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ルーツ  作者: てんの翔
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13

       13 水曜日午後一時


 携帯が鳴った。大木静香からだった。

 新しく緊急の案件が入ったから、事務所にもどってほしい──という内容だった。

 上原と別れてからも、起源は中目黒にいた。あることを思い出していたからだ。如月美幸がかつて住んでいたのは、ここ中目黒にあるマンションだったのだ。あのカフェから、すぐの場所にある。

 だから上原は、あそこを待ち合わせに指定したのだ。そう考えながら、そのマンションの周囲をさぐっていた。いや、さぐるといっても調査することなどない。ただ見てまわっただけだ。

 如月美幸が住んでいたということは、娘である風花も住んでいたはずだ。

 複雑な思いを振り払って、起源は事務所へもどった。

「ごくろうさま」

 入るなり、静香は本題に入った。

「ここ数日で、HIVの感染者が急増しているの」

「数日で? たまたまですか?」

「普通なら、そうなんだろうけど……」

「どういうことですか?」

「なんだか、偶然に検査したわけではないみたいなの」

 発症して体調に変化があったならべつだが、発症前の段階で発覚する場合、たまたまべつの検査でわかるケースがほとんどだ。

「心当たりがあった、ということですか?」

「そこのところも、調査してもらいたいの。これが、対象者のリストよ」

 静香から受け取った書類には、十名ほどの名前がつらなっていた。

「興味深いのは、住んでいる場所や職場が、ある地域に密集しているの」

 起源は、リストに眼を落した。

 氏名と住所と電話番号が記されているのだが、一見すると住所はバラバラだ。だが、いくつかの住所が重なっていた。

「ここですか?」

 その一つを指さして、起源はたずねた。

「そう。それ以外の人は、職場や学校が同じ地域なの」

「学校?」

 ということは、学生も入っているということだ。リストには、年齢はふくまれていない。

「大学生ですか?」

「高校生よ」

 軽い驚きはあった。だがいまどきは、それほどめずらしい話でもない。

「この子が、それよ」

 男性の名前だった。リストに載っているのは、ほとんどが男性で、女性の名前は二人しかいない。

「未成年者だけは、対応に注意するようお願いします」

「わかっています」



 さっそく、一人と接触をこころみた。

 問題の地域はわかっていても、昼の時間帯は仕事場や職場にいるものだ。むしろ住所がまったくちがう人のほうが、職場がその付近になる。

 そういう思いで、電話をかけた。リストに載っていたのは携帯番号だったので、簡単に会えるだろうと考えた。リストの電話番号はほとんどが携帯だが、何人かは固定番号もあった。

 が、予想は裏切られた。その住所は立川市だったのだが、職場も立川だった。

 それでも会いに行けないわけではないが、話は電話でもできる。起源は身分と用件を明かして、そのまま聴取を開始した。

 その男性は三十歳で、職場は立川なのだが、問題の地域にも支社があり、先月までそこに勤務していた。今回検査をしたのは、性病の検査ではなく、大腸検査をやるための感染症チェックだったらしい。それは本人のためではなく、検査をする医師の感染を防ぐためのものだ。結果として、それが男性のHIV感染を知らしめることになった。大木静香が話していたような心当たりがあっての検査ではなく、この男性の場合は偶然の発覚だったようだ。

 次いで、この話題で避けては通れない女性関係について質問した。

 長く交際していた恋人がいたそうだが、すでにその女性とは別れているという。ここ一年では、その別れた女性以外で肉体関係をもった相手は、二人。

 起源は、その別れた女性と、ほか二名の名前と連絡先を教えてもらった。が、ほか二名の連絡先はわからず、名前も一名しかわからなかった。

 元恋人の女性が、坂巻まなみ。

 名前のわかっている一名が、天野早紀。

 起源は、すぐに坂巻まなみに連絡をとった。

 概要を伝え、HIVの検査をうけるように進言した。だが、その必要はなかった。坂巻まなみは先週、結婚している。事前に結婚相手とともに性病検査をうけたそうだ。俗にいう、ブライダルチェックというやつだ。

 検査をうけたのが、三ヵ月前。今回感染が発覚した男性と別れたのが半年前。別れてから次の相手と結婚するまでが近い気もするが、それは置いておくことにして、HIVは感染まもなくは検出されない。検出できるようになるまでには、二ヵ月かかるといわれている。それにあてはめてみれば、別れてから三ヵ月後に検査しているので、この結果は有効だ。

 坂巻まなみは感染していないし、感染源でもない。

 では名前のわかっているもう一方、天野早紀という女性はどうだろうか? 

