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危機

「ちーす、上北ー」

 ガタイのいい坊主頭のクラスメイトが僕に声を掛けてきたのは、火曜日の昼休みのことだった。野球部に所属している、長谷川君だ。その両脇からはぞろぞろと、同じく野球部の丸山君と館林君もやって来て僕の席を取り囲む。そこで僕はようやく、この前頼まれた千里の件をこのゴリラ達に伝えそびれていたことに思い当たった。

「えーっと、どうだった? 聞いてみてくれた? その……千里ちゃんのこと」

 長谷川君はもじもじと、大きな体を縮こまらせる。その様子は相変わらず大層気味が悪かったので、僕はなるべく見ないように努めた。

「えっと……彼氏はいないそうです」

 僕がそう報告すると、三人は「っしゃ!」と言ってその場で一斉にガッツポーズを決めた。さすがは体育会系、といった感じの団結力を目の辺りにして、僕は次の言葉が出しづらくてしょうがなくなる。たしかに千里に彼氏はいないけれど、だからといってゴリラと付き合う気もないのだ。

「あーっ、それで、アドレスのほうは……」

 来た。長谷川君は鼻息荒く、机に両手をついて脂っぽい顔を僕に近づけてくる。僕はちょっと顔を背けて「あー……」と間を作ってから、口を開いた。

「えっと……顔も知らない人に教えるのはちょっとアレだから、直接聞きに来てって言ってました」

「おお……」

 三人はさっきまでの喜びの空気を一変させて、これまた揃ってずーんと落ち込んでいた。

「な、なーんか。躱し慣れてるっぽいな」

「雄司、聞きにいってよ、代表で」

「無理だろお……。つーか、その勇気がないから弟に聞いてんだろーが。自分で聞ければ最初からそうしてるっつーの」

 子猿とゴリラは、はあ……と溜め息を吐きながら僕の席の周りで崩れ落ちている。それを見て僕は、もう用は済んだんだから早くどこかに行ってくれないかな、と思った。

「ヒロ」

「! 千里」

 そのとき、僕の席のすぐ脇の教室のドアからひょっこりと千里が顔を出した。ゴリラ達は千里の姿を見るや否や、電撃にでも撃たれたかのようにピンと姿勢を正した。

「ど、どうしたの」

 背後にゴリラ達の熱い視線を感じながらも、僕は千里に尋ねる。

「今日、放課後先生から呼び出しがあってさ。だから悪いんだけど、職員室から鍵借りて先に部室に行っててくれ」

「え、あ、そうなんだ。うん、わかった」

「悪いね。よろしく頼むよ」

 それだけを伝えると、千里は「じゃ」と言って教室を離れて行った。僕は先生からの呼び出しという言葉にちょっと不穏なものを感じたけれど、千里は転校生だしその関係で何か話があるのかもしれないと思った。千里は、先生から怒られるようなことをしでかすようなタイプでもないし。千里の姿が見えなくなると、ゴリラ達はふーっと大きく息を吐いて再びリラックスした姿勢に戻った。

「やべー、近くで見てもやっぱめっちゃ可愛い……」

「同じクラスの奴羨ましいな……」

 長谷川君と丸山君はそう言って、だらしなく口元を緩ませていた。僕はその様子を見て、そんなに好きならアドレスくらい普通に聞けばいいのに、と思った。実際さっきは話しかけるチャンスだったはずなのに、ゴリラ達がしたことといえば案山子のようにその場に突っ立っていただけだ。勇気がないなんて言っていたけれど、長谷川君みたいなクラスの中心にいるような人間ならそんなのどうとでもなるんじゃないだろうか。クラスの隅っこで身を縮こまらせているような僕とは、人種が違うのだから。だけど長谷川君たちは、そうしない。……やっぱり、他人のことはよくわからない。わからなくて、面倒くさい。僕は右手で机の上に頬杖をついて、ぼんやりと教室の天井を見つめた。

 このときの僕は千里の言っていた呼び出しが今後重要な意味を持つことを、まだ知らなかった。


「ヒロ、ごめん、だいぶ待たせてしまったね」

「あ、千里」 

 千里が部室にやって来たのは、僕が部室の鍵を開けてから実に一時間以上が経った頃のことだった。先生との話にだいぶ時間がかかったようで、僕はその間一人で銃をいじったり、窓から見えるグラウンドの様子を眺めたりしていた。

