双子
「うえぇん……」
僕は、玄関の前でうずくまって泣いていた。そんな僕の脇を、父さんと母さんが大きな荷物を持って通り過ぎていく。
「ヒロ、いつまでないてるの。きのうもないてたし、おとといもないてた。そんなんじゃ、ヒロがひからびちゃうよ」
その声に、僕は顔を上げた。目の前には、僕とそっくりな顔。違うのは髪が長いことと、服装が女の子らしいことくらい。困ったように笑って僕を覗き込むこの女の子が、僕の双子の姉、千里だった。
「だって、せんりとおかあさんとべつべつのおうちでくらすんだよ……? ぼく、いやだよ。みんないっしょがいいよ……」
「だいじょうぶだよ。ヒロはおとうさんといっしょじゃん」
「でも……! だって、せんりとおなじしょうがっこうにいくはずだったのに。べつべつになっちゃったよ……」
僕はまた涙が込み上げてきて、そこで言葉が止まる。千里は、そんな僕の正面でしゃがみ込んだ。僕と千里の目線の高さが、同じになる。庭のほうからは、車のエンジンがかかる音が聞こえてきていた。
「みて。あたしたち、こんなにそっくりなんだよ。このせかいでヒロにいちばんちかいのはあたしだし、あたしにいちばんちかいのはヒロ。そうでしょ?」
僕は間近にある千里の瞳の中をじっと見つめながら、こくりと頷いた。向こうでは、母さんが千里の名前を呼んでいる。だけど千里はそれに応えず、僕と向き合ったままだ。
「だからさ、どんなにはなれてても、いっしょにいなくても、あたしのいちばんちかくにいるのは、ヒロだよ。ヒロのいちばんちかくにいるのは、あたし。だから、だいじょうぶ。さみしくないよ」
千里は、僕の頬を両手で引っ張った。僕の口角が無理矢理持ち上げられて、泣き笑いみたいな変な顔になる。
「だからわらって、ヒロ。ヒロはわらってるほうがいいよ」
そう言って、千里は笑った。僕も、それにつられていつの間にか笑顔になっていた。
これが僕が六歳の時に経験した、母と姉との別れだった。
けたたましい笑い声がして、僕は一気に現実に引き戻される。その音の正体は、目の前のテレビ画面に映るお笑い芸人のものだった。右下に表示されている時刻を見ると、午後十時二十六分。どうやら、テレビを見ている途中で眠ってしまったらしかった。僕はうーんと伸びをして、体に残る怠さを吹き飛ばそうと努める。
懐かしい夢を見たな、と、僕はついつい過去へと思いを巡らせる。僕が六歳の時、小学校に入るほんの少し前の春の日に、両親は離婚した。その日からは父さんと二人で暮らすことになり、母さんと僕の双子の姉、千里は名古屋にある母さんの実家で暮らすことになった。僕は家族が離れ離れになることを相当拒んでいた記憶があるけれど、結局は大人の都合に従うしかなかったのだ。
僕は今中学二年生だから、あれから七年経ったわけだ。母さんと千里は、今どうしているのだろう。僕は時々、そんなことを思う。別れてから数年の間は互いに電話やメールのやり取りをしていたけれど、いつからかそれもなくなった。はじめは寂しがっていた僕もだんだん父さんと二人の生活が当たり前になってきて、母さんと千里は過去の人になっていた。
夢の中で幼い僕が散々泣き喚いていたからだろうか。喉の渇きを感じた僕はテレビを消すと、一階の台所へと降りた。食器棚から透明のグラスを出して、冷蔵庫からは麦茶のポッドを取り出す。
「千尋」
グラスに氷を入れ、麦茶を注いでいるときだった。ずっしりとした低い声で、僕の名前が呼ばれた。父さんだ。僕は、ちょっと緊張した面持ちで振り返る。
「……ちょうど呼びにいこうと思っていたんだ。ちょっとそこに座りなさい」
上下部屋着のスウェット姿の父さんは、そう言ってリビングのソファーに目をやった。僕も父さんも、基本的に無口な人間だ。普段こんな風に話をすることなんてない。ということは、何か大事な話があるに違いない。……やっぱり、あれかな。学校の、ことかな。
「……はい」
僕は暗い表情のまま、ソファーへと腰掛けた。父さんが、テーブルを挟んで僕の正面に座る。おそるおそる父さんの顔を見ると、なんだかとても疲れているようだった。
「……突然のことで驚くとは思うが、心して聞いてほしい」
「え……」
