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ライトトイガン・チルドレン

 保健室で少し休ませてもらった後、僕は教室に戻ることなくそのまま下校した。今教室では帰りの会が行われているはずだったけれど、その中に戻る勇気はどうしても出なかった。体育館に置き去りになったままの椅子や教室の机に掛かったままのバッグのことが少し気になりはしたけれど、それも些細なことのように思えた。とぼとぼと歩き続けて家に辿り着くと、僕は二階の部屋に上がってそのままベッドで眠りについた。今はとにかくもう、何も考えたくなかった。

 目が覚めたときには、部屋の中は真っ暗になっていた。家の中は、しん、と静まり返っていて、物音ひとつ聞こえない。壁に掛かった時計に目をやると、時刻は午前一時過ぎだった。夕方帰って来てから今までずっと眠ってしまっていたことに、僕は驚く。それほどまでに、僕は疲れきってしまっていたみたいだ。

 ベッドから起き上がって一階に降りると、リビングのソファーの上に僕のスクールバッグが見えた。たぶん、千里が持って帰って来てくれたのだろう。あとでちゃんとお礼を言わないと、と思いつつ、僕は台所を覗いた。テーブルの上には、ラップのかかった僕の分と思われる夕食が置かれていた。メニューは、オムライス。父さんか千里が、作ってくれたのかな。僕はすっかり冷めてしまっているお皿をレンジの中に入れると、ピッとあたためボタンを押した。その間冷蔵庫から麦茶のポッドを取り出して、グラスに注いでごくりと一口飲む。冷たい液体が喉を通るのがわかって、僕はぶるりと震えた。そして温め終わったオムライスをレンジから取り出すと、僕はリビングのソファーに座って一人でそれを食べた。テレビも点けてみたけれど、深夜にやっている番組はどれもあまり面白くなかった。その後僕は風呂場に行ってシャワーをさっと済ませると、再び部屋に戻って眠りについた。



「おはよ」

 翌朝。一階に降りてきた僕に、千里はいつもどおり挨拶をしてくれた。その後も他愛のない言葉を交わすだけで、千里は昨日のことには一斉触れてこなかった。僕はそれに大いに助けられて、普段通りの休日を過ごすことができた。そうしていると昨日の出来事なんて、本当はなかったんじゃないかとさえ思えるほどだった。



 次の日、日曜日。カーテンの隙間から覗き込む日差しで、僕は目が覚めた。目をこすりながら、枕元に置いてあるスマートフォンで時刻を確認しようとする。するとそのとき、視界の端に何かが映った。僕はまだ覚醒しきっていない頭で、その正体を確かめようと首を伸ばした。

「!」

 ぼんやりしていた意識が、冷や水を浴びせられたようにはっきりとした。僕は慌ててベッドの上で体を起こして、状況を把握しようと昨日の記憶を掘り起こす。な、なんで。昨日も特にいつもと変わりなく、普段通りベッドに入って眠りについたはずだ。なのに今僕の体のすぐ脇、ベッドの端には目を閉じて寝転がっている千里がいた。千里は部屋着風のパーカーにホットパンツ姿で、瞳を閉じてすーすーと寝息を立てている。い、いつからここに? ま、まさか。昨日の夜からってことはないよな?

「ん……」

 僕が大混乱に陥っていると、ふいに千里が身をよじった。そして、ぱち、とその大きな瞳が開く。千里はもぞりと身を起こすと、ベッドの上で固まり続けている僕に気が付いた。

「あ、おはよ。ヒロ」

「え……あ、うん……」

 僕はまだまだ状況が掴めないままであったけれど、千里の挨拶につい返事をしてしまった。

「……って、いや、なんで寝てたの!」

 僕ははっとして、勢いよくその疑問を口にした。一体何がどうなっているのか、早急に説明が欲しかった。

「やー、起こしに来たんだけどね。気付いたら寝ちゃってた」

 千里はベッドの上に腰掛けたまま、ははー、と言って笑い声を上げた。それを見て、僕は思わず苦い顔になる。こっちからしたら、ちょっと笑いごとじゃないんだけれど。本当に、朝から心臓に悪かった。

「そうそうヒロ、知ってる? 今日はお祭があるそうじゃないか。一緒に行こうよ」

「祭?」

 その千里の言葉を聞いて、僕はちらりと部屋の壁に掛かったカレンダーに目をやった。五月の終わり……この時期に、祭なんてあっただろうか。首を傾げようとしたそのとき、僕の頭に思い当たるものがあった。そういえば、隣の市では毎年この時期に祭が開催されていたはずだ。場所が結構離れているから、僕は今まで一度も行ったことはないけれど。

「でも、そこすごい遠いよ。車とかバスじゃなきゃ無理だって」

「大丈夫。父さんが車を出してくれるって」

「え」

 僕はちょっと呆気に取られて、千里の顔をまじまじと見つめてしまう。父さんはあんまり、休日に家族サービスをするようなタイプの人ではなかったと思うんだけれど。なんていうか、これも千里の為せる技なのかもしれない。この間僕の銃を買いに行ったときも、密かにお金を調達してきていたし。

「もうすぐお昼だからさー、祭の屋台で何か食べようよ。だから、ヒロも支度してね」

 千里はそう言ってひらひらと手を振ると、僕の部屋から出て行った。手に持ったままだったスマートフォンの画面に目を落とすと、現在時刻は午前十一時十六分。休日と言えど、起きるには随分遅い時間だった。僕はベッドから降りると、衣類の入った壁際の引出しに手を掛けた。

