一章 第2話 朝比奈尾道は覚悟を決める
俺には父親がいない。母親が言うには、俺の父は母とは結婚することなく、母親の妊娠中に行方不明になったらしい。普通に考えれば、その過去は傷口のようにジュクジュクと膿んでいて触りたいとは思わないだろう。
だが、家は一味違う。……そういうとなにやら凄い力を持っているように聞こえるが、なんてことはない。俺が生まれる前の出来事なので、俺がそのことを覚えているはずもなく、母親は母親でマイペースな性格なので、深刻に思っている感じはしない。
その証拠に母親は俺がまだ小学生の頃、結婚しておらず、バツイチでもないことをいいことに、しょっちゅう、婚活イベントなんかに参加していた。まあ、結局戦果は挙げれなかったようだけど。
家では、父のことは禁句ではなく、むしろ母親が積極的に当時のエピソードを話している。話を聞くところによるとかなりクレイジーで人でなしな性格だ。つまり俺は父親似ということになるな。残念ながら。
だからドラマとかによくある家族の深い事情とか、ドロドロした部分を見ると、こんなことあり得るんだなあと妙に感心して観てしまう。
しかし俺は今日、初めて家族にまつわる問題をリアルで聞いてしまった。
それでも抱いた感想はドラマを見たときと全く同じ、こんなことあり得るんだなあだった。そう思ってしまったのは、そのエピソードはあまりに非現実的でドラマじみていたからかもしれない。
でも本当は分かっている。その問題はあまりに重すぎた。俺なんかでは何も出来ないという諦念から、その問題から距離を置こうと考えた。それを表した一言がこれであるのだ。
今日は秋も深まり、寒さが増していく流れを断ち切るような爽やかな秋晴れの日だった。夏の陽気が戻ったように暑い。
しかし本当に暑いと感じたのは、俺なんかではなく客の方だろう。なんといっても店内で働いているのは俺と流成さんの男2人組。暑苦しい事この上ない。いつもなら夜空がいるのだが、今週は働きすぎで労働基準法に引っ掛かりそうなのでお休みである。
俺がカフェ「三ツ星」にお手伝いに入るようになってから1ヶ月ほどが経った。その間に夜空は度々休んでいるので、働きすぎだとは思わなかったが、流成さんが言うには俺が入る前はこのカフェはブッラク企業じみていたらしい。
夜空は週40時間という労働基準法の規定ギリギリまで仕事を続け、流成さんは毎週のように残業地獄だった。本当のブラック企業なら未成年であっても、残業をさせそうな気がするがそうなっていないというのは親の優しさと言っていいだろう。
そう言ったら流成さんは雀の涙ほどだけどねと、笑っていたが。
ちなみに夜空は休日、何をしているのか参考までに訊いてみたこともあった。未成年が今時、高校に行かないのは珍しく俺以外にいないのでは? 俺って激レアなのでは? と思っていたので、こうして事情は全く違うが、境遇としては似ている人のことを少し知りたかったのだ。
夜空は思いっきり無視したが、流成さんは丁寧に答えてくれた。
「勉強だよ。高等学校卒業程度認定試験のために勉強してるんだよ」
意外だった。他の人がどうかは知らないが、中卒が最終学歴の人は学歴をすぐに後悔するイメージはあまりない。大人になって初めて後悔して、定時制高校に行くなり、夜空のように高等学校卒業程度認定試験を受けようとすることが多そうだ。
理由を訊こうとしたがなんとなく予想はつくし、それを訊こうとした時に客が来たので結局、言えずじまいだった。しかし腑に落ちないことはあったのでいつか訊こうとは思った。
そう思っていたが、今がちょうどいいタイミングのようだ。店内には客が一人しかおらず、夜空もいない。そのことを訊こうと口を開こうとすると、流成さんに先手を打たれた。……なんか前もこんなことがあった気がする。そういう系の達人なの?