そう父さんが前置きするのを聞いて、僕は一瞬きょとんとしてしまう。てっきり学校のことを言われると覚悟していたのだけれど、どうやらそれにしては様子がおかしい。父さんは何度か口を開きかけては閉じて、とても次の言葉を言いづらそうにしていた。普段冷静な父さんのこんな様子を見るのは、もしかしたら初めてかもしれない。一体何が告げられるのかと不安になりながらも、僕は父さんの目をじっと見て言葉を待った。
「今朝、母さんが交通事故で亡くなったそうだ」
「!」
やっとのことで父さんから絞り出されたのは、そんな衝撃的な言葉だった。僕は当然ものすごく驚いたけれど、同時に納得するような気持ちも抱いてしまう。なんでだろう、と考えたとき、さっき見たあの夢を思い出した。もしかしたらあの夢は、ほんの少し前に僕にこのことを教えてくれていたのかもしれない。なんとなく、そんな風に思った。
母さんの死は、僕にとっても大きな出来事だった。ここ数日、暇さえあれば僕は母さんのことを思い出してしまっていた。小さい頃のことだからあまり覚えてはいないのだけれど、それでもいくつか思い出はある。母さんは父さんと正反対で、明るくて快活な人だった。……まあ、今にして思えばそういう奔放なところがもしかしたら離婚の原因になってしまっていたのかもしれないけれど、それは僕には関係ない。自分を生んでくれた人がもうこの世にいないということは、やっぱり寂しいし悲しかった。だけど僕は、母さんと一緒にいた時間よりも一緒にいない時間のほうが長かった。そんなわけもあって、僕はいつまでも悲しみの底にいることはなかった。それよりも、今考えなければならない新たな問題が出てきてしまっていたのだ。
母さんの葬式で、僕は実に七年ぶりに双子の姉、千里に再会した。
「久しぶりだね、ヒロ」
そう言って微笑む千里は、当然だけれどあの頃とは全然違った。僕を『ヒロ』と呼ぶのは当時のままだったけれど、中学校の制服に身を包んだ千里は悲しい葬式の雰囲気も相まって相当大人っぽく見えた。あの頃と同じ黒髪のロングヘアに、双子だから僕とそっくりの顔ではあったのだけれど、醸し出すオーラが年頃の女の子のそれだった。元来女子と積極的に話せるタイプではない僕は、成長した千里を前にまごまごしてしまうばかりだった。
しかしこれは数奇な運命が導いてくれたしばしの再会であると、僕は思っていた。だから久しぶりに会った弟がなんだか冴えない奴だった、と千里に思われても、まあしょうがないかと思った。どうせ今日が終われば僕も千里もそれぞれの日常に戻り、今更交わることなんてない。そう、ある意味気楽に考えていたのだ。
ところが葬式の後、父さんが親戚たちとの話し合いから帰って来て告げた言葉に、僕は驚愕した。
「千里は、家で引き取ることになった。これからは、三人で暮らすことになる」
僕は思わず、父さんの脇に佇む千里に目をやった。千里は事前にある程度聞かされていたようで、「そういうことだから、よろしく、ヒロ」と言って微笑んだ。もちろん僕には拒否する権利も資格もないから、頷くしかない。だけど僕の心の中は、『まずい』の文字で一杯だった。
僕が千里との同居を渋る理由は、別に千里が嫌いだからじゃない。むしろ小さい頃は千里の後ろをくっついて回っていたし、引っ越しの日に大泣きするくらいには仲が良かった。七年間まったく会っていなかったとはいっても、血を分けた姉弟だ。悪い感情は持っていない。そう、すべては、僕自身の問題だった。
僕は、昔からおとなしい性格の子供だった。自分から積極的に何かをすることなどほとんどなく、いつも金魚の糞のように誰かについていく。嫌なことをはっきり嫌とも言えず、都合よく利用されることも多かった。だけど、小学生の頃はあまりそのことを気にしてはいなかった。なんだかんだいって、そこそこ楽しい学校生活を送れていたからだ。
しかし中学生になると、僕の周りの人間関係はより複雑化していった。小学生のときはクラス全員が友達、みたいな雰囲気だったのに、みんな仲の良い人同士でグループを作り、交流する相手を選ぶようになった。クラス内での序列みたいなのもなんとなくできて、みんな自分の身の丈にあった行動しかとらなくなる。僕は小学校のときに仲が良かった友達が目立つタイプの子だったので、その子と一緒にいるうちに自然に上位のグループに所属していた。といっても、僕は本来そういう煌びやかな場所にいるようなタイプの人間ではない。グループ内では僕だけ明らかに浮いていたし、見下されるような扱いも度々受けていた。そんな日々を、僕はだんだん『楽しくない』と感じるようになった。