 名前以外の素性はわかっていない。飲みの場で知り合ったそうだが、場所は池袋だった。今回のこれが、特定の地域に感染者が出たものとした場合、彼女は無関係である可能性が高い。男性から感染していたとしても、感染源からは除外される。

 ──こうして、同じようにもう一人も調査した。

 職場が問題の地域だそうだが、会えませんか、と伝えたところで切られてしまった。かけなおしても出てくれなかった。

 HIVは、現在の医学では完治しない。死ぬようなことはなくても、一生治療を続けなくてはならない。感染者にとって、うつしてしまった相手はおろか、うつされた人間についても考えている余裕などないのだ。それが普通だ。

 もう少し落ち着けば、うつされた相手に対して怒りがこみ上げてくるかもしれない。そうなったときに、ようやくこちらの調査に協力してくれる気持ちも芽生えてくるだろう。

 人を突き動かす一番の原動力は、怒りの感情なのだ。

 起源は、やはり気になっている高校生に焦点をしぼることにした。その男子生徒の名前は、桐谷翔。住所は、問題の地域ではない。ということは、学校がそのエリアにあるのだろう。だが、リストでは学校名などの詳細はわからない。検査をした病院でも把握はしてないはずだ。

 一番、手っ取り早い調査方法は、直接教えてもらうことだ。

 起源は、リストに書かれている電話番号にかけた。固定電話だった。数コールで、女性の声が出た。母親だろうと考えた。

『もしもし?』

「すみません。私は、国立感染症研究所感染源究明室の佐竹といいます」

『……はい』

 声のトーンからは、どういう用件なのかわかっているようだ。未成年者の場合、当然のことだが両親にも伝えられている。

「翔さんは、いま学校ですか?」

『そうです』

「学校は、どちらになるのでしょうか?」

『いえ、それは……』

「学校に押しかけるようなことはしません。個人情報も、他人には漏らしません。感染源の究明に必要なんです」

『わかりました……』

 秀明高校と、母親は告げた。

 それから二、三、息子・翔の女性関係などを訊いてみたが、まったく知らないということだった。本人も話したがらないと。

 静香から渡されたリストに載っていたということは、性感染以外──輸血や注射針の使い回しでの感染ではないはずだ。現在の日本において、輸血での感染はない。まれにHIV感染直後に献血された場合、ウイルスが検知できないことがある。が、可能性としてはごく低い。注射針についてはありえるのだが、高校生がポンプをやっているとも思えない。もしクスリをやるにしても吸引系だろう。母子感染も現代医学では、まずない。

『あの……こういうことを聞いていいものかわかりませんけど……あの子は、これから……』

 母親のほうも、まいっているようだ。それも当然だ。もしかしたら、本人よりも精神的にはキツいのかもしれない。むしろ息子のほうは、意外にあっけらかんとしてることも考えられる。子供よりも大人のほうが知識があるぶん、重荷になるものだ。

「適切な治療をうけていれば、死ぬようなことはありません」

『治療費は……高額なんですよね?』

「はい。ですが、援助がうけられます」

 これから飲み続けることになる薬が高いのだ。月二十万ほどになる。三割負担でも七万ほど。

『そ、そんなにかかるんですか!?』

「大丈夫です。障害者手帳を取得すれば、減額されます」

 こういうことは、検査結果を伝えた医者から説明をうけているはずなのだが、そのときはあまりのショックで思考が停止してしまったのだろう。

「障害者手帳の手続については、お聞きになりましたか? もしお忘れになったのなら、病院でソーシャルワーカーを紹介されたと思います。わからないことや不安なことは、そちらに遠慮せず相談してください」

『は、はい……』

 母親は、涙声になっていた。

「しっかりしてください。HIVに感染したからといって、息子さんの人生が終わったわけではありません。寿命も、一般の人間とかわりません。運動もできます。家族にしても、いっしょに住んでいるからといって、感染することはありません」

