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14 水曜日午後五時
秀明高校のある場所を、大木静香に調べてもらった。
例のエリア内にある男子校だということを教えてもらった。
『どうしたの?』
携帯から聞こえる静香の声が、すぐ近くから発せられているものだと錯覚してしまいそうだった。
「あのときのことを思い出しませんか?」
まるで、静香と対面しているように問いかけた。
『あのとき? 二年前のこと? 同じようなケースだというの?』
「それだけじゃありません」
『どういうこと?』
起源は、報告しようかどうかを迷った。
「大木さんが、嗅ぎ当てましたよね?」
『三人の女子高生のこと?』
「その一人が、あのときの関係者です」
『え!? ちゃんと説明して』
起源は、上原風花のことを話した。
『……じゃあ、如月美幸の娘なの?』
「そうです」
『で、秀明高校と、その子が通ってる女子校が近くにあるのね?』
「はい」
つまり風花の学校は、HIVの感染エリアのなかにあるということだ。
『その風花という子が、関係していると思ってるの?』
「関係というよりも、感染源になっている人間と、なにか因縁があるのかもしれません」
静香は、その見解を信じないようだった。
『とりあえず、調査は慎重に。二年前のことは考えすぎないで』
静香の注意を耳にしてから、通話を切った。
いまの電話は、移動しながらかけていた。
しばらくして、問題の秀明高校に到着した。風花たちの通う仙道女子学園だけでなく、あの小学校にも近い。ただしそれについては、まったくの偶然なのだろうが……。
すでに放課後となってからだいぶ時間が経過しているので、校門から出てくる生徒の数は少ない。
自力で桐谷翔をさがそうにも、顔もわからない。まずは、教員に話を聞いてみるしか……。しかし、学校側には話をしていない可能性がある。さきほどの母親との会話では、そのほうが濃厚だ。
感染源をつきとめることは、とても重要なことだ。だからといって、個人のプライバシーは守られなければならない。とくに未成者の場合は、なおさらだ。
来てみたものの、起源はこれからの行動を決めかねていた。二年前のことを思い、ここに足を運んでしまった。
今度こそ、必ずたどりつく──。
起源は、学校前から離れた。
しばらく進んでところで、声をかけられた。
「佐竹さん?」
少し自信なさげな声だった。
起源の瞳に映ったのは……。
「江藤さん」
江崎愛莉だった。
「どうされたんですか?」
「今日は、一人なの?」
「はい。上原さんと川越さんはいませんよ」
その二人に用があると思ったのか、彼女はそう言った。
「そうなんだ」
「あの……」
どこか言いづらそうに、なにかを口にしようとしていた。
「どうしたの?」
「つきあってるんですか……?」
「え?」
「ですから……上原さんと」
そんなわけはない、とオーバーに否定しようとしたのだが、控えめな否定にしかならなかった。
「べつにそういうわけじゃないよ」
なぜなのかは、起源にもわからなかった。
「そうですか……あ、あの……」
まだなにかを言いたいようだ。
起源は、彼女の瞳をみつめた。彼女のほうが、それをきらって視線をそらした。
「わたしじゃ……ダメですか?」
「え?」
最初、なにを言っているのか理解できなかった。
「わたし、佐竹さんのことが……!」
そらしていた瞳が、もどっていた。
風花との仲を強く否定できなかったわけがわかった。なんとなく面倒なことになると予感したのだ。
「あ、いや……」
起源も、応対に困った。
「迷惑ですか?」
正直に言えばそうなのだが、そう伝えるわけにもいかない。
「悪いけど、キミとはつきあえない」
「どうしてですか?」
「キミに手を出した瞬間に、おれは犯罪者になってしまう」
大木静香の顔が頭に浮かんでいた。女子高生に告白されたことを知られたら、さらなる雷が落ちることになるだろう。
「じゃあ、卒業したらいいですか? それとも、二十歳になったら?」
淫行条例──東京都の場合、青少年育成条例では未成年ではなく、青少年(十八歳未満)が対象になる。なので、卒業前でも十八歳になっていれば違反ではない。が、それを細かく指摘するつもりはなかった。
若い女性──彼女たちを少女と呼んでよいのか起源にはわからなかったが、広義であろうと少女とは関係をもつな……つまりは、そういうことだ。
「わたしのこと、嫌いですか?」
ストレートに問われた。
好きとか嫌いとかの問題ではない。
「そういうわけじゃない」