「えっと……今日は何する?」

 千里が床にスクールバッグを下ろしたところで、僕はいてもたってもいられずにそう尋ねた。昨日はゆとりの日で部活がなかったので、銃に触るのは日曜に晴日達と試合をして以来のことになる。初の対外試合ではなんとか勝利を収めたけれど、僕はまだ一対一の戦いで千里に勝利できていない。今日こそは勝てるといいな、と僕は気合いの込もった眼差しで千里を見つめた。

「あー……、それが、ね。ちょっと話があるんだ」

「話?」

 千里の言葉は、なんとも歯切れの悪い感じだった。僕は首を傾げつつも、千里がパイプ椅子へと腰掛けるのを黙って見守った。

「この部活について、ちょっと問題が生じてしまったんだ」

「え、も、問題?」

 僕の正面に座る千里の表情は、真剣なものだった。一体千里の口から何が飛び出してくるのか想像もできなくて、僕の心臓はドクン、ドクン、と緊張の音を鳴らし始める。

「え、えっと……もしかして、今の呼び出しと関係あるの?」

「うん。溝内(みぞうち)先生ってわかる? えーっと、教科担当は理科だったかな。白衣着ててさ。部室には一度も顔を出していないけれど、一応ライトトイガン部の顧問なんだ」

「あ……そうだったんだ」

 僕の頭の中に、白衣を着て眼鏡を掛けている痩せ細った男の先生の姿が浮かんだ。溝内先生は三十代後半くらいの年齢で、いかにも研究オタクといった雰囲気でちょっと独特な感じのする人だ。僕は一年生のときに、この溝内先生から理科を教わっていた。

「それで……呼び出しの内容なんだけれどね。ライトトイガン部の活動は、主にサバゲーをすることだろう? そのサバゲーが、学校の部活動としてはふさわしくないんじゃないかという声が、一部の生徒や保護者、教職員から上がったらしいんだ。銃を撃ち合って勝ち負けを決めるなんて、『戦争ごっこ』じゃないか、って」

「えっ……」

 僕の顔から、さーっと血の気が引いていった。その問題というのが、ライトトイガン部の存続に関わるくらいに大きなものだと一瞬で認識できたからだ。

「まあ、このご時世だしね。色々とデリケートなんだろう」

 千里はそう言うと、ふう、と息を吐いた。その表情からは、疲労の色が濃く感じられた。今までずっと、そのことについて先生と話していたのだろう。

 サバゲーは戦争ごっこだから、学校の部活動としては、ふさわしくない。……だから? だから、どうしろと? その後に続く言葉を考えたくなくて、僕は必死に口を動かした。

「で……でもっ、僕達が使うのは赤外線銃だし、弾は出ないから誰かが怪我することもないし……。そ、それにそんなことを言ったら、子供が水鉄砲で遊ぶのだって戦争ごっこじゃないか……! そんなの、言いがかりだって……」

「ヒロの言うこともわかる。だけど、サバゲーを不愉快に思う人がいるのも紛れもない事実だ。それに、まったくもってあっちの意見が理解できないわけじゃない。ヒロも、そうなんじゃないか?」

「……!」

 つい熱くなって色んなことを喚き立ててしまった僕に、千里の冷静な言葉が突きつけられた。その真っ直ぐな瞳は、僕の心の中をすべて見透かしているかのようだった。

「人を殺すために作られた道具の玩具を持って、『死んだ』だの『殺した』だの言って走り回っているんだよ。それを嫌だと、怖いと感じる気持ちもわからなくはないだろう? 現に、そう思っている人は存在しているんだ。そして、その考えも尊重しなくてはならない」

「……」

 千里から強い瞳で見つめられ、僕はもう何も言うことができずに黙り込んでしまった。だって、僕にも思い当たることがあった。晴日達との試合で千里が自分を『死んだ』と表現したとき、僕はそれを一瞬だけれど不謹慎だと感じた。言いがかりだと切り捨てるには、あまりにも頼りない。どんなに認めたくなくても、僕達のやっていることは紛れもなく『戦争ごっこ』だった。

「……じゃあ、部活は廃部になるの」

 僕は滲みそうになる涙をこらえながら、そう口にした。

「させるわけないだろう」

「……!」

 顔を上げた僕は、思わず息を呑んだ。そう呟いた千里は、今までに見たことがないくらいに鋭い目をしていた。顎に手を当てて虚空を見つめる千里の目からは、完全に光が失われてしまっている。その目が見つめる先に何か得体の知れないどす黒いものがあるような気がして、僕ははじめて千里に対して恐怖を感じた。やがて僕のそんな視線に気付いたのか、千里は表情を変えると優しく微笑んだ。