だけど、僕はこの学校生活がひどいものだとは思わなかった。決していじめられているわけではないし、体育の授業のペア決めや校外学習の班決めでは必ずグループの仲間が声を掛けてくれた。嫌なこともあるけれど、助けられることも多かったのだ。そう、みんな、悪人というわけではない。自分の立ち位置を守るためとか、あとはちょっと機嫌が悪かったりしたときに、人に意地悪をしてしまう。僕にも、そういうときがまったくないとはいえない。だから、きっとそれが普通なのだ。そういう摩擦の中で、僕達は生きていくのだ。……そんな普通の学校生活に、耐えられなかった僕が弱いだけだ。
傷つけ、傷つけられる。そんな繰り返しの毎日に、僕は嫌気が差してしまった。そして、僕にはそんな日常を良い方へと改善する力も意欲もなかった。僕が選んだのは、安全な城、家の中に引きこもることだった。こうして、傍から見たら何の問題もなく学校生活を送っていた少年は、不登校になった。中学一年生の、秋のことだった。
学校に行かず、昼間から遊び回る。そんなことができる勇気があったら、そもそも僕はこうなってはいないだろう。学校に行かなくなった僕だけれど、結局家では教科書を見ながら勉強を進め、合間に家事全般をこなす日々を送っていた。父さんはそんな僕を、特に何も言わずに放っておいてくれていた。僕はそれが、とてもありがたかった。
だけど千里が一緒に暮らすとなると、僕のこの平和な生活が脅かされるかもしれない。千里はいずれ、僕が不登校だということを知ることになるだろう。そうしたら、千里はどうするだろうか。明らかに、僕に敵意を向けるかもしれない。弟が不登校だなんて、きっと嫌だろう。それか僕を学校に来させようと、おせっかいを焼いてくるかもしれない。千里は気弱な僕とは違って、正義感溢れるリーダーのようなタイプの子供だった。今もその性格が変わっていなければ、千里はどうにかして僕を助けようとするだろう。やめてくれ、と僕は思う。僕が望むのは、今まで通り家の中に籠もった生活を続けることだ。もちろん、それが褒められた生活ではないということはわかっている。いつまでもこのままじゃいけないということもわかっている。だけど今の僕は、そうすることしかできない。僕自身が強くならない限り、毎日学校に通い続けることはできないのだ。じゃあ、どうしたら強くなれる? ……それは、わからないままだった。
「よいしょ……と」
僕は右手に料理の皿が複数載ったお盆を、左手に麦茶の入ったポッドを持って、自分の部屋の前にやって来た。両手が塞がっているので肘を使ってドアノブを押して、部屋の中へと入る。部屋の中央に置かれた白いテーブルにお盆とポッドを下ろし、ふうっと息を吐いた。そして体を反転させて今開けたばかりのドアを閉め、しっかりと鍵を掛ける。これから夜中まで、僕はよっぽどのことがない限りこの部屋から出ることはない。
千里と一緒に暮らしはじめて、一週間程が過ぎた。だけど僕は、同じ家に住んでいるというのにほとんど千里の姿を目にしてはいない。僕が、千里を避け続けているからだ。僕は千里が学校に行っている昼間や寝静まった夜中に家事全般をこなし、千里が家で活動している間はずっと部屋の中で息を潜めていた。
千里も、僕が学校に行っていないことにはとっくに気が付いているだろう。時折、僕の部屋のドアがノックされることがあった。父さんはそもそもノックなどしない人なので、千里に違いなかった。だけど僕は、それを無視し続けた。『寝てるから、気付いていない』みたいな言い訳を用意して、部屋の前から人の気配がしなくなるまで物音を立てないように固まり続けていた。ひどいことをしているな、と少し心が痛くなったけれど、会ったところで千里と話すことなんか何もない。話すとしてもどうせ僕についての話になるだろうし、そもそもいくら姉とはいっても七年間まったく会っていなかった人間に、僕の心の深いところに触れてほしくなかった。
だから僕は今日も早めに作った夕食を持ち込んで、夜中になるまでこの部屋に閉じこもる。時刻は、もうすぐ午後四時になるところ。早ければ、そろそろ千里が学校から帰ってくる時間だ。僕の部屋には冷蔵庫も電子レンジもないので、ぬるい麦茶で冷たい料理を食すことになるけれど、そこは我慢だ。たとえ不自由でも、僕はこの生活を選ぶ。