「あ……」

 でもそこで、僕の動きはぴたりと止まった。祭の会場に、同じ学校の人がいるかもしれない。そんな不安が、頭をよぎったのだ。ドクン、ドクン、と心臓が嫌な鼓動を鳴らす。いったいみんなは僕を、どんな目で見るだろうか。それを想像するだけで、怖かった。

 カチ、カチ、と部屋の壁に掛かったアナログ時計の針が動く音がする。時間は未来へと、確実に進み続けている。やってしまったことは、もう取り消せない。時計の針が、逆回りになることはないのだ。


「わー、すごい人だね!」

 千里は祭の会場である市民公園の入り口が見えるなり、そんな感嘆の声を上げた。公園内には色とりどりの屋台がいくつも設置されていて、そこに群がる人の姿も見える。日曜のお昼時ということで、かなり混雑しているようだった。

「どうしよう、まず一通り見ようか。ヒロも、食べたい屋台があったら教えてね!」

「う、うん」

 僕はこちらを向いた千里に一応そう返事をするけれど、正直頭の中は屋台どころではなかった。がやがやとした喧騒の中、僕はきょろきょろと周囲の様子に目を光らせる。僕の学校の制服や運動着姿の人がいないか、気が気じゃないのだ。散々迷ったあげく祭に行くことを決意した僕だったけれど、同じ学校の人に遭遇したら速攻で父さんの待つ車に戻るつもりだった。

「わ、広島焼きだって。向こうにはお好み焼きもあるね。どっちがおいしいんだろう」

「う、うん」

「クレープも食べたいけど、お昼ご飯って感じじゃないよね。あ、でも、サラダクレープってのもあるんだ? どうする? ヒロ」

「う、うん」

 そんな感じの精神状態だったから、僕は屋台を見て回っている間千里からの言葉ほとんどに生返事をしてしまっていた。そうした結果何がどういう展開になったのかわからないけれど、いつの間にか千里が買ってきたたこ焼きと焼きそばを食べることになっていた。まあでも僕はどちらも好きだから、そこに特に問題はない。途中にあった自動販売機でペットボトルのお茶を購入してから、僕達は屋外に長机とパイプ椅子を並べただけの休憩スペースへと移動した。

「……うん! おいしいね!」

 爪楊枝で刺したたこ焼きをぱくりと一口食べて、千里は満面の笑みを浮かべた。辺りのテーブルでも、それぞれが笑顔で食事を楽しんでいる様子が見られる。僕もぷすりと爪楊枝を刺して、白い湯気を立てる熱々のたこ焼きを口の中に放り込んだ。僕は朝食をとっていなかったから、これが今日はじめての食事だった。ソースの甘味とマヨネーズの酸味が生地と合わさって、絶妙な味を形作っている。屋台のたこ焼きにしては、なかなか美味しいと思った。そして僕はペットボトルのお茶を口の中に流し込みながら、ちらりと周囲の様子を確認した。公園内は家族連れや学生風までさまざまな人で溢れていたけれど、今のところ見覚えのあるような人はいなかった。……やっぱり隣の市の祭となると、僕の学校の人達はあまり足を延ばさないのかもしれない。食事をとったことで少し気が緩んだのか、はたまた注意を配り続けることに疲れてしまったのか、僕はだんだんそんな風に思うようになっていた。屋台を回っていたときよりはリラックスした気持ちで、僕は焼きそばにも箸を伸ばす。……うん、こっちも中々美味しい。

「食べ終わったらさー、今度はアクティビティの時間だね。食後の運動がてら」

「アクティビティ?」

 僕はもぐもぐと口を動かしながら、千里の言葉に耳を傾ける。

「ほら、食べ物の屋台以外にもいろいろあるじゃん。お化け屋敷とか、射的とかダーツとか」

「あー、なるほど」

 僕は少し離れたところに見えるカラフルな屋台に、ちらりと目をやった。どこの屋台も人でいっぱいだったけれど、その中でも一際行列が続いていたのは黒いおどろおどろしい看板を掲げたお化け屋敷だった。見た所小学生が多く並んでいるようで、大人の姿は付添いらしき人が少しいるくらいだった。

「お化け屋敷は、この年で入るのはちょっとな……。それに僕、そういうの全然怖くないんだよね」

 僕がそう言って苦笑いをすると、千里はちょっと驚いたような顔になった。

「へえ? 昔は大泣きしていたのにね。ヒロも成長したってことかな」

「え? 嘘ちょっと待って、僕泣いてたっけ? 全然覚えがないんだけど……」

 僕は必死に昔の記憶を手繰り寄せるけれど、お化け屋敷で大泣きしている画は一向に思い出せなかった。子供だから怖がるくらいはしていただろうけれど、泣くほど怖がったことなんてあったっけ? 納得のいかない顔でうーんと唸り続ける僕を見て、千里はけらけらと笑い声を上げる。……小さい頃のことだから別にいいのだけれど、ちょっぴり恥ずかしいような、悔しいような。ましてや僕は忘れてて千里だけが覚えているっていうのも、なんだかなあ。

