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三章 第17話 扇町月子は姿を現す

  折角の快晴も暗雲が立ち込め始めたせいで、全てが台無しになる。そしてその空の下。


  「…………お母さん」


  夜空は気品があり、大人のエロスを放つ女性に対し、ただ一言、呟く。

  どうやらこの人物こそが流成さんや夜空から何回も聞き及んだ扇町月子。旧姓、星合月子。流成さんの元妻で夜空の母親。

  夜空の母の方をよくよく見ると、美しいシルバーの髪、きりりと鋭い目、何者を寄せ付けない粛然とした雰囲気。

  彼女はかなり夜空に似ていた。それが本当の親子であるとまざまざと感じさせる。


  「月子、どうしてこんな所に来たんだ?」

  流成さんが一歩進み出て、語りかける。その声音はいつもの温和さをまるで感じさせないほど、厳しく重々しい。


  「たまたま仕事で近くに来てね。時間が余ったから花見に来たら、あなたたちがいたのよ」


  月子さんは薄く笑いながら、余裕たっぷりに話す。

  このやりとりだけで既に異様だ。夜空や流成さんは元は家族でありながらも、警戒心を持って接している。恐怖心も少し混じっているかもしれない。

  なのに月子さんはそれをまるで意に介さず、大したことではないように言い返している。

  水に流したと言えば聞こえはいいが、多分違う。この人は何も感じていないのだ。

  多分、夜空と流成さんの負の感情も感じ取っていない。鈍感なのではない。ただ自分が嫌われているとは微塵も思っていない。それだけのこと。

 

  「はあ……。冗談を言うのはやめてくれないか。あなたが花見なんていうのに興味があるはずない。花見に来るくらいなら仕事してる」


  流成さんが辟易したように言う。流成さんにしてみればどうやら意図はまるわかりらしい。いい理解ではないけれど。


  「そんなことないわよ。こういうイベント戦略は仕事に利用できるかもしれないから」


  月子さんは少しずれたことを言い出す。これは風流の話をしているはずなのだが……。

  だが次の瞬間、月子さんの眼光が鋭くなった気がする。


  「でもこんな所であなたたちがいるなんて意外。やっぱり元家族。こういうイベントを利用する考えは同じだったようね」


  元家族。利用。嫌な言葉をこれぞとばかりに詰め込んでくる。利用なんて彼女らは微塵も思っていない。俺ですらそう確信できるというのに。

  それは夜空も同じ考えらしく、暗い底から涌き出てくるようなどろっとした声が聞こえる。


  「…………違う。それは……!」


  かっとなったのか声を上げる。しかしそれを流成さんは手で押し留める。


  「……帰ってくれないか? ここに居られては営業妨害だ」


  実際、ここで長話をしているせいで、ここを通る人が注文しづらそうにしている。

 

  「あら、悪いわね。じゃあコーヒー二つとカヌレを頂戴。貰ったらすぐ帰るわ」


  「夜空、接客」


  流成さんはそうとだけ言い、すぐに商品を渡す準備を始める。さっさと帰って欲しいが本音だろう。

  二人はこの瞬間だけは私生活を忘れ、てきぱきと仕事をしている。だが俺と春野は上手く切り替えられない。

  手つきが良かったおかげですぐに商品を渡す。月子さんはそれを受け取り、目を細めながらただ一言。


  「……惜しいわね。こんなに素晴らしいのに」


  そしてコーヒーの一つを隣の男性に渡す。それは不思議と絵になった。月子さんはその人を侍らせ、その場を去っていく。


  酷く疲れた感覚がする。なのに空気だけは一向に弛緩しない。夜空と流成さんは先ほどまでの明るい表情を失い、強張っている。

  しかし俺と春野は何も言えない。部外者にこの状況を打破する力も権利もない。できることと言えば、こうして話を待つつもりで黙っていることだけだ。


  「……仕事、しよう」


  流成さんは言葉が途切れながらもそう言う。

  流成さんは結果的にその話に言及することを避けた。ただ黙々と仕事を再開する。空気を読んでいた客も徐々に戻ってきて、忙しくなる。

 

