一章 最終話 朝比奈尾道は回想する
俺は春野のクラスが仲良くなるようにする解決法は春野の話を聞いて、すぐに思い付いていた。
それは俺が学校に行くことだ。
一見、なんでもなさそうなことだが、『俺が』『春野のいる』クラスに戻るというのは絶大な効果を及ぼす。
それは俺と春野には深い因縁があると思われているからだ。
その過去を俺は思い出していた。
春野の相談を受けた日の夜。だいたいバイトがある日は疲れて、すぐにベッドに入って寝てしまうのだが、今日に限ってはいつもより疲れているはずなのに、中学校のことがフラッシュバックして、目は冴えたままだ。
無理やり目を瞑ってみるが、逆にその時の映像が目に浮かび上がり気分が悪くなる。
俺の中学校の話などどこにでもあるような普遍的なものだ。
ある二人の女子が仲違いか何かで対立した。こうなって来ると自分を支持してくれる友達を取り巻きにする。……まあ、そんなのを友達と言うのはちゃんちゃらおかしいと思うが。
春野は優しかった。だからどちらの肩も持とうとした。あいつにとってはそれが自然だったのだろう。そしてそれが仇となった。
しかし二兎追うものは一兎も得ずとはよく言ったもので、どちらにも味方した結果、どちらからも疑心暗鬼を持たれ、やがて遠巻きにされるようになっていった。
俺はそれに対してどう思ってたかと言うと、ただただどうでもいいと思っていた。派閥争いなんてくだらないと思うし、そんなのに首を突っ込むやつも突っ込むやつだと思っていた。
しかし俺は結果的に春野を救った。
そこに至るまでは偶然なんかではない。ある意味、必然だった。そしてその原因の一つからさっきメールが届いた。そこには、
夏樹@CYCLE
新しいゲーム買ったんで明日、家に来ません?
そのメールに対し俺は手短に返す。
朝比奈尾道
ああ。じゃあ午後からいくわ
その後はメールを送った手そのままにスマホを弄っていた。そのうち、瞼が垂れて来てやがてまどろみに落ちていった。
そのメールが送られてきた次の日、俺は夏樹の家に向かって自転車を走らす。
寒い。夏なら心地のいい風を感じられるが、秋にもなるとその風が体の中枢に入り込んで、少しずつ凍らせていく。歩いて行くべきだったかな……。家まで遠いは遠いけど。
俺は中学校時代はぼっちと言っていたが、それはクラスの中での話だ。俺にはちゃんと友達がいた。……そうは言っても夏樹だけなんですけどね……。
夏樹とは同じ映画研究部の後輩で毎日のように部室で会い、そして映画など見ずにサボっていた。
思えばあれが俺の青春絶頂期だろう。男子二人で部活サボるのが青春真っ盛りって終わってるだろう……。
それはおいといてそいつとはそこそこ気が合った。多分、どちらも自分のテリトリーに入られることを嫌う人間だったので、部活の先輩後輩というそれ以上でもそれ以下でもない関係性が心地よかったのかもしれない。
そしてそいつと色んなことを言い交わす内に色んなことが分かっていった。
そいつには姉がいること。姉とは年子であること。その姉が俺と同じクラスであること。その姉が人間関係で悩みを抱いていること。そしてそいつは姉を助けて欲しがっていたということ。
俺はかなり渋った。だいたい部活の後輩といっても大会を通じて勝利の喜びを味わったり、悔し涙を流したりした訳でもない。つまり特別な感情などそこにありはしないのだ。
俺は自分が持ちうる言葉という言葉をその頼みの断り文句に使った。しかし結局、俺は夏樹の熱意に圧されて折れた。
そうして春野を助けることになった。しかし俺はすぐ、助けると夏樹に言ってしまったことを後悔した。
春野は少しでも何かしでかせばそれだけで、完全に爪弾きされるくらいの状態だった。正直、あれが人間の感情の臨界点だったと思う。
これはもう手遅れと言ってしまってもよかった。ここから何もしこりを残さずに春野が元のようにクラスの輪に戻ることなど不可能に近かったから。
だから俺が犠牲になった。簡潔に言えばそうだが俺も当然そうなるのは躊躇した。
それでもそうした理由は夏樹の頼みを遂行したいという気持ちと春野の本心を知ったからであろう。
そんなことを考えているうちに環家の前に着いてしまった。家には夏樹に誘われ何回か行ったことがあるが、どうしても馴れない。多分、環家は家族が多いからだろう。母親と俺だけの二人家族の朝比奈家とはまるで違う。
環家は核家族ではあるものの今時珍しい4人姉弟だ。長女の春野、長男の夏樹、そして双子の姉の秋穂、妹の冬海。これだけいるとかなり騒がしい。正直、夏樹には家に誰もいない時に呼んでほしい。
さて今日はどのくらい人がいるのか。そんなことを考えながらインターホンを鳴らす。だが誰もそれに反応しない。
すると突然、ドアが開いた。中からは春野が出て来たが、すぐにそのドアを閉めてしまう。えっ、俺のことセールスマンもしくは詐欺師だと勘違いしてないっすか……。
軽くショックを受けていると、またすぐにドアが開いた。そうはいっても、僅かに春野の顔が見えるくらいだ。
「……な、なんで尾道君がここにいるの?」
すごいデジャヴを感じるなあ……。そう思ったが聞かれたので普通に答えを返す。
「なんでって……。夏樹に家来ないかって誘われたんだよ」
「そんなこと聞いてないけど……。というかあいつ今、外出中だよ」
「午後に来るって言ったんだけどな」
さて、どうしたものかと悩んでいたら春野がなぜか顔を染めながら、
「じゃあ……。う、家に入ってく?」