「まー、あたしもお化け屋敷を怖がるようなタイプじゃないからね。ということで、やっぱりアレかな」

「アレ?」

 千里は残りわずかとなっていた焼きそばの麺をずずーっとかきこむと、ごくり、とペットボトルのお茶に口を付けた。そして白いペットボトルの蓋をぎゅ、と回しながら、僕に向かって不敵な笑みを向けた。

「祭といえば、やっぱり射的だろう!」

 

「へーい、らっしゃい! 二百円で六発、全部外れても残念賞があるよー。いかがっすかー」

 パンパン、と手を叩きながら、頭に白いタオルを巻いた三十代前半くらいの店主の男性が威勢のいい声で呼び込みをしている。射的台の前では何人かが銃を構えていて、時折パァン! という銃声と共にあーだのうーだの言うリアクションの声が聞こえてきていた。

「おじさーん、二人、一回ずつ」

 そんな賑やかな様子の射的の屋台へと近づいた千里は、店主の男性に、チャリン、と硬貨を手渡した。おじさんは「まいどありー!」とそれを受け取ると、脇にあった籠から黒い銃を二丁取り出して僕達へと渡してくれた。それは遠目だと一見本物の拳銃のように見えたけれど、近くで見るとところどころにチープさが滲んでいて、ああ、玩具だなと実感することができた。

「それと二人共、このゴーグルも付けてくれなー。目に当たったら大変だからよー」

 そう言っておじさんは、僕達に透明な眼鏡のようなものも手渡してくれる。よく見たら射的台の前で銃を構えている人達も、皆一様にこのゴーグルを装着していた。

「弾はもう入っているからなー。それと、単発と連射の切り替えスイッチが銃についてるから、お好みに合わせて動かしてくれ」

 そう言うとおじさんは、「はい、頑張りやー」と言って棚にずらりと並んだ景品たちを目で指し示した。景品は駄菓子からゲーム機までとかなり幅広くそろっており、大きさも色々なものがあった。

「……なんか、僕の中の射的とちょっとイメージが違うな」

 僕は台の前で景品を狙って銃を構えている人の姿を見ながら、ぼそりとそんなことを呟いた。僕の中での射的といったら、もっと細長い形状の銃を使って台にへばりついてやるイメージだった。実際小学生の時に一度か二度やった射的は、そういう形式の物だったと思う。だけどこの屋台で使われている銃はこじんまりとしていて、射撃の姿勢も台の前で真っ直ぐに立ってやるスタイルだ。

「これはエアガンを使うタイプだね。最近だと、結構こういうところも多いよ。個人的にはコルク銃よりも、こっちの方が好きだけどね」

 そう言って千里は、にこりと微笑む。その台詞の中の『エアガン』という単語にどこか聞き覚えがあると思ったら、以前部室で千里がサバゲーの説明をしてくれたときにも出てきた言葉だった。たしか一般的なサバゲーでは、この『エアガン』を使用するという話だったはずだ。僕は、右手でぎゅっと銃のグリップを握ってみる。僕達が普段使っている赤外線銃よりも、若干細くて重量も軽い気がした。

「さーて、どれを狙おうかなー」

 すでにゴーグルを装着して準備万端となった千里は、獲物を見定めるように射的台の前をうろうろとしていた。僕もすちゃりとゴーグルを装着してみるけれど、エアガンを使用するタイプの射的に関してははまったくの初心者だ。ましてや、エアガンを撃つということ自体これが初めてである。勝手がよくわからなかった僕は、とりあえずお手本として千里の射撃を見てみることにした。どうやら、千里はかなり射的をやり慣れている雰囲気だし。千里は台の前に真っ直ぐ立つと、地面と平行にして銃を握る右手を前に伸ばした。

「どれを狙うの?」

「あれだよ。あのキャラメルの箱。あれくらいなら、わりと簡単に倒れるはず」

 脇から僕が尋ねると、千里は棚の中に並んだ黄色のキャラメルの箱を顎で指し示した。その大きさは数多くある景品の中でも小さめで、たしかにあれなら難なく倒せそうだった。千里は集中した様子で、標的を睨み付ける。僕は邪魔にならないように、静かにその戦いを見守った。

 パァン! 

「あー、惜しい」

「……ん、もっと下だな」

 千里が撃った弾は、ちょうどキャラメルの箱の角の辺りに当たって跳ね返った。それによって箱は若干後ろに動いたけれど、倒れるまでには至らなかったようだ。千里はカチッ、と銃の側面に付いているスイッチをを切り替えると、再び台の前で腕を伸ばした。

 パァン! パァン! パァン! パァン!

「お、おおー!」

 そして次の銃声は、四回連続で鳴り響いた。千里が銃を、連射モードにしたのだ。弾は連続してキャラメルの箱に当たり、ビシッ、ビシッ、と鈍い音を立てる。そして五発目が命中したとき、浮いたり着地したりを繰り返していた箱の底がついに正面を向いた。

「はいー、おめでとさーん」

 おじさんが棚からひょいっとキャラメルの箱を掴み、千里へと手渡す。周囲では、その様子を見ていたお客さんたちからパチパチとまばらに拍手が上がっていた。

「や、やったね、千里!」

「まー、このくらいはね。小物だから、全然元はとれてないんだけど」

 僕は興奮して、見事景品をゲットした千里へと駆け寄る。千里は謙遜めいたことを言ってはいたけれど、その表情は嬉しそうだった。

「ほら、次はヒロの番だよ!」

「う、うん」

 千里は笑顔でそう言うと、僕の背中をぐいぐいと射的台の前へと押し出し始めた。それに促されるようにして、僕は棚に並ぶ景品をぐるりと眺めてみる。とりあえず最初は小さい物から攻めて行こうと思った僕は、千里がゲットしたキャラメルの箱よりも若干小さめのラムネの箱に狙いを定めることにした。さっきの千里の構えを思い出しながら、僕はすっと銃を持つ右手を前方に伸ばす。

 パァン!

