二章 第29話 安達すみれの独白〈後編〉
久しぶりに心地よい時間だったかもしれない。
そんなことを安達の家からの帰り、自転車を飛ばしながら思っていた。どうしてかは可能性が多くある。
安達と話すことが心地いいのか、問題に優れた解決法を提示できたのが嬉しかったのか、そもそも安達の家が俺にとって居心地いい場所なのかはよくわからない。
まあ、なんとなく全部要因である気はする。
心地いい風が吹き抜ける。行きはあんなに寒いと思っていた風も今は「こんなもんか」くらいには思える。
その吹っ切れ方は俺の今の心情によく似ている。
途中までは気持ちよく飛ばしていたが、信号に引っ掛かる。
そこで俺は目を瞑ってみる。すると瞼の裏には今日の風景が写し出される。
安達のインターホンでの慌て具合、過去を独白する時の暗い表情、解決案を出した時の驚き。どれも鮮明に思い出せる。もちろんどれもいつかは忘れてしまうものだが。
それでもこれだけは忘れないと思う光景があった。俺は今、それを思い出している。
「もう帰るの?」
俺が解決案を話し、少し関係のない様々なことを話した後、席を立つ。
「帰る。長居はしたくないしな」
「早くない? 別にまだ夕方でもないのに」
外を見ると、日は沈んでおらず、確かにまだ明るい。
安達はまだいてもいいと思っているのだろうし、俺もまだおいとまするには早いかなとも思う。だがこれ以上はリスクがある。
片桐景介のことだ。あいつに安達宅にいることがバレたらやばい。よくヤバいを多用する若者がいるが、それじゃ済まない。
あれはせいぜい怒られたりしてしまうくらいだが、俺が言うのは生命の危機だ。ホントやばい。
「ま、君は家にいるのが好きみたいだしね」
「そういうことだ」
全く理由は違うのだが、理解を示してくれたのでそれに乗っておく。
俺が席を立ち、玄関まで行こうとすると安達もそれについてくる。見送りをしてくれるのだろうか。
「じゃ、お邪魔したよ。またな」
「ねえ、尾道ちゃん」
俺の別れの言葉を遮るように呼び掛ける。
「何だ?」
「あたしさあ、案外、中学校の人たちとつるんでるのも悪くないって思ってたんだよね」
それはなんというか意外だった。抜けたいけど抜けられないだけだと思っていたから。
「もちろんそう思ってたのは少し前までだけどね。意外と楽しいよ。久しぶりに旧友と会うっていうのは」
「そうか。俺は知らないが」
すると安達は出し抜けに今日何度目かの驚いた表情になる。
「えっ、春野ちゃんは?」
「……別に友達じゃないだろ。あれは……腐れ縁だ、腐れ縁」
確かに中学校のクラスメイトではあるが、友達と思ったことはない。ただ少し過去を知ってるから、どっちつかずの関係が続いているだけだ。
「君に友達にいないの、なんか納得だわ」
「おい、お前……」
酷いわ、まじ。ぼっちはぼっちであることを自覚しているが、それを面で言われると非常に傷つく面倒くさい生き物なんだぞ。デリケートに扱え。
だけどそこに悪意はないらしく、ふっと笑う。なんだが嬉しそうだ。
「だってこっちは友達だと思ってるのに、そっちは認めてくれないんだもん。春野ちゃんも景介ちゃんも……もちろんあたしも友達だと思っているのに」
こんな時、自分の顔が見れなくて安心する。絶対にすっとんきょうな表情になっている。もしそれを見たら、恥ずかしさで死んでしまう。
「そうか」
短く言う。だがこれにも俺は相当、頑張った。
友達なんてずっとできないと思っていた。でもそれは俺の心持ちの問題だった。なんとも呆気ない幕切れ。気づいたら周りには理解者がいたなんて、漫画ならありがちすぎる。
