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ルーツ  作者: てんの翔
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       匿名の告白①


 わたしは、HIVに感染しています。

 感染しているにもかかわらず、わたしは不特定多数の相手と性交を結びました。もちろん、避妊具はつけていません。

 どうして、そんなことをするかって?

 復讐です。

 なんに対しての復讐なのか……それはわたしにもわかりません。性交を結んだ相手に恨みがあったわけではありません。しいて言えば、自分以外のすべてでしょうか。

 わたしだけが、とても不憫な存在に感じてしまうのです。

 わたしが感染したのは、たった一度の性交渉でした。相手は、職場の先輩でした。初体験は、遅いほうです。けっして、若いころから遊んでいたわけではありません。相手を愛してもいました。だから、避妊具をつけていなくてもいいと思っていました。わたしに妊娠の心配はありませんし……。

 わたしが感染したのですから、もちろん相手も感染者のはずです……。それでもよかった。おたがいが感染者同士で、よりわかりあえる存在になるのだと考えていました。

 ですが、相手はわたしの前から姿を消しました。いまは、どういう生活をおくっているのか見当もつきません。

 わたしのように、不特定多数の相手と性交を結んでいるのでしょか……。

 わたしは、やめるつもりはありません。

 これからも、もっと多くの人と通じ合います。

 殺人にはあたりませんよね?

 いまは、HIVで死ぬことはない。それぐらい、小学生でも知っています。

 でも、感染者とそうでない者とは、天と地ほどの隔たりがあるのです。世間の眼もあります。性交渉で感染した者は、乱れた性生活をしている遊び人とレッテルをはられてしまう。そんな人間ではなくとも、淫乱だと思われてしまうのです。

 だからわたしは、そんな他人に復讐をするのです。

 これからも……。




       11 水曜日午前七時


『都内で住血線虫症に、小学生三人が感染していることが──』

 朝のニュースで、今回のことを報じていた。

 朝食をとりながら、起源はそれを観ている。普段は風花と同じで朝食をとらない起源だったが、彼女たち三人がいっしょでは用意しないわけにはいかない。

 昨日よりもボリュームは増したが、トーストと目玉焼きという、いたって簡単なものだ。江藤愛莉は支度を手伝ってくれたが、残りの二名はまったくそういう気はないらしい。

 まだー? はやくー! と文句ばかり口にするしまつだった。

 今朝は風花もお腹がすいていたようだ。

『これまで東京都では数例しか──』

「ねえ、特効薬はないって言ってたけど、本当にその子たちは大丈夫なの?」

 風花に質問された。

「自然に治る、みたいなこと言ってたよね?」

「ああ。なんにしろ薬がないんだから自然治癒に頼るしかない。対処療法で、寄生虫が死滅するのを待つしかないんだ。住血線虫の寿命は一ヵ月程度といわれている。最長でも、それだけ入院すれば大丈夫だろう」

