プロローグ
1
私の名前は井澄純。現在は田舎にある実家の食堂で働いている31歳独身。最近、友達が次々と結婚していってるけど、そんなことは全然気にならない。だって友達もたくさんいるし、仕事が好きだ。それに、あの人のことを忘れることはできない。
「純!早く下りてきなさい」
一階から母親の声が聞こえてきた。私の家は一階が食堂になっていて、二階が居住スペースになっている。
「わかった。いま行くわ」
母親に返事をして、点けていたテレビを消す。
テレビが消える直前、気象レポーターの声が聞こえてきた。
今日の月は満月であると。
2
「唐揚げ定食一つ入りましたー」
カウンター越しにはいってくれアルバイトの女子高生の声がする。彼女の名前は飛鳥佳奈。だれもアルバイトをしようとは思わないであろう田舎の食堂に入ってくれた貴重な存在だ。
慣れた手つきで唐揚げを揚げていると、佳奈ちゃんが話しかけたそうにこっちを見ているのに気づいた。店内を見渡し客が少ないことを確認してから、
「佳奈ちゃん。わたしに何かいいたいことあるの?」
と話しかけた。すると彼女は待ってましたと言わんばかりに笑みを浮かべて尋ねてきた。
「純さんって、確か若い時に東京で暮らしてたんですよね?」
なんで知ってるんだろうと少し不思議に思ったが、すぐに母が教えたんだろうと検討をつけた。
「そうよ。25歳の時まで東京に住んでたわ。でもそれがどうしたの?まさか佳奈ちゃん東京の大学への進学とか考えてる?」
「まさにその通りです。ですので純さんから東京で生活していく心構えを聞けないかと思いまして」
私は彼女の返事を聞いた途端に表情がこわばった。
「悪いことは言わないわ。東京に行くなんてやめなさい」
「なんでですか!純さんだって―― 」
カウンターに唐揚げ定食を置いて彼女の話を遮った。
「これ持って行って。その話はバイト終わりにしましょう。」
3
「さっきはごめんね。急に声荒げちゃってさ。」
私はお昼の営業時間が終わった後に佳奈ちゃんと二階の部屋に招いた。
佳奈は待ってましたと言わんばかりに何度も頷き、尋ねた。
「そうですよ。純さんいつもおっとりしてるから驚きましたよ。ほんとうにどうしたんですか?」
私は佳奈ちゃんに申し訳なく思い、ごめんねと前置きして話し始めた。
「私が東京の大学に行ったのはもう知ってるでしょ。私はね小さい頃から教師になるのが夢だったんだ。だから、東京の教育系の大学に入学したの。そして、卒業後に東京の高校の教師になったんだけど、嫌なことが色々あって辞めちゃったの。なんかそのことで東京がちょっと嫌いになっちゃってたのよ」
私が教師として赴任した高校は財閥の御曹司や令嬢の通う学校だった。最初のうちは教師になれたのがうれしくて、張り切って授業を行ったけど、生徒たちは全然授業を聞いてくれなかった。そして、ある時女生徒を叱った。すると、次の日から嫌がらせを受けるようになった。さらに校長に呼び出されて、女生徒を叱ったことを注意された。なんでも、その女生徒の両親が学校に多額の寄付をしてらしい。
佳奈ちゃんは私が話してる間一言も喋らずに真剣に聞いてくれた。私が話し終わってから少し間おいて、何かを決心したようにこっちを見て
「学校辞めちゃったことに後悔とかないんですか?」
と聞いてきた。
正直、後悔はある。私は内心そう思った。
「後悔というか、教師になることを目指してた過去の自分への罪悪感は少しあるわ。まあ、いまさらどうしようもないけど」
佳奈ちゃんは悩んだ様子を見せた後に、なにか閃いたのか笑顔をみせた。
「純先輩。今日は満月ですよ。満月に願いを言えば叶うかもしれませんよ」
え、満月に願い、
「佳奈ちゃ――
「じゃあ、私はこれで帰りますね」
私が話しかける暇もなく佳奈ちゃんは帰っていった。
4
その日の夜、私は佳奈ちゃんの言ったことが忘れられないでいた。流れ星に願い事をするのは知っていたけど、満月に願い事をするのは初めて聞いた。もし、ほんとうに教師だった頃に戻れるのだとしたらと考えてしまう自分をばからしく思う。
あの時、女生徒や校長の言いなりになるのではなく、自分の教育信念を持って行動できていたらどうなっていたんだろう。
私はそう思いながら窓のもとに吸い込まれるかのように歩いて行った。カーテンを開けてみると、あたり一面の暗闇の中で眩い光を放つ満月があった。
私は満月から目を離すことができなかった。もちろん満月を見るのは初めてではない。これまで何度も見てきた。でもこの日の満月は言葉じゃ説明できないほどにきれいだった。
自然と口から言葉がでていた
「わたしを高校教師だった頃に戻してください」