だけど普通もこんなもんなのかな。これを以て友達だねっていうよりは気づいたら、一緒に遊んでいて仲が良かったとか。こればっかりは本当にわからないけど。
「ふふふ。それでね。あたし悩んでたんだよ、ずっと」
俺は無言になる。それは安達が何かここで返すことを禁じるような空気感を醸し出したからだろう。
「どっちも楽しかったんだよ。尾道ちゃんとかと話すことも、中学校の悪友とダラダラするのも。だからふと思ったんだ。あたしにとってどっちが大切なのかって」
そこで安達は髪を触る。髪の金色が照明に照らされる。
「ねぇ、どう思う? 尾道ちゃん」
「……さあな」
そんな言葉しか出てこない。俺だって大切なものが何か、分からないのだ。急に言われてましな言葉が出てくるはずもない。そう諦めたのだ。なのに口は自然に開く。
「けど、どっちもちゃんと考えられるなら、どっちも大切じゃないってことはないと思うぜ」
目を見開く、どちらも。驚きだった、こんな言葉が出たのも。何もわからない俺がこんなことを言えたのも。
「そっか……、そうだよね、うん」
どうやら納得したようだ。俺の咄嗟に、しかもなんの足しにもならないような言葉を納得してくれるのはありがたい。
「尾道ちゃんの言った案を実行すれば、解決するんだよね?」
「そうだな。片桐が依頼を受けてくれればの話だが」
これについて特に心配はしていない。思い人の頼みなど断れるはずもないからだ。
「絶対、大丈夫だよね?」
それは言い切れない。あいつらが逆上する可能性だってなきにしもあらずだし、片桐が何らかの影響を受けてもおかしくない。
だが欲しいのはこんな現実的な言葉ではないはずだ。
「大丈夫だ、絶対に」
「うん、じゃあまたね」
「ああ……、じゃあまた」
俺は別れの言葉を告げ、その場を辞する。扉を開け、出ていく瞬間、後ろを振りかえる。そこで俺は安達と出会って一番の笑顔を見た。
それは美しく、絵画のようだ、なんて平凡な言葉では表せない。安達の笑顔だけは永遠に不変の美しさを持っていて、いつだってそこにあるように思われた。
自転車を飛ばしながら、ふわふわとそんな光景を思い出していた。これだけは脳裏にこびりついて離れない。
そしてこれも行きでは感じなかったことだが、意外と安達の家と俺の家は遠いことに気づいた。
そのせいか出る時はまだ昼下がりという感じだったのに、今は日は傾き、赤く染まった景色が眼前に広がる。
こうなると考える時間もたくさんある。
俺はずっと考えていた。口を突いて出てきた言葉の意味を。
俺は汚い人間だと思う。嘘も憑くし、建前も使うし、策も巡らす。なんなら罠だって使う。純粋なんて言葉は俺に一番、似合っていない。
だけどあの言葉だけは嘘偽りない純度100%のものだ。つまり俺の本心。自分でも気づいていなかった本心。
そうだ。俺はきっとどれも大切なのだ。春野や安達や片桐のことも、夜空や流成さんのことも、はたまたカフェ「三ツ星」いう居場所も。
俺は何か大切なことがあるなら、それ以外は全て捨ててもそれを守るべきなのだと思っていた。今回なら自己の矛盾を解消することが一番、大切だった。
でも違う。大切なものは一つじゃない。大切なものは一つだからという言い訳で捨てていたものにも、大切なものはある。
その代表が夜空であり、流成さんであり、カフェ「三ツ星」だ。懺悔しないとな、そんな気分になる。
けれどそのためには大きな決断をする必要がある。大切なものを全て、守るために。
ある大きな決断。それについて俺は帰路で一人、考えていた。
小説を書くようになると、読書する時に「この表現すごいな」「俺ならこういう書き方してしまうな」「ここまでたどり着ける気がしねぇ」などのメタ的?視点が入りどうも集中できません……。