とはいえ夕食にはまだ早すぎるので、僕は昼間は家事をしていて進められなかった勉強に手をつけることにした。机の前に座って、数学の教科書を開く。独学でも、教科書を隅から隅まで読めば大体は理解できた。難しい応用問題なんかは理解できないこともあったけれど、別に今すぐ受験があるわけでもないし不登校生の勉強としてはこのくらいで十分だろう。そうして淡々とノートに計算式を書いていると、コン、コン……、と硬質な音が部屋に鳴り響いた。ドアを叩く音。千里だ。帰って来たんだ。僕は思わず、チッ、と舌打ちしそうになる。なんだよ。ほっといてくれよ。ここ数日の不自由な生活もあって、僕は苛立っていた。何より、ノックの音が優しく控え目なことに腹が立った。僕の記憶の中の千里だったら、もっと無遠慮にドアをドンドンと叩きそうなものだ。ドアを蹴飛ばして、無理矢理入ってこようとさえするかもしれない。だけど、千里はそうしない。七年も経っているのだ。千里があの頃のままなわけがない。だけど僕は、それが嫌だった。正義のヒーローみたいにいつも僕の手を引っ張ってくれていた千里が、その他大勢のただの中学生に成り下がってしまったように感じられたのだ。
しばらく机の前で身を縮めていると、やがて足音が部屋の前から遠ざかっていった。階段を降りる音がして、バタン、と玄関のドアが開閉する音も聞こえてきた。どうやら、出かけたようだ。ふー、と長い息を吐いて、僕は再び目の前の計算式に目をやる。ノートにシャープペンシルを走らせていると、今度は外の方からドン、ダン……と鈍い音がした。騒がしい日だな、と僕は眉をひそめる。工事というほどの大きな音ではないので、近所の小学生が遊び回っている音だろう。五月初めといえど最近気温が高くなってきていたので、僕は部屋の窓を網戸一枚の状態にしていた。そのせいもあって、外からは小学生達の無邪気な声が度々聞こえてくる。僕はそんな賑やかさに触れる度、暢気に遊んでいる子供たちが羨ましくてしょうがなくなった。僕も、あの頃に戻れたら。もし小学生からやり直せたら、この苦しい今を変えることができるのかな。
そんなありえない空想に浸っていた僕の意識は、ガララ、という大きな音によって引き戻された。すぐ近くから聞こえてきた謎の音に、僕は慌てて顔を横に向ける。
「ひっ……」
そこに広がっていた光景に、僕は思わず椅子に座ったまま後ずさった。見間違いであってほしいと思うけれど、何度瞬きをしてもその人物の姿が消えることはなかった。その人物は僕の部屋の窓の網戸を引き開けただけでなく、内側で風に揺れていた白いレースのカーテンもシャーと容赦なく引き開ける。それによって、今までカーテン越しにしか見えていなかった姿がはっきりと見えるようになった。
茶色のジャケットに赤いリボン、白いワイシャツに黒のプリーツスカート。長い黒髪を靡かせてこっちを見る顔は、僕と瓜二つ。今まさに窓から部屋の内部へと侵入しようとしているのは、僕の学校の制服を身に纏った千里だった。
僕は呆気に取られつつも、これが非常事態だということは理解できていた。千里が、来る。僕が一斉会おうとしないから、千里はこんな強行手段に出たのだ。僕は先程千里をその他大勢のただの中学生に成り下がったと評したけれど、早くもその考えは打ち砕かれた。七年も経ったのに、千里は変わっていない。荒唐無稽なやり方で、台風のように周りを蹂躙していく。あの頃の、ままじゃないか。
逃げよう、と思った。今すぐ椅子から立ち上がり、部屋のドアを開けてここから逃げ出そう、と。
だけど僕は、それができなかった。千里は窓枠に手を掛けると、「よっと……」と呟きながら体を持ち上げる。ここは二階だ。もし僕がここで妙な動きをしたことで、千里がバランスを崩して落下でもしたら一大事だ。だから僕は体をうねうねと動かして千里が部屋の中へと入って来るのを、ただただ見つめ続けるしかなかった。無事に千里の足が茶色のフローリングの床に着いたときには、安堵さえしたものだった。
だけど、ほっとしている場合じゃない。僕の危機は、今なお過ぎ去っていない。今度こそ逃げるべきだと脳が警鐘を鳴らすけれど、僕の体は固まってしまったように動かない。顔をひきつらせて、椅子の背もたれに体を預けたままだ。今逃げることに成功しても、きっと千里はどうにかして再び僕に接触しようとするだろう。そのことがわかっていたから、僕は動けなかった。だって二階の窓から侵入しようなんて、普通の人間はやらない。だけど千里は、そういうことをやる人間なのだ。そういう人間が、僕を一度逃がしたくらいで諦めるわけがない。
