Sequence10 戦争の終わり
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そこは木星が見える広場だった。少女と二人の少年がいた。三人は笑い合った。ただ三人がここにいることだけが嬉しかった。幸福だった。三人はこの時間の名を知らない。そして成長してもなおこの時間の名を知らないだろう。奇跡のような毎日が途切れることなんて信じない、無垢さで。
アルフォンスの絶叫が辺りに響いていた。レイモンドはそれを聞いていた。友達の悲しむ声はレイモンドの胸を切り刻むようだった。
レイモンドは思った。アルフォンスの友をこの手で殺した。
もはや止まれないところまで来ていた。アルフォンスのガンナーが動き出した。その動きは無駄がなかった。ただレイモンドを殺すためだけの挙動は美しくもあった。
レイモンドはそれを懸命に躱す。
アルフォンスの赤いガンナーは手にナイフを握った。
ナイフが煌めき、レイモンドはそれを見逃すまいとした。神経を集中させ、アルフォンスの動きを見た。彼の動きは冴えていた。
レイモンドは諦めかけていた。これでいいじゃないか。
「レイモンド! しっかりしろ」
無線の声はセリーナだった。一瞬、ハッとなったレイモンド。
「お前はまだ死んじゃならない。戦え!」
「でも、もう何もかもぐちゃぐちゃなんです」
懇願するような、か細い声だった。
「なんだっていい。生き延びろ、そこから。私達がついている」
何もできることはなかったけれど、セリーナは声援を送った。
レイモンドはブレードを構えた。しかし、一瞬の事だった。アルフォンスの間合いが近づいてきたと思ったその瞬間、アルフォンスの動きがさらに冴え、レイモンドのガンナーの腰にナイフを突き刺した。その衝撃でレイモンドは気を失いかけた。
「うぐっ」
そしてアルフォンスのガンナーは短銃を取り出し、ナイフの柄を数発撃った。ナイフがガンナーの奥底に貫通すると爆炎がガンナーを包み込んだ。
「……レイモンド!」
無線の声が小さく聞こえてきた。レイモンドはかろうじて生きていた。レイモンドのガンナーがよろめき、それをアルフォンスのガンナーが勢いよく、蹴った。
レイモンドは船から落ちていった。炎が動力炉を包み、激しく燃焼した。トレベヴィチ班の隊員はレイモンドを助けに行った。海で大きな爆発がして、波が揺れた。搭乗者の生死は分からない。
体中の痛みで目が覚めた。懐かしい夢を見ていた。その夢は楽しかった、幸福だった過去の事だ。レイモンドは上体を起こした。腕や頭に包帯が巻かれていた。ここは医務室らしい。呆然としていた。辺りを観察した。そこには誰もおらず、一人きりだった。ベッドから出ることはできない。体中から傷の痛みがしてきた。レイモンドは呻きを上げた。
医務室の扉が開いた。セリーナだった。セリーナはレイモンドを心配して声をかけた。
「……レイモンド、大丈夫?」
普段のセリーナらしからぬ萎れた声にレイモンドは驚くと、少しどもって言った。
「だ大丈夫」
「君は二日間、寝ていたのだよ」
「二日も?」
レイモンドは自分の認識とへだたりを感じた。
「長い、夢を見ていました」
「夢?」
そうセリーナは聞き返した。
「あれは木星のエウロパ・ポリスにいた頃、アルとアンと俺は仲が良かった。毎日、会って遊んでいた。この関係が終わることなんて絶対にありえなかった。そんな夢を見ていました。あんなに一緒だったのに、今はみんな別々の場所にいます」
「関係っていうのはいつでも終わるものだよ」
セリーナの眼差しは揺るがなかった。
