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ルーツ  作者: てんの翔
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       10 火曜日午後八時


 人数が増えた。

 起源の部屋だ。

「……どうなるんだ、これから?」

 起源は、そら恐ろしさを感じていた。これから毎日一人ずつ増えていくのはないか、と……。

「江藤さん、シャワー浴びちゃいなよ」

「はい」

「毛布たりるかな? キゲンさん、飲物ないの? あたし買ってくるけど」

 川越さちは、すでに馴染んでいた。まるで自分の部屋のようだ。

「どうして、こうなった?」

 起源は憮然として、同じように馴染んでいる風花に言った。

「さちが、江藤さんも誘ったのよ」

「どうして、彼女たちも泊まる? 親とケンカしてるのは、キミだけだろう?」

「わたしが心配なんでしょ。ヘンな男と二人きりになるなんて」

「勝手に押しかけてきて、なに言ってんだ」

 起源は、嘆きにも似た声をあげた。

「江藤さんがあがったら、風花もシャワー浴びちゃいな」

 すっかり、さちに仕切られていた。



 女子たちがシャワーを浴びおわってから、なんとなく、くつろぐ時間になった。

 けっして広くない部屋に、四人が座っている。起源は、ピッタリと川越さちに寄り添われていた。

「ねえ、キゲンさん。このなかで、だれが好み?」

「……」

「照れてるぅ!」

 心底、女子高生が恐ろしいと思った。

「ねえねえ、キスでも病気になっちゃうんでしょ? エッチとかしたあかつきには、どうなっちゃうわけ? ってか、そんなんじゃ、エッチなんかできないじゃん」

「キスでうつるので有名なものでは、EBエプスタインバーウイルスだ。その名も、キス病と呼ばれている」

 彼女たちに不確かな情報だけをあたえておくわけにはいかない。起源は説明をはじめた。

「正確には、伝染性単核球症。B型肝炎もキスでうつる可能性がある。淋病、梅毒もしかり」

 彼女たちは、みなポカンとしていた。

「とはいえ肝炎以外は、それほど重篤な病気じゃない。現在の医学ではね。キス病なんて、ほぼ自然治癒するし、赤ちゃんのころ、母親との口移しで知らないうちに感染していることもある」

「なんだぁ……驚かさないでくださいよ」

 さちが安堵の声をあげた。言い出しておいて、少し怖くなっていたのかもしれない。

「あくまでも、キスの場合だ。性感染症のなかには、危険なものもある」

 ヒトパピローマウイルスは、子宮頸がん。

 ヒトT細胞白血病ウイルスは、その名のとおり、成人T細胞白血病。

「この白血病は、症状が出るまでに三十年から七十年かかる。性感染の場合、男性から女性にしかうつらない。キミたちにしてみれば子宮頸がんにしろ、T細胞白血病にしろ、男よりも慎重になるべきだ」

「……」

 彼女たちを少し怖がらせすぎたかもしれない。

「まあ、ヒトパピローマウイルスは、いまでは予防ワクチンがあるし、T細胞白血病は感染していても一生症状が出ない人も多い」

 安心させておいてなんだが、起源はもう一つ、こういう話では必ず出しておかなければならない感染症についてふれた。

「あと、HIVだな」

「それ、エイズのことですよね?」

 江藤愛莉が言った。少し意外だった。現在の流れでは、『エイズ』という名称を使わない傾向が強い。HIVに感染し、それが発病したときに『エイズ』という。だが、いまは感染したときも発病したときも『HIV』と呼ばれることが多くなっている。もしくは、後天性免疫不全症候群、と。

 これは、かつて激しくあったエイズ患者への差別が要因にあると起源は考えている。

 むかしはHIVではなく、普通にエイズウイルスと呼んでいた。ヒト免疫不全ウイルスのことを略してHIVと呼ぶが、起源にはそれが、なにかのファッションアイテムのように聞こえてしまう。

 ちなみに、よく『HIVウイルス』と表記されることがあるが、『V』がウイルス(VIRUS)の略なので、重複表記となってしまう。

「そうなるな」

「でも、HIVでは死なないんですよね?」

 そう言ったのは、さちだった。

「適切な治療をうけていれば、死ぬことはない」

「だったら、それも梅毒とかといっしょじゃないですか? むかしは不治の病だった、っていうことじゃ……」

 勘違いしている。

 最近では、HIVに感染しても死ぬことはない──という事実だけが先行して、まるで風邪のように完治するものだと思い込んでしまう若い世代がいるという。

「死にはしないが、完治はしない」

 起源の世代では、まだエイズ=死、というイメージが強かった。たぶん、いまの高校生ぐらいまで同じだろうと楽観視していたが、どうやらそうでもないらしい。

「一生、治療を続けていかなくちゃならない。結婚するにしても、パートナーへの理解も簡単じゃない。子供は産むことができる。母子感染は、いまではほとんどない。だが、いろいろな意味で生活を制限される」