ありがたい申し出だった。すっかり秋、というか冬に片足突っ込んだような寒さで、外で待っているのはかなり堪えただろうから。
「それは助かる」
そう言うと、春野は家に入れてくれる。
廊下を通り右に曲がるとすぐにリビングだ。キッチンは別にある。
環家はとても生活感に溢れている。
つまり物が多い。家族が多いから仕方ないが、いつ来てもその物の多さに圧倒される。多分、俺の家は物が少ないからそう感じるのだろう。
しかし物が多いからといって、汚い訳ではない。環家は女性が多いので、掃除はしっかり行き届いている。
「とりあえずここに座って」
そう指差した先には真っ赤なソファがある。言われた通り座ると、春野はパタパタとリビングを出ていってしまう。忙しないな。
しかしやっぱり環はこの感じがちょうどいい。あの時は見ていられないくらいに憔悴していた。
ある日の放課後だった。俺はいつもなら速攻で帰宅しているのだが、その日は珍しく学校に残っていた。目的は春野の話を聞くことだ。
ひとえに救うといっても色々ある。いじめならいじめっ子に復讐したいやつ、元の立場に戻りたいやつ、もう学校に行きたくないやつ。
そんな一人一人の要求に確実に応えること。それが救済という行為だと言っていい。
なのでまず春野はどう思っているか、それを知る必要があった。
全く喋ったことのない女子に話しかけるのはそれなりに勇気がいるが、この際仕方なく話しかけた。
そこから俺は春野と色んなことを話した。昔のことなのであんまり覚えてないが、それでも強く記憶に残っていることが一つだけある。
それは春野が対立した二人の女子のどちらともと仲良くした理由だった。
てっきり俺はその対立してる事実を知らずに仲良くして、こんな状況に陥っているのだと思っていた。しかしそれは完全に的外れだった。
春野は対立した二人を引き合わせようとしたのだ。自分が緩衝材となることで二人の仲を少しでも良くしようとしたのだ。
今、思うと春野らしい理由だが、あの時の俺は絶句した。
こんな善人がいるのかと思った。人の本性は真っ黒だ。今でも俺はそう思っている。しかし春野に会ってその中にも例外があることを知った。
そして俺は優しさで身を滅ぼそうとしている春野に惚れ込み、どうしても救ってやりたいと思った。
だから俺は犠牲になった。具体的に言うと俺が春野をストーキングしているというデマを流した。
敵という存在はいとも容易く、人々を団結させる。今までのクラスの構図は女子二人の対立だった。しかしそのデマが知れ渡った瞬間、俺対その他のクラスメイトという構図に変わった。
この手はやり過ぎだとも思った。しかし確実に春野を救える。もちろんこのことは春野には秘密でやった。
もしかしたらその時の負い目で春野は俺に優しくするのかもしれないが、俺としてみれば勝手にやったことなので気にかける必要はないと思っている。
結局、俺の自爆によって春野はクラスで元の立ち位置を取り戻した。逆に元々低かった俺の立ち位置はどん底まで落ちたが。
そして俺は今回の春野の依頼も俺が学校に行けば、全て解決だと思った。さっき言った通り、敵の存在は人々を団結させるから。
以前、春野をストーキングしていた不登校のやつが学校に来る。それはどう見ても、何か悪い意図があるようにしか見えないだろう。
そうしてクラスが団結すれば春野の依頼はそれで達成。ハッピーエンドのスタンディングオベーションだ。
そんなことを思っていると、いつしか俺の前のテーブルにはお茶が置かれている。隣を見ると春野がソファに腰かけている。
春野は両手で包むようにしてコップを持ち、お茶を飲んでいる。そしてそれを一度、テーブルの上に置くと、
「ありがとね」
と笑顔で言う。急にどうしたかと思ったが、昨日のことだとわかる。
「別に何もしてねぇよ。助言をしたのは結局夜空だし、クラスの仲が良くなるかはこれからのお前の行動に懸かってるからな」
「確かに何もしてないね」
おっと、ちょっと厳しくない? そこはお世辞でも「そんなことないよー」とかかまととぶって言うのが普通なのでは?
でも、と春野は続ける。
「わかってたよ。尾道君が解決法を思い付いてたのは。でも多分、尾道君が犠牲になる方法でしょ」
図星だった。なので何も言わず、ただ縦に首を振る。
「やっぱり。でもその手はもう使えないよ」
春野はいたずらっぽく笑う。その表情はとても小悪魔的でつい見とれてしまったが、気を取り直してその理由を訊く。
「どうしてだ?」
「だって、私が尾道君の噂はデマだって言ってやったもん」
ふふんと自慢気にそのことを話す。
俺は絶句した。春野のことはだいたい分かってると思っていた。だがこいつは俺の想像を軽々と越えていくのだ。
そして俺の不登校である理由を消し去ってくれた。
中学生から高校生にはなったが、一度ついたレッテルは簡単には消えてくれず、俺は高校でも中学校の時と同じように邪険に扱われた。
生来の面倒くさがり性格なのもあるが、それも不登校の理由の一つだ。
春野は優しい。だがここまで来ると優しいという言葉では春野を形容しきれない。もはや聖母だな。
「だからさ、もう誰も尾道君を責めたりしないからさ」
春野は声を落とす。そしてまるで秘密を話すように言った。
「また学校に来ない?」
一章最終回です。これから二章に入っていくのですが、一章での登場人物が大活躍します! 是非、楽しみにしていてください!
名前だけの登場となった夏樹君も登場しますよ〜