恋愛対象ではない、と拒絶するべきなのだろう。
「つきあわなくてもいいです……ホテルに行ってください」
「……」
なにを口にしているのか……。
「いっしょに行ってくれたら納得します」
幼い顔だちの彼女から、そんな言葉が出てくるのが意外だった。いや、彼女の本性はライブハウスで初めて会ったときに知っているはずだ。それでも違和感があった。
「キミは、まだ完治してないだろ?」
「梅毒ですか? でも、専門家のあなたが相手なら、安全にできるでしょう?」
「……」
「やっぱり、上原さんのことが好きなんですね?」
「彼女とは、そんな関係じゃない」
これでは、堂々巡りだ。
「じゃあ、本人を前にして、はっきりと言ってください」
「え?」
江藤愛莉は、携帯を取り出した。
「もしもし? 上原さん?」
どうやら本当に、風花の前で答えを言わせるつもりらしい。こういうことの行動力には眼を見張るものがある。もちろん、ほめ言葉ではない。
「上原さん、公園にいるって」
たぶん例の公園だろう、と思った。
「行きましょう」
* * *
「江藤さん、なんだって?」
「どこにいるかって」
風花は、さちに答えた。
そのほかに、さちのカレであるたっくんと、Tシャツ男もいる。
あの広い公園だった。ベンチの前で四人とも立っていた。
「あの、あなたの名前は……」
Tシャツの男は、さきほどから無言を通している。桐谷を監視していたところを、風花が強引につれてきたのだ。
今日の文字は『EXCUSE ME』だった。
「佐竹さんと、どういう関係なんですか?」
あのときこの男は、渡してくれとナメクジを差し出してきた。きっと、それが佐竹起源へのものだと風花は推理したわけだが、そうすると二人に関係がなければおかしいことになる。
起源に話を聞いておけばよかったのだが、いろいろあったので、この男のことは質問していない。
「……」
「さっきは、桐谷くんのことを見てましたよね? 感染してるって噂は本当なんですか?」
「……」
「ちょっと、なにか言ってください!」
「風花、そんなこと軽々しく口にできないんだよ」
さちがそうなだめようとするのだが、風花の語調は荒くなるばかりだった。この謎の男が、もっとハッキリ意思表示をしてくれれば、どれだけ事態が進展することか……。
「もうわたしは、まったくの無関係というわけじゃないんですから……」
起源の部屋に泊まっているし。
「……」
しばらく、Tシャツ男の発言を待つ時間が続いた。
なにも語ってくれないのだろうと、あきらめかけたとき、
「……同じかもしれない」
ボソリと、Tシャツ男がつぶやいた。
「え? 同じ?」
なんの意味だろう?
「なにが同じなんですか?」
「……」
しかし、男は答えない。
「あ!」
さらに問いただそうと思ったところで、さちが声をあげた。
「どうしたの?」
「キゲンさん」
見れば、起源と愛莉がこちらに向かって歩いてきた。愛莉は電話で居場所を聞いてきたが、起源といっしょだったようだ。
「上原さん!」
どうしたのだろう。いつもの愛莉とはちがって、強めに声を出した。
「は、はい……どうしたの?」
突然のことだったので、風花はヘンな対応をしてしまった。
「いまから、佐竹さんに答えてもらいます!」
「え? なにを?」
意味がわからない。この状況が、まったくのみ込めなかった。
「さあ、佐竹さん! 選んでください!」
起源の表情を見ても、困惑しているようだ。
「ねえ、いったいなんなの!?」
「いまから、佐竹さんに選んでもらうんです!」
「だから、なにを?」
「わたしと上原さん、どっちとつきあうかです!」
「はあ!?」
風花はあきれ声だが、愛莉の顔は本気そのものだ。
「なんでわたしが、この男とつきあわなきゃならないわけ!?」
「ちょっと黙っててください! いまは佐竹さんに訊いてるんです!」
必死の抗議も、ピシッと制されてしまった。
「まあまあ、いい機会じゃない。キゲンさんの気持ちを聞いてみましょうよ」
さちだけがのんきにしていた。そのカレのたっくんは、わけがわからずポカンとしている。
「江藤さんは、この人のことが好きなのね?」
さちがそう問いかけると、愛莉はコクンとうなずいた。
「これは、おもしろくなってきたわ!」
「なに楽しんでんのよ」
「こんな修羅場、滅多にないじゃない」
「あんただって、最初はこの人に興味ありそうだったじゃん」
風花は言ってやった。
「ちょっと、さちー、どういうこと!?」
すかさず、バカ彼氏が問いただす。
「それは、風花をたきつけるためじゃん。そうしないと、あんたはなにも行動おこさないでしょ?」