「あー……」

「ドンマイ。まだまだ弾はあるからね」

 しかし僕の撃った弾は、まったく見当違いの方向へと飛んで行った。もしかしたらこれは、当てるだけでも相当に難しいんじゃないだろうか。そんな思いが湧き上がりながらも、僕はちょっと横にずれて軌道修正を図ってから再びトリガーを引いた。

「……あー」

 しかし全弾を使い切っても、ラムネの箱が倒れることはなかった。二発ほどは箱に当たったのだけれど、当たる位置が悪かったようでちょっと後ろに動いただけで終わってしまった。

「あたしの弾一発残ってるからさ、もう一回撃ってみたら」

 落ち込む僕を見て、千里は自分の銃を僕に差し出してくれた。お言葉に甘えてそれを受け取った僕は、千里の体温で少し温かくなっていた銃のグリップを握った。箱の上のほうに狙いを定めて、カチリ、と人差し指でトリガーを引く。

 パァン!

「……」

「うーん、残念」

 しかしその最後の弾は、箱にかすりもせずに棚の裏へと抜けて行った。僕ははあ、と息を吐いて、その場にしゃがみ込む。千里はいとも簡単そうに当てていたのに、まさかこれほどまでに難しいとは。千里のゲットしたキャラメルの箱が、黄金に輝いているようにさえ見えてきた。

「……僕、もう何回かやろうかな。さすがに何か一つくらいは倒したいし……。次は、大きめのを狙ってみようかな。小さいのだと、まず当てるのが難しいし」

 このまま終わるのが悔しかった僕は、肩に掛けた黒いショルダーバッグの中から財布を取り出した。中に入っている千円札を見つめて、さて、何回やろうかと頭の中でしばし吟味する。

「あ、それならさ、あたしと二人で狙おうよ。二人がかりだったら、大きい物でも倒れる可能性あるし」

 そこで千里は、僕にそんな提案をしてくれた。たしかに大きい物は当てるのは簡単だけれど、倒すには威力が必要になる。射的は当てることが目的ではなく倒すことが目的なのだから、それはとても賢い方法だろう。

「うん。そうだね。じゃあ、二人で狙おう。えーっと、大きい景品といったら……」

 僕は頷いて千里の提案に賛成すると、狙う景品を決めるべく景品棚へと目を向けた。すると、棚の真ん中を陣取っている大きな箱がまず一番に目に飛び込んできた。それは据え置き型の家庭用ゲーム機の箱で、上部にはセロハンテープでゲームソフトのパッケージも貼りつけられている。僕は棚の中の他の景品も見てみるけれど、間違いなくそのゲーム機の箱がこの屋台では一番大きな景品だった。

「あー……ヒロ、さすがにそれは、二人じゃ厳しいと思うよ」

 僕の視線から見つめている物がわかったらしく、隣で千里が苦い表情をしていた。

「あ……うん、わかってる。ただ、一番大きいから目を引いただけで……」

「あれ? 君達も大物狙い?」

 ただ見ていただけだということを伝えようとした僕の言葉は、何者かの台詞によって遮られた。声のするほうに振り向くと、大学生風の若い男の人がにこやかにこちらを見ていた。髪の色は明るく脱色されていて、耳にはいくつかピアスをつけている。そしてその手には、僕達と同じ黒いエアガンが握られていた。

「君達、中学生? カップルでお祭りなんていいねー」

「カップルではないですけどね。キョーダイです」

 いきなり見知らぬ年上の人に話し掛けられて固まっている僕の脇で、千里は平然とそう応対する。男の人は「ん?」と言ってまじまじと僕と千里の顔を比べるようにに見つめると、「あ、ホントだ。よく見たら似てるねー」と呟いた。

「あ、それでさー、どうよ? 君達もあのゲーム機狙いだったらさー、俺らと協力しない?」

 男の人は左手の親指を立てて、棚に並んでいる大きな箱を指差した。そして後ろを向いてちょいちょいと手招きをすると、屋台の周りにいた友達らしき大学生風の男の人達を呼び寄せる。その人数はかなりのもので、十五人以上は確実にいるように思えた。年上の男の人達にぐるりと囲まれて、僕はちょっと委縮してしまう。

「一応こっちはこれだけの人数いるんだけどさー、これに君達が加わってくれたら、ますます心強いってゆーか。どうよ? この人数だったらいけそうな気がしない?」

 そう熱く語る男の人の言葉を聞いて、僕は再びゲーム機の箱を見つめた。……たしかにこれだけの人数で一斉に発砲すれば、あの大きな箱でも可能性があるように思える。表面積が大きいから弾を当てるのは簡単なはずだし、威力さえ備わればごり押しできそうな気がした。

「……えーっと、でも、人数分銃ありますか?」

 千里は少し考え込む仕草を見せた後、そう言ってちらりと店主のおじさんに目を向けた。いくら人数が揃っていても、銃の数が少なかったら意味がない。千里は冷静に、その点を確認しようとしているのだ。