千里は履いたままだった茶色のローファーをぽいぽいっと脱ぐと、それをきちんと揃えて今まさに自分が入ってきた窓枠の上へと載せた。そしてくるりとこっちに振り返ると、にやりと口元に笑みを浮かべる。
「久しぶりー、ヒロ。やっと会えたね」
「あ……うん……」
僕はばつが悪すぎて、千里の顔も見れない。言い訳したって無駄だろうし、ただただ俯き続けるだけだ。
「学校、来ないの?」
「……っ」
その言葉に、どうこの場を曖昧に終わらせようかと考えていた僕の肩はびくんと跳ねた。千里は、いきなり核心を突いてきた。僕に対する配慮も何も、あったもんじゃない。
「……行かないよ、僕は」
ぼそりと、僕はそう言葉を絞り出す。何か答えないことには、解放してもらえないと思ったからだ。千里は僕が答えたのをいいことに、再び質問を繰り出す。
「なんで?」
「……っ!」
僕の脳内が、焼き切れそうなくらいに熱くなる。なんで? なんでって言ったか? それはこっちが聞きたいくらいだ! なんでこうデリカシーの欠片もなく、無遠慮に質問してくるんだよ!
僕は叫び出しそうになるのをなんとか堪えて、目の前に立つ千里の姿を見た。僕が椅子に腰掛けているから自然、立っている千里は僕を見下ろす形になる。なんだかそれが、今の僕と千里の立場を表しているようだった。多少の身内贔屓は入ってしまっているかもしれないけれど、千里は美人だと思う。まあ基本僕と同じ顔なんだけれど、これは女の子が持っていたときに魅力的に見える顔立ちだと思う。それに千里は昔と変わらず、明るくて活発な性格なのだろう。再会してからまだ日は浅いけれど、そのくらいのことは僕にも感じ取れた。きっと千里は、いつも教室の中心にいるようなタイプの人間だ。
そんな千里には僕みたいな人間がうじうじ悩んでいることなんて、まったく理解できないだろう。僕は、まじまじと千里の顔を見つめる。僕とそっくりなはずのその顔には、何もしなくても自信が満ち溢れているようだった。家の中に引きこもり続けている、僕とは違う。……双子なのに、どうしてこうも違うんだろう。
「何が嫌?」
なかなか答えようとしない僕に痺れを切らしたのか、千里が質問を変える。その言葉を聞いた瞬間、僕の中で何かが弾けた。僕は左手で作った握り拳ををすぐ脇にある机の上に勢いよく振り下ろし、叫んだ。
「全部だよ!!!」
しぃん、と部屋全体が静寂に包まれた。机に叩きつけた左手は熱くなり、じんじんとした痛みが広がる。外からは思い出したかのように、子供たちの賑やかな声が聞こえてきた。だけどその声は、僕と千里の間の重苦しい空気を一層際立たせるだけだ。
これでもう、話は終わりだ。そもそも話すことに、なんの意味もなかったのだ。千里も、そう気付いただろう。だから僕は深く俯いて、千里がこの場を去ってくれるのを待った。
「ふーん、そっか」
しかし千里の発したその言葉には、続きを予感させるようなものがあった。そしてそれは思い違いではなかったようで、千里はゆっくりと僕に近づいてきた。……っ! なんだよ! あの不毛なやり取りを、まだ続ける気なのか? 僕の体中を埋め尽くしていたはずの熱がすーっと冷えていくような、嫌な感覚が襲ってくる。思わず体が後ろに下がってしまう僕だったけれど、途中で椅子のキャスターが机の側面に引っ掛かり停止させられてしまう。そうしてどんどん距離が詰められていき、僕と千里の体が触れそうなほどに近づいたときだった。僕のおでこの辺りに、何か固い物が当たる感触があった。
「……?」
僕は俯いていた顔を上げて、何が起きたのかを確認しようとする。僕のおでこに当たっている物は、千里の右手から伸びていた。横目でちらりと見ると、千里が握っているそれはシルバーの光沢を帯びている。え……? これは……。
「じゃああたしが殺してあげる」
聞き間違いかと思った。だけど目の端に映ったそれが否応なく、その台詞が確かなものであると後押ししてくる。え? いや、ちょっと待てよそんなわけないだろそもそもそんな簡単に入手できるわけがないしでも千里は都会に住んでたからそういうこともあるのか? んなわけないだろでも千里なら何だってやりかねない気はするけどでもこれはちょっとダメだろちょっと待て待てこれが本物だったら間違いなく大事件……!
