Sequence11 一億の雨に晒されて
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歴史とは何だろうか? 彼女が歴史を改変した今となっては、この問いは無意味だ。彼女は荒ぶる世界を次々と麻酔していった。もともとそこにあった時間も、人々の関係も、記憶も上書きしていった。歴史改変が可能なったとき、我々は一度、立ち止まって考えてみる必要があったのかもしれないが。
エウロパ軍の制服を身に纏ったレイモンドは、ガンナーのコックピットからエウロパ・ポリスを眺めている。この角度からでは、なかまで見通すことはできなかったが、いつものエウロパ・ポリスの日常が続いているはずだ。
そこへ通信が入る。アルフォンスからだ。
「どうだい? 新型の調子は?」
「旧型より、だいぶいい」
そう言ってレイモンドは星々の輝く宇宙を見た。
「あまり飛ばすなよ。テスト中だ」
「わかっているって、もう士官候補生じゃない」
すべて、そう、すべてが変わっていた。アンネリーゼが地球に降り立つ、あの日はもう来ない。三人がともに歩く未来が確かに続いていた。無数の線の中から見出された、一本の線。ときに頼りなく、ときに力強く、それが、この現実だ。
「式はこれからか」
レイモンドがつぶやくとアルフォンスが答えた。
「そうだね、あと三時間というところかな」
アンネリーゼがエウロパ・ポリスの元首になるのだ。そしてレイモンドとアルフォンスは彼女の騎士となる。
「戻る」
「ああ、待ってる」
レイモンドは通信を切る。息をつくと、つぶやいた。
「そこにいるのか?」
何かが答えた。
「ええ。この世界はうまくいっている」
少し前から、レイモンドにはそれがきこえていた。幻聴は精神の異常から、きこえるらしい。それは言った。
「私にできることはもう終わった。だから、あなたは、あなたの力をおさめて」
「分かってる、でも力があれば……」
レイモンドには二つの記憶があった。兵士としての記憶と、いまの記憶。どうしてかはわからない。彼は特異点だった。それは言う。
「もう力は必要ない、だからあなたを解放してあげて」
それは消えていった。頭に反響を残して。
レイモンドは完全には狂っていなかった。現実の二つの顔を見せられていた。地獄のような時間と、光り輝くような時間。どちらを選ぶかは明白だろう。
基地へ戻ると、式典用の制服を着た。鏡を前にすると、少し不思議だとレイモンドには感じられた。
車で、会場へ赴く。
レイモンドは思う。未来は明らかだ。こうして何もなく進んでくのだから。
アンネリーゼの前には貴族や軍人たち、民衆が並んでいる。すべての人がアンネリーゼの言葉を今か今かと待っている。アンネリーゼが話し出そうとしたとき、軍人の列のなかから、男がとび出してきた。男は怨嗟の声を上げる。
「お前さえ、いなければ!」
そして銃をアンネリーゼに向けた。銃口が滑りと光る。とっさにそれに気づいたのはレイモンドであった。レイモンドは彼がウィルヘルムだと見抜く。
発砲音があたりに響くと、アンネリーゼの前にレイモンドが盾になり弾丸を防いだ。
「レイ!」
悲鳴を上げるアンネリーゼ。
すかさずアルフォンスが銃でウィルヘルムを撃った。ウィルヘルムが倒れる。アルフォンスがレイモンドの傍らに近づくと、レイモンドは死んでいた。
アルフォンスは絶句して、空を見上げた。そして言った。
「アンネリーゼ様、雨が降ってきたようです……」
そしてレイモンドへ、アンネリーゼが語りかける。
「雨が止みませんね」