「……いいかい? ライトトイガン部のことをよく思っていない人がいるのは事実だ。だけど、全員がそう思っているとは限らない。たまたま声を上げた数人の意見が、全体の意見として捉えられるのは納得ができないだろう?」

「う、うん……」

 僕は千里の言いたいことを理解しようと努めながら、そう頷きを返す。千里はいつも通り、穏やかな表情だ。さっきの鋭い目つきは、僕の見間違いだったのかもしれない。

「だから、全校生徒にアンケートをとるんだ。ライトトイガン部を存続すべきか、廃部にすべきか。この国は民主主義だからね。多数決で物事を決めるというのは、理にかなっているはずだよ」

「アンケート……」

 千里の言った言葉を、僕は口の中で転がす。それは千里らしい、とても真っ直ぐな正攻法だと思った。だけど僕は元々マイナス思考なこともあって、その方法に絶対の自信を持つことはできなかった。

「……でも、必ずしも賛成が多数得られるとは限らないんじゃないかな。そもそもライトトイガン部が何をする部活なのかすらほとんどの人は知らないだろうし、そんな状態で支持を得られるかな……」

 僕は、正直にそう不安を口にする。アンケートという形なら個人がどう答えたかを公表することもないし、面白がって廃部に票を投じる人も絶対に出て来るはずだ。

「うん、そうだね。今のままじゃ難しいだろう」

 さすがに千里もそう甘い考えではなかったようで、僕の意見に賛同してくれる。しかしその言葉とは裏腹に、千里から弱々しさのようなものは一斉感じられなかった。

「だから、演説の場を押さえたんだ。今週の金曜日の五、六時間目に生徒総会があるだろう? そこの時間を、ちょっと借りることができたんだ。そこで、生徒達を一気に惹きつける。それで決まりだ」

 そう語る千里の目には、自信が満ち溢れていた。それを見ていると、本当に何も心配することなんてないと思えてきてしまうから不思議だった。僕は開きかけた口を結んで、こくりと強く頷きを返した。千里の演説ならきっと、みんなの心を掴むことができるだろう。

 決戦は、金曜日。だけど、僕がすることは何もない。いつものように千里がヒーローになって、僕を助けてくれる。僕はそれを、ただじっと待っていればいいのだ。



『皆の者ーっ、一列に並べえぇーっ!』

 パッ、と映し出されたのは、木でできた長机と椅子がずらりと並んだ空間。奥の方には黒板も見えるから、どうやら学校みたいだ。だけど、僕の学校にこんな部屋はない。画面の中で怪訝そうに眉をひそめているのは、白いセーラー服姿の女子達。どこかで見覚えがあると思ったら、ついこの前見た晴日達が着ていたのと同じ制服だった。そしてカメラは、一人の女子をズームアップする。偉そうに仁王立ちをして腕を組んでいるその女子が、初めに何やら叫んでいた張本人のようだった。活発そうな雰囲気のするポニーテールを揺らして、口元には不敵な笑みを浮かべている。

『フフフフ……。君たちの千里ロスを、アタシの愛で癒してあげようじゃないかー! と、いうわけで、早く一列に並ぶんだ! 順番にキスさせろーっ!!』

 『キャーッ!』という悲鳴がそこら中から上がり、画面の中の少女たちは逃げ惑う。僕はそこまで見たところで、画面から顔を上げて千里に尋ねた。

「えっと……、なに? これ」

 部室の机でシャープペンシルを片手に何かの書類と向き合っていた千里が、僕の手の中にある背面が赤いスマートフォンの画面をちらりと確認した。

「ん、間違えた」

 千里はひょい、と僕の手からスマートフォンを取ると、指で画面を操作し始めた。やはりあのわけのわからない映像は、千里が僕に見せたいものではなかったみたいだ。

「なんだったの? さっきのあれ……」

 僕は先程の少女たちが逃げ惑う地獄絵図みたいな光景を思い出し、何とも言えない顔になる。一体何の場面を切り取ったものなのか、まったく想像がつかなかった。

「あー、沙綾が送ってくれた動画だよ。部長が暴れてるって聞いたからさー。しかし、あの感じを見ると向こうは大変だね。せっかく入ってくれた一年生が辞めちゃわないといいけど……。お、あった。こっちが見せたかった動画だよ」

