Sequence1 孤独な戦争
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レイモンド・ヴィンソンはハンドルを握りながら、田園を眺めた。そこに一つの小屋を見出すと、レイモンドは車を停車させた。
収監中のアルフォンス・ヴァルノウに会いに来た。
レイモンドは看守に挨拶をした。看守はレイモンドを一瞥すると、牢の鍵を開けた。
アルフォンスは座って、レイモンドを待っていた。焦点の合わない眼差しをこちらに向けてきた。
アルフォンスの前に木製のテーブルがあった。その上には遊びかけのチェスボード。前に来た時のままだ。一年に一度、レイモンドはアルフォンスを訪ねた。こうして訪ねるのは十三回目になった。十三年という時間は少年を青年に変えた。
目の前にいるのは、あのアルフォンス・ヴァルノウ。レイモンドはアルフォンスと対峙した。
アルフォンスが口を開いた。
「ブドウの収穫期だな」
「ああ」
彼を責める言葉はもう出てこない。レイモンドは言った。
「もうすぐアンネリーゼの戴冠式だ」
「そうか……」
アルフォンスはアンネリーゼを愛していたはずだった。レイモンドは悟った。どんな言葉も彼を捉えておくことはできない。俺にできることは、こいつをただ安らかにしてやることだけだ。
「アンネリーゼがお前のことを心配していた」
「アンネリーゼ様が? 勿体ないお言葉だ……外はどうなっている?」
「エウロパ・ポリスから地球へ使いが来るだろう。それが無事済めば、友好条約が結ばれる。いよいよ戦争の時代は終わる」
「そうか。長かった。本当に長かった……」
アルフォンスは涙を流した。
レイモンドは思った。戦争が終わって、すべてが帳消しになるわけではない。
「お前はこれからどうする?」
とアルフォンスが尋ねた。
「戦争が終わっても、兵士には、別の仕事がある」
レイモンドはチェスを指し始めた。
レイモンドは思った。やることはいくらでもある。あれほどの戦争で世界はまだ暗闇の中だ。
アルフォンスが口を開いた。
「そう簡単には、いかないか……。あの日の約束を覚えているか?」
「約束?」
アルフォンスの目がレイモンドを捉えた。
「地球側に差し出すのは、軍の最高司令官ウィルヘルムと、その部下たちだけだ」
「ああ、分かっているさ」
レイモンドはそう返事をした。彼らはまだ捕まっていない。遥か遠宇宙へ逃げたか? まだ地球にも残党がいる。
レイモンドは嘘をついていた。もはや、エウロパ・ポリスなどないことを。エウロパ・ポリスと呼ばれる都市国家群は散り散りになり、かつてのような力はなかった。アンネリーゼはそのなかの小都市の代表になったにすぎない。この戦争によってエウロパ・ポリスは崩壊したのだ。
アルフォンスに人間らしい表情が戻り始めた。レイモンドは無言でチェスを指し続けた。
レイモンドは戦いにおいては冷徹な男だった。抜け目なく隙をつき、相手を倒してきた。しかしアルフォンスは手強い相手だった。あれほどの強者が何の敵意もなく大人しくしている。それはアンネリーゼへの忠義だろう。
試合は黙々と続けられた。またしても勝負はつかなかった。
帰り際にレイモンドはアルフォンスの笑顔を見た。それは充足感に溢れていた。
レイモンドは車に乗り込むと、アクセルを踏んだ。
レイモンドはまた一年間の戦いに身を投じていくことになった。
宇宙港のオペレイターが言った。
「ゲイトに入ってください」
レイモンドの乗る宇宙船がゲイトをくぐる。ゲイトは薄紫色の光彩を放った。
「ゲイト通過――信号を送り返してください」
「わかった」
レイモンドは操縦席のボタンを押した。息をつくと、ゲイトから抜けた。一瞬のことだった。
レイモンドの乗る宇宙船は木星圏に姿を現した。木星圏の宇宙港のオペレイターから連絡が入った。
「どこの所属だ?」
「地球圏、レイモンド・ヴィンソンだ」
「エウロパ・ポリスはもうない。ここに何の用だ?」
「残党狩りだ」
「エウロパ・ポリスの軍隊なんてここに残っちゃいないさ」
レイモンドは危険を悟った。囲まれている?