「大人ですね……俺たちの関係はずっと続いていく。離れていても変わらない。そうだったはずなのに、どうしてでしょう? 隊長。何かが噛み合わなくなってしまって、それは簡単なことだったはずなのに」
「彼と話すことができないの?」
「話すことはできます。でも真実を告げれば、アンに危険が及ぶ。それは避けなきゃならない」
「なら私達は戦うしかないのだ。前を向いて、レイモンド」
セリーナの言葉はレイモンドの胸に強く響いた。
「……でも俺にはもう、戦う力がない。力が欲しいのに」
レイモンドは呟いた。
「力ならある」
セリーナはレイモンドの肩を叩いた。
「怪我が治ったら、来て。見せたいものがある」
フィリピン沖で、エウロパ・ポリス軍と地球軍の艦隊が睨み合っていた。空に鳥の群れが飛んでいった。それらは白く輝くと、上空へ消えた。
最初の砲撃は地球軍からであった。
レイモンドは部屋のモニターから状況を眺めていた。
地球軍の砲撃は僅かに横に逸れて、エウロパ・ポリス軍の軍艦には当たらなかった。すぐさまエウロパ・ポリス軍の軍艦が砲撃をした。砲撃は外れ、海に落ちると水柱が立った。砲撃の音が空気を震わした。砲撃の音が一層激しくなった。
砲撃だけでは埒があかない。地球軍の空母から量産型ガンナーが次々と蠅のように飛び立っていった。ガンナー隊が推進システムを全開にした。
エウロパ・ポリス軍側も負けじと、ガンナー隊を発進させた。赤い、厳めしい姿のガンナーが格納庫からむっくりと姿を現すと、スラスターを全開にして出撃した。
戦艦と戦艦の間で激しい戦闘が始まった。緩慢な地球のガンナーは俊敏なエウロパ・ポリスのガンナーに勝てない。それは分かっていたことだった。しかし多数で一機を相手にするなら話は別だった。地球のガンナーは五機で一機を相手にした。一機では弱い量産機のなせる業だ。そうして、一機また一機とエウロパ・ポリスのガンナーは倒されていった。
日の光を反射する、十メートルはあるかという白兵戦ブレードを軽々と持ち上げ、敵を打ち倒していくエウロパ・ポリスのガンナー。アルフォンスの姿もここにあった。エウロパ・ポリスのガンナーの中でも、何人か強者がいて、そのまわりでは地球軍のガンナーが何もできないでいた。
艦砲射撃を軽々と避ける機動性の高さ。白兵戦の強さも相まって誰もアルフォンス達の相手をできない。せめて牽制だけでもと機関銃を撃ち、その隙を狙われる地球軍のガンナー隊。レイモンドは唇を噛みながら、それに耐えていた。圧倒的な力の前でただ倒されるのを待つだけなのか? そう思われたその時、黒色のガンナーがアルフォンス達のガンナーの後ろから迫っていた。
トレベヴィチ班だ。レイモンドは気づいた。戦わなくちゃ。俺だってまだやれる。
そしてレイモンドは病室から出ていった。壁にもたれかかりながら、レイモンドは格納庫へと向かった。
レイモンドは片目で、辺りを見回しながら、歩いた。格納庫までの距離は大したことなかったが、戦況が気になった。格納庫に着くと、モニターを覗く。地球軍のガンナーが墜落していく。火の粉のようだ。
「レイモンド!」
作業員が呼び止めた。
「これ、セリーナからです」
手紙だった。レイモンドは封を切る。文面がぼやけて見える。読めない。作業員がレイモンドの手を引いた。
「入っているのは格納庫のキーです。来てください。レイモンド」
奥の方に黒い扉があった。キーを通すと、ライトがついた。
まぶしい、とレイモンドは思った。目が慣れるとレイモンドは驚いた。
「これは?」
「あなたの新しいガンナーですよ」
レイモンドは今まで見たことのない機体だと思った。地球側ともエウロパ側とも違う。そのデザインは後背部のジェットブースターが極端に突出しており、それ以外は主張せず、流線形が細部まで徹底しており、弾丸のように思われた。また各種の武器はコンパクトに収納され、武器は全て小型化されていた。