 千里は、はい、と再び僕にスマートフォンを手渡した。画面を見ると、さっきとはガラッと変わって屋外の風景が映し出されていた。

 水曜日。廃部危機が現在進行形で続いている中でも、僕達は部活動を続けていた。といっても活動は部室の中のみで、先週みたいに屋外でサバゲーをしたり学校の周囲を走って体力作りをしたりといったことは自粛していた。これは千里の提案で、生徒総会での演説が終わるまでは余計な印象を生徒達に与えない方がいいとの判断によるものだった。活動の一部分を切り取って目にすることで意図せぬ誤解や偏見に繋がる可能性もあるし、そのことから変に尾ひれがついた噂が横行する危険性もある。できるかぎりのリスクを取り払ったうえで演説に臨むべきだというその意見には、僕も賛成だった。

 というわけで部室内でできる活動を考えた結果、今日は千里おすすめのサバゲー動画を鑑賞することになったのだった。ちなみにこの動画鑑賞をしているのは僕だけで、千里は時折何かを考え込む様子を見せながら紙の上にシャープペンシルを走らせていた。覗き込んで見たわけではないけれど、金曜の演説に向けての準備をしているのだろうということはなんとなく想像がついた。僕も何か手伝いたいところだったけれど、何をどう手伝えばいいのかがまったくわからなかった。演説の原稿なんて僕よりも千里の方が上手く書けることは明白だろうし、そうなるとできることなんて何もない。僕は自分の無力さを嫌というほど実感しつつ、とにかく邪魔にだけはならないようにとおとなしく動画を鑑賞し続けた。

「ふー……」

 そして何本目かの動画を見終わり、僕はパイプ椅子の背もたれにどっかりと体を預けた。千里が薦めてくれた動画はどれも興味深くて面白かったのだけれど、長時間見続けているとやはり疲労は避けられない。凝り固まった肩をぐるりと回しながら、僕はぼんやりと窓の外の景色に目を向けた。天気は、快晴。透き通るような青い空に、点々と白い雲が浮かんでいる。……早く廃部問題が解決して、あの空の下を銃を片手に自由に走り回れたらいいのに。狭い部室の中で、僕は焦がれるようにどこまでも続く高い空を見つめた。カリカリ、とシャープペンシルの芯が紙に擦れる音だけが、僕の鼓膜を揺らしていた。



「はい、じゃー、パス練開始ー」

 先生の指示を受けると、整列していた運動着姿の生徒達は一斉に立ち上がって各々の友達のところへと駆け寄っていく。取り残されたように僕だけぽつん、となるのにも、もういい加減慣れてきた。僕は立ち上がり、誰かに入れてもらうべく辺りをきょろきょろと見回した。やはりおとなしそうな子達に目がいってしまうけれど、それをぐっと堪える。僕はここ二週間の体育の授業のペア練習で余り続けるにあたって、入れてもらう子を変え続けることを密かに心がけていた。それは色んな人と触れ合いたいからなどでは決してなく、単純に毎回ぼっちが入れてと言ってきたら相手も嫌がるだろうと思ったからだった。だから僕はあちこちにできている二人組の中から、今まで一度も入れてもらったことがない子にターゲットを絞った。その中でも話しかけやすそうな子を選んで、僕は近づいて行く。

「すみません。余ってしまったので、入れてもらってもいいですか……?」

 もう何度も言ってきた台詞だったけれど、やはり毎回いちいち緊張してしまう。僕はなんとか顔に笑みを貼りつけて、目の前にいる二人組からの返事を待った。二人は僕のほうをちらりと見ると、あからさまに困ったような顔をした。そりゃあそうだ。いきなりよく知らない奴に入れてと言われたのだから、こういう反応になるのは当たり前だ。もちろん僕の心はずきりと痛むけれど、このくらいは覚悟の上だった。だけど続いて聞こえてきた言葉は、僕の想定にはなかったものだった。

「あー、あのさー、オレら、バレー部なんだよね」

「……え、あ、そうなんですか」

 僕は、短めの髪の毛をツンと立たせた男子の持つバレーボールに目を落とした。言われてみれば持ち方も様になっているし、腕や足には程よく筋肉がついている。僕はこの会話をただの世間話だと思って無難に受け応えをしていたつもりたのだけれど、目の前の男子たちはなぜかにやにやと笑いだした。僕はその表情の意味がわからなくて、「?……」と首を傾げる。

「あー、いやー、だからさー」

 次に口を開いたのは、パーマのかかったおしゃれな髪型の男子だった。その口調には、面倒なものを相手にしているような成分が含まれていた。

「俺たちバレー部だからさー、体育の授業といえど真剣にやりたいんだよね。つまりさー、君だとたぶん俺たちについてこれないっていうか。だからさー、他当たってくんない?」