「うちにある銃は、全部で二十丁だ。今はいくつか他のお客さんが使ってるけど、終わるまで待ってくれれば全部まとめて貸し出すことは可能だよ」

 おじさんは僕達が相談しているのを横で聞いていたらしく、そんな的確な返答をしてくれる。それを聞くと男の人は人差し指を立てて、いち、にー……と周囲を囲む人の人数を数え始めた。

「えーっと、うちのサークルは十七人だから……君達が加わっても、数としては問題ないな」

 人数を確認し終えた男の人は、にこりと僕達に笑みを向けた。その目からは、「どうする?」という問いかけがひしひしと感じられた。

「……千里、どう思う?」

 僕は隣に佇む千里に、意見を窺う。僕はほとんど射的の経験がないから、この話に乗るべきか乗らないべきかの判断がいまいちつかなかった。

「ん……、あたしもさすがにこんなに大人数でやったことはないからなあ。なんともいえないところではあるけど……でもまあ、挑戦する価値はあるんじゃないかな。これだけの大物を倒せたら、大した栄誉だし」

 千里はそう言って、向こうの棚に並んでいるゲーム機の大きな箱をちらりと見つめた。その箱はまるでこの屋台の王のような顔をして、独特な雰囲気を纏ってどっしりと鎮座している。……挑戦しないで諦めるのは、なんだか悔しい気がする。僕と千里はどちらからともなく顔を合わせると、揃ってこくりと頷いた。


「さーあ、準備はいいかお前らああー! ぜってえとるぞおおーっ!」

「おおおおおーっ!」

 僕達はそんな雄叫びを上げると、一斉に銃を握った右手を前方へと突き出した。二十人近い人がぎゅうぎゅうに一塊になっている光景に、一体何事かと通行人からは奇異の目が向けられる。見知らぬ年上の男の人たちと密着する今の体勢には僕自身も少し思うところはあるけれど、これも景品ゲットのためだ。それにこの中で唯一の女子である千里が文句を言っていないのだから、僕が騒ぐわけにもいかない。ただただ集中して、遠くに見える標的に弾を当てることを考えるだけである。僕はぎゅっと、銃のグリップを握る右手に力を込める。弾の数は一人三十発、金額にして千円分。僕と千里、それに大学生のグループが十七人で計十九人だから、合計で五百七十発。それを連射モードで、一斉に箱に叩きつける計画だ。

「いいか? 狙いは箱の上半分だ。一気に撃って撃って撃って、力押しするぞ!」

「おおおおおーっ!」

 先程からみんなを鼓舞しているのは、僕達に声を掛けてきたあの男の人だ。ちなみにここにいる大学生は皆同じラグビーサークルのメンバーで、この男の人がサークルリーダーをしているそうだ。やはり体育会系のサークルだけあって、団結力や熱気がすごい。そうして十分に士気を高めたのち、男の人は最後の号令を掛けるべく大きく息を吸い込んだ。

「全員、構え!」

「……!」

 しん、と空気が張り詰めて、周囲の人の息遣いだけが静かに響き渡る。いよいよ、始まる。その緊張感に、僕の額から一筋の汗がすーっと流れた。

「3、2、1、撃てえええーっ!!!」

 パパパパパパパパパァアアン! 

「!」

 途端に降り注いだ銃声は、想像をはるかに超える大音量だった。耳元や頭の上で轟雷のように鳴り響く大きな音に、僕はわずかに怯んでしまう。

「撃て撃て撃て撃てえええーっ!!!」

 しかし再び聞こえた男の人の声に、僕はなんとか気持ちを立て直してしっかりと銃を握った。人差し指でトリガーを引きながら、反動で銃身が動かないように力を込める。ビシビシビシビシイイィッ! とこれまた大きな音を立てながら、箱に大量の弾が叩きつけられていく。もはや自分の飛ばした弾がどれなのか、わからないほどであった。その弾の勢いによって、箱の底は浮き上がったり戻ろうとしたりを繰り返す。頼む。倒れてくれ。そんな願いを込めながら、僕達はトリガーを引き続ける。するとやがて僕達の放つ弾の威力が、元の位置に戻ろうとする箱の力を上回った。大きな箱はぐらり、と一気に後ろへ傾いて、降参でもするかのようにその底を僕達へと向けた。

「っしゃあああああーっ!!!」

 それを見届けた瞬間、僕達は歓喜の叫び声を上げた。誰彼構わずに抱き合って、この戦いに勝利した喜びを分かち合う。辺りで見守っていたギャラリーからは、盛大な拍手が沸き起こった。

「うっわー、マジで倒しやがったかぁ……。ったく、学生のパワー恐ろしいな……」

 みんなが大興奮で笑顔に包まれる中、一人苦い顔をしているのは店主のおじさんだった。きっとこういう大きな景品は客寄せの為に置いているもので、実際に倒されることを想定しているものではなかったのだろう。おじさんははぁー、と溜め息を吐きつつも、射的台の下をごそごそと漁り出した。

「ほら、持ってけ! お前らの戦利品だ!」

「あざああああーっす!」

 男の人がおじさんからゲーム機の箱を受け取ると、再び大きな歓声があがった。僕も拍手をしながら、男の人が頭上に掲げたゲーム機の箱を見つめる。まさか、あんな大きな景品を本当にゲットできるとは。その栄誉にわずかでも貢献できたということに、僕の中でも嬉しさが湧き上がった。