「この職場はどうだい? 楽しいかい?」
とても困る質問だ。仕事なんて楽しい訳がないし、本来ならば家でゴロゴロしながらゲームをしたい。しかしそれをそのまま言うのは憚られる。なのでお世辞を言うことにした。なんか実際のサラリーマンぽい。俺の会社員魂が発揮されていた。
「まあ、悪くないんじゃないっすかね。中々、楽しいっすよ」
すると流成さんはお気に召したのか、ははっと笑ってこう言った。
「よく平然と嘘が吐けるね。ここまで堂々と嘘を吐ける人は初めて見たかもしれないな」
くっ……。その笑いは嘘を吐いた俺に対する笑いか。こっちがわざわざ気を使ってるのにそれを笑い飛ばすなんて、鬼かよ。
それでも流成さんは表情を崩さず、むしろさっきも機嫌がよさそうに、
「でも嘘を吐かなくてもいいよ。君にはお手伝いに入ってもらって、本当に助かっているし、感謝もしている。それは君が正直に言ったくらいでは変わらない評価だよ」
これはうれしい言葉ですよ。しかし残念ながら高校ではニート、中学校ではぼっちを極めていた俺には褒められ耐性がなく、こんな時どう返していいか分からない。なので正直に言うことにした。
「そうですか。なら正直に言わせてもらいますと、夜空がすごく厳しいです。特にやることを訊こうとすと嫌味を言われ、軽く休んでいても嫌味を言われます。これパワハラじゃないっすか? そしてあいつは俺の姑なの? ああ、後、本当なら家で自堕落な生活を送りたいっすね」
言いたいことはまだあるが、息継ぎをするために言葉を止めると、間髪入れずに流成さんが言葉を差し込む。
「尾道君、最低だね。評価が少し下がったよ」
酷くないっすか、この高低差は。俺は聖人君子並みに正直に言ったのに……。この人はどうも俺の母親と似ている。基本はマイペースでおおらかなのだが、こちらの都合が悪い時に牙を剥く。
次は脳をフル回転させてどうフォローしようか考えていると、ニタッと笑って、
「冗談だよ。君はどうにも一筋縄ではないかなくて面白い。僕はそういう人嫌いじゃないよ」
「マゾっすか?」
しまった。やっちまった。ついこの人が器が広くて、何でも言っていいと思ってしまった。
オーバーヒートするほど脳を酷使して、言い訳を考える。しかし出てくるのは断続的な謝罪だけだ。恨むぞ、俺のコミュ力を。
「あ、いや、これは、すんません」
しかし流成さんは今まで以上におおらか、いや、ちょっと雰囲気が違う。遠い目をしている。
「マゾか……。そうじゃないと自分では思うけど、周りから見るとそう思うのかなあ。夜空も確かになついてはいるけど、厳しいところもあるし、月子も……」
それきり黙ってしまった。さきほどまでいた客は会計を済ませてとっくに帰っており、店内はとても静かだ。
こんな時に俺のコミュ力があれば、雰囲気がよくできるのに……。無いものは無い。無い物ねだりしても悲しいだけだ。
「尾道君はまだこの店を続けるつもりはあるかい?」
質問の意図がわからず、とりあえず「はい」とだけ答える。
すると流成さんは今までの朗らかな感じを、まるで皆既月食を起こした月のように隠し、深刻そうに話し始める。
「それなら知っておいて欲しいな。自分の家族の過去を」
俺は自信がない。その声音を聞く限り、それは絶対に開けてはいけないパンドラのように、悪霊とか怪物が出てくる。いつも優しい表情をしている流成さんのこの苦々しい顔を見る限り、それは容易に察せられる。
そして俺はこの空気感で語られる話は過去の経験則から、今までの安寧を崩壊せしめるものだと知っている。
だからこそ俺はどう反応していいか分からない。しかし、
「分かりました」
と答えていた。
自分でもなんでこんなことを言ったのか分からない。分からないことだらけだ。
別に知りたいなんて思わない。後悔するから。
俺の知らない物語が勝手に進められ、この店に横たわっている。
それを嫌だとは全く思わないが、知らないままこの店で上手くやることは出来ないだろう。
この話はきっと天秤なのだ。それはこの店にふさわしいかふさわしくないかを判じる。
そして多くの者がふさわしくなかった。だからこの店には俺以外にバイトはいないのだ。
それに耐えられるかは聞いてみないと分からない。
だが、聞かないという選択肢はない。
その事実に俺は少しだけ気分が明るくなる。
きっと俺はこの店が嫌いではないのだ。だから例え、身を切るように辛い話でも逃げずに、耐えようとする。逃げたらきっと気まずくなってその内、ここを去るだろう。
だから俺は、次は確かな意志で答える。後戻りできないように。
「聞かせてください。流成さんと夜空にまつわる話を」
自分は読書好きが高まって、こうして小説を書くようになったのですが、いざ書いてみると今度は逆に読書の時間が取れないという矛盾。
ということでちょっと投稿ペース落とすかもしれません。