ゲイトの周りからエウロパの宇宙港まで数キロあった。レイモンドは宇宙船の格納庫にある、ガンナーに乗り込んだ。宇宙船の格納庫が開いた。これまでほんの数秒だった。
レイモンドは素早く、敵影を見つけた。それを巨大な銃で撃ちぬいた。敵はこの辺の民兵のようだった。ガンナーのモニターで確認した。
ここはまたしても無法地帯になり下がったようだった。レイモンドの記憶ではここは数年前に地球軍に制圧された。その後、地球軍は撤退した。
レイモンドは憤った。ばかやろう、地球軍の上層部のバカども。エウロパはポリスの軍に統率されていなければならなかった。
レイモンドもまさか軍隊など残っていないと思っていたし、ここにいる敵意をむき出しにした連中とも戦いたくはなかった。地球圏が、軍が欲しがったのは、太陽系外進出のためのゲイトとそれを統べるキーだけだった。アンネリーゼがキーを手放してから十三年になる。十三年間、キーは誰の目にも触れることはなかった。
ガンナーを宇宙船の格納庫に乗せて、操縦席に戻ったレイモンドはエウロパの宇宙港を目指した。エウロパはすぐそこだった。
宇宙港は賑わっていた。彼らはどこから来たのか? それはわからない。宇宙の星々から来た、多彩な赤や黄、紫の宇宙船。エウロパ・ポリスのなき今、人ならざる者達がエウロパを跋扈していた。レイモンドを襲った盗賊達はここにはいないだろう。彼らはエウロパの闇に巣食う者達だ。
レイモンドは船外活動用のスーツに着替えると、宇宙港に降り立った。簡単な手続きを済ませると、レイモンドは旧エウロパ・ポリスに向かった。
レイモンドは丘からスコープで都市を観察した。無線からはザーザーという音が聞こえた。
そこは廃墟だ。人の影はなかった。
レイモンドがここに訪れたのは十三年ぶりだ。あれは戦争の最後の作戦のときだった。
レイモンドは降りそそぐ銃弾の雨のなかを走った。
あの瞬間を俺は忘れない。アルフォンス・ヴァルノウのガンナーに銃口を向けて、息を切らしながら、冷徹であろうとした。あいつを殺すことはアンネリーゼが許さない。それだけは分かっていた。
レイモンドは指をトリガーから離した。
「降伏しろ」
アルフォンスは銃を下ろした。
周りの兵がアルフォンスのガンナーを取り押さえた。
「これで何もかも終わる」
レイモンドはひとりごちた。
エウロパ・ポリスはあの日から大きく変わった。レイモンドが驚いたのは、市民の多くが地球への移民になったことだった。
無線から、何かが聞こえてきた。
「信号か?」
レイモンドは無線のなかに信号を聞き取った。
レイモンドは人の存在をそこから感じた。ほとんど廃墟になった、このエウロパ・ポリスでそんなことはあり得ないはずだった。
レイモンドは思った。確かめてみる価値はある。
そう思った矢先、地面が反転したようにレイモンドは感じた。
レイモンドはしゃがみこむと、辺りを見回した。
幸いレイモンドは無傷だった。遠くからの砲撃は止んだ。
まだ都市防衛システムが生きているのか? レイモンドは砲撃があった方角をスコープで眺めた。
戦車1。無人機。そう、レイモンドは確認する。
腹ばいになって、砲撃が止むのを待った。砲撃は一向に止みそうになかった。
レイモンドはこう考えた。音に反応している?