「うーっし、じゃあこれは、ボウズと嬢ちゃんに、だな」

「えっ」

 男の人は戦いを見守ってくれたギャラリーにも箱を見せびらかすと、くるりと僕と千里の方を向いた。そして手に持った大きな箱を、こちらに向かってすっと差し出した。

「い、いやいやいや……受け取れないですよ。僕ら二人の力なんて、お兄さん達に比べたら微々たるものでしたし……」

「そうですよ。それにそもそも、そちらからお誘いいただいたわけですし」

 僕と千里は、そう言って箱の受け取りを渋る。僕達としてはこの楽しい試みに参加させてもらえただけで、十分に満足だ。その上景品までいただくなんて、さすがにそこまで図々しいことはできない。しかし男の人は、にこりと微笑みを浮かべる。

「なーに、遠慮すんなって。だってさー、よく考えてみ? 俺らこの人数だぜ? ゲーム機は一個しかないんだからさぁ、分けようったって分けられねぇじゃん? その点君達はキョーダイだから、一家族に一個で一件落着じゃん」

「そーそー。だからもらっとけよ、中坊」

「お前ら二人がいなかったら、ゲットできなかったかもしれないんだからよー」

 男の人に加え、一緒に肩を並べて戦った大学生たちもそんな風に言ってくれる。そんな場の雰囲気に圧されて、僕と千里は顔を見合わせた。本当にいいのだろうか。このゲーム機は、値段にして数万円はする高価なものだというのに。

「ほれ、力仕事は男が担当な」

「わっ!」

 男の人はそう言うと、未だに返事を迷っていた僕の方にゲーム機の箱を押し付けて来た。落としでもしたら大変なので、僕はつい反射的に手を出してそれを受け取ってしまう。

「うーし、射的は完全勝利したしなーっ! 次はどの屋台に行くかなー」

「型抜きしましょうよ、先輩!」

 そのままくるりと背を向けると、男の人は射的の屋台を離れていった。その後ろを、ぞろぞろとたくさんの大学生たちも続いていく。

「あ、あの!」

 僕は遠ざかって行く男の人の背中に、慌てて声を掛けた。

「ありがとうございました! これ! 大切にします!」

 僕はそう言って、大きな箱を抱えたままぺこりと頭を下げた。隣では、千里も同じ動きをしている。男の人はそれに気付いて振り向くと、白い歯を覗かせてにかっと笑った。

「おう! 楽しく遊べよー!」

 そう言って軽く手を振ると、男の人はそのまま祭の人ごみの中に紛れて行った。先程まで僕達が占領していた射的の屋台には再び客が訪れ始めたようで、パァン! パァン! という銃声がまばらに響き渡る。

「ヒロ! やったね!」

「千里……。う、うん!」

 千里はにこりと笑みを浮かべると、片手を挙げて僕にハイタッチを求めてきた。僕は抱えている箱から一旦右手を離して、パチン! とそれに応えた。左手にはずっしりとした箱の重みが圧し掛かり、今の出来事が確かな現実だということを伝えてくる。再び両手で箱を抱えながら、僕はさっきの男の人の姿を思い出していた。明るくて、優しくて、かっこいい。短い時間だったけれど、僕の中には今も尚鮮烈な印象が残っていた。体が熱くなって、ドクン、ドクン、という心臓の音が聞こえる。この感情はきっと、『憧れ』というものだった。大学生といえば、今中学生の僕にとってもそう遠くない未来の話だ。……その頃、僕は一体どうしているのだろうか。

 軽快な祭囃子の音と、そこかしこから聞こえる賑やかな笑い声。たくさんの人が行き交って、地面からは砂埃が巻き上がる。僕は遠い未来を探し求めるように、頭上の青空を見上げた。どこまでも続くような広い空は、まるで僕にたくさんの可能性を示しているかのようだった。


「うりゃっ!」

「あ! ヤ、ヤバい……」

 その夜。千里と僕はさっそく、祭の戦利品であるテレビゲームに興じていた。ゲーム機本体に付属していたゲームソフトは、インクの出る武器を使ってたくさんの地面を塗ることができた方が勝ち、というシンプルなゲームだった。しかしシンプルゆえに戦略や戦術を幅広くとることができ、中々に奥が深い。協力プレイや対戦モードなど様々な形式で、僕達は白熱してコントローラーを握り続けた。途中で千里が父さんを誘ったりして、慣れないゲームに四苦八苦する大の大人の姿が見られたのも思わぬ盛り上がりポイントだった。このまま、ずっとこの時間が続けばいいのに。僕は笑顔を浮かべながら、楽しい家族団欒の時間を過ごした。



 チュン、チュン、と外から鳥のさえずりが聞こえてくる。カーテンの隙間から注ぎ込む朝日が、ベッドに横たわる僕の頬を照らし出す。それが煩わしくて、僕はごろん、と寝返りをうった。だけどそれでも、朝の気配は僕に纏わりついたままだ。

「……」

 楽しい時間は、永遠には続かない。夜が明ければ、当然朝がやってくる。僕は観念するかのように、ぱちりと目を開いた。夢のような幸せは過去へと消え、否応なく現実が飛び込んでくる。十三年間幾度となく迎えてきた朝だったけれど、僕の気分はこれ以上ないくらいに憂鬱だった。