「なんなのよ、それ」
「でも、江藤さんというライバルが現れたんなら、あたしの出番なんてないわ!」
さちは異常に興奮している。
「キゲンさん、二羽の蝶があなたのフェロモンに群がってきましたよ!」
とてもオヤジ臭い表現で、さちは起源を煽りたてる。
「どっちが好みなんですか?」
「……」
起源の表情は憮然としていた。
「どっちを選んだとしても、どっちともつきあえない」
「つきあわなくてもいいです。どっちが好きかを言ってください」
愛莉は、鬼気迫るほど真剣だった。
「キミは、病気だ」
起源が言った。最初、それは梅毒のことなのかと風花は思った。しかし、この状況でそれを言うのは酷いことだし、話の筋にも合っていない。
「男性依存、もしかしたらそれは性依存ということかもしれない。とにかく、キミはそういう傾向にある」
「なんですか……それ」
言われた瞬間、愛莉の眼には涙が溜まっていた。
「本当に愛した男とだけ、つきあうんだ」
「ずいぶん古い考えですね……」
涙を流しながらも、愛莉はそう言い返した。
「このままでは、取り返しのつかないことになる」
「……」
「HIVや肝炎ウイルスのように、完治できないものに罹患することもある。引き返すなら、いまだ」
「引き返すって……なんですか!? それじゃあ、好きな人とも……愛している人ともできないじゃないですか!」
彼女の口から同じようなセリフを過去にも耳にしていた。
「べつに性交しなくても、人間が死ぬことはない」
その言葉は、裏を返せば、性交で死ぬこともあるという意味だ。
「だったら、エッチをするなってことですか!?」
「それは、個人の判断だ」
「そんなこと言っていいんですか!? 若い人がみんなしなくなっちゃったら、産まれる子供がもっと減りますよ!? 少子化を助長させる考えです!」
愛莉の意見は、ヤケクソで発言しているように風花には聞こえていた。彼女自身も、なにを言っているのかわかっていないのだろう。
起源に相手にされなくて、ただ悔しいのだ。
「それを考えるのは、おれの仕事じゃない。その役目を担った政治家なり官僚が考えるべき問題だ」
「そうやって逃げるのは卑怯です!」
あきらかに、愛莉は暴走していた。
「わかった。いまのことについて反論しよう。おれは、少子化になるのはやむをえないことだと思ってる。もっといえば、性病感染のリスクを考えれば、一番安全なのは、やらないことだ。その結果、少子化になったとしても、それがこの国の──人類の進むべき道だったんだ」
起源の見解もまた、暴走ぎみだった。
「政治家は、少子化で財政が厳しくなるから、簡単に子供をつくれという。だが、少子化になったのは自然の流れだ。むしろ、人間が進化しているんだ」
「まって」
風花は、二人の会話に割って入った。二人の暴走を止めるためでもあった。
「子供をつくることと、性行為をすることは、いっしょにできないでしょ?」
「どうしてだ?」
「だって、子供をつくらないように対策してるときの行為は、あきらかにちがうものでしょ?」
「たしかにちがうのかもしれない。しかし、行為自体は同じことをする」
「そもそもあなたは、少子化……それを異性間の性交とするけど、あなたはその傾向をいいことだと思ってるの?」
「良いとか悪いとかじゃない。そっちの方向に進んでいる、と言ってるんだ。だから、政治家や文化人が無責任に性交をあおるようないまの雰囲気は危険だ」
「じゃあ、性病を恐れて、みんなしなくなったほうがいいっていうの?」
「そうだ」
ハッキリと、起源は断言した。
その言葉にショックをうけたのは、愛莉だった。涙を流しながら走り去っていった。彼女が本当に性依存症なのか風花には判断できないが、見た目に反して派手な交際をしていたのは事実だ。
いまの起源の発言は、愛莉のすべてを否定するようなものだ。すくなくとも、愛莉自身はそう思ったのだろう。
「……すごい修羅場だったわ」
さちの声が、どこか不謹慎に響いた。
「そうだ……」
風花は、大切なことを思い出した。
あたりを見回してみたが、いつのまにかいなくなっている。
「どうしたの、風花?」
「いない」
「だれが?」
「ねえ、Tシャツの男の人、知り合いなんでしょ?」
風花は、起源に問いかけた。
「また現れたのか?」
「あの人、だれなの?」
「まあ、相棒みたいなもんだ。滅多に会えないが」
なぜだか自虐的に、起源は答えていた。
「なにか言ってたか?」
「同じかもしれない……」
「え?」
「そんなこと言ってた。意味わかんないけど」