「あ……」

 そこでようやく、僕も二人の意図に気が付いた。それは、今まで何度か二人組に声を掛けてきた中で初めて耳にした拒絶の言葉だった。僕はそれ以上もう何も言えず、ただぺこりと頭を下げると駆け足で二人から離れた。

「っぷ」

 僕の背後で、吹き出すような笑い声が聞こえた。

「変な走り方ー」

「つーか、なんで俺達に入れてもらおうと思ったんだろうな」

 明らかに、僕のことだった。僕は今すぐに耳を塞ぎたい衝動に駆られながらも、なんとか体育館の隅まで移動した。

「……」

 立ち止まり、僕はペアでパス練習をしている生徒達の姿を絶望感と共に見つめた。心臓はバクバクと暴れ、喉が詰まって呼吸もおぼつかない。目には今にも涙が溢れそうで、僕は歯を食いしばって感情の波に耐え続けた。断られた。今まで、嫌な顔はされても断られることはなかった。だけど、今回は断られてしまった。にやにやと笑う二人の顔が、鮮明に脳裏に蘇る。明確に感じられた悪意に、僕の心はもう打ち砕かれる寸前だった。ダン、ダーン、とボールが床に跳ねる音が、やけに大きく聞こえる。それはまるで、僕を追い立てているかのようだった。い、入れてもらわないと。誰かに。僕は目をぎょろぎょろと動かして、自分を受け入れてくれそうな相手を探す。だけど、また断られるかもしれない。それを想像するだけで、僕は逃げ出したくてしょうがなくなった。

「……」

 震える足で、僕はパス練習をする男子たちに近づいて行った。それは数日前の授業で入れてもらったことがあった、眼鏡と短髪のおとなしそうな雰囲気の男子のペアだった。

「すみません……。また入れてもらってもいいですか」

 僕は俯いたまま、やっとのことで声を絞り出した。二人はやはり困ったような顔をしたけれど、「どうぞ」と言って仲間に入れてくれた。僕はとりあえずほっとするけれど、二人に負担をかけてしまっていることが申し訳ない気持ちにもなった。僕は生気のこもらない目で、パス練習を繰り返す。下手糞な僕のボールは、今日も思うところに跳んでいかない。まるで、僕の人生そのものみたいだった。


 体育の授業以降、僕の心には重いものがずっしりと圧し掛かったままだった。僕を嘲笑したバレー部の男子は二人とも同じクラスで、そのことがただでさえ嫌な学校生活にますます濃い影を落としていた。幸いあれ以降何か言ってくるような様子はなかったけれど、二人が同じ空間にいるというだけで僕は落ち着かなかった。今日は部活もなかったので、僕は放課のチャイムが鳴ると逃げるように教室を飛び出してそそくさと家に帰った。二階の自分の部屋へと駆け上がり、制服を着替えもせずにベッドの上に突っ伏した。

「ふー……」

 嗅ぎ慣れた匂いが鼻腔をくすぐって、今自分が学校ではなく自室にいるのだということを強く実感させる。ここは誰も僕に干渉しない、安心安全の空間。ここにずっと閉じこもっていた日々が、今となっては懐かしい。懐かしくて、羨ましかった。つーっ、と一筋の涙が、僕の目から零れ落ちた。僕は、なんで学校に行っているんだろう。そんな弱音が、つい心の中に浮かんでしまった。

 でも、僕にもわかっていた。悪いのはあのバレー部の二人じゃなくて、自分なのだと。だって、生きていれば自分のことをよく思わない人に遭遇することなんて日常茶飯事だ。それでいちいち心が折れていては、きりがない。それに、僕がちゃんとクラスに友達を作らないことも悪いのだ。クラスに友達がいれば体育のペア練習で余らなくて済むし、今日みたいな思いをすることもなくなる。

でも、それで問題が解決するわけではないこともちゃんとわかっていた。だって僕は、人間関係の摩擦そのものが嫌なのだ。友達を作ったところでどうせまた気を遣ったり顔色を窺ったり、傷つけたり傷つけられたり見栄を張ったり、そういうことに耐えられなくなるに決まっている。要するに、すべて僕の心が弱いことが原因なのだ。

 ……行きたくないな、学校。そんなことを思いながら、僕はごろんと寝返りをうった。ぼんやりと天井を見つめて、ただ呼吸だけを繰り返す。行かなくちゃいけないということは、嫌というほどわかっていた。義務教育だし。行かないなんて普通じゃないし。