  手を動かす傍ら、月子さんの最後の言葉の意味を考察する。

  一見すればただの褒め言葉。けどあんな夜空以上に傲岸不遜そうな人がそんな言葉を口にするはずがない。必ず真意がある。

  例えばこれすらも上から目線であるとか。自分の手足としてこき使うために、お世辞を言ってるだけとか。とにかくいい意味だとは思えなかった。


  幸いと言うべきか俺たちは仕事を再開して、すぐにその役目を終えることとなる。

  雨が降ってきたのだ。一度はやむのを待っていたが、そんな気配もせず、それどころか強く降り始める。急な大雨のせいで客足もぱったり途絶える。正に青天の霹靂というところだ。


  「悪いねぇ……」


  「雨なんでどうしようもないっすよ」


  流成さんが何故か謝り始めたのでフォローする。


  「いや、それだけじゃないよ」


  多分、流成さんは月子さんのことを言っている。けどこれについては返す言葉を持たない。また間が出来てしまう。


  「あ、あの!」


  春野がその空気を嫌って声を上げる。何かしてやりたい気持ちがそうさせたのかもしれない。


  「えーと、あ。あの男性の人見たことなかった?」


  「ないな」


  俺は即答する。が他の二人を見るとそうでもないようで、首を捻っている。


  「あの子、前バイトに来てたね……。確か膳所くんとか言ってたっけ」


  「え」


  予想外の答えだった。そういえば夜空が前のバイトの方が有能とか何とか言ってた気がする。


  「まさか母に関係あるなんて……」


  夜空はため息をつきながら頭を抱える。

  つまりそのバイトは何らかの調査だったということなのだろう。端的に言えばスパイだ。


  「ややこしい話になってきたわね」


  本当にその通りだ。しかも憎んでいる母の蝙蝠野郎が平然とカフェ「三ツ星」の空間にいたのは許せないことだろう。

  そんな重々しい空気が流れる中、春野は遠慮しながら、ちょこんと手を上げる。


  「あ、あの〜。非常に言いづらいですけど、その……月子さん? のことよく知らないなーって思ったんですけど……」


  徐々に声が小さくなっていく。とても言いづらそうなのが、ありありと伝わってくる。これは核心的な所だしな。

  流成さんと夜空は顔を見合わせる。話していいのか? とか、まだ話してなかったっけ? とかそんな間だと思う。

  それでも結果的にはどちらも頷く。そして。


  「分かった。ただ雨宿りしているのも暇なだけだし、暇潰しのつもりで」

 

  そこから流成さんは月子さんのことを語り出す。内容は概ね俺に話したことと同じで、それが何回もこのことを説明してきたのだと感じられる。

  それを聞いた春野の反応は「はあ」とか「うん」とか吐息に似た声だったと思う。そうなる気持ちはよく分かる。俺もそうだった。


  「つまり君に夜空を見守っててほしいんだよ」


  これも俺の時と同じで流成さんが話をまとめる。ただ春野の返答は俺の時とは違っていた。


  「任せてください。友達ですから」


  笑顔でそう言い放つ。なんて頼もしい言葉なのかと思う。俺なんて「出来るっすかね」という情けないことこの上ない言葉だったはずだ。

  やっぱり常に人の助けになろうとしている人間は既に覚悟が出来ているのだろう。


  長話をしている内に雨も徐々に止んできた。それでもまだ小雨ではあるが、人は集まってきている。そしてこちらに向かう人がいる。


  「それじゃあ仕事しようか」


  流成さんが声を掛ける。それに呼応して各々、準備を始める。いつも通りの光景。けれどしこりは確かに残ったまま――。

扇町、膳所という名字は我ながら華美でつけた理由が分かりません。朝比奈も分からないし、環も星合も分かりません。

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