レイモンドは無線を前面に放り投げた。
戦車は無線機に狙いを定めた。そして砲撃した。戦車は砲撃が済むと後退した。
レイモンドはそれをじっと見ていた。戦車が視界から見えなくなると、息をついた。
市街地に降りることは危険かもしれない。しかし、そうしなければキーの手がかりも失う羽目になる。そうレイモンドは思った。
レイモンドは切り立った崖に杭を打ち、ロープを垂らし、市街地に降りていった。
市街地は静かだった。時折、無人戦車の進む地鳴りがした。レイモンドはそれを察知すると、道を迂回した。戦車の数は数台だった。
都市防衛システムにしては数が少なすぎる。レイモンドは不審に思った。
星一つない暗闇が廃墟を包んでいた。
レイモンドは孤独な探索を続けた。都市機能は停止していた。ゾッとするような深く、暗い空と廃墟のなかで情報を探すことは容易ではない。そこは時間が止まった場所だった。何の手がかりもなく、歩いていると昔の記憶がまた蘇ってきた。
レイモンドは思った。確かここは、第二階層だったはずだ。第一階層は動力フロアが広がっている。気密性の高い空間だ。人間がいるとしたらそこにいるだろう。
レイモンドは古い地図で確認した。第一階層へはエレベーターがあった。
レイモンドは都市の奥深くへ潜入していった。
商業施設。マネキンがこちらを見ていた。道路には瓦礫が残っていた。先はまだまだ暗く、遠かった。
レイモンドは思考を巡らせた。アンネリーゼが何を思って、アルフォンスを生かしたのかは分からない。アルフォンスは戦争の先陣を常に歩いてきた男だ。だけど俺たちはあのときまで子どもだった。極限状態に適応することばかりの考えなしだった。今思うことがあるとすれば、アルフォンスもまた子どもだったということかもしれない。戦場にあの幼さで駆り出された、そして誰も彼に……。
レイモンドは思考を中断した。
地鳴り。
戦車だ。レイモンドはそう思うと、身を低くして、体勢を整えた。
戦車を倒せる装備はない。しかし相手もレイモンドを殺しきれるほどの力量はなかった。レイモンドは確信した。レイモンドは戦車の目に照準を合わせた。そこからは簡単だった。弾丸が戦車の目を貫いた。戦車は動きを停止させている。だが完全に無力化できたわけではなかった。
レイモンドは果敢にも戦車の脇をすり抜けて、その場から走り去った。
エレベーターへの道のりは頭に入っていた。高速道路が見えてくると、レイモンドはそこに入っていった。
ビル群の輪郭は暗闇の中に溶けていた。光のない、この町でレイモンドは自分だけが飛翔していくような感覚を得た。高速道路は都市の中核へと続いていた。眼下には人々の、かつてそこに住んでいた生者達の町がモザイク状に広がっていた。
どこまで行けばいい? そうレイモンドは自らに問うた。返事は決まっていた。
「どこまでも」
レイモンドは独り言を言った。それは十三年、いや、今も続く自らの戦争への答えだったのだ。
アンネリーゼ・バルトは窓辺に立ち、庭を眺めていた。執務室には彼女一人だけだ。その瞳には憂いがあった。しかしアンネリーゼは言葉には出さなかった。誰も目にも触れさせない強固な意志があった。だが一人になると気持ちが溢れ出してきてしまうのが、アンネリーゼには辛かった。
レイモンドとアルフォンス、二人の男性の運命を捻じ曲げてしまったこと。一方からは自由を、もう一方からは平穏を奪ってしまったこと。アンネリーゼはそのことに重い責任を感じていた。
エウロパ・ポリスと地球との関係をうまく修正できていたら、軍の行いを正すことができていたなら、何もできなかった。何も知らなかった。アンネリーゼは自らを責めた。
ドアがノックされた。
「アーノルドです。入ってもよろしいでしょうか?」
「どうぞ」
アンネリーゼはアーノルド・カイラスを招いた。
「どうか、なされましたか?」
「いえ、何でもない……」
アーノルドはアンネリーゼの騎士だ。護衛役でもある。そして秘書のような仕事もしていた。
「明日の記念式典の準備は滞りありません」
「そうですか」
「いよいよ明日から始まるのですね」
アーノルドは意気揚々と言った。
「力はなくとも、この小都市もいずれは、かつてのエウロパ・ポリスのような都市になる。私はそのつもり」
アンネリーゼはアーノルドに微笑みかけた。
「護衛は任せてください」
「ありがとう、アーノルド」
「では失礼いたします」
アーノルドは執務室から出ていった。
アンネリーゼは思った。レイモンド、アルフォンス、どこかで見ていて頂戴。私はきっとこれからのことを成功させて見せる。私を信じていて。
電話のベルが鳴った。直通回線だ。
アンネリーゼは誰からだろうと思った。電話を取ると、
「私」
と言った。
「あなた、どうして?」
アンネリーゼは驚いた。それはまさしくアンネリーゼ・バルト本人だった。
「電話をかけてきてはいけない。約束だったはず」
「今、ゲイトを抜けたところ。あなたに伝えておかないといけないことがある。アルはあなたを愛している」
アンネリーゼは動揺した。
「……もう終わったこと」
「彼はあなたを選んだ。私じゃなく。ゲイトの彼方へ行ってみて分かった」
アンネリーゼは電話を切ろうとした。アンネリーゼ・バルトは続けた。
「終わったなら、アルに会おうともしないのは何故? あなたはまだアルの事……」
「やめて!」
電話はいつの間にか切れていた。