 それにただ一つだけ、僕を学校に繋ぎ留めるものがあった。それは、部活だ。千里が誘ってくれた、ライトトイガン部。僕は学校は嫌いだけど、部活の時間だけは好きだった。まだ始めたばかりだけれど、もっと練習して、知識を付けて、強くなって、試合でたくさん勝ちたいと思った。……でもその部活だって、今後どうなるのかわからない状態だということを僕は唐突に思い出す。明日の生徒総会で千里が演説をして全校生徒に存続の是非を問うことになってはいるけれど、それだって百パーセントうまくいくという保証はない。もしうまくいかなくてライトトイガン部が廃部になったら、一体どうなるのだろう。僕は、ついそんな想像をしてしまう。

 仮に廃部になったとしても、千里はサバゲーをやめることはないだろう。部活という形ではなくなるけれど、趣味として休日にサバゲーを楽しんだりはするはずだ。だから、千里にとってこの件はそんなに致命的なことではない。そう、問題は僕だ。

 もしも廃部になったら僕は、学校に行かなくなるような気がする。だって今までだって、部活があるからなんとか足を引きずって学校に行っていたのだ。その部活がなくなったら、僕にとって学校は本当にただ辛くて苦しいだけの場所になってしまう。通い続けるなんて、無理だ。

 そして再び不登校になってしまったら、きっともうサバゲーは続けられない。だって、そんなの千里や父さんに顔向けできない。学校には行かないけれど、サバゲーは好きだからやります、なんて。僕は、今更だけれど思い知った。ライトトイガン部がなくなったら一番困るのは、他でもない僕だということに。

「……っ!」

 ダメだ。絶対に。廃部にしたくない。急に湧き上がってきた焦燥感に、僕は勢いよくベッドから体を起こした。廃部にしたくない。だけど、僕にできることは何もない。せいぜい千里の演説がうまく行くのを、心の中で祈ることしかできない。

「あ……」

 そのとき、僕の背筋にひやりと冷たいものが走った。むしろ、なぜ今までこのことに思い当たらなかったのか。僕がいかに自分のことしか考えていなかったのかを、思い知らされた。

 もしアンケートの結果が芳しくなくて、ライトトイガン部が廃部になってしまったら。千里はきっと、演説を担当した自分の責任だと思ってしまうだろう。千里がやってダメだったなら、僕がやってもダメだったのは明白だ。だけど千里はそう思わずに、自分を責めるに違いない。

 辛そうな顔をする千里を想像して、僕はぎりっと唇を噛んだ。ダメだ、と思った。これは千里に背負わせちゃいけないことだ、と思った。だって、千里は廃部になっても別に困らない。趣味として、サバゲーを続ければいいのだから。でも、僕はそうはいかない。部活がなくなったら、すごく困る。だって大嫌いな学校の中での僕の唯一の居場所が、失われてしまうのだ。

 体の奥底から、何か熱いものが湧き上がってくるのを感じた。これは、僕の戦いだ。今更になって、ようやくそのことに気が付いた。

 僕はベッドから立ち上がると、机の一番上の引出しを開けて中からノートパソコンを取り出した。電源を入れてデスクトップ画面からワープロソフトを選び、起動する。白く光る画面をしっかりと見ながら、僕は両手でキーボードを叩き始めた。



 生徒総会。それは年に数回行われる、生徒会主催の学校に関する様々な事柄に対する答弁の場だ。週の終わりの金曜日の五、六時間目、全校生徒は自分の椅子とホチキスで閉じられた資料を手に体育館へと集合した。制服姿の生徒達は出席番号順に並んで椅子に腰掛けて、資料に目を落としながら議長がマイクを通して話す言葉に耳を傾けている。僕も自分のクラスの列の真ん中程に加わりながら、緊張の面持ちで資料を握り締めてその時が来るのを待っていた。

『以上で、委員会活動に関する議論を終了いたします』

 よく通るきれいな声で議長がそう言い放ったときには、六時間目も半ばといった頃合いになっていた。そしてその言葉を契機に、僕は椅子から立ち上がった。握り締めていた資料を椅子の上に置き去りにして、早歩きで列の後方へと向かう。急に移動し始めた僕にクラスメイト達からは怪訝の目が向けられるけれど、それに構っている場合ではない。