レイモンドがコックピットに乗った。固定具を締め、視界を確認する。半分の視界だったが、これでも戦えるとレイモンドは思った。モニターもある。
「行けます」
格納庫が上昇していく。その間、レイモンドは覚悟を決めていた。
「アルフォンスを止めるんじゃない、殺すのだ」
レイモンドの機体は飛び立っていった。海は青く、空もまた同じだ。その間を彼の機体は迷いもなく裂くように飛ぶ。熱で空気が歪んだ。
視界の奥にコンパスで描いたような紅い円が多数見える。そして煙。戦場の空気だ。
目の前には敵の赤いガンナーが立ちふさがる。
レイモンドはそれらを倒す。そして殺す。
レイモンドは死体の上に死体を、さらに死体を重ねた。夕日が輝くころにはすべてが終わっていた。一機のガンナーの力だけではない。地球軍が押し切れたのは幸運だとも言えた。
その日、レイモンド以外のトレベヴィチ班の隊員達は戻らなかった。
レイモンドが気付いた時、彼女の話は半ば終わっていた。
「私がアルフォンスに接近して歴史は変わった。この世界で、戦争が続く可能性があるとすれば、二つの理由がある。外宇宙の扉を開いて逃げたウィルヘルムとそして――」
彼女はレイモンドを指差した。
「あなた」
「俺が?」
「だってあなたは闘いも求めている。それを止めない限り、戦争は続くの、だって、そうでしょ?」
「俺は闘いを求めてなんか……」
ほんとうにそうか? とレイモンドは自らを疑う。あれからいくつ時が経っただろう。それからの俺は闘い続けた。殺し続けた。
「だったとして、俺を止めて、ウィルヘルムはどうなる?」
「本来、戦争が終わるその時、あの瞬間に、ゲイト・ジャンプする。そして外宇宙の扉を外側から閉めるの」
「そんなことをすれば、君は外宇宙に、とじこめられるだけだぞ。一体誰の命令でそんなことをしている?」
「アンネリーゼはあの日、言った。ゲイトのキーは争いの種になる。これを持ってこの時空から逃げて、と」
「そうだったとしても、君はこの件から、離れるべきだ。戦争は、俺が終わらせる」
彼女は、手を胸に当てて、言った。
「生きていて、何も残せなかった、というなら、私は死んだ方がマシだ。生きる意味は、見つけ出した。戦争を私が止める。私が失敗したことだから、次は絶対に、止めてみせる」
「ならば、そうしてくれ」
レイモンドは天井を見上げた。何を言っても無駄だ、とレイモンドは悟った。ゲイトのキーの捜索の断念を上に伝えなければならない。それは彼の戦争の終わりを意味していた。
彼女を殺すか? と彼は考えたが、無駄なことだと、考えをかき消した。
「外宇宙の扉を閉じて、君はどうするのだ?」
「私はどこにもいないもの、これからだって、はるか未来の時空の狭間で生きていく」
ぴしゃりと彼女は言った。
レイモンドは黙々と昇降路を上がっていった。彼は思った。すべきことはもうない。ほんとうに? 俺ができることがもう無いなんて考えられないのだ。
戦争という言葉が、奇妙に脳裏から、消えていった。それは呪縛だった。
エウロパの屋根が見えたとき、彼は胸元に、紙片が入っていることを思い出した。
もうずっと、忘れていた、セリーナの言葉だった。焼けて、ところどころ、読めなくなった手紙だ。昇降路を上り終える。紙片をひらく。
あなたには、たたかってとばかり、言ってきたけど、みらいはさ、一人でたたかってつくるものじゃなく、仲間とつくっていくものでしょう?
そっと、紙片を閉じる。そして彼は祈った。何もかもを覆いつくす暗い影。そして一つの小さな明かり。