「でも、寄生虫なんでしょ? 体内でずっと生き続けることはないの?」

「住血線虫の本来の宿主はネズミだから、おそらく人間の体内では長く生きられない……が、そこまで詳しく解明されているわけではないから、断言はできないが……」

「本当に、死ぬこともあるの?」

「沖縄で少女が死亡している。でもそっちのほうがレアケースだ。今回の少年たちの場合は、いまの時点でも症状が軽いから、あと数日のうちに退院できるかもしれない」

「これで、あなたの仕事は終わりなの?」

「あの公園のナメクジから住血線虫が検出されたら、一応はピリオドがうたれる」

「あの子たちのいじめ問題は、どうするの?」

「それは、おれの仕事じゃない」

「でも、あの子は同じことを繰り返すかもしれない」

「……」

 起源は、答えに窮した。

「このあとも、同じ病気で苦しむ子が増えるかもしれない」

「おれに、どうしろというんだ?」

「いじめ問題があるって、学校に報告すれば?」

「わかった。そう手配しておく」

「……」

「どうした?」

「素直に言うこときくとは思わなかったから」

 二人のあいだに微妙な空気が流れた。

「ちょっと、なにみつめあっちゃてるの!?」

 川越さちの邪魔が、むしろ助かった。

「朝っぱらから、ラブシーンとかやめてよね。もう行かなきゃ遅刻しちゃうよ」

 二日連続で、彼女たちと家を出た。



「なんなの!?」

 出社して、大木静香と顔を合わせたら、開口一番に言われた。

「一人増えてる……」

 クンクンと、匂いを嗅がれた。

「どういうこと!? フェロモンの香りが濃くなってるから、またいっしょに夜をすごしたわね!? しかも、三人!」

 起源は嘘やごまかしはせず、正直に説明した。

「どうして、また泊めたのよ! 淫行で捕まりたいの!?」

「やってません、なにも」

「連絡してって伝えたわよね!? 実際にやってるやってないは問題じゃないの。そういう誤解をうけるような状況にあることが危険なんだってば!」

「わかりました、気をつけます」

 静香への対応はおざなりにして、事務所を出ていこうとした。

「待ちなさい! まだ言うことがあるわ!」

 年下のような外見だが、こういうときは年相応の迫力がある。

「大丈夫です、もう泊めませんから……」

「その話じゃありません」

「?」

「とある筋から、注意がありました」

 抽象的な言い回しだった。

「圧力ですか?」

「ですから、とある筋からの注意です」

「厚労省ですか?」

 そこまで言わせないで、という視線を静香は向けた。

 あの少年が親に話したのだろう。

 だが、少年は起源の素性までは知らないはずだ。それでも話がここにきたということは、大勢の人間が動いているということだ。つまり少年の親だけでなく、祖父にも話があがっている。

「野島謙一郎ですね?」

「もとをたどれば、そこに行き着くんでしょうね」

 静香は、いつもの起源の行動理念にかけてそう言ったのだろう。

「未成年への調査は、ちゃんと配慮をしてください」

「大木さん、その言葉は、どの立場からのものですか?」

「……ここの職員としてです」

 起源は、自分でも意地悪だな、と思った。彼女まで権力者に眼をつけさせるわけにはいかない。

「でも……わたしの言葉なんて、聞く人じゃないですよね」

 どこかあきらめたように、彼女は言った。

「……」

 起源は、なにも言い返さなかった。

「ですけど……淫行についてだけは、必ずあらためてくださいね」

 それにも返事はしなかった。

「……覚えてますか?」

 そのまま出ていこうと思ったが、起源はべつのことを口にした。

「最初の案件です」

「最初の? 覚えているわ。HIVだったわね。もう二年になるかしら」

 ここが発足して、最初の調査だった。

 都内を中心にHIVの感染が拡大していた。

 自然に広まっているというよりも、故意に何者かが感染させているようなふしがあった。そのため、緊急調査をおこなったのだ。

 結果、あるていどのところまではたどれたのだが、元凶まではたどりつけなかった。

「それがどうしたの?」

「いえ……いいんです」

 曖昧に答えて、起源は事務所を出た。

 風花たちと家を出たときには快晴だったのに、どんよりとした雲が太陽を隠していた。

 事務所から離れながら、携帯で上原に連絡をとった。すぐに会いたいと伝えると、時間と場所を指定された。

 十二時。中目黒のカフェ。

 それまで時間を潰すことになるが、いまは新しい調査もない。公園で採取したナメクジの鑑定待ちだ。おそらく、そのナメクジから住血線虫が検出されるはずなので、それで少年たちの感染症は結論が出る。この病気は、人から人への感染はないので、もう拡大することもないだろう。

 ただし、あの少年が同じ行為を続けなければ……ということが条件だが。

 いろいろ迷いもあったが、起源は少年たちの通う学校へ足を向けた。決断をうながしたのは、風花の言葉だったかもしれない。

 二年前の調査で、起源は風花と関わりあっていた。直接会ったわけではない。母親と知り合っていたということだ。

 たどった過程で、風花の母親とめぐり会ったのだ。

 ニュースキャスターの如月美幸。

 そのときからの因縁があった。

 上原とも、そのときに知り合っていたのかもしれない。起源に心当たりはないが、上原のほうは起源に会っていた。

 いろいろと考えをめぐらせていると、時間が経つのは早い。いつのまにか小学校に到着していた。

 以前来たときは校門前で上原と出会ったので、なかには入っていない。校門のわきに、インターホンが設置されていた。昨今は、部外者が侵入できないよう警備を厳重にしているものだ。簡単には入れない。監視カメラも眼を光らせている。

『はい』

 ボタンを押したら、すぐに応答があった。

 起源は、身分と用件を告げた。

 応対の声には、戸惑いがあった。まずは、身分が本当かどうかを確かめたいということだった。二分ほどして、教職員の女性がやって来た。校門の施錠を解いて、起源は敷地内に入った。