『続いて、部活動の活動報告についてです。……その前に、ライトトイガン部、より皆さんにお話しがあります』

 聞き慣れない部活動の名前に、生徒達がらはざわめきが起こる。そして体育館の端に、今まさにステージへと向かおうとしている千里の姿が見えた。自分のクラスの列から移動し続けてようやくそこに辿り着いた僕は、ぱしっ、とその手を掴んだ。

「……え、ヒロ?」

 急に現れた僕に、振り返った千里は目を丸くしていた。ステージへと向かおうとしていた足を止め、戸惑うように僕の顔を見つめている。周囲にいた先生も、何が起きたのか状況を把握しようと注意深くこちらを見つめていた。

 ……本当は、もっと早く伝えればよかったんだけど。だけど結局原稿ができたのがギリギリだったから、こんな直前になってしまった。

「……僕が行く。千里は見てて」

「え……」

 それだけを言うと、僕は千里の手を離してステージへと繋がる階段へと向かった。木でできた階段の一段一段を、しっかりと踏みしめながら上っていく。とりあえず千里が追って来る気配がないことにほっとしながら、僕は覚悟を決める。大丈夫。どうせ僕は、教室にいてもいなくても構わないような人間だ。それが今日を境にいじめられることになったとしても、きっと些細な変化だ。自分に言い聞かせるように、僕はその言葉を何度も心の中で繰り返した。容赦なく暴れる心臓を落ち着かせようと深い呼吸を心がけながら、ぎこちない動きでステージ中央のマイクへと歩いて行く。ようやく辿り着いたところで正面を向くと、僕の目には一斉にこちらに顔を向けている全校生徒の塊が映った。

「……っ」

 恐ろしい、と思った。何百もの視線が、僕に向かって注がれている。知らなかった。校長先生は、いつもこんな中で話をしていたのか。話が長いとかつまらないとか言ってバカにしていたことを、今すぐ反省したくなる。こんな中で、話ができるだけでも大したものだ。ドク、ドク、ドク、と心臓が飛び出そうなくらいに脈打つ。僕は、もうみんなの前に立ってしまっている。今更、逃げるわけにはいかない。僕は額に汗を滲ませながら、左手をジャケットの内ポケットに差し込んだ。

「……」

 そして演説用に書いた原稿を取り出そうとして……やめた。わからない。わからないけれどなんとなく、違う気がしたのだ。真っ直ぐに僕を見つめる何百の瞳が望んでいるのは、頭の中で精巧に組み立られた小奇麗な文章ではない。それではきっと、この群衆たちを納得させることはできない。

 僕は右手を持ち上げると、マイクのスイッチを入れた。小さな赤いランプが灯って、キィン、とハウリング音が響いた。それ以外には、何の音もしない。僕はすうっと、大きく息を吸い込んだ。

『ラ、ライトトイガン部副部長の、上北千尋です』

 声が、震える。マイクと口との距離感も、これで合っているのかわからない。一体みんなに、今の僕はどのように映っているだろうか。

『き、今日は全校生徒の皆さんに聞いてほしいことがあって、生徒総会の時間を一部、お借りしました。え、ええと、聞いてほしいことというのは、ライトトイガン部の存続についてです』

 僕が言葉を止めると、しぃん、と沈黙が襲ってきた。眼下に広がる何百もの観衆たちの表情は、僕が話し始めても一斉変化がない。本当に聞こえているのか、疑わしくさえなるほどだった。

『ラ、ライトトイガン部というのは、最近設立したばかりの部活です。主な活動内容は、サバゲー、サバイバルゲームをすることです。えっと、サバゲーっていうのは玩具の銃で撃ち合って、勝敗を決める遊びで……あ、でも、僕の部活で使うのは赤外線銃なので、弾が出ることはないんですけど……あ、せ、赤外線銃っていうのは、テレビのリモコンとかと同じ仕組みでっ……』

 原稿を見ないで喋っているため、言葉が支離滅裂になっていることを僕は自覚していた。聞き手の混乱の空気が、じりじりと迫ってくるような感覚もする。だけど、これ以上にもうどうしようもない。僕ができる精一杯を、やるしかなかった。

『……それで、……その。ライトトイガン部の活動が『戦争ごっこ』だという批判が、一部から上がったそうなんです。学校の部活動としてはふさわしくない、って』

 僕は、握り締めた拳にぎゅっと力を入れた。脳裏には、あの日の部室の光景が蘇る。

『はじめは、言いがかりだと思いました。人の命を奪う戦争と、ただの娯楽のサバゲーが同じなわけない、って。……でも、本当は僕もわかっていたんです。そう思う人がいてもおかしくない、って』