 むかしは、キスするだけで感染するというまちがった知識が横行していた。しかしそのデマは、まだかわいいほうだ。空気感染をするとパニックになった人間もいたほどだ。

 さすがに現在においてそれはないだろう。しかし、差別と偏見は根強い。感染者とその家族は、そういう形のないものと戦っていかなければならい。

 そして起源の仕事は、感染者となった人たちの境遇に同情することでも、手助けをすることでもない。

 起源は気持ちを引き締めて、通話を終えた。母親には、非情な人間だと思われたかもしれない。


     * * *


「ホントなんでしょうね?」

「だと思うけど」

「まちがいでしたじゃすまないかんね」

「そこまで責任もてないって。それより、ホントに行くつもり?」

 二人で「ホント」の応酬をしていた。

 放課後、風花はさちをともなって、となりの男子校に足を向けた。となりといっても、隣接しているわけではない。徒歩で十分ほど行かなければならない。

「名前は、なんていったっけ?」

「桐谷だって」

「下は?」

「そこまで知らない」

 風花は、ため息をついた。さちの情報網もあてにならない。

「ちょっと、なにその態度」

 さすがのさちも怒ったようだ。

 校門の前についた。帰宅部の男子たちが、次々に出てくる。

「うちら、目立ってない?」

 さちが言うように、眼の前を通過する男子たちが、ジロジロと視線を向けている。まるで品定めしているようなヤツまでいた。

「イケてるからじゃん?」

「だね」

 二人でそう納得した。男子校だと、普段女子との交流はないのだろう。女子校の風花たちにしても、それは同じだ。

「うちらは、ちがうでしょ」

 さちにその話をすると、あっさり否定された。

「え?」

「ほら、あんたにはキゲンさんがいるし、あたしには──」

「さち!」

 言葉の途中で、だれかに呼びかけられていた。ここの生徒らしい。風花の知らない男子だった。

「あ、風花、紹介する。これが、カレ」

「カレ?」

「だから、カレ」

 風花は、唖然とした。いまのいままで、まったく知らなかった。

「あんた、男いたの!?」

「あたりまえじゃない。いるっしょ、フツウ」

 フツウ、というところにカチンときた。

「それ、ケンカ売ってる?」

「なにいってるの、あんただってキゲンさんがいるじゃない」

「あの人は、そんなんじゃないでしょ」

「わかった、わかった。そういうことにしといてあげるから」

「なんなの、それ?」

「友達?」

 ちさのカレという男が、会話の流れを無視して割って入った。

「そう。風花っていうの」

「よろしく」

「よ、よろしく……」

 空気を読まないところが苦手だと思った。

「で、どうしたんだ? オレに会いに来たの? だったら、オレのほうから行ったのに」

「あ、そうじゃなくて、桐谷って子のこと」

「桐谷? ああ、あれね……。言ったじゃん、そんな噂があるだけだって。たぶん、ガゼだよ」

「なに言ってんの、たっくんからの情報を信じたんだからね」

 どうやら情報源は、この彼らしい。

「ね、どの子なの?」

「いまはいねえよ」

 出てくる男子たちを見ながら、彼が答えた。

「ねえ、その噂は学校中に広まってるの?」

 風花は、たずねてみた。

「どうだろ? うちのクラスでは、みんな知ってたけど」

「その人とは同じクラスなの?」

「ちがうよ。となりのクラス。一年のときはいっしょだったけど」

「その人は、どんな感じ? あなたみたい?」

「オレ?」

「そう。チャラい感じ」

 嫌味もこめていたのだが、彼には通じなかったようだ。やはり空気を読めない。

「いや、そんな感じじゃない」

「まじめ系?」

「そういうわけでもねえ」

「どっちなの?」

「だからチャラさと、まじめの中間ぐらいじゃね」

「もっとわかりやすく言って」

 遠慮なく風花は口にした。

「ちょっと、あたしのカレにキツいこと言わないでよ」

 当のたっくんは気にしていないようだが、さちが怒りだした。

 風花は、さちの耳元で囁いた。

「こんな男でいいの?」

「これでも頼りになんの」

 さちがいいというのなら、それ以上意見は言えない。

「あ! あいつだよ」

 たっくんが、オーバーに声をあげた。

「どれ?」

「ほら、いま出てくる」

 一人の男子生徒が、ちょうど校門を通過したところだった。

 チャラくもないが、まじめというわけでもない……。

 この男の言うとおりだった。

「な? そんな感じだろ?」

 どこか勝ち誇ったような顔になっていた。

「イイ男じゃん!」

 さちが歓声にも近い言葉をもらした。それらしいイケメンは、すべてストライクゾーンなのだ。

「おいおい、さちぃ」

 たっくんの抗議にも耳をかさない。

「で、どうすんの、風花?」

「ねえ、彼とは話したことあんの?」

 たっくんに訊いた。

「ちょっとだけ」

「じゃあ、呼び止めて」

「え? オレが!?」

「いいから、はやく!」

 イヤイヤそうながらも、さちの彼氏が問題の男子生徒に近づいていく。

「よ、桐谷」

 とても不自然に声をかけていた。

 桐谷という男子生徒は、不審げに表情を曇らせた。

「あのよー、こいつらが話したいんだって」

 よりにもよって、さらに警戒してしまうような切り出し方だ。

 この桐谷が、はたして自らの噂を耳にしているのかどうか……。

 もし耳にしていなければ、興味を抱く女子を邪険にはしないだろう。その逆ならば、どんなにイケてる女でも、うとましく思う。

「なに?」

 桐谷は、冷めた眼で風花たちを見た。

 感情が読みとれなかった。

「あのさ……」

 風花は、言葉を選びながら話しかけた。

「ちょっといいかな?」

 いざ、こうなってみると、なんて言い出せばいいのだろう。

「悪いけど、オレ、好きな人いるから」

「あ……」

 それだけを言うと、桐谷はスタスタと歩き去っていった。どうやら、風花が告白すると思ったようだ。

「ちょ、ちょっと!」

 呼び止めても、止まってくれなかった。

「いっちゃった……どうする?」

 たっくんから問われたが、知らないうちにフラれたことになってしまったから、風花としてもばつが悪い。

「元気出しなって」

 さちの慰めが腹立たしかった。

「追いかける?」

 風花は、首を横に振った。

 やりきれない気持ちで、視線を桐谷の後ろ姿から移動した。

「あ……」

 そこに見知っている人物をみつけた。

「あの人……」

 あの英語Tシャツの男だった。

 Tシャツ男は、あきらかに桐谷を監視しているようだ。

「ってことは……」

「どうしたの? 風花?」

 根拠にはとぼしいが、やはり桐谷はHIVに感染しているのだ。


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