 名刺を女性に渡す。

「こちらにどうぞ」

 校長室に通された。

 校長はそのときには不在で、しばらくしたらもどってきた。

「国立感染症研究所の方とか……」

「はい。もし信じられないようなら、問い合わせてみてください」

「それは、もう済ませました」

 どうやら、いままでそれで席をはずしていたようだ。校長は女性で、柔和な印象をうけた。年齢は六十代ぐらいに見えるが、定年前なのだから、六十にはなっていないのだろう。

「この学校で──」

 起源は説明をしようとしたが、校長に手で制された。

「病院のほうから連絡がありました。なんでも、寄生虫に感染したとか……」

「はい。その原因なのですが」

「それを聞く必要はありません」

 ピシッと校長はさえぎった。やわらかい印象は見せ掛けだけのようだ。

「だいたいのことは、ご存じのようですね」

「いえ。知りません。ですが、それを追及するのは、あなたの権限を超えています。教育のことは、わたくしどもにおまかせください」

 野島謙一郎は、厚労省だけではなく、文科省にまで顔がきくようだ。

「ここで止めないと、同じことが続くかもしれませんよ」

 起源は苦言をていした。

「ですから、それはわたくしどものほうで」

 話を聞くつもりはないようだ。

「そうですか……わかりました」

 起源は、あきらめた。なにかに染まっている人間を説得するのは骨が折れる。それこそ起源の役目ではないし、そこまでの時間もない。

「住血線虫症は、人から人への感染はありませんから、子供たちに過度の心配はさせないようにしてください」

 最後に、そう告げた。言葉どおりの意味ではなく、今回のことで新たないじめを生まないためだ。

 感染症というものは、差別の原因になる。子供たちの世界だけではない。それはむしろ、大人の社会にこそ当てはまる。

「わかっております」

 どこか迷惑そうに、校長は言った。

 自分は邪魔者でしかないのだ……起源は、あらためてそれを悟った。


       * * *


「ねえ、聞いた?」

 二時限目の授業が終わり、次の授業までの準備時間に、さちが話しかけてきた。

「なに?」

 だいたいこういうときのさちの話は、どうでもいい内容だったことが多い。

「となりの男子校で出たって」

「なにが?」

 まさか、お化けとは言い出さないかと、少し心配になった。お化けが苦手なのではなく、そんな馬鹿げたことでも信じてしまう、さちのことが心配なのだ。

「うつっちゃったって」

「うつった? 病気ってこと?」

「そうそう。HIVだって」

 風花としてはタイムリーな話題だった。感染症の元凶をつきとめる職業の人間と出会ったばかりなのだ。

 しかも、その男性の部屋に二泊もしている。

「どんな人が感染したの?」

 興味があった。よくありそうな話として、学生にも感染が広がっていると耳にするが、これまで身近に感じたことはなかった。

「ヤリまくってる男子だってさ」

 その言い方だと、かなり確度の低い話のようだ。

「でね、」

 さちの仕入れた情報は、まだあるらしい。

「うちの学校にもいるんじゃないかって」

「え?」

「だから、感染してる人」

 さらに信憑性のない内容だと思った。

「先生たちも噂してるって。だから、そのことで話があるかもしんない」

「どういう話?」

「性のことについてじゃない? 乱れたことをしてると、いまに感染しちゃうぞ、て」

 さちは、茶化すように言った。不謹慎だとは思ったが、注意はしなかった。不特定多数の異性と関係を結ぶほうも悪いのだ。

 起源の語っていたことを思い出していた。

 性病をうつされても後悔しない相手とだけしろ──。

「どうしたの?」

 風花は、あることに考えがいっていた。さちの仕入れた情報が本当だとして、その感染した人は、噂のように不真面目なことをしている人間だと無条件に信じてしまう。

 だが本人に会ってみなければ、そうだとはきめられない。愛している人との性交渉で感染したかもしれないのだ。

 会ってみたいと思った。

「だれだかさがせる?」

「え? さがすって?」

「感染した人」

 それには、さすがのさちも驚いたようだ。

「ちょっと、それ本気なの?」

「本気ってわけでもないけど……」

 風花にも、そこの部分はよくわからない。

「愛する人に影響うけたんだろうけど」

「なに、それ……」

「キゲンさんの助けがしたいんでしょ。わかる。好きな人の役に立ちたいのね」

 なにがわかるだ、と思いながらも、風花はそれ以上、言い返すことはしなかった。

「わかったら教えてあげる。風花の愛のために」


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