 月曜日。今日は、学校に行かなければいけない。それを思うだけで僕の心臓はドクドクと早鐘を打ち、呼吸は荒くなる。手足は震え、目には涙が滲み、胃からは吐き気がせり上がってくる。だけど今日欠席したら、今後ますます行きづらくなるだろうということはわかっていた。それに僕が勇気を出して全校生徒の前で演説をしたのは、ライトトイガン部を存続させるためだ。学校に行かなければ、そもそもの意味がない。

 だから僕はなんとか制服に着替え、重い足を引きずって学校へと向かった。千里は随分前に家を出ていたので、僕は一人で通学路を歩いた。学校に到着したのは遅刻ギリギリの時間で、昇降口に生徒の姿はほとんどなかった。そんな光景に僕は半年ぶりに登校したつい二週間程前のあの日を思い出すけれど、状況としては今の方が悪い気がした。不登校はそんなに珍しいことではないけれど、全校生徒の前で支離滅裂な演説をする奴なんてそうそういない。僕は下駄箱に手を付いてはあ……と息を吐くと、教室へと向かって歩き出した。大丈夫。僕は精一杯やった。そう言い聞かせることで、弱い心に飲まれそうになるのを必死に抑えた。

「……っ」

 階段を上って二年生前の廊下に出ると、そこにはたくさんの生徒たちがたむろしていた。僕は誰とも目が合わないうちにさっと俯いて、二組の教室のドアへと歩いた。そのまま立ち止まることなくドアをくぐり、すぐ傍にある自分の席の椅子を引いてすとんと座る。ドク、ドク、ドクと心臓の音が大きくなる中、僕は震える手でバッグの中身を机の中に移し始めた。教室内は、賑やかなおしゃべりの声で溢れている。その視線が、言葉がいつ僕に向けられるのか。ビクビクしながら、僕は縮こまって椅子に座り続けた。

「……」

 しかしただただそうしているのも落ち着かなくて、僕は勇気を出して少し顔を上げてみた。教室内には、仲の良い者同士で固まってお喋りをしている姿がいくつも見られる。坊主頭の長谷川君、丸山君、館林君の姿もあった。時折笑い声を上げながら話し込むクラスメイト達は、誰一人として僕の方を向いてはいなかった。そのことに、僕はちょっと驚いてしまう。あれだけのことをしたのだから、絶対に奇異の視線を向けてくる人がいるだろうと思ったのだ。だけどみんなは僕の存在に気付いてもいない様子で、仲間と楽しく朝のひとときを過ごしている。

 キーン、コーン……カーン、コーン……。

 すると朝読書開始のチャイムが鳴り、生徒達はバタバタと自分の席に戻って行った。教室内はしんと静まり返り、各々が机の上の本に目を落とし始める。僕は整然と並ぶ生徒達の後ろ姿を眺めながら、本の表紙をぎゅっと握り締めた。……これからだ。これからきっと、僕には今までとは比べものにならないくらいの大きな困難が襲いかかってくるだろう。僕はある種の覚悟を決めるように、教室の壁に掛かる時計の針を見つめた。一日は、まだ始まったばかりだった。


「じゃーなー、また明日!」

「あ、貸してたCD、明日忘れずに持ってこいよー!」

「わーってるよ!」

 バタバタバタ、と僕の席のすぐ傍のドアをくぐり抜けて、生徒達は次々と教室を出ていく。今日は部活動がないゆとりの日とあって、放課後の生徒達の様子はどこか浮き足立っているように感じられる。この後遊ぶ約束をしている人もいるようで、あちこちから楽しそうな会話が聞こえて来ていた。

「……」

 そんな中、僕はすっかり荷物を詰め終わったというのに未だに自分の席に座り続けていた。本来なら学校なんてそそくさと帰ってしまいたいはずなのに、僕はぼんやりと教室の前方の黒板を見つめ続ける。頭の中では、今日一日の出来事を振り返っていた。

 結論からいえば、僕の今日は今までと何ら変わり映えのしない一日だった。誰も僕に声を掛けてこないし、僕だって誰かに声を掛けることもない。今まで通り僕は教室の隅っこに、ひっそりと存在しているだけだった。てっきりいじめられるのではないかと身構えていた僕にとって、これはなんとも拍子抜けする結果だった。もちろんいじめられたいわけではないからほっとはしたのだけれど、それは同時に容赦のない事実を僕に突きつけていた。

 僕が一念発起して行った演説は、みんなの心に何一つ刺さらなかったのだ。僕みたいな奴が声を上げたところで、みんなにとっては蚊が鳴いているのと同じことだった。僕は改めて、今日一日のクラスメイトの様子を思い浮かべた。僕の力では、現実に何の影響も及ぼすことができない。変わらない日常が、否応なくそのことを証明してしまっていた。僕は小さな絶望感のようなものを抱えながら、スクールバッグを手に教室を出た。ライトトイガン部を守りたいという僕の行動は、無駄だったのだ。



 次の日も、僕の冴えない日常は変わりなく続いた。英語の授業での掛け合いはいちいち緊張するし、体育のペア練習では当然僕が余った。理科の実験では邪魔なだけの存在だし、掃除の時間には自然と一番面倒な拭き掃除の担当になる。