「それじゃあ本当に、エッチなんてできないね……」

 風花が、しみじみとつぶやいた。同じようなセリフを愛莉が口にしていたことを起源は思い出した。あのライブハウスで。

「男にはゴムをつけさせる。見ず知らずの男とはしない。そういう最低限のことを守れば、かなりの予防になる」

「でも……本気で愛する相手とは、つけないでしょう?」

 困ったことを訊かれた。だが風花はとても真剣だから、適当に答えるわけにもいかない。

 結婚を前提とした……もしくは結婚した相手とは、そうもいかない。避妊具はつけないことになる。いや、普段はつけるとしても、子供をつくろうとするときだけは、つけない。

 風花は、そのときのことをたずねているのだ。

「まえにも言ったが、病気をうつされても後悔しない相手とだけするんだ。それが、唯一の予防だ」

「……」

 部屋の空気が沈んでしまった。

 それを嫌ったのだろう。さちがテレビをつけた。ニュースをやっていた。

『ロンドンでの銃乱射事件で──』

 女性キャスターが淡々と原稿を読んでいた。元局アナで、現在はフリーとして活躍している人物だ。

 起源は、このキャスターのことを知っていた。人気番組のキャスターだからではない。ある事情で知り合ったのだ。

「まわして」

 どういうわけか、風花が不機嫌になっていた。

「どうしたの? あたし将来の夢はアナウンサーなんだ。この《ミッキー》みたいな実力派の」

「いいから」

 さちの手にあったリモコンをひったくろうとしたが、失敗したようだ。

「なんなの? 急にどうしちゃったの?」

 さちの好奇心に火がついたらしい。

「ちゃんと理由を言ったら、かえてあげる」

「……」

 風花は、ふてくされたような顔になった。

「ママよ」

「え?」

 風花以外の全員が、唖然となった。

「ママ!?」

「わたしを捨てたママ」

 風花の父である上原が、君にも責任がある、と言った意味がわかった。


     * * *


「そういえば……この人、名前変わったんだよね……離婚して。まだ子供のころだったけど、それは覚えてる」

 さちの言葉に、風花はなんと反応すればよいのかわからなかった。

 いまの名前は、如月美幸。

「たしか、まえは上原だった……」

 旧姓の如月にもどったのだ。

「ど、どういうこと? あたし、知らなかったよ!?」

 さちが驚くのもムリはない。だれにも言っていないからだ。

「離婚したのは、小学生のころ」

 その当時は、風花の姓も如月だった。

「如月風花……それが、高校に入ったときに、上原になったの」

 高校からいっしょになったさちは知らないのだ。離婚したことを知っている小学校時代の同級生や、如月という姓だったことを知っている中学校の同級生は、いまの高校には一人もいない。

「なんで言ってくれなかったの!?」

「言えるわけないじゃん! だって捨てられたんだよ!?」

 風花は、怒りを吐き捨てるように答えた。八つ当たりなのはわかっていた。

「ママが再婚するから、わたしはパパのところに行かされたの」

 そして、上原姓にもどったのだ。

「え? この人……再婚してたんだ」

 画面を見ながら、さちが言った。

「でも、苗字は変わってないよね?」

「懲りたんじゃない? いろいろ面倒だったみたいだし、離婚したとき」

 旧姓にもどることで、いろいろ弊害が出たという愚痴を、当時さんざん聞かされていた。書類関係、手続などの事務的なものから、名刺の変更などなど。局内でも混乱をまねいたようだし、視聴者からはしばらく上原のまま呼ばれたりと……。

 だから、夫婦別姓にしたのだろう。

「え? でも……」

 愛莉が、なにかを言おうとしていた。風花は瞳でそれをうながした。

「そういう噂はあったと思いますけど……再婚したっていう話は、ないと思います」

 自信なさげに彼女は語った。

 これまでの愛莉のイメージからいって、そういう事情に詳しいとは思えないのだが、彼女にはいろんな意味での破天荒さがある。あながち見当はずれのことを言っているわけではないかもしれない。

「そうだよね! この《ミッキー》フリークのあたしが知らないのは、おかしいって」 

 さちも、愛莉の見解に賛同した。

「じゃあ、籍はまだ入れてないのかな……」

「なんで娘のあんたが知らないのよ」

「そんなの知りたくないし!」

 母親の再婚話なんて、知ろうともしなかった。いまがどういう状況になっているのかも確かめていない。確かめるつもりもない。

「ふ~ん、風花の家庭は複雑なんだね。言ってくれればよかったのに」

「言えるわけないじゃん。こんなドロドロの話」

「有名キャスターの娘か……いいじゃん。絵になる」

「なにいってんの?」

「芸能界デビューしちゃいなよ」

「はあ!?」

「風花ならいけるって」

 話がヘンな方向に進んでいた。

(ん?)

 さちとの会話。愛莉も、相槌をうちながら興味深そうに聞いている。そのなかで、起源の様子だけがおかしかった。

 風花が視線を向けると、起源は顔をそむけた。さちとの会話を続けるために、どうしたのか追及することはなかったが、まるでなにかから逃げるようだった。


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