、事がはやく進みそうだ』
「どういうことですか?」
『それだけじゃない。イヤな予感がするんだ』
上原は、一方的にしゃべりかけてくる。
『あの子を頼む』
「なにがあるんですか?」
上原がこうまで危惧することは一つしかないことに、起源も気づいていた。
「如月美幸さんですか?」
『報道が出たら、あの子との関係もすぐ表に出る』
「おれに、どうしろと?」
『あの子を守れ』
守ってくれ──ではなく、守れ、と命令形だった。
起源は、少しオーバーだと率直に感じていた。如月美幸が有名人だからなのは理解できるが、未成年の風花にまでその影響が出るとは考えられない。マスコミだって、そのことはわきまえているだろう。
それとも上原には、事が大きくなる根拠でもあるのだろうか?
「なににおびえてるんですか?」
『二年前、君は真相にたどりつけなかった』
突然、話が飛んだような気がしたが、そうではなかった。
『そのときから感じている不安だ。君も、うすうすは考えていることだろう?』
「まさか……」
『そのまさかだ』
「あなたは、なにを知ってるんですか?」
『わからない……わからないから不安なんだ』
「……」
『いいか、これからなにがおこるか予測不能だ。頼れるのは、君しかいない』
「あなたは?」
『おれはだめだ。身動きがとれない』
「どうしてですか?」
『いいか、頼んだぞ!』
そう言って、通話は一方的に切られた。
あきらかに上原は、なにかを隠していた。
* * *
「上原さん、あとで職員室に来てちょうだい。お昼休みでもいいから」
朝のホームルーム終わりに、担任の細井に言われた。
「なにかな?」
さちが、好奇心に満ち満ちた顔をしていた。
「やっぱ、同棲のことかな?」
「やめて、誤解をよぶような言い方」
「完全にバレてんだよ。昨日だって泊まったんでしょ?」
すると、さちの表情がさらに輝いた。
「そういえば、二人きりだったんだよね?」
あきらかに下世話なことを考えている顔だ。
「二人っきりの……初めての夜、だよね?」
「なにそれ」
「いいって、いいって。そういうのを恥じらうとこが、あんたのいいとこなんから」
わけのわからないことを……。
意識したわけではなく、自然に視線が教室内をさまよった。
江藤愛莉が、敵意むき出しの瞳で睨んでいた。さちの声が聞こえていたようだ。
「なんなの?」
風花は、小さくつぶやいた。なんだか、周囲が敵だらけに思えたのだ。
授業がはじまり、お昼休みまでは、あっというまだった。
食事を手早くすませると、職員室へ行った。
「先生」
細井に呼びかけたが、予想どおりの険しい眼光が襲いかかってきた。
「あなた、よけいなことしてるでしょ」
やはり、起源の部屋に泊まっていることだろうか……。
まだ確定的ではないので、少し泳がせることにした。
「……」
「わかってるのよ。あんな噂に踊らされて……もう高校生なんですから、それにふさわしい行動をしてください」
「ん?」
同棲疑惑だとしたら、話が噛み合わない。
「わかってるの?」
「あのぉ……なんのことでしょう?」
恐る恐る、風花は質問した。
「秀明高校に行ったわね?」
「え?」
「苦情が来てるのよ」
「だれからですか?」
「むこうの学校からよ」
「え?」
にわかには信じられなかった。
「これは、デリケートな問題なの。興味本位で首を突っこんでいいことではないわ」
「本当なんですか?」
風花は念を押した。
「ええ」
もし本当だとしたら、桐谷というあの生徒が教師に話したということになる。その教員から、ここへ抗議が来た。
ありえる話だが、自分がもし感染者だとしたら、事を大きくはしたくないと思うだろう。
それともあの噂は、ただのガセで、だからこそ教師に相談したのだろうか?
それならそれで、ほうっておくのではないか……。
もう一つ考えられることは、学校側も桐谷の感染を知っていて、教員自体がナーバスになっている。
風花は、昨夜の起源との言い合いを、そのまま細井にぶつけようか迷った。
「誤解です、先生。わたしは、さち──川越さんのカレに会わせてもらっただけです」
この教師は、どこか苦手だ。
濃密な議論をするほど、信用もできない。
細井の嘘かもしれないからだ。
「……そう。わかった。いまはそういうことにしておいてあげる」
風花は、職員室を出た。
細井が嘘をついているとしたら、どういうことになるだろう?
いや、それはないか……。
風花は、さすがにその考えを打ち消した。