 昼休みに、千里が教室に来た。放課後先生に呼び出されているから先に部室に行っててくれ、とのことだった。それを聞いて僕は、ああ、廃部が確定したんだな、と思った。

 放課後。僕は憂鬱な足取りながらも、言われた通り部室へと向かった。人がいないがらんとした部室は、なんだか悲しい顔をしているように見えた。僕はパイプ椅子を窓際へと引っ張ると、そこに腰掛けてグラウンドの様子をじっと眺めた。ここからの景色も、これで見納めだろう。僕は千里を待つ間、短かった部活での日々を思い出していた。

 

「ライトトイガン部は、存続できることになった。今まで通り、特に何の制限もなく活動を続けられるよ」

「……え」

 だから僕は部室にやって来た千里が言い放った言葉の意味を、すぐには理解できなかった。ぽかん、とした顔で、テーブルを挟んで僕の正面に座る千里の顔をただただじっと見つめ続ける。

「あれ、嬉しくないのかい? ヒロの演説のおかげじゃないか」

 何の反応も示さない僕を見て、千里は不思議そうに首を傾げた。僕はまだまだ、混乱の中にあった。

「え……、存続って、なんで」

 やっとのことで、僕はその言葉を絞り出した。

「ん、ああ。ヒロは途中で帰っちゃったから知らないのか。生徒総会の後に、予定通り全校生徒にアンケートが行われたんだよ。それでその結果、ライトトイガン部の存続に多数の票が集まったんだ。そのことが大きな後押しになって、無事に部活の存続が決定したんだよ」

「そ……」

 千里から詳細を聞いてもまだ、僕の心の中は信じられないという気持ちでいっぱいだった。ライトトイガン部の存続に、みんなが票を入れてくれた。その事実に、未だに実感が湧かなかったのだ。

「ヒロのまっすぐな言葉が、みんなの心に届いたんだ。弱さも痛みもさらけ出したヒロを見て、何とかしてあげたい、と思った人が大勢いたんだよ。きっとあたしの言葉じゃ、届かなかった。ヒロの、力だよ」

 千里はそう言うと、にこりと優しい笑みを浮かべた。だけど僕はそこまで言われても、素直に喜ぶことができずにいた。僕の演説が、みんなの心を動かした? とてもじゃないけれど、そんな風に思えなかったのだ。

「……あれ、まだ納得できない?」

 千里は、そんな微妙な表情の僕の顔を覗き込む。僕は、正直にこくりと頷いた。

「そりゃ……。だって、その。クラスの人達は、全然そんな感じじゃなかったし……」

 ぼそぼそとそう呟くと、僕は昨日と今日の学校生活を頭に思い浮かべた。そこにあったのは、今までと何ら変わらない冴えない僕の日常。クラスメイト達の態度だって、演説前と後で何の変化もない。この人達の大半が存続に票を投じてくれたなんて、まったく信じられなかった。千里はそんな僕の考えていることがわかったのか、「ああ」と合点がいったように頷いてから再び口を開いた。

「だってね、ヒロ。人は嘘を吐く生き物だよ。誰もがいつでも、自分に正直に生きているとは限らない。まあヒロは素直だから、あんまりピンとこないかもしれないけれど」

「……う、うん?」

 千里の言いたいことがよくわからなくて、僕は首を傾げた。今の千里の言葉と部活の存続に、いまいち関連性を見出せなかったのだ。千里はそんな僕に言い聞かせるようにして、優しい声音で言葉を続けた。

「演説を聞いて、ヒロのことをすごいと、かっこいいと思った人は必ずいたはずだよ。全校生徒の前で自分の気持ちを話すなんて、誰にでもできることじゃない。きっとクラスにも、ヒロと仲良くなりたいと思っている人がいるだろうね。だけど、それを決して表に出しはしない。……なぜだかわかるかい?」

 僕は、ふるふると首を横に振った。千里はふっと微笑んでから、すべての種明かしをするように告げた。

「照れくさいからだよ。ましてや中学生なんて、そういうお年頃じゃないか」

「……え」

 僕は千里の言葉を、自分の中で何度も反芻した。僕をいるんだかいないんだかわからないような存在として扱うクラスメイト達の本心は、別にある? ……だけどやっぱり、確信は得られなかった。大体人間関係に関する分野は、僕の最も苦手とするところだ。他人が何を考えているかなんて、ましてやそれが自分に関することだったら尚更わかるわけがない。

 そのとき、コンコン、と部室に控え目なノックの音が鳴り響いた。僕と千里は、一斉に部室のドアの方へと目を向ける。誰だろう? 今まで部室に来客などなかったから、ドアの向こうにいるであろう人物など想像もつかなかった。「はい」と千里が返事をすると、ガチャリとドアが開いた。そこから顔を覗かせたのは、前髪を短く切りそろえた女子生徒だった。あどけない顔立ちや雰囲気から判断するに、どうやら一年生のようだった。

「すみません、ライトトイガン部の部室ですよね? えっと、私一応入部希望というか、その前に一度色々お話を伺いたいと思って来たんですけど……」

「!」

 その女子が発した言葉に、僕は思わず千里の顔を見た。千里も驚いているようだったれど、その表情はすぐに優しい笑みへと変わった。ちらりと僕を見るその目からは、「ほらね?」という言葉が聞こえてくるかのようだった。

 千里はその女子を迎え入れるために、椅子から立ち上がって部室のドアへと向かった。窓からすーっと風が吹き込んできて、その長い黒髪が揺れた。


 季節は、もうすぐ夏。天気は、今日も快晴。

 ライトトイガン部の活動は、これからますます賑やかになりそうだった。

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