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四章 第1話 朝比奈尾道は無力である

  「ご注文はお決まりでしょうか?」


  「すいません、アイスコーヒーを」


  「……アイスコーヒーですね。ご注文は以上でよろしいでしょか?」


  「はい」


  注文を聞いて俺はカウンターの中へと引っ込んでいき、この店の店長である星合流成さんに伝える。

  流成さんは俺の言葉を聞いて、一つ頷いてコーヒーを早速淹れ始める。その作業中。


  「もうそろそろ休憩入っていいよ。ついでに夜空呼んできて」


  「わかりました」


  そうして俺は控え室へと引き下がっていく。腕時計を見ると正午前。昼食を摂るのにはちょうどいい時間帯だ。


  「夜空〜。そろそろ入ってくれだとさ」


  「分かったわ」


  控え室で教科書やノートを広げていた夜空に声をかける。夜空はそれに手を止めて返答する。やがてカチャカチャと勉強道具を片付け始めた。


  「捗ったか?」


  「……ええ。少し不安な所もあるけれど問題ないわ」


  「なんなら教えてやってもいいぞ」


  軽く笑いかけながら、そんな冗談を言う。夜空のレベルを考えると彼女の学習に安い助けは要らないだろう。


  「本当に分からなくなったらね。それじゃあ」


  「ああ、じゃあな」

 

  夜空はさっさと準備をして、控え室を出ていく。淡白な夜空らしく後腐れもないやりとりだ。

  けどそのやりとりはとても作為的、平たく言えば不自然だと感じた。普段の夜空なら助けの申し入れを安易に受け止めたりしない。特に俺の申し入れなんて尚更、拒むものだろうに。

  だいたい夜空は平易な言葉では表せないほど勉強がよくできる。不安な所なんてあるはずがない。


  だったら不安な所の正体は? 最近は夜空の舌鋒の鳴りを潜め、何もすることがない時は物思いに耽っているのか、目の焦点が合わないことが多々ある。あの出店の日からずっとだ。

  と考えると不安の正体は夜空の母親のことだろう。それについておそらく昼夜問わず考えているのだ。いや、忘れることができないだけかもしれない。


  本当なら助けたいがSOSのサインがない、機会がない。それどころか助けてほしいことを悟られないように夜空は努めて平静を装っている。これではどうしようもない。

  これについては春野と話したい所だが、あの件以来連絡が取りづらくなってしまった。この店常連の春野も最近はめっきり来ていない。避けているのだろう。


  「くっそ、八方塞がりだな、これ……」


  思わず悪態を吐く。だがこうしていても仕方がないので、とりあえず昼食だけは摂ってしまうことにする。しかし昼食の弁当はまるで味がしなかった。


  休憩を終わらせフロアに入るが、それでも夜空のことばかり考えている。解決法は浮かぶはずもないのに。

  一気呵成に解決できない理由はいろいろあるが、その中でも特に夜空と母親の月子さんが意見を擦り合わせる場がないのが深刻だ。

  月子さんは自分の都合ばかりを考え、夜空に意見を押し付けるだけだ。夜空も夜空でそれを真に受けたりしないので結果、すれ違いやズレが生じる。

  「話せば分かる」と宣ったのは犬養毅だが、自分のことを理解しない人間がそもそも話す場など用意するはずもない。だからこその平行線である。


  そこで突如としてバランスを崩す。


  「あっ」


  間抜けな声が漏れる。だがその言葉はガシャンという耳をつんざくような音に掻き消されてしまう。床には割れた皿が散乱している。


  「……すんません」


  別のことに集中しており、フロアの仕事に対しての集中が欠けていたおかげで皿を落としてしまった。これは何か言われるだろうなあ……。


  「はい、尾道くん」


  「悪い……」


  夜空がそっけなくほうきとちりとりを渡してくる。だがそれだけですぐにカウンターの内に入っていってしまう。表情に変化はなく無表情だ。


  俺はすごすごと片付けを始める。その間も手は動いているが、心ここにあらずといった風に今のやりとりの違和感についてまた考えていた。

  夜空にしては珍しく俺がミスしても何も言ってこなかった。こんな状況、何か言うには最適だろうに。ていうか何もなくても小言を言う。パワハラかな?