 この世界には何十億人もの人がいて、それぞれが違う考えを持っている。それはどうしようもなく、当たり前のことだった。

『……だけど僕は、部活がなくなったら困るんです。えっと、去年同じクラスだった人や、今同じクラスの人はわかると思うんですけど。……僕はずっと、不登校でした。僕は、人と関わるのがすごく苦手で。そういう人間関係みたいなのに耐えられなくなって、学校から逃げました』

 そして僕は、全校生徒の前で自分の弱さを晒す。二年生の辺りの群衆の塊が、ざわっと揺れた気がした。

『だけど、せ……部長にライトトイガン部に誘われたことをきっかけに、最近学校に来始めました。でも相変わらず学校は、僕にとって辛くて苦しいだけの場所で……あ、それは、別にクラスの人とか先生が悪いっていうわけじゃなくて、僕自身の問題なんですけど。え、えっと、でも、僕は学校はしんどかったけど、部活の時間だけは楽しかったです。なんていうか、学校の中に唯一、自分の居場所ができたような気がしました』

 そこで僕は、一度目を閉じた。思い出すのは、千里と過ごした部活での日々。銃を持って大空の下を走り回って、部室で他愛もない話をして、対外試合をしに県外まで足を延ばして。全部、初めての経験だった。

『だから……お願いです。ライトトイガン部を、廃部にしないでほしいんです。もちろんサバゲーを嫌だと思っている人の考えはそう簡単には変わらないと思うし、そういう考えも尊重しなければいけないのはわかっています。……だけど僕は、サバゲーが好きです。学校の部活として続けたい、って思います。だからもしどっちでもいいとか、迷っている人がいたら、この後に行うアンケートでぜひ存続のほうに入れてほしいです。……大層な理由とか何もなくて、すみません。だけどこれが今の、僕の正直な思いです』

 しん、と体育館中が、静寂に包まれた。それはもう演説でもなんでもなく、ただの僕の懇願だった。手応えも何も、まったく感じられない。だけど僕の精一杯は、やりきったと思った。

『……以上です。ご清聴、ありがとうございました』

 そう言ってマイクのスイッチを切ると、僕はぺこりと深く頭を下げた。拍手も何も起こらない静まり返った空気の中をぎこちなく歩き、階段を一段一段慎重に降りていく。無事に地上に辿り着いたところで、体育館の端に立ったままだった千里と目が合った。千里は何か言いたそうな顔をしていたけれど、僕は無言でその横を通り過ぎた。

「ヒロ……」

 背後で千里の声が聞こえたけれど、僕は足を止めなかった。早歩きのまますたすたと、体育館の入り口へと向かって行く。もうステージを降りているのに、僕の体には生徒や先生たちのたくさんの視線が集まっていた。とてもじゃないけれど、自分の椅子へと戻る勇気はない。僕は早くこの場から立ち去ろうと、俯いたまま必死に足を動かした。途中で先生に止められないかとひやひやしたけれど、なんとか無事に体育館を脱出することができた。

「ふうっ……」

 廊下を進んで一番近い角を右に折れた瞬間、体から力が抜けて僕は床に崩れ落ちてしまった。体が思い出したように熱くなって、心臓が再びバクバクと暴れ出す。

「あ、れ……」

 気付けば、目からは次々と涙が溢れ出していた。僕はそれを手で拭いながら、気持ちを落ち着かせようと何度も深呼吸を繰り返す。だけど、涙は止まる気配がなかった。だんだん喉も苦しくなってきて、ひっく、という嗚咽も漏れ出した。

 今更になって、大変なことをしでかしてしまったのではないか、という思いが湧き上がっていた。全校生徒の前で演説、なんて。一体、みんなの目に僕はどう映ったのだろう。変な奴だと思われたかもしれない。でも、これは僕がやらなきゃいけなかったことだ。僕が自分で決めて、やったことだ。だから、後悔はない……はず、なのに。僕の目から流れる涙は、留まることを知らなかった。

 やがて、ふわっと温かい手が僕の肩を抱えた。涙でぐちゃぐちゃになった顔を後ろに向けると、眼鏡を掛けた養護教諭の女の先生の顔がすぐ傍にあった。先生は僕の姿勢に合わせて中腰になると、「頑張ったね」と言って何度も背中をさすってくれた。僕はそのあたたかさに触れて、ますます泣きべそをかいてしまう。僕は先生に支えられながら歩いて、少し先にある保健室へと移動した。


生徒総会は、まだ続いている。

その後どういう展開になったのか、僕は、知らない。

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