僕が大混乱に陥って口をぱくぱくと動かしている最中、ドォン! と一発の銃声が鳴り響いた。おでこから伝わってきた振動が、僕の脳内を揺らす。だけど、僕の意識ははっきりとしたままだ。さっきの銃声は、本物とは比べものにならないくらいに稚拙なものだった。玩具だ。千里は玩具の銃で、僕を撃ったのだ。一体、なぜ?
千里はすっと銃を持った右手を下げると、未だに呆気に取られた顔のままの僕に言った。
「これでヒロは死んだ。何もかも全部が嫌だと言ったヒロは、もうここにはいない。今のヒロは、新しく生まれ変わったヒロだよ」
ふふ、と笑みを浮かべる千里の言葉を聞いても、僕はぽかんとしたままだ。なんだ、それ。そんなくだらないパフォーマンスで、僕がどうにかなるとでも思ったのか?
千里はことり、と机の上にシルバーの銃を置いた。僕の目線は自然と、その銃へといってしまう。さっきは横目でちらっとしか見えなかったから本物かと勘違いしたけれど、こうして見ると中々にコミカルな形状をしていた。
「気になるかい? それ」
「え……」
そんな僕の様子を見て、千里は楽しそうに笑う。いやまあ、気になると言えば気になるけれど。数十秒前に、玩具の銃といえどおでこを撃ち抜かれたわけだし。あれ、でも痛みはないから、弾は出なかったのか。空砲ってやつか?
「気になるなら、学校においで。教えてあげるよ、その銃について」
「え……? な……なんで」
千里はその台詞を最後に、窓枠に置いておいた茶色のローファーを回収して部屋から出て行った。今度は窓からではなく、普通にドアから。部屋の中には再び静寂が戻り、僕と、そして千里が残していった謎の銃だけが取り残される。
「……気になるなら、学校に来い、って……」
僕は、ぼそりと口の中でその言葉を転がす。……無理に決まってるだろ。僕は、左手で頭をわしゃわしゃと掻き毟る。そんな簡単に学校に行けたら、苦労してないんだよ。大体気になるも何も、ただの玩具の銃じゃないか。子供が遊ぶ感じの……。
僕は、机の上に横たわっている銃を手に取った。
「ん?」
と、そこで、その銃の側面に四角い液晶画面が付いていることに気が付いた。なんだ、これ? よく見るとその画面のすぐ脇にオンオフなるスイッチもあったので、僕はオフになっているそれをオンの状態に切り替えてみた。すると、ピロリ、と音がして画面に数字や黒い四角のようなものがぶわあーっと表示された。な、なんだこれ? 僕は、目をぱちくりさせる。アルファベットの略語のようなものも表示されているけれど、僕には何を示しているのかさっぱりわからない。何やら光を感じて目を向けると、銃の上部が青く光っていた。なんなんだろう? これ。
わからないことだらけだったけれど、一つだけわかることがあった。千里はこの銃を餌に、僕を学校に来させようとしている。
『気になるなら、学校においで。教えてあげるよ、その銃について』
先程の千里の言葉が、僕の頭の中を行ったり来たりする。何か教えるほどの秘密が、この銃にはあるのだろうか?
心臓がバクバクと暴れ出し、呼吸は荒くなる。学校に行く自分を想像しただけで、こうだ。無理だよ。僕は行けないって。
だけど、これは大きなきっかけのような気がしていた。そしてこのきっかけを逃したら、僕はこれから先ずっと部屋に閉じこもったままになるんじゃないか、って。
なんとなく、そう感じた。