  気分が乗らなかったといえばそれまでだが、逆に夜空が腹に一物抱えているのかとか勘繰ってしまう。どうも夜空に引っ張られて俺まで調子が悪い。


  結局、その日は、その日もイマイチ集中できないまま業務が終わる。いや、集中はしてるかもしれない。仕事には全く関係ないが。

  帰るための支度を終えて、鞄を肩にかけいよいよ帰るぞというところで控え室に入ってくる人がいる。そちらを見るといたのは夜空だった。


  「お疲れ様」


  「おお、お疲れ。掃除は終わったのか?」


  「お父さんがやってくれるようだから、早めに上がったわ」


  「そうか」


  軽くそんなことを話すが、別に広がりがある内容でもないので、さっさと帰ろうとする。その背中に。


  「……尾道くん、別に気にすることないのよ」


  夜空の普通ではありえないくらいに弱々しい声がかかる。何について言いたいかは察しがついた。


  「……皿割ったことは気にしてねぇよ。新人の時はこんなミスばっかだったし。あ、そうだ。弁償代は給料から差し引いてくれ」


  「そうではなくて……まあ、いいわ。あと少しは気にしなさい。お客さん驚いてたわよ」


  「ああ、そんな心配もあったのか。これから気を付けるよ。それじゃあな」


  「ええ、また」


  そこからは夜空の方を見ず、軽く手を上げひらひらと動かしカフェ「三ツ星」を後にする。

  帰り道に自転車を止め、自動販売機でアイスコーヒーを買う。

  今日は六月の最初の日。夏というには少し早い気もするが、全国的に暑い日が続き、そう言う俺の背中も汗ばんでいる。

  こんな日はやはり人は冷たいものを求める。いつになくアイスコーヒーのオーダーが多く、流成さんによると氷が足りなくなりそうなほどの注文数だったらしい。

  ぐびぐびと缶コーヒーを飲み始める。やはり冷たいものは喉に染みる。


  「っあ〜」


  思わず声が出る。これには仕事の疲れにも染みているのかもしれない。

  だがつい仕事のことを思い付いてしまった。なるべく思い出したくなかったのに。

  気分が悪くなる。俺はあえて夜空の「別に気にすることない」という気遣いを無下にした。触れて欲しくなくて話を逸らした。

  夜空が急にそんなことを言い出したのは、きっと俺が彼女と彼女の母親について心配していると考えたからだろう。

  そうしたい気持ちはよく分かる。自分の問題をなるべく助けを借りず、自分で解決したいと思うのは当然だ。

  けどそこで引き下がるのでは話にならない。助けると決意した手前、逃げ出すなど論外だ。そもそも夜空の問題は助けなしでどうこうなるものではない。


  なのに。なのにだ。打開策がまるで浮かばない。それどころか夜空は助けを拒んでいる。挙げ句の果てに俺に気にするなとまで言い放った。

  俺はただ助けたい。それだけだ。なのに何もできない。そのことに身を焦がす。これからどうするべきなのだろう?

  飲んだアイスコーヒーの味はとても苦く、飲み込んでも口の中に残ったままだ。それに耐えながらもう一度、俺は自転車を漕ぎ出す。

最終四章、遂に開始致しました! 四章サブタイトルは告知した通りずばり『夏の夜空』。三章は春野大暴れでしたが、四章は夜空大暴れになる感じです!

そして物語は終焉へ……。これからよろしくお願いします。


*いつもは21時投稿してましたが、今回から不定期に更新することにしました。次回作への実験のつもりです……。

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